数時間前――……。
モニターの前に鎮座し、今まさに起こっている出来事を眺める人影――……否、
「……やれやれ、やっぱり始まりますか。そらそうです、こうなるに決まっているのです。
この薄暗い部屋にあるのは、
「
……それはまるで、駄々をこねる幼子に言い聞かせるような。
「――ただずっと、一緒に居たいだなんて。独り善がりのエゴでしかないのです」
◇◇◇
時を戻して、現在――……。
全員が見守る中、章平は、赤柳が顔をしかめていく様と目の前の光景とを交互に見つめる。そうして、彼の表情がすっかり怒りを表すものに変貌したところで、彼は説明を求めるべく口を開いた。
「おい……。なんだ、これは……」
しかし彼のその不機嫌な問い掛けに、正確に答える者はいない。しばしの沈黙の中、困惑した靴職人の加連が戸惑いを隠せずに目を伏せる。
「そんなこと、言われても……。わ、分かんないよ。俺だって知らないよぉ……」
「やっぱり、茨木さん……だよね? 本当に本人? 人形とかじゃなく……?」
「間違いなく遺体であろうな」
困惑する大半の生徒たちが取り乱す中で、さも当たり前の事実だと言わんばかりに、科学部の姫ヶ原は茶を飲みながら言う。その態度に、今すぐ問い質したいという様子の赤柳をはじめ、ほとんどの人間が彼女に目を向ける。かぐや姫はいつも通り、優雅な所作でカップを静かにソーサーに置くと、まるで全てを見透かすような目で章平たちに顔を向けた。
「占い師は殺害されたのだ。それも、我らの中の何者かによってな」
「そ、んな…………!」
章平は再び目の前の惨状に目を向ける。冷凍庫にきっちり収められた、夢占い師の茨木。まるで棺の中で眠るようなその顔は――
「おやおや、おやおやおやおや……!」
生徒たちが沈黙を守る中、興奮を隠しきれない、この場に最も相応しくない感情を孕んだ声が響く。――モノヴォルだ。彼は嬉しそうにくししと笑って、どこからともなく生徒たちの前に姿を現した。
「これは大変。大変なことが起こってしまいましたね! 特別カリキュラム中の我が校で……遂に
「殺人……って、本当に……!?」
「んなわけあるかぃ! どうせお前が殺したんだろぃ!」
「いいえ。これは殺人です。
「どうしてそんなこと分かるんだい?」
きっぱりと。はっきりと。モノヴォルはそう言い切る。その様があまりに不自然なので、章平は思わず疑問を口にした。だって、彼がいつでもぼくたちを見ていられる環境なわけがないから……。
けれども、狐は相変わらず楽しそうに笑う。
「くしし……。分かりますとも。ワタクシ、
「じゃ、じゃあ……そいつは……"コロシアイ"のルール通り、ここから出られる……ってことなのか?」
パティシエ双子の片割れ、菊音の発言に、章平はそういえばと思い返す。初日にこの狐のぬいぐるみが提示した条件。ここから出るためのたったふたつだけの選択肢。そのうちのひとつは……「誰かを殺すこと」だ。
しかしモノヴォルはちっちと首を振った。
「気が早いですね、中森さん。ただ殺すだけではいけません。言ったでしょう? "学級裁判を始めます"と……」
「がっきゅう……裁判?」
「…………」
笛吹き男が眉間のしわを更に濃く刻む。そうだ、と章平はまたも思い出す。「殺人が起こった際、犯人探しをさせるつもりではないか」――……。以前、このコロシアイが始まって間もなく、目の前にいる彼が話していたこと。彼の推測は当たっていたのだ。
モノヴォルはおほんと咳払いをして、よじよじと机の上に登り、生徒たちと視線を合わせる。紳士は机の上に乗らないのでは? という突っ込みが頭を過ぎったが、章平は大層不機嫌そうな赤柳の顔を見て、出かかった発言を口の中に留めた。
「それではここで、"卒業"に関する、補足ルールを説明させて頂きます。卒業の条件として、"人を殺すこと"を提示させて頂いておりましたが……その際に、守って頂かなければならないお約束事がございましたね?」
「なんだったっけ?」
「ちゃんと書いてあったでしょ」
「えと、校則の……」
「はい、国中さん。その通りでございます」
おずおずとした有子の呟きも、ぴくりと大きな
耳を動かして紳士の狐は拾い上げた。その様はやはり――駄々を捏ねに捏ねてようやく願望が叶う直前の、幼い子供のような――心底嬉しそうであった。
「ただ殺すだけではいけません。他の皆様に知られないように殺さなければならないのです! ……そして、その条件をクリア出来ているのかどうかを査定するためのシステムとして……殺人が起きた一定時間後に、"学級裁判"を開くこととします! 学級裁判は、殺人が起きた数時間後に開催されます。学級裁判の場では、殺人を犯したクロと、その他の生徒であるシロとの対決が行われます。学級裁判では『身内の中に潜んだクロは誰か?』を皆様に議論して頂きます。その結果は、学級裁判の最後に行われる"投票"により決定されます。そこで、皆様が導き出した答えが正解だった場合は……秩序を乱したクロだけが"お仕置き"となりますので、残ったシロの皆様は共同生活を継続してください。ただし……もし、間違った人物をクロとしてしまった場合……罪を逃れたクロだけが生き残り、残ったシロ全員が"お仕置き"されてしまいます。その場合は、もちろん共同生活は強制終了となります。以上、こちらが学級裁判のルールとさせて頂きます」
モノヴォルがぺこりと丁寧にお辞儀をして見せる。これは、彼の話が終わった合図だ。
説明が終わったことを確認して、隣の笛吹き男が口を開く。
「"お仕置き"とはなんだ? 何らかのペナルティ措置である事は理解出来るが、具体的に説明してくれ」
「ああ……そうですね。まあ、簡単に言ってしまえば……
「は!?」
「しょ……処刑!?」
当たり前の事実を述べるように、平然と、さらりと。なんてことのないように出てきたその単語に、一同は驚愕する。章平も目を見開いた。ちゃんとその言葉の意味を知っていたからだ。そう、つまり、処刑、というのは……。
「処刑って、こ、殺されるって、ことなの!?」
「ええ、そうです。脱出を認める条件は、皆様に気付かれずに殺人を遂行すること。けれどもそれが達成出来なかったのであれば、ただいたずらに
「ふむ、似たような内容を閲覧したことがある。殺し合い、学級裁判、シロ、クロ、おしおき、処刑……。ふむ、ふむ……」
「おめーはなんでそんな楽しそうなんだよぃ!」
ただ一人。実に愉快そうににやりと笑みを浮かべていたのは、変人ということで有名な姫ヶ原かぐら。あまりに常軌を逸しているその様子に、思わず漁師の伊海田が怒声を上げた。けれども、かぐや姫は地上の理では動かない。表情を微塵も変えずに――相変わらず楽しそうな微笑みを浮かべて――ぱさりと扇子を広げて優雅に仰ぐ。
「何、単純に受け取れば……これから我らが取り組むのは、良くある謎解き遊戯であろ? 丁度退屈しておったのだ。生命危機など、多少戦慄の走る条件である方が楽しめよう」
「多少で済んでねぇんだよ! ふざけんな、そんなの俺は真っ平だからな!」
「きくね」
「簡単なことよ。"死にたくなくば謎を解け"。それだけの話だ。謎が解ければ死に向かわなくて良い。不正解の代償が己のたまというだけだ。それに……棄権するのはいいが、どうせそれも何かしらの罰が用意されていよう?」
これまた怒りを露わにするパティシエ双子の片割れ、菊音。相方はすぐさま声を掛けたが、それより先に姫ヶ原は言葉を被せた。事が起こってしまってからというもの、彼女は実に饒舌だ。
そんなかぐや姫の問い掛けに、モノヴォルは当然と言わんばかりにこっくりと深く頷く。
「ええ、残念ながらこれもルールですので。それに従わない場合は、ワタクシの一存でやはりお仕置きを執行させて頂きますよ」
「拒否権すらねぇのかよ! クソが! お前が死ね!」
「きくね、僕を信じて。二人ならこんな事件簡単に解けるさ」
「よはね……。……ん、まあ……そう、だな……。やるしかねぇってんなら、もう……やるしかねーのか……」
そっと、激昂した片割れに触れて夜羽は微笑む。こんな状況でも変わらない相棒を見て落ち着きを取り戻したのか、菊音はしぶしぶといった様子でようやく頷いた。
犯人を当てられなければ、死。ゲームを放棄しても、死。
……生徒たちの顔付きが明らかに変わった。
「くししし。皆様がやる気になってくださったところで、こちらをお渡し致します。被害者の検死……皆様ではおよそ正しく遺体を検分することは困難でしょう? そんな皆様のため、ワタクシが既に済ませ、こちらにまとめておきました。くしし! 言うなれば、"モノヴォルファイル"! ふふん、どうぞこちらをお役立てくださいな」
そう言って狐紳士は各々にファイルを押し付けて行くと、用は済んだとばかりに足早に消えていく。その後ろ姿は心做しステップを踏み……明らかに機嫌が良かった。あのぬいぐるみの目的は、皆が謎解きをすることなのか? はたまた、殺人事件そのもの? それとも……。すぐには出ない疑問をあれこれ推測するのを、章平は即座にやめた。
……改めて、残された章平たちは互いの顔を見合わせる。そうして全員が最後に顔を向けたのは、何を隠そう。リーダーの赤柳であった。
「……正しい犯人を突き止めねばならないのなら……お前たち、やることはひとつだ」
「ああ、俺らは行くぞ」
「ちょっと待って」
すっかりやる気ムードの一同に、ストップを掛ける声。それは、聞き心地のよい電子音――人類学者の泡淵だった。人魚姫は、すぐさま続きの台詞をキーボードへ打ち込んでいく。
「犯人に現場を荒らされないように……。こういう時は、見張りの人を決めておいた方がいいと思うの。要らない疑心暗鬼は、しっかり対策して回避すべきです」
「んー……。なら、たぶん一番力が強ぇオレが適任だと思うけどよぃ。オレでも良いかぃ?」
彼女の言い分は最もである。一同はこくりと頷いて、すぐに手を挙げたのは伊海田だった。確かに、この中で最も筋骨隆々な彼が現場監視をしてくれれば、心配することもないだろう。彼の申し出に、泡淵の車椅子を掴んでいた介護士の星永がことりと見上げる。
「こたろ、いいのー?」
「おう! こういう時こそ適材適所で助け合わねぇとなぃ! 任せてくれやぃ、せつなちゃん!」
「じゃあ、ぼくもいっしょに残る! たりあちゃん自身も調べたいし……気になることもいろいろあるから」
「せつなちゃん、いいの?」
「ん! お姉ちゃんたちは、他のところを調べて!」
「分かったわ。ありがとう」
赤ずきんの宣言に、今度は人魚姫が首を傾げた。けれども、そうだ。誰が犯人なのか分からない状況では、見張りは二人以上いないと意味が無い。章平も気づいたこの事実を人類学者が想定していないわけはなく、すぐさまこくりと頷いた。
「じゃあみんな……そうしましょう。何でもいい、手分けして気になるところを調べていくのよ」
そうしてモデルの白雪の声掛けにより、生徒たちは各々思うまま、調査すべく離散していく。章平はどうすべきかときょろきょろ迷ってしまった。一人で身支度も出来ない、お箸を持つのもままならない、そんな自分自身に出来ることなど、全くもって皆無であることを知っているからだ。そうこうしているうち、いつの間にか信頼出来る幼馴染――有子の姿もなくなっていた。
いよいよどうしたものかと困り果ててしまえば、そういった時に必ず、本当に必ず現れるのは――決まって、笛吹き男だ。彼はいつだって、章平の困り事を迅速に解決してくれるのだ。
「笛吹きくん!」
「佐渡、行くぞ」
「うぇ? ……笛吹きくん、何処へ行くんだい?」
「事件を解く。そのための証拠を集めに行くんだ。着いて来い」
彼の口から出た台詞に、章平はぱちくりと瞬きを繰り返す。いつもいつも着いて来るなと、そう拒絶するように言う彼が今まさに、真逆の言葉を発したからだ。
すぐさま背中を見せた彼に、少しの間ぽかんと呆気に取られた章平だったが、つい先程言われた台詞を再び頭の中で反復する。
――"
「ふふっ!」
章平はその言葉だけで、なぜだかとんでもなく嬉しい気持ちになって、思わず笑いを零した。
◇捜査開始◇
まず初めに調べるべきは、先ほどモノヴォルが押し付けて行った事件概要のファイルだろう。笛吹き男がファイルに目を通しているのを見て、章平も早速ファイルを起動する。
『モノヴォルファイル1』
――被害者は"超高校級の夢占い師"茨木大璃愛。
死体発見現場は厨房。冷凍庫の中に詰め込まれていた。
死因は刺傷による失血性ショック死。
薬物などを摂取した痕跡はない。死因となった外傷の他、遺体はバラバラに切断されている――
「……見ればわかることしか書いてないや」
なあんだと章平はがっかりして、ファイルをカーディガンの内ポケットに突っ込んだ。概要の確認が済んだのか、笛吹き男もファイルを閉じて章平に向き直る。
「佐渡、第一発見者の話を聞こう」
「ほえ? ターリアちゃんを見なくていいのかい?」
まずするべきこととして挙げられるのは……とにかく、遺体の状況を調べることだろう。真っ先にそうするべきというわけではないが、どのような事件だったのかを把握するのに手っ取り早い作業だ。しかし、赤柳はそれとは違う提案をしてきたので、章平は思わず声を上げてしまった。当然の疑問だと彼も思ったのか、赤柳は頷いた。
「世絆と姫ヶ原がいる。大まかな遺体の検分は任せて、先に把握している情報を皆と同じにするべきだ」
「そっかあ、うん。そうだね!」
彼が根拠を説明すれば、章平も素直になるほどと納得がいく。発見時の情報を、おそらく食堂に揃っていた皆と違って章平たちは知らない。遺体の検分も、科学部の姫ヶ原のような……知識のありそうな者に任せた方が、より正確な情報を読み取れるだろう。笛吹き男はいつだって正しい。章平は改めてそう思った。
早速、話を聞こうと人を捜す。食堂に残った人物はひとりだけだった。
靴職人の加連は、何をしているのか……厨房の方の壁を見上げている。捜査中だろうか? とはいえ、聞き込みも立派な調査のひとつである。加連はいつも通り食堂に集まっていたうちの一人で、その場に残っていた一人でもあった。遺体発見時の状況を聞くには適任だろう。
章平よりはやく、赤柳は彼に話し掛ける。
「加連。取り込み中でなければ、発見時の詳しい状況を聞かせてくれないか」
「んぇ? 詳しい状況……っていうか、俺ちゃんたちも何が何だか分かんなくてぇ……」
「良い、お前が見た事実をありのまま述べてくれ。ひとまず今は、それが知りたい」
「……うん、それでいいなら……分かった」
困ったように表情を曇らせる加連も、赤柳の真っ直ぐな瞳を見て頷く。靴職人はえっとねと口元に指を当てて、当時の状況を振り返る。
「赤柳ちゃんたちが出て行ったあと、しばらくざわざわしながらみんな不安でいっぱいだったんだけど、急に猫ちゃんが立ち上がってさぁ」
「猫くんが?」
「……うん。待ってるように言われたのにどこ行くのって言いながら追いかけたら、……猫ちゃん、真っ直ぐ冷凍庫に向かってって、それで……」
「最初にあれを開けたのが猫塚だ、ということか」
意外な人物の不可思議な行動に、章平も目を丸くする。笛吹き男も、件の人物の真意を図りきれずに難しい顔をする。それは、赤毛の神父にとっても思いがけない出来事だったようだ。
「めちゃくちゃビックリして俺ちゃん変な声上げちゃったんだけど、それでみんながぞろぞろ来て……その時に双子ちゃんも来たんだっけかな……で、すぐにあの変なアナウンスが流れて……あとは赤柳ちゃんたちも知っての通りだよぉ……」
「……なるほど。わかった、ありがとう」
「こんなのでホントに良かった?」
「うん! これでぼくたち、みんなと知っていることは一緒になったもの」
「あ、そっか。たしかに。赤柳ちゃんたちから見れば、どーやってあんな状況になったかわかんないもんねぇ」
うんうんと納得したように加連は頷く。
「他に何か知っていることはあるか?」
「特になんもないけどぉ……」
「なら昨日のありばい? とかっていうのを聞かせておくれよ! 必要なものだよね?」
「ああ、昨夜の行動も知っておきたいな」
「夜ねぇ……。俺ちゃん、夜は猫ちゃんと一緒に寝るまでお喋りしてるんだよね。だから、夜はずっと猫ちゃんと一緒にいたよ」
「それは毎日ずっとか? ここに来てから……」
「少なくとも、ここに来てからはずっとだよ」
「分かった。ありがとう」
聞き出せる情報は全て得ただろう。礼を言って、加連との会話を終える。彼は別の場所を調べるのか、そのままにこやかに手を振って食堂を出て行った。神父の後ろ姿を見送って、笛吹き男は章平に顔を向けた。
「ひとまず、情報は大体同じになったな。次は発見現場を調べるか」
「分かったよ!」
◇
部屋の奥に進んで、厨房。そこでは科学部の姫ヶ原と介護士の星永が、冷凍庫から遺体を出して床に並べ、あれこれと調べていた。遠巻きに漁師の伊海田がそれを見守っている。肝の据わった女子二人と違って、彼は顔色が悪そうだ。
「伊海田、大丈夫か?」
「んぁあ……。すまん、気にしねぇでくれぃ……」
「見張りを押し付けるような形になってすまないな……」
「いんや! さっきも言ったろぃ? 適材適所って奴だぜぃ。それにしても、遺体調べてくれる姐さんが居て助かったぜぃ……」
気丈に振る舞っているが、かなりこたえていそうだ。章平はそう感じて、伊海田のことをじっと見つめた。離れようとしない章平の様子をちらと見て、赤柳はそのまま、今度は漁師への聞き込みを開始することにした。
「伊海田は、何か知っていることはあるか?」
「いんや……。特にねぇと思うぜぃ? オレが今朝食堂来た時にゃ、もう猫塚が準備始めてたからなぃ……。あとは……なんか、茨木の身体……腕とか、脚とか、ちと足りねぇみてぇだぜぃ?」
「……足りない……。部位が全てここにあるというわけではない、と?」
「ああ。さっき姐さんとせつなちゃんがボヤいてたし……。オレから見ても、ねぇなってぃ。しっかし……。まさか、冷凍庫に押し詰めるとは……なぃ……」
「ターリアちゃん、ばらばらだね……。そういえば、今朝スープに入ってたって言ってた、
被害者は茨木であり、その遺体は四肢を切断され冷凍庫に収納されていた。身体のパーツには不足しているものがある……。やはり、今朝方星永が指摘した、食事に混入した"人肉"とは彼女の身体の一部だったのだと推測できる。
「順当に考えりゃあ、なぃ。……他の詳しいことは、姐さんに聞いた方がいいと思うぜぃ?」
「ああ、分かった。ありがとう、伊海田。見張りは頼む」
「おう! 任せとけなぃ!」
そうして今度は、茨木の遺体を触っている二人に目を向ける。章平は作業中の彼女たちに、遠慮なく声を掛けた。
「姫さま、しぼうすいてーじこく……とかって、分かるかな?」
「遺体が冷凍されている、ということは、正確な死亡推定時刻を算出することは困難だな。つまり、現時点では犯行時刻は不明であるということだ」
「なるほど〜……。むずかしいんだね!」
腕を持ち、頭部を持ち。じろじろと遺体を観察しながら姫ヶ原は答える。うーん、姫さまでも分からなければ、ぼくたちみんな分かりっこないや!
章平が次の質問を考え始めると、今度は赤柳が赤ずきんに声を掛けた。
「人肉の混入に気付いたのは世絆だったな。お前、何故あれが人間の肉だと気付いた?」
「…………それ、言わなきゃ……だめぇ……?」
赤ずきんは、やはりかぐや姫と同じようにこちらには顔を向けず……しかし、露骨に嫌そうな声色で質問に質問を重ねた。
「当然の疑問だと思うが、まあ……話したくないのなら……」
「ずきんちゃん以外の全員が気付かなかったんだもの。人の肉なんて食べること無いから当然だよ。なのに、ずきんちゃんはどうしてそう気付いたのか、疑問に思うのは当然だろう?」
二人のやり取りを遮って、章平は思ったことをそのまま口にした。すると、ようやく星永はこちらをくるりと見上げる。その表情は、普段のあの愛くるしい赤ずきんとは、まるで別人のような……大層無愛想な、無の表情だ。
「じゃあかんたんだよ。ぼくは人肉を食べたことがある。……もういいでしょ? あんまりこのおはなし、したくないの……」
「……ああ、悪かったな。もう聞かない」
「ほぇ? 笛吹きくん、でも……」
「佐渡、もういいと言っているんだ」
「そうなのかい? ふぅん……」
尊敬する笛吹き男がそう言うのであれば、章平はそれでいいと思った。だって彼がいつだって正しいのだ。その理屈は分からないけど、きっと彼は聞けば教えてくれる。それを知っていたので、章平は素直に引き下がった。
「他に何か分かったことはあるかい?」
「そう急くでない。検分作業はちと時間が掛かるぞ。我もこれのみに時間を割く訳にはいかぬが……。先に他の場所を見て回っていると良い。その間には大方終わるだろうよ」
「やっぱり、遺体なんてあつかいなれてないからねえ」
「分かった。また改める。邪魔したな」
そう言って赤柳は遺体から視線を上げる。彼がそうするのを見て、章平もそうした。
「あとこの場で見るべきは、厨房設備か?」
「ご飯のいい匂い〜」
大きな業務用冷凍庫には、茨木のバラバラになった四肢が器用に詰め込んである。その他に、業務用冷蔵庫、食材棚、調味料棚、食器棚……。かなり充実した設備や収納が取り揃えてある。毎日章平たちの糧となっている食材も、整頓され積まれていた。この場は他に怪しいところは無さそうだ。章平がきょろきょろとしていれば、じっと調理台を見ていた赤柳が呟く。
「包丁が足りないな」
「え? あ、本当だ……。……洗い場にも無いね!」
見れば、彼の言うとおり。壁掛けの包丁置き場には、もう一本ぶんのスペースが不自然に空いている。章平はこの場をこうして見るのは初めてだが……他の器具――フライパンや鍋――の整理のされ方から見て、このスペースは明らかに異常であると感じた。
「お前たちは何か知っているか?」
「いや、知らんよ」
「ぼくも……」
「オレも知らねぇなぃ……。そういや今朝、猫塚がまだねぇって言ってた気がするなぃ……?」
この場に残った三人は全員揃って首を横に振る。だが伊海田は、有益な情報を最後にぽそりと口にした。
「あいつが把握してない、となると……。犯人が凶器を持ち去ったということか?」
「そうかもね!」
毎日ここで調理を行っていた執事がそう言っていた、というのでは、まず間違いなく包丁は足りていない。そしてそれは同時に、誰かが調理以外の目的で持ち去ったことを意味していた。
◇
「ここは一旦置いておいて、他にも…………おい、お前何してる?」
「……精神集中です…………」
移動しようと踵を返したところで、笛吹き男は顔をしかめる。厨房の入口、冷凍庫から少し離れたところにしゃがみこんで、姫ヶ原と星永の様子を遠巻きに見つめている不審者――城主の青錆は、赤柳の問いに心ここに在らず、といった風にぼんやりと答えた。
「大丈夫かぃ? 青錆……」
「お前も少しは何か調べろ……。それとも具合が悪いのか?」
二人の問い掛けにも鈍く、彼は相変わらず何処を見つめているのか……ぼんやりとしている。やれやれと赤柳が肩を竦めたところで、ようやくぽそりと呟いた。
「……だんめん……」
「……は?」
「断面……。茨木氏の……断面、が………………。………………スゥゥーー……………………ハァーーーーー…………」
「青くん、なんだかさっきよりお顔がまっしろだよ?」
「お前…………。見るな、見るなもう。無理して見つめんでいい! 気分が悪くなったなら先にそう言え。出るぞ、佐渡」
「え? え?」
赤柳がすぐさま青錆の腕を引っ張って、立たせようとする。突然のことに、章平は状況が理解出来ずおろおろとしてしまう。フルーティストは、漁師の手を借りてやっと城主を立ち上がらせると、彼の腕を自身の肩に回して支えてやる。
「ほ、ほね…………きんそしき…………ひふ、けっかん………………」
「お、おぃ、青錆ぃ……」
「忘れろもう。さっさと出れば良いものを……」
「青くん、青くん? 大丈夫かい?」
「あんなに、キレイに……すっぱり……切れるんだなあ…………」
「ダメだな、完全におかしくなっている」
「オレが送ってこうかぃ?」
「いや、伊海田は見張りだ。この場から離れない方が良い。僕たちが送る」
「ああ……じゃ、頼むぜぃ。青錆、お大事になぃ」
伊海田の申し出に首を振って、彼は章平を呼んだ。心配そうに漁師が見送る中、章平も青錆がずり落ちないようにそっと支えて、食堂を出る。すうはあとリズムのおかしな呼吸を繰り返している青錆の背を、章平はさすってやった。
いくらか歩いて、場所が離れたところでようやく……様子のおかしかった彼は、落ち着きを取り戻していく。途中、「もう、大丈夫です……」と言うか細い声が章平には聞こえたが、笛吹き男は黙ってそのまま、歩みを止めることは無かった。
「少し部屋で休んでいろ。一人くらい休息をとっていても問題無いだろう」
「すみません……。そう、させてもらいますね……」
「青くん、お大事にー!」
やっとのことで城主本人の個室の前に辿り着いて、ようやく赤柳は彼を解放してやった。ぼそりと蚊の鳴くような声で頷く彼は、やはりまだまともな顔色では無かった。
具合の良くない人に言うお決まりの挨拶をして、章平は青錆を見送った。
◇
青錆を見送った後、少し廊下を歩けば執事と家事代行の姿があった。食事に茨木の一部が紛れ込んでいた事実を踏まえるに、食事当番をしていた二人に話を聞かないわけにはいかないだろう。
早速赤柳は二人に向かう。
「猫塚、綿貫。食事の用意をしていたのはお前たちだったな。人肉が混入した件について、何か話すことは無いのか?」
「しょ、食事の用意っだって、最近はおいら、猫塚ぐんのお手伝いするばっかで……。今日もスープあっだめだだけだがらぁ……」
「お前が猫塚に料理を教えていたんだろう」
「だけんど、猫塚ぐん、上達早がっだがら……。あど、なんでも自分でやりだがるし……。おいらあんま手ぇ出ざないようにしてだんだよぉ?」
「お褒め頂き光栄でございます。僕は優秀な執事ですからね、この位は当然のことかと」
「……ついこの前まで、洗剤で米洗おうどじで、ひどづかみとわじづかみの区別がねぐで、人殺じそうな包丁の持ち方じでだ子はどの子だったっげなぁ……?」
「さぁ? 生憎ですが僕には心当たりがありませんねぇ」
「まぁだすっどぼげでんよこの子……」
にこやかに返す猫塚に、綿貫はやれやれと肩を竦める。きっとこのやり取りもこれが初めてでは無いのだろう。今朝のことといい、この執事には、どうも自身の失敗を頑なに認めようとしない欠点があった。
赤柳はそんな二人の様子を見て、今度は猫塚に向き直る。
「……朝食の用意は夜のうちにお前が仕込みをしていたんだったな? 猫塚」
「……ええ。はい、そうですね。昨夜の仕込みも僕がしていました」
「何か話すことはあるか?」
「そう怖い顔をなさらないでください。僕は誓って何もしていませんよ。使用した食材の中に人の肉などありませんし、僕にカニバリズムの嗜好はありません。常識的に食材となり得ないものを、自身も口にする食事に混ぜる執事がどこにおりましょうか」
「……なるほどな?」
相変わらずの張り付いた笑顔を浮かべ、早口に弁明を並べる姿に、赤柳も呆れた様子で頷いた。その様子を見て猫塚は、またも口角を上げて、困ったように笑う。
「困りましたね。赤柳様はよくご存知かとは思いますが、やっていないことを証明するのは非常に困難です。ましてこの状況では、最も怪しい人物とは他のどなたでもなく僕でしょうし、しかし僕には本当に身に覚えがありませんから、知りませんとしかお答え出来ないのです」
「よぐもまあ回る口だごどぉ」
「回りもするでしょう、こう見えて僕は今焦っているんですよ。濡れ衣を着せられてしまっている訳ですから。えぇ、言い逃れの方法を必死に考えている最中なんです。しかしどう弁明しようにも状況証拠が指し示すのは僕が犯人だという結果でしょう? 諦めの気持ちが半分、しかしどうにかせねばという焦りが半分、と言った具合です」
「おいらにはいづも通りに見えるげどなぁ……」
「そうかい? ぼくには猫くんがとても慌てているように見えるよ」
「いえ僕は努めて平静を装っていますよ。たとい火事が起きようと地震が起きようと、常に冷静で迅速で的確な判断の元適切な行動をするのが僕です。何せ猫塚誠司は完全で完璧な最高の執事でございますからねぇ!」
「なんがまた調子良いごど言っでんなぁ……」
こねこねと理屈やそれらしいことを並べ連ねてはいるものの、猫塚の発言は彼自身がそう言うように決定的な証拠にはなり得ない。流石にこの状況下で逃れきることが不可能なのは分かっているようで……。いつもの1.5倍は回っている舌の様子から、やはり猫塚は慌てているようだなと章平は感じた。これはうさぎの直感でしかないが、平静を装いつつも、すっかり狼狽えて動転しているのが丸わかりなこの執事が犯人だとは思えなかった。
しかし隣の笛吹き男は、そんな直感ではなく、あくまで理論的に、公平に、判決を下そうとしていた。
「この状況では難しいかもしれませんが、どうか僕の潔白を信じては頂けないでしょうか?」
「現状は何とも言えん。ちなみにお前が真っ先に冷凍庫を開いた理由は何だ」
「皆様動揺していらっしゃいましたからね、ひと息つけて落ち着いて頂こうと思い、冷たいお茶をお淹れしようと考えた次第です」
「それは普通冷蔵庫を開けるんじゃないのか?」
「実は朝食の異物混入の件で頭がいっぱいになってしまっていて」
「……常に冷静で迅速で的確な判断の元適切な行動をする完全で完璧な最高の執事は、冷蔵庫と冷凍庫を間違えるのか?」
「猫くんて慌てていると凄く変なことをするよね!」
「いえ断じて間違えておりませんとも。冷えたお茶にするためには氷が必要でしょう?」
「あれ、さっぎ口走っだのは……」
「本当に口だけはよく回るな」
先程の発言と平気で矛盾することを述べ、しかし執事は笑顔を絶やさず、言葉も絶やさない。堂々巡りだと呆れた赤柳は、「もういい、別の質問だ」とさっさと話題を切りかえた。
「厨房の包丁が一本足りないようだが、お前たちは気付いていたか?」
「ええ、昨夜の夕方から見当たりません」
自分が疑われている、という質問で無ければ、虚言癖の執事は実に素直に回答した。隣の家事代行もこくりと頷く。
「夕飯の用意じでる時にな、もう無がっだんよ……」
「お前たちにも心当たりは無いのか。…………」
二人の証言であれば、まず間違いない。どちらかが嘘をついている可能性もないとは断言出来ないが、それを言っては全ての人間を疑わなくてはならない。章平は案外、難しい問題だなあと思った。
「他に知っていることはあるか?」
「あ、えーっと、そういえば……。茨木さんで、過眠症……? なんだったんだっげが?」
赤柳がまた別の質問を投げかければ、今度は綿貫が必死に思い出すように捻り出した。それに猫塚がにこやかに補足する。
「ええ。なんでも、数日間眠ってしまうこともあるのだとか。……このことは赤柳様もご存知ですよね?」
「……知っているが。本人に聞かされたからな」
「ぼく、はじめてきいたんだけど。みんなターリアちゃんにお話されていたのかい?」
「いいえ、佐渡様。茨木様のご病気をご存知なのは、僕と綿貫さん、世絆さん、それから赤柳様と白雪様だけのはずですよ」
「何故そう言い切れる?」
「お聞きしたのですよ。ご本人様から。それに、あまり人に弱点を共有するのはおよしになった方が良いと、僕が口を挟みましたから」
「……確かに、己の弱点は晒さない方が賢いな」
こくりと赤柳が首を縦に振るのを見て、そういうものなのかと章平は驚いた。自分の弱点を晒さない……。章平は己を鑑みる。出来ないことだらけ、というのは弱点だろう。あれれ、既にみんな知ってしまっているぞう! 気付けども時遅し。章平は一人でちょっぴり落ち込んだ。
そんな章平をよそに、三人は会話を続けていく。
「因みに昨夜は何をしていた?」
「自室に一人でおりましたよ」
「おいらも……」
「…………うん?」
「そうか、ならいい。佐渡、行くぞ」
「え? ……う、うん……」
今の発言、なんだかおかしいな? 章平はそう思いつつも、強引な笛吹き男に着いていくしかなかった……。
◇
次に調査するのは何処がいいのだろうと章平が悩んでいると、すぐ先の廊下をモデルの白雪が歩いていた。移動途中のようだ。聞き込みのため、赤柳はまたも早足で彼女に近付く。
「白雪。お前、茨木の件について、何か知っていただろう」
「あら。あたしを疑ってるの?」
「いいや。あいつの過眠症について、何か聞いていたんじゃないか?」
「ええ、その通りよ。あんたも聞いていたんでしょ?」
「ああ。だから初めてあいつが姿を見せなくなった時、気にするなと発言した。……今思えば判断を誤っていたな」
「まだあの時じゃなにも分からないわよ」
励ますように白雪が赤柳に声を掛ける。男子に対して特に厳しい態度を取る白雪も、真面目なリーダーである赤柳には一目置いているようであった。
フルーティストはふと思い出したように、彼女に質問を重ねる。
「そういえば……お前、あの後茨木の様子を確認したんじゃなかったか?」
「あの時はねえ、眠っていただけだったのよ。本当にすやすやと……。だからその後は、あたしも全然。気にしていなくて……」
「ターリアちゃん、本当に眠り姫みたいだねえ」
「ええ、本当。王子様のキスじゃないと起きなさそうだったわ」
「ちなみに何時頃の話だ?」
「そうね……。朝食会が終わって、その後すぐ……10時頃だったかしら? 少なくとも、3日前の10時までは茨木さんは生きていたわ。あたしが保障する」
「3日前の10時だね! 覚えたよ!」
白雪の証言を、章平はしっかりと記憶する。3日前の午前10時。そこから今朝の7時……いや、現実的に考えれば、昨夜の夜時間までに眠り姫は殺されてしまったといえる。
「それと、厨房の包丁が一本見当たらない。猫塚と綿貫も行方を知らないようだが、白雪は何か知っているか?」
「包丁? いいえ、それについては全く知らないわ」
「うーん、誰が持ってっちゃったんだろうねえ?」
続いた赤柳の質問に、白雪は首を振った。このまま一人一人に聞いていても埒が明かないが……。だからといって聞かない理由もない、当然の質問だ。
うーんと考えて、そこでふと章平は、先程の白雪姫の発言に不自然さを感じて、今度は自ら質問を投げかけた。
「そういえば、ターリアちゃんは眠っていたのに……白雪ちゃんはどうやってターリアちゃんのお部屋に入ったんだい?」
「あら、佐渡。あんたも国中さんの部屋に許可無く入れるでしょ?」
「ほぇ?」
彼女が何を言わんとしているのかがまるで理解に及ばず、章平はまぬけな声を出した。白雪はその反応を見て、不思議そうに頭を傾けた。
「違うの? てっきりあんたたちは、"合鍵"の交換をしていたと思ってたのだけど」
「え、あー! そうか! "合鍵"!」
「……お前は茨木の個室の合鍵を受け取った、ということか?」
ようやく合点がいって、章平はぽんと手を叩いた。そう、この"コロシアイ"という状況下で活用されないであろうシステム、"合鍵"。それがあれば、授与時の合意だけで本人の意思に関係なく、以降合鍵を持つ部屋に自由に出入り出来るのだ。章平はまだ有子の部屋で合鍵を使用したことがなかったため、すっかり頭から抜け落ちていた。
赤柳の質問に、もちろんと白雪は返す。
「ええ、茨木さんにどうしてもと頼まれてね。でも、彼女の部屋の合鍵を持っていたのは、あたしと世絆ちゃんと猫塚だけじゃないかしら」
「そうなのかい?」
「ええ、赤柳は断ったんでしょう? 茨木さんが残念そうにしていたわ」
「僕には必要ないから断ったまでだ」
「それでいいのよ。男子が女の子の部屋の鍵を持つなんて、非常識にも程があるわ……。ああ、猫塚はお世話係をしていたんだから、例外だけどね」
そう言って白雪は肩をすくめる。章平は、ふぅんと思いながらもその件に関して不審に思う。茨木の部屋の"合鍵"を持っていたのは、白雪、星永、そして猫塚だけ。つまり、三人は茨木が不在であろうと、中で眠っていようと、自由にその部屋に立ち入ることが出来たということだ。"よーぎしゃ"の第一候補ってことだよねえ……。章平はしっかりこのことを記憶しておくことにした。
「丁度いい、白雪。茨木の個室を念の為調べておきたい。他に血痕等が残っている様子が無ければ、殺害現場の可能性が最も高いのはそこだ」
「ええ、だからあたしも一旦調べてみようと思っていたの。でもほら……一人で個室に入るのは、犯人っぽいでしょ? 一緒に行く人を捜してたの。行きましょ」
「利害の一致だね! そうと決まれば行こう!」
◇
そうして早速、三人揃って茨木の部屋に向かう。白雪が自身の電子生徒手帳をカードリーダーにかざせば、ピッと解除音が鳴る。自分の個室の鍵を開ける時と同じで、特別な操作は必要ないようだ。入りましょうと白雪がドアを開いて、章平は赤柳と共に、茨木の個室へ入室した……。
そこは、物は多いがしっかりと整理整頓された、とても綺麗な部屋だった。収納や棚を最大限に活用し、すっきりさっぱりすっぽり。小道具が沢山ある中で、ここまで気持ちの良い空間に出来るものなのかと、章平は茨木の几帳面さに感心した。
……けれども、隣の二人はそうは思わなかったようだ。
「……おかしいわね」
「どうかしたのかい?」
白雪は思い切り……そう、思い切り顔を顰めて呟く。
「茨木さんの部屋は、こんなに片付いていなかったと思うのだけど……」
「同感だ。僕も一度連れ込まれた事があるが……物が散乱して、足の踏み場もない状態だったぞ」
「でも……これは、すごーくきれいだよ! ターリアちゃん、お掃除がんばったんだねえ!」
「…………」
それとも、猫くんあたりが手伝ってあげたのかな? 章平はそう思いながら、まだ不信げな表情をする二人の顔を見た。少しの間があってようやく、とにかく調べるぞとの笛吹き男の発言で、気になるところを片っ端から見ていく。
章平は棚を中心に見てみた。種類別に、占いに使うのであろう小道具が詰め込まれているようだ。ここに特に不審点は無い……。
「何かしら? このノート……」
後ろから声が聞こえたので、章平はくるりとそちらへ向かう。机の上を見ていた白雪は、一冊のノートを章平たちにも見せるように差し出す。
そこには生徒たちそれぞれの、日々のルーティンが事細かに記されていた……。
「うわ! すごい! これ、ターリアちゃんが書いたのかい!?」
「……他の本のメモの筆跡を見る限り、同一人物が書いたものだろうな」
「茨木さん……なんでこんなのまとめてたのかしら?」
「この日付……決行日って書いてある」
「何かの……計画を練っていた?」
「何かのってなんだい?」
「知るか、そんなもの」
章平の疑問は直ぐに不機嫌なフルーティストに打ち捨てられた。当然だ、これを作ったのは彼では無い。今はもういない眠り姫だ。しかし、彼女にこんなことをする理由などあるのだろうか? ……考えても答えが出ないことだ。
「うーん、綺麗さっぱり整頓されてて、他に怪しいものは見つからないね」
「茨木の部屋はこんなものか」
「あたしはまた別のところを調べるわ。もう一度世絆ちゃんと姫ヶ原さんに、遺体の様子について聞きたいし……。他に見るところも出てきたから」
「そうか、分かった。ありがとう白雪」
「ええ、またね」
◇
先に見たい場所があるという白雪と別れると、再び食堂に戻って来る。そろそろ姫ヶ原たちの検死がおおよそついた頃だろうと睨んだのだ。
食堂には人はいないようだった。先ほどまでは、ここで靴屋の加連が壁を見上げていたな。章平も、同じようになんとなく壁を見上げる。
「あれれ?」
「どうした、佐渡」
「うーん、なんだろう? なんだか気になる……。でも何か分からない…………」
何かおかしい、という感覚。しかし、章平にはその強烈な違和感しか認知出来ない。何がおかしいのかを、右見て左見て、間違い探しをしても……なかなか正解を導くことが出来ない。ううんと首を大きく曲げていれば、笛吹き男がさっと章平の隣に来て、同じ目線を共有した。流石の観察眼、赤柳はその違和感にすぐ気付いたようで、はっとして呟いた。
「……時計がおかしい」
「時計?」
「ああ、佐渡。椅子を寄せてくれ」
言われた通りに章平が近くの椅子を持ってくれば、赤柳はすぐに靴を脱いで揃え、その上に乗る。手を伸ばして時計を外してから、近くで見れるように下ろした。腕に抱えながら、赤柳はそうして自前の腕時計を見る。二つの時計が示すそれぞれの針は、全く同じであるはずのところ、違う数字を示していた。
「間違いないな。この時計、30分ズレている」
「ええ? なんだろう、壊れちゃったのかな……」
「壊れていたのなら、モノヴォルが備品の故障を放っておくはずがない。あいつが自分で自身を監督者だと呼称していたからな」
「じゃあ、犯人がやった事だとして……時間をずらす理由ってなんだろう? 何か得なことがあるかな?」
「……時間と言えば、校則だろうな。夜時間の立ち入り禁止区域があることくらい……。…………待て、何だこれは?」
全ての道具を元のありのままに戻して。赤柳は言いながら、確認のために自身の電子生徒手帳を開くなり、再び顔を顰める。
「どうしたんだい?」
「……佐渡、尋ねたいことがあるが……。この校則の項目、どう思う?」
「どうって……」
突き付けられるように差し出されたその画面を、章平は素直に見つめた。なんてことない、これはただのルールが記載されているもののはずだが……。言われるままに、章平はそこにある文字を追う。
『夜11時から朝7時までを"夜時間"とします。夜時間は立ち入り禁止区域があるので注意しましょう』
「……あれ?」
なんてことないはずの文章。しかし、赤柳がこれを見て顔を顰めた理由を、章平はすぐに察した。
「夜11時……? 夜10時からが夜時間だよね? あれれ……?」
「やはりな。僕の記憶違いでは無かったらしい。モノヴォルを問い詰めねば……」
「はいはいはい! 何でしょうか? お呼びですか?」
「うわあ!」
どこからともなく、突如現れた狐のぬいぐるみに、章平は大層驚いて仰け反ってしまう。どうやってここに、とでかかった突っ込みを飲み込んで、赤柳は理事長を問い詰める。
「…………細かいことはいい。お前、この校則は何だ」
「なんだと申されましても、校則は校則です。それに則って学園生活を送ってくださいな」
「違う、お前……勝手に校則を変更しただろう。夜時間は10時からのはずだ。校内放送でも毎日そう言っているだろう」
「目敏いですねえ、実に目敏い……。目敏いといえば、そう、
「……お前、今何と言った?」
にたにたと相変わらず笑みを崩さない表情で、さらりと狐は新事実を口にする。聞き捨てならないと、赤柳が一層険しい顔をして聞き返す。モノヴォルはやれやれとため息をついて、先程さらりと流した事実を再生する。
「ですから、
まるで自分は微塵も悪くないと訴える様は、屁理屈を捏ねる反抗期のこどものようだ。赤柳は白けた目をぬいぐるみに向ける。
「……お前が強要しない限り、僕達は今日明日で死ぬようなことは無いはずだが?」
「くしし! どうでしょうねえ? ある日突然、持病が急激に悪化してしまったりして? 平和だと思っていた場所へ、不審者が侵入して襲われてしまったりして? なぁんて。1秒先のことは1秒先のワタクシ達しか知り得ないものです。未来の保証なんて、実は何処にも無いのですよ?」
「……もういい、用は終わった。失せろ」
「おやおや、呼び出しておいてその態度。ワタクシ悲しくなっちゃいました。くすんくすん……」
これ以上の会話は時間の無駄だ。そう判断した笛吹き男は突き放すように狐から顔を背ける。嘘泣きをしながらも、モノヴォルはせっせと退散していく。
「ああそれと、備品の事ですけれども。赤柳君の仰られた通り、事件に関係の無い故障品は直ちに修理させて頂いておりますよ。……はい、そういうことです。失せろと言われたので大人しく帰りますとも。それではごめんあそばせ〜」
……最後に、食堂のドアからぴょこと顔を出して、狐は置き土産をしていった。
◇
「来たか」
「その様子は……やはり、終わっているようだな」
「うん! おかえり、しこくちゃん、しょーへーちゃん!」
「ただいま戻ったよ!」
ことを済ませてようやく厨房に入れば、相変わらず漁師の伊海田と介護士の星永、それから科学部の姫ヶ原が揃っていた。三人は章平と赤柳が揃っているのを見て快く出迎える。
「おおよその検分は終了した。まあ、聞いていけ。モノヴォルファイルとやらの記述に間違いは無さそうだ。致命傷は腹部の刺傷だろう。その他は、切断面以外に特に外傷は無い。……それから、やはり死亡時刻の算出は困難だな。条件が定義出来んかった」
床に並べた茨木の遺体のパーツを、それぞれ丁寧に指し示して、姫ヶ原は言う。赤柳は手を合わせてからそれに触れ、じっくり観察していく。章平はその後ろから様子を見つめた。
説明しながらやれやれと最後にかぐや姫が肩を竦めたが、笛吹き男は彼女を真っ直ぐ見つめて首を横に振った。
「いや、助かる。腹部の傷から凶器は割り出せるか? 包丁かどうか……」
「凶器は直径5mmほどの鋭利なものだろうな」
「……ごみり? ミリメートル?」
余りに小さすぎる単位に、章平は思わず聞き返した。隣の小さな赤ずきんがこっくりと頷く。
「うん。たぶん、キリみたいな……すっごいほそながい刃物じゃないかなあ?」
「……包丁は関係ない、ということか」
「少なくとも、占い師を死に至らしめた凶器ではないな」
包丁は、関係ない……。じゃあ、一体誰が包丁を持ち出したんだろう? まさか、ひとりでどこかへ遊びに行ってしまった? 色々なことを考えて、次々と消えていってしまった。まあ、いいや! 関係ないなら気にしなくていいってことだよね!
章平がひとりで納得している横で、赤柳はさらに質問を重ねていく。
「犯人と争った形跡は見られないのか?」
「どうかなあ。普通に寝てるところを襲われちゃったのかも。たりあちゃん、クライン・レビンなんだって言ってたから……」
「くらい……びん? って〜……何だい?」
「クライン・レビン。反復性過眠症……
そうか、そういえば。章平は先程の狸と猫との会話を思い出した。病気があるということは、あの二人と白雪姫、笛吹き男。それから赤ずきんが知っていることだった。しかし、それにしても……。
そんな病気が実在するのだなあと、章平は興味深く思った。
「ああ……。それなら僕も本人から聞いた。3日ほど姿が見えなくても、寝ているだけだから気にするな、と」
「ふむ……。であれば、丁度その病状が発現している折に事件が発生したと考えて良さそうだな。……この件を把握していたのは御前たちだけか?」
「……いや。白雪と綿貫、世話をしていた猫塚も知っていたそうだ」
「……猫塚もかぃ?」
「うーん、ますますせーじちゃんが怪しいね〜。こまっちゃうねえ……」
赤ずきんがうーんと唸って首を捻る。その言葉が不可解で、章平は彼女に尋ねてみた。
「どうしてずきんちゃんは困ってしまうんだい?」
「だって、本当にせーじちゃんが犯人さんだったとしても、せーじちゃんは、はいそーです! なーんてぜーったい言わないよー?」
「たしかに!」
「そうさな」
「……まあ、あいつが犯人だと確定したわけではないからな。それについて考えるのは後でも良い」
ただでさえ自分の失敗を、あれこれと理屈を捏ねて誤魔化す執事である。先程の会話を思い出して、確かに、彼に罪を認めさせることは骨が折れるだろうなと章平は思った。
◇
情報の共有とともに遺体の検分は終わり。見張りを名乗り出た二人を残して、早速別の場所へ向かう。姫ヶ原は独自で捜査を行うようだった。章平は何処へ行くのか分からぬまま、笛吹き男に着いていく。彼はそこまで移動せずに、扉の前で立ち止まった。倉庫である。
躊躇いは微塵もなく、直ぐに扉を開ける。ありとあらゆる道具が、そこには収納されていた。正しく倉庫、物置である。赤柳は、くるりと全体を先ず確認してから物色を始めた。章平も目配せをされ、早速手近なものを調べる。
いわゆる日曜大工道具。様々な工具が引っ張ればあれよあれよと出てくる。
「改めて見ると、……凶器になりうるものが探せば出てくるな」
「ノコギリもオノもあるよー! キリもあったんじゃないかな?」
「……解体作業の道具もここに来れば困らなかっただろうな」
巨大なノコギリに、斧に、屋内ではまず使わないだろう枝切り鋏……。本当に、一歩間違えれば凶器同然の道具が揃っている。これらの道具を管理していなかったこと。今回の反省に入れておくべきだろう。
一通り見終わったところで、赤柳はすくと立ち上がる。これ以上の情報をここでは欲していないようだった。
「次は何処へ行くんだい?」
「念の為、焼却炉を調べる。茨木の部屋から明らかに物が無くなりすぎている。本当にあいつが部屋を掃除していて……事件に無関係ならそれはそれで良いんだがな」
「ほへ〜……あれより物が多かったんだ……」
笛吹き男がそう言うのであれば、そうなのだろう。章平はやはり、大人しく彼について歩く。倉庫を出て焼却炉のある部屋へ向かっていれば、ぽつんと一人。また廊下に立っている人影。
「……火燈」
ぴゃっと肩を震わせて、少女はこちらを振り返る。防寒バッチリまんまるなシルエットの、おどおどした幸薄少女。奇術師の火燈である。
赤柳は早速彼女にも聞き込みを始める。
「火燈、茨木の事件について、何か知っていることは無いか?」
「え、え、えとっ……えとっ……!」
会話がすこぶる苦手な彼女は、もじもじと手を遊ばせて、ごにょごにょ口をマフラーに埋もれさせる。けれども、彼女が首を振らないということは、少なくとも、事件に関係ありそうな情報を伝えようとしているということである。
「ね、ねね、ねっね、猫塚くんっ……。昨日は、はやめに、食堂出てってて……」
「早めに? 何時頃の話だ?」
「じゅ、じゅ、10時、はんっ……」
「10時半。いつもは11時きっかりまで作業していたということか? ……そうか、分かった。ありがとう火燈」
やっとのことで飛び出た証言は、今最も容疑者だとされる人物のこと。赤柳が確認のため聞き返した質問も、たどたどしいがしっかり答えてくれた。しかし、それ以上はやはりキャパオーバーだったのか……以降は首振り、身振り手振り。非言語コミュニケーションがメインの会話である。
「マッチちゃん。厨房の包丁が行方不明みたいなんだけど、何か知ってるかい?」
火燈はふるふると首を振る。なるほど。彼女に聞くべきことはこれくらいだろうか。章平が隣の笛吹き男を見つめれば、彼も章平の目を見て頷く。ありがとうとお礼を言って、目的地に急ぐことになった。
◇
そうして目的地、焼却炉のある部屋に辿り着く。マップ画面ではトラッシュルームという名前のようだ。早速、赤柳が扉を開いて中を確認する。部屋の中に大きなシャッターが降りていて、その向こう側に焼却炉があった。
章平が辺りを見回すと、シャッターの近くに何やら大きな箱のようなものが設置してある。赤柳がそれを開くと、配電盤のようになっているようだ。何やら彼が操作した後、がこんと音を立ててシャッターが開く。
「これで操作するようだな」
「わーい! これで調べられるね!」
早速章平が焼却炉に近づく。隣には稼働スイッチのようなものが設置してあるが、ランプは点っていなかった。僅かな熱気も感じない。今は稼働していないようだ。熱くないことを確認してから、章平は焼却炉の蓋を開けて、中を覗き込む。何やら黒い塊が見える。大量の灰が詰まっているようだ。
振り返って赤柳にも見てもらう。彼はすぐにうんと頷いた。
「灰がこんなに残ることはまず考えにくい」
「どうしてだい?」
「猫塚がほぼ全員の不要物を定期的に処分していたからだ。大量の物を一度に燃やさなければ、こんな風になることはないだろう? ……だが、猫塚はこうならないように不要物処理をしていたはずなんだ」
「じゃあ、これって……ターリアちゃんのお部屋のものってことかな?」
「他に大掃除をした奴がいないのなら、そうなるだろうな……おい、佐渡。ちょっと待て、何してる? おい、おい! 腕を突っ込むな!」
章平がズボッと袖を突っ込む。目の前の彼が驚愕の表情を浮かべ、すぐに止めさせようと章平の腕を取る。すぽっと抜けた袖は煤だらけになってしまった。
……が、章平が咄嗟に掴んだ物。一緒に出てきた煤だらけのそれは……そう、まだ灰になっておらず。形を保っていた。
「あれ! 笛吹きくん、燃え残りがあるみたいだよ!」
章平が真っ黒の袖をぐいと突き出して、赤柳に見せる。彼は非常に嫌そうな顔をしたが、すぐにその先のものを観察する。
「なんだこれは……。布のようだが……シーツ……では、なさそうだな。割と厚手だ」
「煤が付いて、元の色はあんまり分からないね? 払ってみよっか!」
「止めろ、汚れる。どの道元の色など分からないだろう……だが、手掛かりにはなる。覚えておけ」
「わかった!」
◇
調査が済んだトラッシュルームを後にし、一旦章平の部屋で上着を替え。そして再び廊下へ出たところである。
「ありす〜!」
「……あ、ショウくん……。赤柳くんも」
「ああ、国中」
章平は、愛しのアリスの後ろ姿を見つけ、一目散に駆けた。そのままぎゅっと捕まえれば、慣れっこの幼馴染は動じずに後ろの笛吹き男にも挨拶を交わした。
「お前、茨木の過眠症について、何か聞いていることはあるか?」
「……え? 茨木さんの……。ううん、わたしは何も聞いてないよ。ショウくんは?」
「ぼくもさっきはじめて知ったんだよ!」
「そうなんだ……。過眠症だったなんて、大変だね……。通りでいつも眠たそうにしていたわけだよ」
赤柳は相変わらず、会う人全てに聞き込みを行うらしい。優しいアリスは眠り姫のことを思い出して、心を痛めているようだった。すかさず章平が温めるように抱きしめる。笛吹き男が怖い顔をしているが、気にしない気にしない。
「茨木の事件について、何か知っていることはあるか?」
「うーん、特に無い、かな……。ほんとに、何でこんなことになっちゃったんだろう……。茨木さん……。……あ、ごめんね、何も分かることがなくて……」
「いや、無いならそれはそれで良いんだ。昨夜は何をしていたんだ?」
「ショウくんのお部屋にお邪魔していたよ。夜時間になるギリギリに自分の部屋に戻ったんだ」
「ありすとお話していたのさ!」
そう言って有子は章平を見つめる。そう、全くの真実である。章平はすぐさまこっくりと頷いた。
「証人がいるなら問題ないな」
「そうだ、ありす。厨房のね、包丁が迷子になってしまっているようなのだけど、ありすは迷子の包丁、知らないかい?」
「包丁? …………うーん……、たぶん……」
「何か心当たりがあるのか?」
章平も欠かさず尋ねていた質問のひとつを思い出して、試しに聞いてみる。アリスは俯いて少し考え込んだ。今までと違う反応! 何か知っていることがあるのかな? 笛吹き男もそう思ったのか、重ねて尋ねた。
けれども、有子は驚いたように顔を上げて、そして困ったように首を捻る。
「え? う、ううん……。そうだって確実に言えることじゃないんだけど……。それ、青錆くんが持ち出したんじゃないかな……って」
「……青錆が?」
意外な名前が飛び出したので、赤柳は目を丸くした。章平もおそらく同じような反応をしただろう。
有子は続ける。
「うん、ここ数日、夕方くらいの時間に……。厨房で見かけることが多かったんだよね。お料理をしている様子でもなくて……ぼーっとしてるみたいで……」
「青くん、どうしたんだろうね?」
「…………」
「頻繁に厨房に出入りしてた猫塚くんや綿貫くんが知らないのなら、そのくらいしか分からないかな……。ご、ごめんね。こんなことしか話せなくて……」
厨房といえば、料理をする、おやつや飲み物を取りに行く……そのくらいしか用がない設備だ。そこでぼーっとすることなど……そこまで多くあるだろうか?
赤柳と顔を合わせても、彼もこれだけの材料で理由は思い付かないようで、眉を下げただけだった……。
――キーンコーンカーンコーン。
――皆様、お時間になりました。只今より、学級裁判を行いますので、学校エリア1階にある、赤い扉にお入りください。
突然の校内放送。そのモノヴォルのアナウンスが、全てを語っていた。
「……時間か」
「わたし、何にも出来なかった……」
「気にしないで、ありす! 笛吹きくんにおまかせしていれば大丈夫だよ!」
「僕に頼るな。お前もやるんだ」
「でも、ぼくはなんにも出来ないよう?」
「またそれか……。……いや、今はいい。さっさと行くぞ」
歩き出した笛吹き男の背中を見て、章平と有子は顔を見合わせる。そうして、運命のカウントダウンが始まったのだった。
◇
赤柳、有子と共に、章平は物々しい雰囲気の赤い扉を開く。重たい扉はゆっくりと開き、その向こうは少し狭いロビーのような空間になっていた。奥には古めかしい作りのエレベーターのドアのようなものがある。
狭いロビーには、既に生徒たちが集合していた。もちろん、今は亡き眠り姫以外の全員である。皆程度の差はあれど……心無し曇った、険しい表情をしている。章平たちが完全に空間の中へ足を踏み入れれば、見計らったように頭上のモニターの電源が入る。そこにはやはり、狐紳士が映っていた。
「皆様、お揃いですね? それでは……正面に見えますエレベーターにお乗り下さい。皆様を裁判場までお連れ致します。皆様の命運を決める、裁判場にね……」
そうモノヴォルが述べ、モニターの電源がぷつりと切れる。すぐに奥のエレベーターのドアが開いた。章平たちを歓迎しているようだった。「やるしかないか」と誰かが覚悟を決めた台詞を言い放ち、生徒たちは次々にエレベーターへ乗り込む。
「いいか、佐渡」
章平も続こうと足を踏み出せば、目の前にいた赤柳が真剣な眼差しで章平を振り返った。
「お前は何も出来ないわけじゃない。お前は何が出来るのか、何をすれば良いのかを知らないだけだ」
「……うん……」
「本当に分からないことは誰かに尋ねれば良い。けれども、判断の全てを他人に委ねるのは愚かだ。お前は愚か者では無いと僕は信じている」
突然のことに、章平は今までで1番困惑した。けれど、彼があまりに真面目な顔でそう言うものだから、やっぱり彼の言葉は一言一句、全て正しいのであると思わされた。
少し迷って、何か言わねばと章平が捻り出した言葉は……早速それを実行に移すものだった。
「……ぼくは……何を、すれば良いかな?」
「疑問に思ったことを口に出して尋ねろ。聞かれたことに正直に答えろ。今はそれだけ心掛けていれば良い」
分かった……と章平が返事をするよりはやく、彼はさっさとエレベーターに乗り込んでしまう。慌てて続いた章平が乗り込んだところで、エレベーターの扉は閉じ、ゆっくりと起動した……。
ゴウン、ゴウンと大きく不快な音を立てながら、エレベーターは下へ、さらに下へと降ってゆく。……なんだか足を滑らせて穴に落ちていく、少女アリスのようだ。章平はどんどん潜るエレベーターに揺られながら、そんなことを考えていた。
――そうして、目的地に辿り着いたことを知らせる鐘の音が一度、チンと響き、再びエレベーターの扉が開かれた……。
◇◇◇
ついに辿り着いた、地下施設の裁判場。目の前には雰囲気が学園とはまるで違う異様な空間……。そこに、円形にずらりと並んだ被告人席が置かれていた。
奥に鎮座する高い椅子の上には、章平たちを見下ろすようにモノヴォルが乗っている。
狐紳士は、被害者である茨木を除いた生徒たち全員がエレベーターから出たことを確認すると、その高い椅子の上で立ち上がる。
「皆様、お待ちしておりました。こちらが特別にご用意させて頂いた円形裁判場でございます。皆様それぞれ、ひとりひとりが検察官であり、弁護人であり……被告人、ということになります」
「……それでこんな形の席なのか」
「悪趣味ね……」
「さあさあ皆様、ご自分のお名前の書かれた席に着いて下さい。くししし」
急かされるままに章平も皆と同じく自分の名前のプレートを探して、そこに立つ。頭を上げれば、なるほど。ぐるりと生徒たち全員の顔が見渡せた。
「……ああ、泡淵さん。専用の椅子を御用意致しましたので、そちらご利用くださいな」
思い出したようにモノヴォルが声を掛ける。その視線の先を章平も見つめ、そうだ、と思い出す。人魚姫、もとい人類学者の泡淵は、足が不自由で常に車椅子を利用している。彼女の足では、一段上がった席に立つのは困難だろう。しかし、狐の言葉を聞くなり泡淵は、ぐっと証言台を掴んで力を込めると、そうしてゆっくり……ゆっくりと立ち上がった。苦悶に満ちた表情から、章平にとってなんてことないその動作が、彼女にとってどれほど大変なことなのかを伺い知れた。けれども彼女は独りで立ち上がった。文字通り、
「あなたの助けは要りません」
「……強情な人ですねぇ。ま、ご自身でそうすると仰るのであれば、それでも宜しいでしょう」
そうして細い目を心做しさらに細めて、狐紳士は差し伸べた手を引っ込める。
全員が席に着いたところで、改めて裁判場を見回す。すると、またも狐が口を開いた。
「……そういえば、皆様全員で16人なのですね? もう1人居たはずなのですが……」
「……何言ってんだ? お前」
「急に怖い話始まった!?」
ざわとそこかしこで声が上がる。それもそのはず、章平もモノヴォルの言わんとする真意がまるで分からなかった。まさか16も数えられない訳では無い。この場にいる全ての登場人物がここに集まって……その数が丁度16と1匹である。
「ここでの生活が始まって、僕たちは僕たちの存在しか認知していない。黒幕であるお前が把握していない人間がこの場所に存在していると言うのか?」
「……ええ、
突然名指しされた執事は、一瞬狐が何を言ったのか理解出来ず、ぱちぱちと数回瞬きをして周囲を見回した。そうして名指しされたのが間違いなく他の誰でもない自分であると判明すると、困惑したように眉を下げた。
「……僕、ですか? ……いえ、知りませんよ。誰のことですか? そんな不気味な人に心当たりなんてありません」
「……なんで猫ちゃんに聞いたの?」
「目が合ったのでお尋ねしたまでですよ。ご存知ないのなら仕方ありませんね。今回は静観しているだけのようですから、用がある時には刺激を与えれば良いだけのことです……。……おっと失礼、くしし……。それでは気を取り直して……学級裁判開廷です」
不思議なやり取りも強制終了。モノヴォルがさっと手を上げれば、ぱつんと照明が切り替わる。章平はぱちぱちと瞬きをした。――ついに、始まる。
いつもぽやんとしていたものの、平静を保って周囲を見つめていた眠り姫。彼女を殺した犯人は、この中にいる――……それを暴くための、"学級裁判"。
命を懸けた、謎解きゲームの開幕である。
◇◇◇
◇オマケ!
コトダマ一覧
【モノヴォルファイル1】
被害者は"超高校級の夢占い師"茨木大璃愛。
死体発見現場は厨房。冷凍庫の中に詰め込まれていた。
死因は刺傷による失血性ショック死。
薬物などを摂取した痕跡はない。死因となった外傷の他、遺体はバラバラに切断されている。
【加連の証言】
事件発覚のきっかけは、猫塚が冷凍庫の扉を開いたことである。
また、毎夜猫塚と一緒だったらしい。
【人肉スープ】
朝食のスープには人肉が混入していた。
茨木の遺体の一部だと思われる。
【冷凍庫】
厨房に設置されている業務用冷凍庫。
中の食材は無く、茨木の切断された遺体が詰まっていた。
【炊事当番について】
炊事を担当していたのは主に猫塚で、綿貫はその補佐をしていた。
夜の仕込みを行っていたのは猫塚である。
【白雪の証言】
茨木の生存を確認したのは、3日前の午前10時が最後である。
【茨木の個室の合鍵】
茨木の個室の合鍵を所持していたのは、星永、白雪、猫塚の3人。
【整理された部屋】
茨木の個室は綺麗に清掃されており、ゴミひとつ落ちていなかった。
白雪曰く、「この状態はおかしい」とのこと。
【茨木の計画】
茨木は、ノートに生徒たちの日々のルーティンや行動を細かく調べ上げていた。
これらを参考に、何かの計画を練っていたようだ。
【ズレた時計】
食堂にある唯一の時計は、30分ほど早く時間設定されていた。
【夜時間の変更】
夜時間は午後10時から午前7時の間に設定されていたが、猫塚の提案により午後11時からに変更されていた。
【茨木の持病】
茨木は「反復性過眠症」という睡眠障害を患っている。
このことを知っていたのは、赤柳、星永、白雪、猫塚、綿貫の5人である。
【星永と姫ヶ原の検死結果】
遺体が冷凍保存されていたうえ、彼女は3日前から姿が見えなかったため、正確な死亡時刻の判断は不可能。
また、致命傷となった傷は、細長い錐のようなもので付けられたもののようだ。
【倉庫の工具】
倉庫には大型の工具も置いてあり、解体作業に使えそうなのこぎりなども揃っていた。
【火燈の証言】
昨夜、猫塚は午後10時半には食堂を出たらしい。
【大量の灰】
焼却炉には、灰が大量に残っていた。定期的に猫塚が不要物を処分していたことから、ここまで大量に残るとは考えにくい。
【焼却炉の燃え残り】
焼却炉に残っていた何かの燃え後。布のようだ。
【所在不明の包丁】
厨房にあった包丁の一本が昨日から行方不明となっている。
凶器の特徴とは一致しないが……?
国中曰く、持ち出したのは青錆である可能性が高い。