開けてあるサーモンピンクのカーテンの向こう、開いた窓から吹き込んでくる夏の風が閉じた白いレースのカーテンを揺らしていた。
二つの窓の下には勉強机と観葉植物の鉢が乗った本箱がそれぞれ置かれ、入り口脇の壁際には鏡台付きのローチェストと、その横の台には一抱えほどもある楕円形に二本の黒い線が横に並んで付いている珍妙なぬいぐるみが三つ積み重ねてあった。
その部屋の中央に敷いた自分用の小さな蒲団の中に、
今日はとても暑いので散歩は夕方涼しくなってからにしましょうと、とても若く見えて一緒に居るとよく母親と間違えられる祖母の早苗さんに言われ、汐は母が父と結婚する前に暮らしていた、今は自分の部屋であるここで昼寝をしていたのだが、一向に眠くならず、ぼんやりと蒲団の中で風に揺れるレースのカーテンを眺めていた。
汐は生まれてからずっと父親の元を離れ、母親の実家で暮らしていた。
母親には会った事が無く、近くに住む父親には、時々彼の仕事が休みの日に早苗さんに連れられて会いに行っていた。
普段は祖父母である秋生——あっきーや早苗さんが遊んでくれて淋しくはなかったが、こうやって独りでいると途端に淋しさが込み上げてくる。
汐はやおらむくりと起き上がると、横手にある押し入れの戸を開き、その中に上半身を突っ込んだ。
中にある段ボール箱のフタを開け、中から一冊の薄いアルバムを取り出して蒲団の上にペタンと座り、それを開く。
そこには二人寄り添い楽しそうに笑う両親の姿が写っていた。本当に幸せそうに屈託無く母の傍で笑う父の姿が。
でも、汐はこんな風に父親が笑うのを見たことがなかった。
会うといつも辛そうに顔を伏せ、ちゃんと汐を見ようとしなかったのだ。母親似である汐に、その面影を重ね合わせてしまうが故に。
『パパ、どうしてわらわないの?』
前に一度、汐はこの写真を見て早苗さんにそう訊いた事があった。
その時早苗さんは少し憂いを含んだ困った様な
『パパは、汐のママの事が本当に大好きだったんですよ。でも、いつも一緒だったママが遠くに行って会えなくなってしまったから、今パパはとても悲しくて辛いんです。だから笑えないんです』
と、そう言った後、早苗さんはにっこりと微笑んで汐に言い聞かせるように言葉を継いだ。
『——でも、汐のパパは強い人ですから、今は辛くてもいつかきっと、それを乗り越えて再び笑えるようになりますよ。それまで汐は、ここでいい子にして待っていてあげましょうね』
『うん。いいこにしてまっている』
と、その時素直に汐は頷いた。
大好きな人が傍に居なくて悲しいというパパの気持ちは、自分もそうだからよく分った。だから淋しくても汐は我慢して早苗さんの言った「いつか」をずっと待っていたのだ。でも、やっぱり淋しいものは淋しい。
汐はアルバムの中で一番大きな写真をじっと見た。
それはママの誕生日に撮った写真だった。そこにはママを中心に早苗さんやあっきーにパパ、それに両親の友達が大勢楽しそうに写っていた。
「ママ……」
汐は小さく口の中で呟くと、後ろを振り返った。
立ち上がり、鏡台付きのローチェスト脇の台上に積み重ねてある珍妙な物体の許に行き、その一番下にある薄黄緑色のそれを掴んだ。
それは写真の中でママが抱えていたものだった。ママが大好きだった「だんご」。
汐はそれを取ろうと引っ張った。
その拍子に、ぐらっと上に積み重なった色違いのだんごが大きく揺れた。
次の瞬間、ぽとぽとと落ちて汐と共に畳の上に転がった。
だが、汐はしっかりと薄黄緑色のだんごを掴んで離さなかった。
目的のだんごを取った汐はそれを抱え、またアルバムの前に座ってそのだんごにぱふっと顔を埋める。
とても温かくていい匂いがした。ママの匂い。
こうしているとママに抱かれているようで、汐は少しだけ幸せな気持ちになれた。
——パパ……
だんごを抱いてまどろみながら、汐は離れて独りアパートで暮らす父親の事を思った。
休みの日になると、いつもこの家の前にある公園は家族連れで賑わった。母親に見守られて父親と楽しそうに笑って遊ぶ同じ年頃の子供もいた。その子はとても嬉しそうで汐は羨ましかった。
うしおもパパはいるのに、あんなふうにわらってあそんでほしいのに、パパはいつもいっしょだったママがいないから、かなしくてわらえない……
——じゃあ、ママがいれば、パパはわらって、うしおとあそんでくれる?
そう思った汐はだんごから顔を上げ、アルバムに視線を落とした。
その中でパパの傍で幸せそうに
通っている幼稚園の先に長い長い坂道が続いていた。春になると桜が満開になってすごく綺麗な坂道。でもとても長くて汐は途中までしか登ったことがなかった。
そこを、いつもママと同じ服を着た人達が大勢登っていたのだ。
——もしかしたら、そのさきにママはいる?
汐は早苗さん達にママは遠くに行ってしまったと教えられていた。そしてあの長い長い坂道の向こうは、汐にとってとても遠くだった。
だから、そこにママはきっといる。でも、パパはママをむかえにいけない。しごとがいそがしいから。
——じゃあ、うしおがパパのかわりに、ママをむかえにいけば……
そうすれはきっと、パパはかなしくなくなってわらってくれる。うしおといっしょにあそんでくれる。
その思い付きに、うしおはぱっと顔を輝かせた。
だんごを離して立ち上がる。
そっと部屋の戸を開け、耳をすまして廊下を窺い見る。
客間では、早苗さんが近所の子供を集めて勉強を教えている最中だった。客間の戸越しに、早苗さんが何か説明しているような声が聞こえる。まだ当分終わりそうになかった。
汐は廊下に出、足音を忍ばせて階段を降りた。
一階の廊下の先にある店の方を気にしながら、背伸びして玄関の下駄箱の上に置いてあった自分の麦わら帽子を取って被り、靴を履く。
そして、静かに玄関の戸を開けると、たっと汐は外に飛び出した。
通い慣れた幼稚園に向かって、その先にある長い長い坂道を登り、その向こうにいる筈のママに会い、一緒にパパの処に帰ろうと言う為に。
渚が汐を産んで亡くなったシーンは本当に嫌でしたね。その後の朋也を見るのが辛かった。