まどろみの向こう~メモリーズ―夏―    作:飛鳥 螢

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そして——

 ガラスの覗き窓を塞いだ部室の戸越しに、うしおが呪文を唱える声が聞こえる。

 それを戸の横の壁に体を預けながら朋也は聞いていた。

「うまく……いくでしょうか……」

 不安そうに渚は隣に立つ朋也を見た。

「そうよ、これであの子母親に会えなかったら、すっごく落ち込むわよ」

 これならまださっきの椋の占いの方が、希望が持てるというものだ。

「まぁ一応、あの本のおまじないで効かなかった(ためし)なかったからね。大丈夫なんじゃないの」

「陽平、あんたが言うと、余計心配だわ」

「何でだよっ」

「うまく、いくといいの」

 杏と春原の言い合いを聞きながら、向かいの窓際に立つことみがぽつりと呟いた。

 彼女はもうどんなに望んでも、決して一番会いたい人達に会う事はできなかった。だから、会えるならうしおをママに会わせてあげたい。

 その想いは多分ここに居る中で最も強いかもしれなかった。

「ことみちゃん……大丈夫です。きっとうしおちゃんはママに会えます」

 すぐ隣に居た椋が、その想いを察して優しく請け合った。

「遅いな……」

 そんな皆のやり取りを聞きながら、安心させるように渚の頭に手を置いていた朋也は、呪文の声が聞こえなくなっても、一向に出て来ないうしおを不審に思った。

「おい、うしお。終わったのか?」

 渚の頭から手を放し、朋也は戸越しにうしおに声を掛けた。

 だが、返事はない。

「おい、うしおっ」

 もう一度呼ぶが、やはり同じだ。戸に耳を当てて中の様子を窺うが、物音一つしないというか、人の居る気配すらしなかった。

 只事じゃない様子に、皆が朋也の周りに集まって来る。

「ちょっと朋也——」

「どうしたんですか?」

「様子が変だ」

 朋也は戸に手を掛けた。

 だが、もしまだおまじないの途中だったら、ここを開けた途端おまじないは失敗する。

 そう思うと、朋也はこの戸を開けるのを躊躇(ちゅうちょ)した。

 だが——

「岡崎さん、しおちゃんは……」

 酷く不安そうに渚が朋也を見ている。

 それを目にし、朋也は意を決して勢い良く部室の戸を開け放った。

 

 

 中には、誰も居なかった。

 黒板には何か書いたものを消した跡があり、その横におまじないの呪文が残されていた。

 俺達はうしおの姿を求め、部室内を、それこそ積み上げられた段ボールの裏側まで覗いて隈無く捜した。

 誤って窓から落ちたかもと、外の校舎脇に茂る繁みの中まで捜し回った。日が暮れるまで。

 だが、見つかったのは高校生の俺達にはとても(かぶ)れそうにない、小さな女の子用の麦わら帽子一つだけだった。

 そして、だんご大家族の絵を描いた演劇部員募集のポスターも、何時の間にか部室から消えていた。

 ——あれは、一体なんだったんだろう……

 代わり映えのしない退屈な補習の授業を聞きながら、俺はぼんやりとそれについて考えた。

 いきなり目の前に現れ、そして消えていった小さな女の子。

 大人しく控え目で、それでいて頑固で。ただ母親に会いたい一心で、あの長い坂道を一人で登ってここまでやって来た。

 だけどやっぱり不安なのか、(すが)るようにずっと俺のシャツの裾を握り締めていた。

 そんなあいつを安心させてやりたくて、つい俺はあいつの頭に手を乗せていた。渚にしてやるように。

 そうしてやると、あいつは何か我慢しているような張り詰めた表情(かお)を、ホッと綻ばせたから。

 その表情が本当に嬉しそうだったから、それを見ると俺も温かい気持ちになれたから、こいつの喜ぶ事ならなんでもやってやりたいと思った。渚と同じように。

 けど、もうあいつは何処にもいない。確かに居たはずなのに、その痕跡だけを残して何処かに行ってしまった。

 多分、あいつはワケもなく突然現れては消える、あのパーティーの三角帽子を被ったヘンな下級生と同じモノなのだろう。

 いやそれとも、夏の暑さと変わらぬ気怠(けだる)い日常に飽き飽きした俺達に、この町が見せた白昼夢だったのかもしれない。

 だから俺は、親父に会ってあいつのことを訊く事はしなかった。

 会えば嫌な思いをするだけだから、本当に異母妹かどうか判らないヤツの為にそんな思いはしたくはなかった。

 今はまだ、親父の事は考えたくない。でも何時か考えられる時が来るんだろうか。親父とちゃんと向き合い、分かり合える日が、本当に——

「——岡崎……うしお、か……」

 俺はそう呟き、そして、親父への想いと共にその名を記憶の奥底に沈め、封をした。

 

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