第二回 飛沫コロシアム参加作品:テーマ「人外」
大学の帰り、夕焼けの中、路地裏で僕はそれを見てしまった。
今日はサークルの活動日だったから、いつもより遅く……それは嫌な偶然が重なったのだろう。
「え?」
ぬらり、ぬらりと粘性を伴う液が垂れた。
光を鈍く反射する赤黒い血が地面に散らされていた。
ぱきり、ぱきりと軽い……どこかで聞いた事のある音が聞こえる。
あぁ、そうだ。
フライドチキンの骨を噛んでしまった時の音によく似ている……なんて場違いな事を考えて。
人が、食われている。
人ではない、何かに。
『……あぁ、見ちゃったね』
身の毛もよだつ醜悪な姿。
黒板を引っ掻いたような声。
だけど……ノイズの先は知っている声だ。
それに、知っている服を着ていた。
「……あ、あれ?優、ちゃん?」
僕の、恋人の名前を呼べば……ぎょろりと、赤く濁った、魚のような目が僕を見た。
◇◆◇
僕が優ちゃんと出会ったのは一年前。
所属している大学のスキーサークルが主催した、他校との合コン。
そこに、つまらなさそうな顔をした彼女を見つけた。
当時、僕は新入生で。
田舎から上京してきたばかりの、お上りさんで。
生来の内気な性格から、誰とも話せなくて。
合コンなんていう空気が苦手で。
「これ、つまんないよね」
だから、君に話しかけられた時、僕は嬉しかったんだ。
気怠けで正気を感じさせない目で一人唐揚げを食べている優ちゃんが魅力的に見えた。
「抜け出しちゃおっか」
二人、抜け出した。
だけど、これから何処かに行こうと誘った。
ここで別れたら二度と会えない気がしたから。
彼女は綺麗だった。
容姿だけじゃなくて、物事に流されない我の強さが綺麗だと感じたんだ。
僕は昔から誰かの意見に頷いてばかりだったから、彼女のその在り方を綺麗だと感じた。
だから、告白した。
好きだと、一緒に居て欲しいと。
誰かと一緒にいたい言葉に出来たのは……多分、彼女が相手だったからだ。
「私、君が思っているような人じゃないよ?」
なんて言われて。
それでも僕は、君の知らない一面も見たいから、と答えた。
すると、彼女は愉快そうに笑った。
「やっぱり君は、面白いね」
少し涙を流しながら笑った彼女は、僕の手を握った。
「良いよ、恋人になろう。私を飽きさせないでね」
そうして僕と、優ちゃんは恋人になった。
色々な場所に行って、色々な物を見た。
色々な事をした。
恋人らしい事もしたし、同性の友達とやるような事もした。
ぼんやりと、このまま大学を卒業して、仕事に就いて……それでも彼女と一緒に居る未来を想像していた。
◇◆◇
今、見える景色は違った。
赤くて、黒くて、灰色で。
酸っぱくて、臭くて、気持ち悪い。
目前には首から上のない死体。
いつもと違う、違い過ぎる姿をした恋人。
「え……?あ、あれ?何、してる、の?」
分からない。
分からないよ。
目の前の景色を脳が理解を拒否している。
『……見ての通りだよ』
耳障りな声で、それでも彼女らしい口調で言葉を口にした。
「え、だ、だって……そんなの……」
足がすくむ。
地面を踏んでいる感覚がない。
この場から、一歩も動けない。
『……前に言ったよね?私は君が思っているような『人間じゃない』って』
人間じゃない。
そのままの意味で、彼女は人間じゃなかった。
肋骨のような部位が開き、脊椎が伸びる。
顔が引き裂けて、あぁ……なるほど、死体の首から上がない理由を悟った。
乱雑に、規則性もなく並べられたナイフのような黄ばんだ歯が見えた。
『君の事は嫌いじゃなかったけど。誰かに言いふらされたら困るから……ごめんね?』
歯には人の髪や、血がべったりと付いていた。
逃げるべきだ。
悲鳴を上げて、情けなく逃げるべきだ。
逃げるべき、なのに。
その場に立ったままだ。
勝手に、涙が出てきた。
『怖い思いをさせちゃったかな。それとも、私に嘘を吐かれていたのが嫌?』
優ちゃんの顔が近付く。
いつもの柑橘系の香水とは違う、腐った魚のような悪臭がした。
「違う……」
『違う?』
彼女が動きを止めた。
首を傾げるように、きりきりと音を立てて身体を捻った。
確かに怖いけど、それよりも──
「優ちゃんと会えなく、なったら嫌、だから……」
これから夢見ていた日常が、無くなることへの喪失感に……僕は涙を流していた。
死ぬのは怖いけど、それ以上に彼女と会えなくなるのが嫌だった。
『……君ってさ、前々から思ってたけど少し馬鹿だよね』
「そう、かな」
尻餅をついた。
彼女を、見上げる。
彼女の表情は読めない。
人間らしい顔をしていないから。
『怖くないの?』
「怖いよ。すっごく」
僕を抱き抱えるように身を巻き、顔を近付けて来る。
『やっぱり、君って変だよ』
「え?」
『だってまだ、私から顔を逸らさないし』
哺乳類らしくない、どちらかといえば魚類のような濁った目が僕に近付く。
生暖かい吐息が顔にかかる。
『今から私に食べられちゃうんだよ?分かってる?』
「僕を?」
『うん。人を食べないとお腹空いちゃうから』
そんな、言葉を口にした。
言い訳みたいだな、なんて。
「……痛くしないでくれると嬉しい、かな」
だから、そんな強がりを口にした。
彼女はその表情の分からない顔を歪めた。
『前の彼氏はさ』
「……元カレの話?」
『うん。私、別に君が初めてじゃないからさ』
少しショックを受けつつも、どうして今そんな事を言うのかと首を傾げる。
『で、前の彼氏にさ。見られた事があるんだよ』
「へ、へぇ」
『もう居ないけどね』
僕も彼と同じ末路を辿る、のだろうか。
『凄く怖がっちゃって。食べるつもりは無かったのにさ、逃げようとするから』
「そう、なんだ」
『自覚はあるけどね、傷付くよ』
そう言われて、僕は目を瞬いた。
彼女は姿形が変わっても、僕の知っている優ちゃんなんだって……安心できたから。
そんな僕の顔を優ちゃんが覗き込む。
『私の事、まだ好き?』
返答次第では僕を食うつもりだ。
彼女を刺激しないために好きと言うべきだろう。
「……好きだよ。まだ、一緒に居たい」
同じ言葉だけど、根底にあるのは自己保身じゃない。
僕はただ、思っていた言葉を口にしただけだ。
優ちゃんは身を震わせて、音を鳴らした。
まるで秋に、彼女と一緒に聴いた鈴虫の音みたいだった。
『ありがとう。嬉しいよ』
「だからその、一緒に──
『でも、それは無理かな』
僕の首元に、彼女の指が突き刺さった。
「あっ」
視界が赤く染まり、意識が朦朧として……気を失った。
彼女の濁った目から、液体が垂れていた。
◇◆◇
僕は病院で目を覚ました。
何でも道の真ん中で気を失っていたらしく、救急車を呼ばれたらしい。
呼んだ当人は居なかったらしいけど……きっと、優ちゃんなんだろうなって僕は思った。
「……優ちゃん」
いつもはすぐに返してくれるSMSでの連絡も、帰って来ずに一週間が経過した。
彼女の家に行ったけど、もぬけの殻で。
もう二度と会えないかも知れないと、そう思うと……僕は悲しくて。
月日が流れた。
あの出来事は夢だったんじゃないかと疑ってしまいそうになる。
だけど、今でも彼女との思い出は消えず……想い続けていた。
いつか、いつの日か。
彼女がまた顔を出してくれるんじゃないかと。
彼女は僕のために姿を消したのだろう。
僕が彼女の事を秘密にすれば、人喰いの共犯になってしまうから。
だけど、それで良かった。
共犯でも良かったのに。
彼女と一緒に居られるなら、僕は倫理観なんて捨てても良かったのに。
彼女の映った携帯の待ち受けを見るたび、そんな生臭い初恋を僕は思い出す。
いつまでも、きっと……僕が、死ぬまで。