有馬かなが刺された世界(そして前向きイマジナリー重曹ちゃん) 作:settu
遠くで、雨音が続いていた。
アクアは意識を今に戻す。
自らの腕の中に、有馬かながいた。
腹部に、禍々しい刃を突き立てられたままの、有馬かながいた。
そして、あまりにも理不尽に、彼女を貫いているそのナイフ。
ほんの一瞬、過去に向かっていた自分。
そこで、何があったのか。
何が、あってしまったのか。
言うまでもない。
有馬かなは、その体に、刃を受けた。
己の、身代わりとして。
アクアは、思考を巡らす。
とにかく、そのようなことが起った。そこの意味は。そこの罪は。
……そう、
問わないといけない。
でも、今は。
何故か唐突にアクアは『東京ブレイド』の舞台を思い出した。
あの舞台で、有馬かなは、『つるぎ』として存分に自分の魅力を振りまいていた。
己を解放し、その解放した姿を、アクアに見せてくれた。
どこまでも光に満ちた、輝かしい姿をアクアに見せてくれた。
アクアの見たかったものを、見せてくれた。
『演りたい演技をやれよ有馬かな』
そんなアクアのシンプルな、でもある意味傲慢な願いに応えてくれた。
あの時の彼女は。
無敵に思えた。
誰も決して彼女を傷つけられない。
そのつるぎが。
仮に手負いになるようなことがあったとしたら。
こんな感じになるのだろうか。
逃避だった。
馬鹿馬鹿しい逃避だった。
わかっている。
アクアにとって、目の前の現実はあまりにも受け入れがたいものだった。
だから、何とか夢想を弄んで。
昔の想いを弄んで。
ほんの一時でも、心だけでも現実から離れようとして。
だが、有馬かなは現実であり。
彼女に突き立てられたナイフも現実だった。
だから彼女は、実際に傷を負っている。
いや、傷だけならいい。
恐れるべきは。
思考を、再度、現実に戻す。
有馬かなを、見る。
有馬かなは、相変わらず、アクアに抱き支えられた姿勢のまま、じっとしていた。
下手に動かすことはできない。そのちょっとした体位の変化で、組織や血管を押さえつけていたナイフの刃が動き、張り付いた組織や血管から剥がれて、言わば
「……それにしても……さ」
有馬かなは、少しだけ疲れたように言った。
「これじゃまた、卒業延期ね……。カッコ悪いったらありゃしない」
アクアは、さりげなく有馬かなの容態を確認しながら、フォローを入れる。
「事情が事情だ。別にいいだろ。仕切り直しだ」
「そりゃま、そうなんだけどさ……」
意識は清明。冗談だとしても『カッコ悪さ』に注意を払う程度の余裕もある。
アクアは腹部に目をやる。有馬かなの体に、禍々しくも突き立てられているそのナイフ。その刺入部位の、外見としての変化はあまりなかった。ナイフの周囲のほつれ、破れた布地にも、血の染みは広がってはいない。もちろんその赤い生地が、出血という事態の痛々しさをどこか覆い隠している面はあるのだけれども。つまり、傷口からの出血もひとまず僅かのまま。脈は……相変わらず、少し早い程度。
「痛みはどうだ」
「大分……落ち着いた、かな」
「そうか」
そう述べられる位には、有馬かなの痛みは、精神的な苦痛は収まってきている、そういうことか。疲労もあってか、時々反応が少し遅いようにも感じるが。……でも、問題無い。大丈夫だ。そうだ、全く問題無い。
アクアは自分の心を必死に落ち着けつつ、会話を続ける。
「慣れたっていうかさ……とにかく、あんまり辛くは無くなった感じ?」
「……そうか。ひとまず、良かった」
アクアはひとまずそう応じた。
そう応じるしか、無かったからだった。
強がりなのかもしれない。
でも、本当に、有馬かなとして、それほど苦痛を感じる状況ではなくなってきた、ということなのかもしれない。痛みが薄れる理由。単純に痛みに慣れてきた。そういうこともあるかもしれない。でも、そうではないかもしれない。
……痛みが鈍くなる。そもそも、それは身体活動がそうなりつつある、ということでもあるかもしれないものであり。体から、神経を通じて彼女の意識に伝えられる信号が逓減しつつあることを示すかも知れないものであり。何らかの摩耗、麻痺。鈍化。そういうものである可能性もあるものであり。
そういう……なんらかのショック、もしくはその予兆を示す可能性もあるものであり。
だが、どちらにせよ、それは今のアクアには分からないこと。
だからこそ、せめて有馬かなが自身で述べた通りに、多少なりとも有馬かなの苦痛が和らいだというのなら、それ自体はアクアにとってはいくらかの救いになるものでもあった。
いつまでも、度を超えた苦痛の中に有馬かなが居続けるというのは、それ自体がアクアには耐えがたいことであったからこそ。
彼女の体を見れば、相変わらず忌まわしい物体が彼女の体を傷つけ続けているからこそ。
とにかく慎重に有馬かなの容態を見守る。
会話は出来ている。意識レベルはやはり問題ない。呼吸も、脈も。
何故、彼女はこうなっている。
何故、俺は、こうして、何のダメージも受けずに彼女を見ている。
わかっている。彼女は盾になった。なんの価値もない俺の代わりにこの刃を受けた。そもそも彼女の体に傷がつけられる、そもこと自体大罪だというのに。
俺は今日また罪を重ねた。
「……でもまぁ、なんか、みっともないわよねぇ。延期二回目ってのは」
自嘲気味に有馬かなは言う。
それを受けて、ルビーが明るく言う。
「アイドル有馬かな、五回目の貫禄の引退延期」
「茶化すんじゃないわよ」
二人のやりとりにMEMが、にゃはは、と笑う。
「でも、延期で全然良いと思うよ」
ルビーは真顔になって言う。
「私は……それだけ、先輩と長くできるのなら、嬉しいよ?」
「殊勝なこと言うじゃないの」
有馬かなは楽し気に言う。
「本心だよ。私も、MEMちょも、本心。三人で続けられるのは、嬉しい」
ルビーは重ねて言った。MEMも頷く。そして、ルビーは真剣な口調で、言葉を続ける。
「それこそ、私は……」
「……ダメよ」
ルビーが言いかけた言葉を、有馬かなは遮った。
「その果ての夢は、アンタの……、アンタ達の、夢でしょう」
「……でも!」
ルビーは叫ぶ。
「あれは……あの時は、私は」
復讐に染まっていたときのルビー。その時に彼女の口から出た、崇高な夢。彼女の心は闇で染まっていて。それでも、その中で出てきた、輝かしい夢。
「ルビー」
有馬かなは、ただ、ルビーの名前を呼んだ。
「……そこは、アンタ達の場所よ」
そして、有馬かなは、静かに、だが、厳然と言った。
「私には……その栄誉の一部に預かる資格はないわ」
それが、有馬かながアイドルという存在に向き合い続けた上での、結論であり、決意であり、二人への友情の証であった。
アクアは知っている。彼女に内在するその本心を。矜持を。いくつかの偶然と、いくつかの経緯の結果、知ることになった彼女の心情。
それに名前をつけるのならば嫉妬。そうだ、彼女は、嫉妬に駆られて、故に、逃げ出す。
卒業、というのは結局はその実態を糊塗したもので。
「……東京ドーム。実現しなさい。……必ず行きなさいな。必ず」
東京ドーム。それはルビーの夢。ルビーの掲げた、新生B小町の夢。
では、それは有馬かなにとってはどうか。
「先輩……」
そこまで言って、有馬かなは笑う。
「って、まるで今生の別れみたいじゃない。まだ死ぬつもりは無いわよ、私は」
その声を聞いて、ルビーと、MEMも笑った。
三人で、楽しそうに笑い合う。
「……痛っ」
ただ、突如有馬かなが、声を出す。
すこし顔をしかめた。
「どうした」
「……どうということはないんだけど。刺されたところじゃないんだけど。右の……肩が痛い。変に笑ったからかしら」
「……そうか」
「筋肉痛かしらね」
「このタイミングでそれかよ」
「ふふ……」
その言葉に感じる違和感。
湧き上がる不安。
アクアは、平静を保って、努めてさりげなく、質問する。
「他に何か感じるか」
「……少しおなかが張ってる……、かな」
少しだけ疲れたように、そう、有馬かなは答えた。
(「有馬かなが刺された日」⑥ に続く)
ここまでお読み頂き有難う御座いました
少しペースを上げて投稿したいと思っています。また次もお読み頂けたら幸いです。