有馬かなが刺された世界(そして前向きイマジナリー重曹ちゃん)   作:settu

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第0話 「有馬かなが刺された日」⑦ やるべきこと

 アクア達の焦りと動揺をよそに。

 有馬かなは、視線をゆっくりと動かし、アクアの方を見上げる。

 

「ああ、そっか。アンタ、居たんだっけ……」

「いきなりなご挨拶だな、おい」

「で、決めてくれた?」

「……何をだったかな」

 

 有馬かなのセリフは、どこか、おかしい。

 わかっている。

 有馬かなは何を伝えようとしているのか。

 アクアは、必死に、だが、どこまでもさりげなく、その意図を確認しようとする。

 

「何言ってるのよ」

 有馬かなは、少しだけ恥ずかしそうに言う。

「『今日あま』。出てくれる?」

 ルビーが息をのむのが分かった。

 

 ――見当識障害。

 彼女の認識は、今、この時ではなく。

 

 アクアは、一瞬、返答につまる。

 

 落ち着け、と思う。

 これは、本気の問いなのだ。

 有馬かなにとって、本気の問いなのだ。

 彼女は本気で。

 アクアに、そのことを、問うている。

 だから、本気で、答えないといけない。

 

「お願い……私と一緒に良い作品を……」

 

 そう言いながら、有馬かなはゆるゆると、手を虚空に差し出した。

 

 アクアは有馬かなの手を握った。

 冷え切った手。

 その冷たさに。アクアは震える。

 

 極力平静を保って、アクアは返事をする。

 

「……当たり前だ。出るぞ。お前がヒロインなんだろ?」

 

 あの時のことを思い出す。

 あの時。

 有馬かなは、こちらの手を握って。

 アクアに哀願をしたのだ。

 その手は、とても、温かくて。

 その手から。

 彼女の想いが、熱が、伝わって。

 その熱が、こちらの心を溶かすかのようで。

 それに、そんな風に彼女に手を握られたことで、少し自身も心が沸き立つような部分もあって。

 でも、彼女は、どこまでも真剣で。

 多分それは、彼女にとって。

 とても、大きな願いで。

 未来への希望で。

 

 逆だな。

 今は、俺が、有馬の手を握って。

 その手は、とても、とても、冷たくて。

 

「そ……良かった……」

 有馬かなは安堵したように笑った。

「……やっと掴んだ……10年ぶりの主演級なのよ。……このチャンスは逃せないわ。……ずっと頑張ってきたんだもの」

「そうか」

「アンタの手。温かいわね……」

「そうか」

「ずっとさ……頭の中に、アンタがいてさ。それに負けないよう、頑張ってきたのよ。……わかるかしら」

「……そうか」

「だから、お願い……」

 有馬かなは、アクアをじっと見上げ、哀願する。

「アンタとなら……出来ると思うの…」

 

 それは未来への希望。

 未来への確信。

 輝かしい未来への。

 道が開けることへの確信。

 あの日、彼女は、それを信じていて。

 

「……勿論だ」

「ありがとう……」

 有馬かなが、静かに言う。

「背中があったかい……」

「そうか」

「姫川さんも無茶ぶりよね……」

 東京ブレイド。有馬かなを受け止めたあの瞬間。

「そう……だな」

「でも、楽しかったし、嬉しかった」

「そうか」

「アンタもさ……乙女の柔肌をまぁ……好き放題に揉んでくれたわよね……」

「人聞きの悪いことを言うな」

「いいじゃない……。どうせ誰も聞いてないんだしさ……」

「……なるほど、そうだったな」

「……そうよ」

 そう、小さく笑う。

 有馬かなは、既に場所の認識すら。ここに、他の人物(ルビーたち)がいるという認識すら。

 

「……ああ、そだ」

「どうした」

「……ルビーに謝っておいて。……酷い事、言っちゃったのよ。あの子が良い演技を出来るように、そんな言い訳はできるけれども……。でも、本当に、酷い事、言っちゃった……。あの子を、傷つけるようなこと……。まだ……、そのまま……、喧嘩別れしたままだからさ……」

 アクアは、ルビーを見た。

 ルビーが、震えながらこちらを見ている。

 その目に感じられる、強い感情。

 多分、ルビーに対してそう思っていたことへの驚き。

 そして、()()()()()()、そんな、多分、()()()()()()を言っている有馬かなの容態の深刻さへの、恐れ。

 有馬かなと、ルビーの間に、映画の撮影の頃に何かしらがあったことは何となく知っていた。ただ、その後、仲直りしたことも察している。だが、()()()()()()に、今、有馬かなは居るということなのだろう。

「あの子に、教えたくて……あの子の母親の感じていた感情を教えてあげたくて……」

「……そうか」

「でも、きっと……私自身の酷い気持ちもあって……」

 有馬かなは、どこか迷う様に言葉を切る。

「……有馬」

 そして、続ける。

「私は……本当に、みっともない人間だから……」

 その声には強い悔悟が滲む。そして、悲しみのこもった声で、有馬かなは、言う。

「私……言ってしまった……、あの子に、消えて、って……」

 ルビーが震えている。

「だから……ちゃんと、ごめんなさい、って、伝えて……」

「……そういうことは、自分で伝えろ」

 アクアは有馬かなに言う。ルビーを目の前にして。

「お前から直接伝えてこそ、ルビーも嬉しいだろ」

 ルビーは、目に涙を浮かべて、じっとこちらを見つめている。

「……そう」

「面倒くさがるな」

「……」

「おい」

「……ああ、ごめん、何?」

 有馬かなは、その意識は。

「先輩!」

 ルビーが声を出す。

「……ルビーじゃない。どうしたの?」

 有馬かなが、ルビーの方を見る。ルビーは大声で言う。

「先輩は! 私の! 友達だから! 本当に大事な、友達だから!」

 ルビーは、必死に言葉を、気持ちを伝えようとする。

「……何それ。どうしたの、急に」

 有馬かなは笑う。それから、嬉しそうに言う。

「……でも、ありがとう」

「先輩……、私は……!」

 ルビーがそこまで言いかけたとき、 MEMが戻ってくる。

「アクたん!」

 切迫した声。

「もうすぐ! すぐそこ! 後少し!」

 アクアは頷く。

「おい! 有馬! おい! あと少しだ」

「……そ」

 その声で、少しだけ瞳の色が戻る。

「……ああ、そっか。アンタに、伝えたいこと、あったんだっけ」

 有馬かなが、弱弱しく、何かを思い出したかのように言った。

「何だ」

「……」

「有馬?」

「……あーくん、あのさ……」

 有馬かなは、少しだけ迷ったように黙り、そして、続ける。

「あの……、公園の、雨の日のことさ……」

 アクアは察する。あの公園のベンチで、有馬かなを振り払ってしまったあの日。その日のこと。

「ああ」

「私さ……あーくんに、ちゃんと言わないと、いけない、ことが」

「何だよ」

「私さ、あの時……」

「……ああ」

 だが、そこで、有馬かなは楽しそうに笑う。

「……やっぱり、やめとく」

「何でだよ」

「……なんか、ほら……」

 そこで有馬かなは、何か困ったような顔をする。

「ヘンに、アンタの心残りになっても悪いじゃない」

「意地張る場所じゃないだろうが! 言えよ!」

「ダメよ……」

 有馬かなはまた笑う。

「ダメじゃないだろうが! ちゃんと言え! 物分かりの良い素振り見せてるんじゃねーよ!」

 有馬かなは、静かにアクアの方を見上げる。意志のこもった瞳。美しい瞳。

「アンタは………………、せいぜい、生きてる人間を推しなさい」

 それは、弱々しくも、どこか毅然とした、強い声で。

 意識を。

 しっかりと意識を取り戻した途端のセリフがそれで。

 それは、どこか訣別の言葉のようにも聞こえて。

「お前も生きてるだろうが!」

 アクアは叫ぶ。有馬かなは、それには答えず、ぼうっとしている。

「有馬、おい、有馬!」

 意識を保たせないといけない。とにかく、今は。

「有馬……頼むよ。もう少し、頼むから起きてろ!」

「めっちゃ眠いんだけど……」

「うるさい起きろ! 起きてろ!」

「大声出さないでよ……」

「必要なんだよ! 俺に! お前が!」

 アクアは叫ぶ。

 少しだけ。少しだけ驚いたように、有馬かなはアクアを見上げる。

「……何それ」

「だから必要なんだ! お前が! 俺は……俺は、その為なら、俺は……」

「……まったく」

 有馬かなは、少しだけ呆れたように言った。

 少しだけ。本当に少しだけ。

 顔に生気が戻ったように感じた。

「そんなこと言われたらさ……色々と……本気になっちゃうじゃない」

「本気にしろ」

「滅茶苦茶……ねぇ」

 また、笑う。

「……でも、嬉しいよ。お世辞でもさ」

「本気だ」

「……そこは、お世辞にしときない」

「だから、本気だ」

「……強情。手間をかけさせるわね」

 己を見つめる、有馬かなの瞳。

 美しい瞳。

 アクアは見た。

 その両の瞳に。

 輝きが。

 太陽の輝きが。

 有馬かなの、太陽のような、輝きが。

 輝きが、瞳に宿って。

 

「全く、アンタはいつも、私をヘンにさせる」

 

 その声は。

 その、心が弾むかのような声は。

 いつもの有馬かなの声で。

 彼女が、ちゃんとここにいるのだ、と思わせてくれる声で。

 聞いただけで、こちらが嬉しくなるような、そんな声で。

 

 ああ、とアクアは思う。

 これなら。

 これだけ元気なら、まだ大丈夫。

 あと少しで。

 あと少しで救急も来て。

 それで、有馬かなは。

 

「いくらでもヘンになれ」

 

 良く分からないことをアクアは言う。

 

「ヘンになってもいいから、とにかくここにいてくれ」

「何それ……」

「居て欲しいんだよ、お前に」

 

 アクアは、感情を露わにして言った。

 もう、止められなかった。

 

「頼むよ、頼むからここに居てくれ。俺には必要なんだよ。お前が必要なんだ。俺が、お前を必要としているんだ。お前が居てくれなければ、俺は、俺はもう…」

 

 有馬かなは、そんなアクアを、じっと見ていて。

 

 アクアの懸念。

 アクアの恐れ。

 

 有馬かなが、いなくなってしまう。

 それは、止めて欲しい。

 

 それが、アクアの願い。

 

 そんなことになってしまったら。

 そんなことが起こってしまったら。

 

 光が、消えてしまったら。

 

 もう、そこには、闇しかないじゃないか。

 真っ暗闇だ。

 

 混乱の中で。

 アクアは謝罪する。

 

「わ、悪かったから……俺が、悪かったから……」

 

 アクアの頭の中で言葉が巡る。

 うまく語れない、言葉が巡る。

 

 誰にも必要とされていないなんて言って悪かった。

 身の程をわきまえろなんて言って悪かった。

 夢を見るななどと言って悪かった。

 この先もろくな事はないなどと言って悪かった。

 お前の人生は真っ暗闇だなどと言って悪かった。

 

 それは、ただの、役者としてのセリフだったというのに。

 演技として発しただけの言葉だったというのに。

 ただ、そんな言葉をかけたことすら、アクアには己の罪のように思えて。

 

 うまく言えない。

 ただ、そんな、演ずる者としての言葉であったとしても。

 多分、それは、きっと彼女自身を抉る言葉の筈で。

 アクアは、どこか意図して、その言葉を投げかけた筈で。

 

 その罪が、アクア自身に、降りかかっているような気がして。

 その応報を、有馬かなが、受けてしまっているような気がして。

 

 光が消えてしまうという応報が、そこにあるような気がして。

 

 怖い。

 本当に怖い。

 

 気持ちが、うまく伝えられない。

 だからただ、アクアは言う。

 謝罪の言葉を言う。

 謝る。

 謝って、縋る。

 

「悪かったから……だから、頼むよ……」

 

 有馬かなは、相変わらずアクアをじっと見ていた。

 

 その視線は、どこか、穏やかで。

 同時に、そこには、何か、諦めのような、苦笑いのような、そんなものが混じっているようで。

 

 そして、彼女は言う。

 まるで、アクアを、慰めるように。

 そして、アクアを、勇気づけるかのように。

 

「それでも、光はあるから」

 

 有馬かなは、笑顔で、そう言って。

 かつての『今日あま』のように。

 涙を流しながら、こちらに、微笑みかけて。

 

 まるで、その笑顔は。

 

 安心しなさい、とアクアに語り掛けているようで。

 

 有馬かなが去った後でも、ちゃんと光はある。

 光は常にある。

 だから、安心しなさい。

 そう言われているようで。

 

 勿論、そんなものは、アクアには受け入れられないものだから。

 

 ただ、アクアは、希望に縋る。

 

 ああ、あと、少しで。

 助けが来て、それで。

 

 だが、有馬かなは。

 

 瞳から。

 光が、消えて。

 

 太陽の輝きが、消えて。

 

 左の瞳から。一筋の涙が、こぼれて。

 

「有馬……?」

 

 彼女は答えない。

 

 その刹那。

 アクアは、理解した。

 有馬かなは。

 多分、最後に、力を振り絞って、演じて見せたのだ。

 アクアの見たい、有馬かなを。

 本気の、有馬かなを。

 太陽の輝きに満ちた、その、瞳を。

 

 でも、それは、本当にその一瞬のことで。

 その一瞬で、彼女は、力尽きて。

 

 

「有馬? おい、有馬!?」

 

 彼女の返答はない。

 意識の消失、そう判断される状況。

「MEM!」

 アクアは叫ぶ。

「もう一度連絡! 意識を失った!」

「わかった!」

 その時、別の声が聞こえた。

「あ、ああ、先輩……」

 その声に、一瞬ルビーを見る。

「先輩……ママ……嫌……」

 ルビーは、とうとう、精神的障害を、起こしかけていた。

 それは、やがて、ルビーの精神に深く刻み込まれるかもしれない何か。

 アクアは即断する。

「ルビー!」

「……え」

 アクアの大声に、彼女が反応する。

「AEDだ! AEDを持ってこい! スタッフと手分けしろ! どこかにある筈だ! ここの人に聞けば多分場所は分かる! わからなくても探せばすぐ見つかる筈だ! 目立つ赤い心臓マークの所に機械がある!」

「え……」

「早く!」

 アクアは、あえて乱暴に、どやしつけるように言う。

「わ、分かった!」

 ルビーは青い顔で頷くと、弾かれたように立ち上がり、駆け出した。

 

「あの時……何なんだよ! 中途半端に言いかけてんじゃねーよ! 気なるだろうが! 有馬! おい、有馬!」

 アクアは叫んだ。

 アクアは、慎重に、だが迅速に有馬かなを床に寝かせる。

 呼吸の有無を確認する。

 呼吸無し。

 頸動脈に触れて、脈拍の有無を確認する。

 脈拍無し。

「……馬鹿野郎!」

 

 アクアは、ほんの一瞬だけ、今ルビーに与えた指示の意味を考える。

 こういう施設だ。自動体外式除細動器(A   E   D)は多分すぐに見つかるだろう。

 そして、救命プロトコル上は、ここでAEDを用意するのは全く妥当。

 だが、アクアの内心には別の思考がある。

 AEDは、適応となる心停止症状に対して、電気ショックを与える機材である。

 そして、AEDの適応となる症状は、心室細動や心室頻拍、要は心臓の痙攣である。

 呼吸も無く、脈拍も無い。予想される状況は、外傷性心停止。原因は恐らく、臓器損傷を原因とした、内出血による失血。そしてそれに伴う、循環血液量の減少。ありていに言えば、シンプルに、巡るべき血が足りないだけの話。……なら、AEDは。

 ……それでも、どんなに確率が低くても、恐らくそれは意味の無いものであっても、あらゆる可能性を考慮するのなら当然用意させるべきものだ。

 だが、敢えてそれをルビーに求めた別の理由を説明するのならば。

 ……何よりも。

 そう、何よりも。アクアは、ルビーを現場から引き離す一種の方便として。

 ……すなわち、有馬かなが直面しているこの状況の、この場にルビーを留め置くことで精神的なダメージを与えること、そのことを回避する為の手段として、AEDをルビーに求めたのだった。

 逆に言えば。

 この先の状況が、可能性としては、ある程度アクアには見えてしまっていて。

 いいや、とアクアは思う。

 強く否定する。

 俺には()()()予想は見えていない。

 俺はやるべきことをただやるのだ。

 

 猶予はない。アクアは有馬かなの左側に膝をついて座ると、胸骨の中心線、要は胸の中心に片手を置き、もう片方の手を上から指の間に通して重ね、しっかりと握った。そして身を乗り出し、そしてそのまま掌底で、力強く押し込む。

 有馬かなの体が揺れ、その美しいボブカットの髪も揺れる。

 

 優しいんだ。流石シスコン。

 良いわね。ルビーは良いお兄ちゃんを持てて。

 

 心臓マッサージを開始したアクアに、何故か、そんな有馬かなの言葉が、その幻聴が聞こえたような気がした。その声は、思いやりと、少しばかりのからかいと、僅かばかりの羨望が混じっていたように思えた。

 

 

(「有馬かなが刺された日」⑧ に続く)

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