有馬かなが刺された世界(そして前向きイマジナリー重曹ちゃん) 作:settu
午前二時。
照明を落とした自室で、俺は静かに待っていた。
そろそろ、
今日はそういう日かもしれない。
監視を解いてもらうまでは結構日にちがかかった。
どうしても自分自身、気落ちしている部分は隠し切れない。
原因ははっきりしているから、猶更。
だから周囲も心配する。何か極端な行動をとるんじゃないか、と警戒する。
それでは、落ち着いて動けない。
そして最近、やっと、監視を解いて、一人にしても大丈夫、というレベルまでには信用を得ることが出来た。
実際やっていることは、朝起きて、そのまま晩まで、自室で、ベッドの上でぼうっとしていることだけ、ではあったが。
思い起こすと、
自分自身、びっくりするほど。
関係者として、参列しなければいけない
その場で初めて分かった真実に、そこにあった彼女の孤独の真実に、より一層己の罪深さを認識させられたのだけれども。
ただ、その一通りのごたごたが終わって、また、俺自身も、仕事上の最低限の後始末を何とか済ませたあたりで、急に、
そこから先は、わかりやすく言えば、生きる屍といった塩梅か。
栄養補給の時だけ部屋の外に出て。適当な保存食と水分を「補給」して自室に戻る。ルビーも、ミヤコさんも、こちらの状況を慮って、それについて何も言うことは無かった。有難い。ただ、放置してくれる状況さえ作れれば、いい。
さすがに、それ以上の何かをする、その気力は起こらなかった。
そして、日々を過ごした。
……細かいことは思い出したくない。
正直なところ、少しでもその時のことを思い出せば、体に震えが出て、動けなくなる。
自分の罪深さに、何も出来なくなる。
ただ、言い訳がましいことを言えば。
本当にどこまでも愚かな、言い訳がましいことを言えば。
俺は。
<自分の目的の為に、利用出来るものは全て利用する>
それは確かに決意していた。
それがたとえ、
言い訳はしない。
それは、俺の責任で、俺が決意した。
そうだ、俺の計画の中には、有馬を利用することは当然その一部として組み入れられていた。
その通りだ。
でも。
だけれども。
俺の……、僕の、計画は。
そういう意味じゃ、無かったんだ。
無かったんだ。
そんなこと、俺は、望んじゃいなかった。
分かるだろう?
そんなこと、分かるだろう?
俺は、俺の言葉に呪われてしまった、ということかもしれない。
でも、その呪いが、どうして俺ではなく、有馬に向かった。
俺は呪われればいい。俺は初めから最後まで、無価値な人間だった。
でも、有馬はそうじゃない。
有馬には、皆と同じく、幸せな人生を歩んで貰う筈だった。
俺には手の届かない遠くで。
遠くで、輝いて貰う筈だった。
消えるのは自分だけ。
計画は完璧。
その筈だったのに。
涙があふれる。
嗚咽が止められない。
「くっ、うっ、あ……」
情けない声が出る。
あいつは、あいつは。
俺はあいつの才能を歪め。その輝きを歪め。命を、歪めてしまった。
失わしめてしまった。
輝いていて欲しかったのに。ただ、輝いていて欲しかったのに。
……そして、俺には、あのまっすぐな視線を向けられる資格なんて無かったのに。
俺は、有馬の、最後の視線を、自分だけで独占してしまったのだ。
あいつは、最後に俺だけを見て。
俺だけを視線に収めて。
そして、満足そうに微笑んで。
そのまま、去ってしまった。
俺なんかが、最後に、有馬を独占してしまった。
そして、あの輝きは。
失われた。
俺は……、僕は、無力で。
最後まで、無力で。
誰も、助けられずに。
これでは、いけない。
冷静にならないといけない。
こういうことは、冷静にならないといけない。
……ダメだ。
どうにもならない。
というか、もうどうでもいい。
逃げたい。
なぁに、すぐ終わる。
震えた手つきで、
本当は、どこか遠くに行って、ひっそりと済まして、行方不明にでもなるつもりだったが。それで、ルビーやミヤコさんがこっちを探し続ける、なんてことになると申し訳ない。ちゃんと、どうなったかは
そもそも、そうなった後の姿を見せること自体がひどいことなんじゃないか、という考えも一瞬浮かんだが、それはすぐ消えた。
正直そこまで構っても居られない。
どうでもいい。すべてが、本当にどうでもいい。
逃れられれば、それで。
自決、というのは分かりやすい言葉だ。自分で決める。その通り。自分で決めればいい。
俺は、必死になって、急いで準備を進める。
会えるのだろうか。
こうすれば、俺は、有馬に会えるのだろうか。
謝らないといけない。
謝って……、伝えないといけない。
償わなければならない。
そうだ、これは有馬の為の行動だ。
手が止まる。
本当に、有馬が
そう、聞かれた気がした。
言うまでもない。
そうだとも、俺は……、ただ、逃れたくて。
この罪から、逃れたくて。
償い切れない罪から逃れたくて。
ベッドに腰かけたまま、さめざめと。
両手で顔を覆って、さめざめと、ただ、情けなく泣いて。
壊れる。
壊れてしまう。
「…………有馬」
ふと、その名前を口にする。
……そう、口に出してしまった。
「あ………あ………」
もう、呼びかけても、返事を得ることが出来ない、その名前を。
かつて、俺に、無限の希望を与えてくれたその名前を。
なのに、その希望を、俺自身が失わしめてしまったその名前を。
俺には、口にすることすら憚られるその名前を。
その名前を。
罪びとには、あまりにも恐れ多いその名前を。
情けなく、咽ぶ。
寒い。
とても寒い。
以前にも、こんなことが、あったような。
そんな感覚を微かにどこかで覚えつつ、咽び続ける。
『あーくん』
その時、ありえない声を聴いた。
聞こえる筈のない声を。
聞こえる筈のない、その人の声を。
ありえない奇跡が。
暗闇の中で、見渡す。
『あーくん?』
もう一度、聞こえた。
そして、姿が見えた。
有馬だった。
かつて、再会した時の、あの制服姿で。
なぜか空中に、ふわりと浮かんでいた。
暗い部屋なのに、何か一瞬、光が満ちたような感覚を覚えた。
有馬は……、何故か、どこかこちらを恐れるかのように、自分を見下ろしている。
なんだか、緊張しているようにも見えた。
(……有馬なのか)
声にもならない思い。だが、どうやらそれが彼女には伝わったようだった。
彼女の表情から、こわばりが消えたようにも思えた。
少しだけ、笑う。
『嬉しいわ。
どうやら……、安心したらしい。
『どう見える?』
(……あの時に、有馬は)
『そーね。それが真実ね。ついでに言えば、その後の色々もアンタには記憶がある。なんというか、人間社会ならではの行事色々。あと、報道とかそういうやつ、色々。インタビュアーとか来なかった? ミヤコさんとかがうまい具合にシャットアウトしてくれた? ……まぁ、色々あったわよね。そういうことね。……なら、それは真実なのでしょう。不可逆の真実』
その口調が、だんだんといつもの有馬になってきたように感じる。
そして、有馬は、ゆっくりと降りて、俺の前に立った。
『で、私は、どう見える?』
すこし悪戯っぽく、こちらに問いかける。
それには答えずに、震えながら、右手を伸ばす。
触れられるのなら、このひとに、触れられるのなら。
既に失われてしまった筈の、このひとを、抱きしめられるのなら。
だが、俺の手は。
有馬を抱きしめようとしたその手は、虚空をさまよう。
有馬の体を突き抜けて。
『いきなり乙女の体に手を伸ばすとはご挨拶じゃない。ナチュラルにセクハラよ、セクハラ。ま、良くわかるでしょう、これで』
どこか自嘲的に笑う。
(……なら、お前は)
『……違うわね。多分その考えているものとは違う。人をユーレイか何かと思った? そういうもの、じゃないわねぇ。ここに、魂は、そういうものはない。私は幻。ただの幻影』
幻。
『そ、幻。アンタが見ている都合のいい幻。イマジナリーな有馬かなさん。そこは間違えちゃいけないわね。アンタは追い込まれて、とうとう幻を見るようになった』
(……はは、それは本格的にヤバいな)
『そーね。ヤバいわね。でも、そうね』
こちらを、からかうように、有馬は問いかける。
『……幻でも。それでも、私に会いたいとでも思ってくれたのかしら?』
……それは。
言うまでもなく。
『ふふっ、そうでなければ、こうもリアルな幻、出てこないでしょう』
確かにリアルだ。間違いない。
こんな風に話しているだけで、今、俺は、こんなにも救われてしまっている。
俺の表情から、有馬は何かを感じ取ったようだった。
『……幻が、話をしているだけ。それで、救われるのなら、その程度の悩みなのよ。大丈夫』
反応に困ることを言う。
有馬らしい言い方とは思うが。
『あーあー、それにしても涙でぐしゃぐしゃ。酷い顔』
否定は出来ない。散々、泣いていた。
『まぁ、いいわ。とにかくね、私は幻。幻影。イマジナリー有馬さん。でさ、そのイマジナリー有馬かなさんとして、ちょっとお願いがあるの』
(言ってみろ。というか、言われなくても、償いはするつもりだった。もう少し待っていてくれればいい)
『おバカ!』
大
『何言ってんのよ! 逆よ! 逆!』
有馬は急に怒り出す。その感情の起伏が、なんだかとても懐かしいものに感じられる。
それすら、嬉しい。
『……お願いは極めてシンプル』
有馬は言った。
『今日を生きて。そして、明日も生きて』
「……………………生きる」
思わず、声に出た。
単純だけど、だが、今の俺には、とても罪深い、その行い。
『そう、生きる。まずはそれ。
「色々と準備をした。やっと、償いができる状況になったんだ」
『少なくとも、この幻の有馬さんはそうは思わないわね。こっちに少しでも償いたいという気持ちがあるのなら……、とりあえず、明日も話させて』
「明日も、いてくれるというのか」
『アンタが望むなら。望むなら、居てあげる』
そしてほほ笑む。
『だから、今は、お休み』
そして、有馬は。
その、どこか透けたようにも見える、「幻」の体でこちらに近づき。
そして、俺を、
「あ……………ああ…………………………………」
涙が。
涙が、あふれる。
有馬の体が触れる感触は、無い。
ただ、確かに有馬はそこに居て。
小柄な彼女が、両の腕を回して、俺を、優しく、抱きしめて。
なぜか、どこか温もりを感じて。
俺はただ、必死に体を震わせて、何とか嗚咽するのを耐えていた。
目を剥き、歯を食いしばり。
ただ、耐えて。
『あーあーあー、また、泣いちゃって』
有馬は優しく言う。
『大丈夫。私はここに居る。だから、アンタも、大丈夫』
有馬が、耳元で、囁く。
「ぐっ…ふっ…あ…りま………………」
言いたいことがある。伝えたいこともある。謝りたいこともある。
いくらでもある。
語り切れない。
だけど、そういう言葉ではなく。
この気持ちを。
この気持ちを、伝えたい。
嗚咽。肩が震える。
『大丈夫。全部、全部、分かってるから。本当に大丈夫だから』
有馬は、何度も、何度も、繰り返す。
『私は大丈夫だから。安心して。私は大丈夫。本当に、大丈夫。だから、アンタも、大丈夫』
俺は、震える手で。
なんとか、空を抱くように。有馬の体を抱こうとして。
でも、震えて、うまくいかなくて。
『難しいわよー、それ。きっと。いーのいーの。でも、ありがとう』
有馬の声は、どこか楽し気で。
俺はただ、肩を震わせる。
『そーこまで、私のこと気にしててくれたんだ? へー? ふーん? へー?』
有馬は、からかうように、明るく言葉を繋げる。
『それより、お願い。もう、寝よ?』
有馬の声が、頭に響く。
その言葉を聞いて。なんだか、急に疲れが出てくる。気力が色々と、失せてくる。
『疲れたでしょう。もう寝ていいわ。今はおやすみ』
唐突に。
本当に唐突に。
眠気が。
俺はそのまま、耐えられずに、ベッドに倒れこむ。
俺を抱きしめてくれていた、有馬の腕を、そのまますり抜けるようにして。
虚空を抱いたような姿で浮かんでいた有馬の姿が目に入る。
有馬が苦笑したようだった。
『んー、しまらないわね』
ただ、その声はどこか楽し気で。
有馬は、倒れこんだ俺にふわりと近づくと、俺の額に手をのせた。
『そー、寝ればいいのよ。本当に、大丈夫だから』
そして、俺の頬に顔を寄せて、優しく、囁く。
『お休み、あーくん』
この声が。
この声が明日も聞けるのなら。
俺に、こんな罪深い俺に、そんな幸福が許されるのなら。
もう少し。
もう少し、
朧げな意識の中で、俺は、問いかける。
……居るんだな、明日も。
『大丈夫。居る。アンタが望むなら。ちゃんと居る。……アンタが、必要としてくれるのなら』
不思議と、その言葉は信じられた。
ただひたすら、安堵が心の中に広がっていく。
微睡みの中で、ほほ笑む彼女を、俺はただ、見つめていた。
『また明日ね、あーくん』
今後も投稿を続けて行きたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。