有馬かなが刺された世界(そして前向きイマジナリー重曹ちゃん)   作:settu

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第五話 カラスと傍観者

 

 


氏の説は快楽説として実に()辻褄(つじつま)の合った者であるが、ただ一つ何故に個人の最大快楽ではなくて、最大多数の最大幸福が最上の善でなければならぬかの説明が明瞭でない。

(ベンサムの最大幸福原理を評して)

───「善の研究」西田幾太郎

 

猿女君(さるめのきみ)遠祖(とほつおや)天鈿女命(あめのうずめのみこと)、則ち手に茅纏(ちまき)(ほこ)を持ち、天石窟戸(あめのいわやど)の前に立たして、巧に俳優(わざをぎ)す。

───「日本書紀 巻1 神代上」


 

 

 

「おひさー」

 

 

 その声に、アクアの視界が開ける。

 アクアの目の前には、一人の黒衣の少女。

 アクアにとっては知らぬものでもない少女。

 アクアが疫病神と呼び、忌み嫌ったひとにあらざるもの。

 ()()、その少女。

 少女の周囲を何羽もの烏が舞う。

 あるものは少女の頭上にとどまり、あるものは少女の傍に降り立ち、また別の烏が飛び立つ。

 ばさり、ばさり。

 そんな羽音がアクアの耳にも響く。

 

 

「──あんまり嬉しそうじゃないね。

せっかくの逢瀬なのに。

逢瀬なら今は君と一緒に居る、あのお姉ちゃんの方が良かった?

私とはお話とかするのはキライ?」

 

 少女は、いつもの、どこかこちらを小莫迦にしたような調子で、語りかける。

 アクアは警戒を解かない。

 ただ、奇妙なことに、いつもよりは、幾分か、こちらに友好的にも思えた。

 

 

「逢瀬らしく、色っぽいお話、艶話(つやばなし)でもOKなんだけどなぁ。サービスしちゃうよ?」

 

 

 少女はまるでその背格好にそぐわないことを言う。

 ただ、その声色には闇夜のような不思議な艶があり、別に背伸びした風にもなく感じられた。それこそ、気を抜くと、そのまま少女に惹きこまれてしまうような。

 

 

「やっぱりダメ? 残念ー。

結構心配してたんだよ? これでも。

ちょっと傷つくかなぁ……」

 

 

 くすくす笑いながら、大して気にする風もなく、少女は辺りをぐるりと見上げる。

 

 釣られて、アクアも周囲を見上げる。

 その時、初めて自分が屋内におり、かつ、随分と見覚えのある場所に居ることに気づいた。

 かつてのロケ地となった廃倉庫。

 そう、あの場所。

 

 ただ、今は窓やトタンの隙間から西日が差し込み、かの雨の日とは随分雰囲気は違っているように思えた。

 もちろん、あの夢の光景とも。

 それとなく、空気も澄んでいる。

 

 

「あ、ここ?

うんうん、君は良く知ってるよね。

ほら、最近君が楽しい夢をよく見てた撮影現場。

ドラマってこういう所で撮影するんだねぇ……」

 

 少女は、興味深そうに辺りを見渡す。

 

「あ、ほら、あそこ。君が凄く良い演出をしてみせて、あのお姉ちゃんが喜んだところだね」

 

 床にできた、雨の吹き込みによる水たまりを指さす。

 

「ねぇ、懐かしい? 懐かしい?」

 

 少女は、どこかからかうようにアクアに問いかける。

 

「この間はさ、ちょっとこの子たちも紛れ込んじゃったみたいで、ごめんね」

 

 アクアは唐突に思い出す。夢の風景。雷光に目を光らせた烏達。

 見てたのか。アクアは直感する。

 

「本来は、私も、こういう所には来ない筈、なのかもだけど、ね。

でもまぁ、こういうのもありかなーって」

 

 少女は楽し気に言う。

 

「という訳で、私と君の、逢瀬の場所にもちょっと使わせて貰ったよ。

別にどこでもよかったんだけどね。

色々印象深いかなーって、さ。

あんまり嬉しくなかったかなぁ?」

 

 アクアを試すかのように聞いてくる。

 

「まぁ、君にとっては、あのお姉ちゃんとの大事な思い出の場所でもあるものね。

というか、あのお姉ちゃんにとってこそ、本当に大事な場所、になるのかな。

ほらさ、出会いも大事だけど、やっぱり決定的な何かってあるよね。

……ま、あまりケチなこと言わないでよ。

っていう訳で、いいよね」

 

 少女は、こちらの反応をそもそも気にしない風に、そんな語りを続ける。

 

「とにかく、結構色々見せて貰って有難うね。

お陰で退屈はしていないよ。

見世物じゃない、って? まぁ、あれだよ。この世のすべては誰かの見世物、ってやつかもよ?

男も女も()()()、ってね」

 

 少女は、歌劇の一節でも歌うかのように、そう言った。そして、意味ありげに、どこかわざとらしく、はたと手を打つ。

 

「ああそうだ。はいこれ。あげる」

 

 少女はいつのまにか、ずい、とアクアの目の前にやってくる。

 その手には、白っぽいパンの塊のようなものがあった。

 

「ほら、ちょっと手を出して」

 

 アクアは、半ば強引にそれを受け取らされる。

 

「え?それ? この子たちのご飯。

ほら来た」

 

 ばさり、ばさり。

 少女に付き従っていたカラス達が、少女とアクアを取り囲むように、周囲の床に降り立つ。

 何羽が、かぁかぁかぁ、と控えめに鳴いている。

 かぁかぁ、かぁ。

 かぁ。

 その声は、彼ら、彼女ら同士で何か囁きあっているようでもあり。

 こちらに何かを語りかけているようでもあり。

 

 

 そして、そのうちの一羽が、アクアの目の前にばさりと降りると、ちょこんとそのまま床に座った。

 妙に行儀よく、こちらをじっと見上げる。

 

「あげてみて? いいからいいから」

 

 少女に無理やり促され、仕方なくアクアは、パンをひとかけちぎり取った。

 小麦のような、他の何かのような、穀物の匂いがぷんとかおる。

 みずからしゃがんで、パンを差し出す。

 

 その一羽は、アクアからパンを嘴で丁寧に、それこそ嘴がアクアの指に当たらないよう気を付けるかのように、そっ、と丁寧に受け取り、そのまま首を上げて飲み込んだ。礼でも言うかのようにアクアの目をちらりと見やる。そして、ばさりと飛び上がる。

 

 すると、また一羽が、いや、何羽かが一斉に、同様にアクアの前に降り立った。

 皆、そのまま止まって、こちらを見上げている。

 鳴き声も上げずに、こちらを見ている。

 やはり行儀が良い。

 

 少女は、楽し気に、期待の籠ったまなざしでこちらを見ている。

 また、烏達も、皆視線をアクアに向けている。

 アクアは、促されるがままに、しばらくは烏達への給餌作業ともいうべき何かに没頭せざるを得なかった。

 皆黙ってこっちを待っているから、食べさせてやらないと、という気にさせられてしまう。

 一体自分は何をさせられているんだ、そんなことを思いつつ、とにかく餌やりを続ける。

 餌を貰った一羽が礼を言うかのように、かぁ、と鳴いて飛び立ち、すると、代わりにまた一羽が降りてくる。

 

 そんなアクアの姿を見て、少女はどこか嬉しそうに言う。

 

「うん、そうそう。

上手上手」

 

 

 そうなんだろうか。

 餌やりに上手も下手もあるんだろうか。

 効率とかスピードとかは気にしないんだろうか。

 次々やってくる烏を見ながら、アクアにそんな取るに足らない問いが思い浮かぶ。

 というかこいつらはハシブトガラスなんだろうか。ハシボソガラスなんだろうか。自分は烏の生態にはあまり詳しくない。ただ、どこかで読んだ話だと、パン、穀物を好んで食べてるし、その場で飲み込んでいるし、ハシボソガラスなんだろうか。でも、それにしては、澄んだ声のようにも思える。

 いや、そもそも、疫病神が連れている奴らだ。そんな具体的な種族になるんだろうか。それよりも、眷属的な、そういう何かなんだろうか。あるいは……と思い、アクアは、次々やってくる烏の足の部分をちらりと見た。でも、かの伝承のような、三本目の足は無さそうだった。

 

 

 どれくらい作業を継続しただろうか。給餌を一通りやり終えて、アクアの前で待っている烏は居なくなった。

 同時に、手元にあったパンも無くなった。

 

 アクアは、やっと立ち上がることができた。

 膝が少ししびれて痛い。

 

「……ふふ、みんな食べた。みんな嬉しい。みんな幸せ。

こう見ると可愛いでしょ? この子たち」

 

 誇らしげに少女は言う。そして、付け足す。

 

「……君さ、やっぱり色々優しすぎるよ。

向いてないね、うん」

 

 その口調は、やはりどこか優しい。

 

「……そうだね。

せっかく()()()()()()()()()()()

()()にちょっとしたお話でもしようかな。

君は、仕事をしたのだから。ちゃんとなにがしかを受け取らないとね」

 

 そう言いながら少女は後ろ手に、アクアの方に歩いてくる。

 

「何がいいかな? なんの話がいい?」

 

 にやにやしながら、アクアの顔を覗き上げる。

 そして、その目を見て、うんうん、とうなずく。

 

「まぁ、やっぱり、そうだよね。

じゃあ、お望み通りあのお姉ちゃんのことでもね。

そう、彼女」

 

 そして、少女は両手を広げて体をくるりと一回転させる。

 

「私はね。頑張ってる子を見るのは、嫌いじゃないんだよ」

 

 そして、右手を伸ばす。その手に、一羽の烏が乗る。

 その烏を、愛おしそうに少女は撫でる。

 

「……それにしても、本当に頑張ってるよね。

素直に、好感を持つよ。

自分のことを考えず、ただひたすら、相手の為に。

無私の奉仕だよね。

……ああ、そういえば、あのお姉ちゃん、君のことを好いている子だったね」

 

 今更思いついたように、少女は述べる。

 

「だけどいくら好いている人の為とはいえ、もう、全てが遅いのにね。

得られないものは、得られないのに。

自分だって、辛いのにね。

偉いよ」

 

 そこでいったん言葉を切る。

 そして、あくまで明るく。

 アクアに確認する。

 

「……君も色々と相当だったけどさ。あのお姉ちゃん、ここまでの想いだったって、分かってた?

()()()()()……()()()()?」

 

 しばしの静寂。

 そしてそのまま少女は言葉を続ける。

 

「いや、本当に偉いよ。

自分は利用されて、搾取されて、()()()使い捨てられた側なのに。

……そんな顔しないでよ。事実なんだからさ。

ちゃんと君の期待通りに動いてくれたんだしね?」

 

 少女の声はあくまで明るく。

 ただ、その内容は、アクアに対して、何かを問い続けるものであり。

 

「……でもさ、それでも頑張るんだね。お日様みたいな明るさで、頑張るんだね。応援しちゃうかな。

感動的だよね」

 

 そして、彼女の姿勢に言及する。

 

「ああ、そっか、自称だと、『都合のいい幻想』なんだっけ?

イマジナリー? 横文字カッコイイね。もしくは冗談の積りなのかな。

そんな人は存在しない、で通しちゃいたいのかな。

中の人など居ない、ってやつかな?

そこに誰かが居て、そこに居る誰かが、君にとって、心残りになったら困る、ってね。

そういう()()()()が、何かの真実の一面、その様相を示すこともあったりするから、馬鹿にできるものでもないけどさ。

まぁ、そういう意地の張り方、張り通し方もあるんだろうさ。

悲しい意地とは思うけど」

 

 ()()、ということばを、何か忌まわしいものかのように少女は繰り返す。

 

「……本音を言うとさ、見てられないタイプの意地だよね。

あんまり好きじゃないかなぁ。

馬鹿正直に健気すぎるのも、どうかと思うんだ」

 

 

 ばさっ。

 少女の声に呼応するように烏が一斉に飛び立ち、アクアの視界が烏で埋まる。

 

 ばさばさばさばさ。

 

 耳にもひたすら烏の羽音が響く。

 

 訳の分からないままに何度か瞬くと、そこは、まったく別の光景。

 

 雨の吹き込む廃倉庫。

 そこは、あの撮影の日の撮影現場で。

 目の前には、有馬かなが居て。

 

 彼女は述べる。

 アクアの演技に感じ取れる「努力」の存在を。

 世界に立ち向かい続けてきた、その姿勢への好感を。

 それは、同じく、世界に立ち向かい続けてきた彼女だからこそ、感じられたなにかであり。

 

 やるべきことをやってきたものは、努力し、実力を積み上げてきたものは、その通りに、報われるべきだという、シンプルな願いであり。

 

 そして彼女は述べる。

 それは世界への信頼。

 世界の持つ善性への、信頼。

 


「本当に今まで辛かったけど、続けてきて良かったって思った!」


 

 だから、彼女は喜ぶ。

 彼女だけではなく、()()()()()()()()()()()を、本当に嬉しそうに喜ぶ。

 

 アクアが、彼女同様に、善性を信じて戦い続けてきたものであると()()()いるからこそ。

 

 彼女同様に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と信じられたからこそ。

 

 ()()()()()()()()()()、と信じたからこそ。

 


「アンタがこの仕事続けてるって分かっただけで、私嬉しかった」

 

「こんな前も後ろも真っ暗な世界で、一緒にもがいていた奴が居たんだって分かって、……それだけで十分」


 

 そう、アクアに向けて、微笑んで。

 

 そうなのだ。初めから、彼女のその喜びは、アクアに向けられたものでもあったのだ。

 

 

 ──彼女はさ。

 

 どこかから、少女の声が響く。

 本気で()()って思ってたんだよね。

 それは世界の善性への信頼であり、なによりも、君の善性への信頼。

 いろんなものを諦めて、諦めて、諦めて。

 それでも、大切にしているものだけは、何とか守ろうとしていた彼女としての、君への信頼。

 

 だからこそ、君は耐えられなかったんでしょ?

 

 そんな彼女が悪意で汚されてしまうことが。

 世界に善性など存在しない、という悪意で、彼女が終わらされてしまうことが。

 

 そして、彼女の信頼の値する程の善性を、君自身が持っていると、自分を信じられなかったことが。

 

 そもそも、あの日、はじめから、君は彼女をただ利用していただけだった、ということが。

 

 君は、彼女をただ汚すだけの存在だったということが。

 

 だから「無茶苦茶」をやったんでしょ?

 

 ……まぁ、それが彼女を救うことになって。

 あと一歩で、本当にすべてが終わってしまう筈だった彼女を救うことになって。

 そして、彼女にとっての君という存在の意味があきらかになり。

 結果、彼女はあの場で汚されず、救済が果たされた代わりに、()()()()君に奪われることになるんだから、君は本当に罪な男だよ。ふふ。

 あ、皮肉じゃないからね?

 でも、あれだね。何かには、何かの代償を要求する、どこぞの悪魔さんも思い出しちゃうね。

 果たして彼女の体は奪われ、その心は君の元に永遠に留め置かれる。

 それが悪魔(メフィストフェレス)の流儀なら、ちゃんと履行しないとね?

 

 

 身も心も。

 その意味するところは、アクアにとってあまりにも明白で

 少女の声が響き続ける。

 それは、アクアには、拒絶も、反論もできない、()()()()()であり。

 

 ……君にとっては、これは敗戦処理なんだ。

 所詮、戦いは、終わってしまった。

 君の望むかたちとは、違うかたちで。

 そして多分、本来、神様が、世界が予定していたかたちとは、違うかたちで。

 ()()()()()()()()

 求めていた結果は、得られなかったんだから。

 まぁ、それが得られた所で、皆、喜ばなかった気もするけどね。

 だからもう、色々と変わっちゃってるんだよ、きっと。

 本来君がやろうとしていたこと。

 やるはずだったこと。

 そのあと、そうなる筈だったこと。

 それらは全て、もう、違う話になった。

 どこかの君なら、うまくいったのかもね。

 でも、今は、そして君はそうじゃないから。

 そうじゃないなりに、やっていかないと。

 

 結局、訳の分からない偶然と、訳の分からない星のめぐり合わせと、訳の分からない辻褄合わせの結果、こんなことになっちゃったんだろうね。

 まぁ、あれだよ。どこかで無理を押し通そうとすれば、こういう()()が起こることだって、きっとあるんだろうさ。

 運が悪かったね。

 ……いや、君にとってはそうでも……うん、さすがにこれは言っちゃダメかな。

 

 ……まぁ、だとしても、やるべきことはあるんだろうけどさ。

 君や、君の妹が、神様が喜ぶようなことを続けられるように、ね。

 

 そして、もう、事が終わっちゃった以上、本質的にそこに残るのは些末ななにか。

 誰も注目しない、誰にとっても意味を持たない、取るに足らない日々の風景。

 

 ……だから、あのお姉ちゃんがやってることは、他のひとから見れば、どうあっても、その程度のことなんだ。ただの後始末、ううん、後片付け。

 君個人にとって、だけの、かも。

 あー、でも、それがずっと続くとしたら。永遠に続くとしたら、それは後片付け、にはならないのかな。

 本人にとって、幸せならいいのかな。

 永遠の命と、永遠の後片づけ。どうなんだろう。

 

 ……君は、どう思うかな?

 

 まぁ、神様が喜ぶのなら、それもありなのかな。

 とにかく、そういうことなのに、ね。

 

 色々と、遣る瀬の無い話だと思うよ?

 ……あのお姉ちゃんにもさ、ちょっとだけ同情してあげる。

 ついでにちょっと応援もしちゃうよ。

 ホントにただの応援だけだけどね。

 

 ……でもさ、あのお姉ちゃん、結構、辛そうな本音が漏れちゃってるよね。

 

 "幻"をひたすら自称する彼女の語り。

 


『あー、そもそもね……この結果は、()()()()()のよ。少なくともアンタより、私の方が、いろんな意味でダメージ少ないんだから。こうなったのがアンタだったら……さっき言った通り、その時点で効率良く3KILLよ? 違うのよ、私とは』

 

 

『私は良かったと思っている。結果として、アンタの盾になれて。身代わりになれて。まぁ、勿論、これでもB小町のセンターだったから、ね。だから、ファンの皆さんには本当に申し訳なく思ってる。これは、応援してくれてた人たちには、決して見せたくはなかったことだから。……でもやっぱり、全体としては不幸の少ない結果になってると思うの。少なくとも、私や、アンタの身近な人々にとってはね』


 

 気が付くと、アクアは、海岸を望む高台に立っていた。

 覚えがある。

 『疫病神』と一度邂逅を果たした場所。

 

 その時のように、振り向くと、少女がそこに居た。

 

 少女は、何かを揶揄するように、言う。

 

「『良かったと思っている』?

『私の方が、いろんな意味でダメージ少ない』?

あのお姉ちゃんの考えでは、というか、あのお姉ちゃんの認識では、あのお姉ちゃんには、悲しむ人が少ないって意味だよね。

もしくは、世の中への影響、とまで読み替えてもよいのかな」

 

 それは、有馬かなの「健気さ」を揶揄するようでもあり。

 もしくは、そのような在り方を許してしまっている世界を揶揄するようでもあり。

 あるいは、そのすべてを許容してしまった、アクアを揶揄しているのかも知れなかった。

 

 少女は、少しだけ暗質の表情にも思える何かのような笑顔を浮かべて、続ける。

 

「そういえばさ。あのお姉ちゃん、子供の頃、()()あったんだっけね。演技の道を目指した時、最初は母親がかかわってたんだそうだね。どちらかといえば、母親の、あまりまともではない感じの欲がきっかけ、だったんだっけ。そして、その後、ね。()()()()()()あって、結果、ずーっと一人だったんだっけ。

出前で食事はまかなえるから問題ない? 今の世の中は便利なんだねぇ。

そうだね、問題は無かっただろうね。

世は全てことも無し」

 

 アクアの顔を、覗き込む。

 

「……こうなっちゃったとき。その情報が伝わったとき。そういったひとたちは、どんな反応をしたんだろうね。

どれくらいの真摯な反応をしたのかな。

あー、そっか、とりわけ、権利のある人は、まずあのお姉ちゃんの資産に目が行ったのかも。

頑張って堅実に蓄財してたんだもんね。そりゃ、苦労無く横取りできるなら、横取りしたいよねぇ。

臨時収入おめでとう。

そっか、まぁ、これも真摯な反応だよね。

最後にちゃんと親の役に立ってくれた孝行娘だねぇ。

……違う違う、想像で語ってるんだよ? そうそう、私は知らない知らない。何にも知らない。本当本当。

あ、そっか、君も多少は色々見てたんだっけ?

まぁ、じゃあ見た分はその通りなんじゃない? 良くわからないけど」

 

 ばさばさばばさ。

 周囲から、再び烏が少女の周りに降り立つ。

 そして、そのうちの一羽が、少女の肩にとまる。

 よく見ると、その烏は封筒のような何かを咥えている。

 烏のサイズに比べて大きめのその封筒を、少しだけよろよろしながら、少女に差し出す。

 

「おや、これはなにかな。あー、うん、ありがとうね。重かったでしょ?」

 

 少女はそれを受け取り、こちらにひらひらとやってみせる。

 

「何だろうね? 何だと思う?」

 

 それは、アクアにも見覚えがあるものだった。

 良い印象のあるものではなかった。

 アクアの反応を見て、少女は小さく笑い、その封をぺりぺりと破る。

 

 そう、アクアには覚えがある。

 

 それは、かの日からあまり日数の経過を俟たずに、事務所に届いた一通の手紙。

 本来は、有馬かなの存在のありようを強く気にする筈だった、関係者から届いた一通の手紙。

 有馬かなではなく、有馬かなに属するものについての関心しか示していなかった一通の手紙。

 ルビーは明らかな怒りを示し。

 ミヤコはどこかあきらめのような、しかし同時に強い嫌悪を伺わせる表情を浮かべ。

 MEMはまるで信じられないものを見るかのように、ただそれを眺め。

 

 その手紙。

 

 少女はとても興味深そうに、それをぱらぱらとみる。

 

 そして、笑みを浮かべる。

 

()()()()ねぇ」

 

 そしてもう一度手紙をめくり直す。

 

「有馬かな、という名前の知的財産。悲劇によりさらに価値が高まった財産。ひと、ではなく、財産。確かに財産だ。名前だって財産だよね。そりゃそうだ。有馬かながかかわってきたもの。有馬かなが生み出してきたもの。……君にとっては、有馬かなは有馬かなだからこそ、本当に大事なものだよねぇ。ただ、それを別の目で見るひともいる訳だ。せめて、君の事務所がちゃんとしててよかったね、と言うべきかな?」

 

 少女は、手紙に、ふぅ、と息を吹きかける。

 すると、手紙と封筒は、一気にぼうっ、と赤い炎に包まれる。

 少女はそれをそのまま放る。風の中にそれらは舞い上がり、燃え上がり、消えてゆく。

 

「さすがにこれを、()()に残すのは君に悪いからねぇ」

 

 少女としても、それが、()()()()()()()である、という認識があるようだった。

 

 少女は、アクアに向き直る。

 

「まぁ、さ。君のことでも、君の妹のことでもないから、あんまり興味もないけれども。

だから実際の所は知らないことになってる訳だけど

とにかく、さ……泣いてくれる人は少ないし……、いや、それよりも、なによりも。

泣いてくれる人が居たとしても、君とどちらか、と言われたら君を取る人が多いって意味だよね」

 

 少女の語りは続く。

 

「結局さ、あの()()()()()()()()だと、君をあのお姉ちゃんより優先する人が多いって話だよね。

っていうか身近な人、それがほぼ全員そうだって言っちゃってるよね。

君には生きていて貰った方が良い。

その過程で発生する割合ダメージは、まぁ、しょうがないよね、ってね。

片方に割を食ってもらうのは、まぁ、後味悪いけど、でも、選ばないわけでもない、という感じかな。

それが本当に正しいかどうかは別に、だけどね。

とにかく、あんまり楽しく口にする言葉じゃないよねぇ。

特にダメージ担当さんご本人は。

さびしー」

 

 少しだけふざけたようにそう言ってから、少女はアクアを見る。

 そして、真顔で付け足す。

 

「いや、本当に寂しいと思うよ」

 

 烏が何羽か、かぁ、かぁ、と泣く。

 それは少女に同意を示しているようでもあり。

 

 少女は、アクアに微笑みかける。

 

「……そして、この優先順位を唯一本心から否定したのが君って訳だ。

あのお姉ちゃんの存在を、それだけ大きなものだって言ってくれてる訳だ。

それこそ、自分自身より大きいってね。

それも恥ずかしげもなく本人の目の前で目の前で堂々と。

うーん、これはあのお姉ちゃんには、嬉しいだろうねぇ。

わりと本気で泣けるやつだよ、これ。

お姉ちゃん良かったね、ってなっちゃう」

 

 そして、いくらか暗くなった声で、続ける。

 

「多分、これから、色々大変だろうね」

 

 それは、どこか同情が籠っているようでもいて。

 

「君が、復讐に向いてなかったように。

あのお姉ちゃんも、きっとこういうこと、向いてないんだよ。

でも、君が巻き込んじゃったんだし、しょうがないか」

 

 アクアは、少女を見た。

 少女はただ、笑う。

 

「そ。全ては君の行いの結果だから。

あのお姉ちゃんが君に惹かれたのも。そして、今こうなってしまったのも。その上で、尚、君を慕っているのも」

 

 ひとつひとつ、数え上げるように少女は続ける。

 

「そこは、ちゃんと認識しないとね。

そうだよ、全部君だよ。

そこは、君だ。

君なんだ」

 

 そこまで言ってから、少女は何故か苦笑する。

 

「勘違いしないで欲しいだけど、これは君を責めてるわけじゃない。

むしろ、そういうのを負い目に感じるのってあのお姉ちゃん絶対嫌うし、凄く悲しむよ。

だから、やめてあげた方がいい。

これはホントにホント。

まぁ、さ。

存在しない罪を赦されて、開放される。そういう解決の仕方もあるのかもしれないけどさ。

やっぱり理由の無い自責ってのは他から見ても楽しいものじゃないしね」

 

 ゆっくりと、一歩一歩アクアに近づく。

 

「あとまぁ、信じてもらえないかもだけど、私もまぁ、君を責めようとは思ってないんだよ。

というか、まずさ、何よりも君を応援しているんだよ?

私がまず見ているのは君と、君の妹だしね」

 

 そして、どこか意味ありげに、アクアを見上げる。

 

「まぁ、さ。

そもそもあのお姉ちゃんがああなっている、一種の奇跡、それもまた、魂無き体を住みかとしている君だからこそ成しえた何か、なのかもしれないけどさ。

案外こういうこと自体は、結構たまにあることなのかもだけどね」

 

 そして、少女は遠くの夕日をまぶしそうに見やる。

 アクアも釣られて夕日に目をやった。

 海岸線の果てで、夕日がゆっくりと沈む。

 

 アクアの耳に、囁くような少女の声が響く。

 

「たださ、どうせなら、知っておいてあげて欲しいんだ。

君があのお姉ちゃんと出会って。それは、あのお姉ちゃんの中では凄い重要イベントになっちゃって。

そして、君は、再会した後もあのお姉ちゃんに、とても大きなことをしてあげて。

今に至りました、ってね。過去形だけど。

ただ……そのことは、知ってあげて欲しいとは思うんだ。

身も心も奪っちゃったっていうのなら、その悪魔さんなりの責務、みたいな?

なんというか、さ。

あんまりやりきれないのも、その、ね」

 

 どこか迷うような言い回しだった。

 

 

「……多分、これから色々なことが起こって、きっと色々大変になると思うよ。

結構、大変になると思うよ。

意地悪な予言みたいなことは、したくないんだけどね」

 

 アクアは、その不穏な言葉に振り向いた。

 少女は、表情を消した顔で、続ける。

 

「──あのお姉ちゃん、頑張るつもりなら……頑張らないとね。

めでたしめでたし、で締めても物語はやっぱり続く。

だったら、その続きの為に。

……でも、頑張れるのかな。

頑張れなければ…きっと『そういうこと』に、なるよね。

でも、なるようにしか、ならないよね」

 

 アクアに、その意味するところを確認するかように、そう述べる。

 

「分かるかな。

どういうかたちになるにせよ、そうなるんだったら。

だから……せめて、ね」

 

 そこまで言って、少女はぱんっ、と両手を鳴らす。

 

「まぁ、あれかな。

なんというか、さ」

 

 急に朗らかなな口調になる。

 

「あまり楽しくない話にはしないでよね。私にとって、さ。

あんまり私は『願う』って単語は()()()()()()()から、あまり使いたくないんだけど。

あえて云えば、ちゃんと、そういう話にならないことを願うよ。

せっかくあのお姉ちゃん、頑張ってるからねぇ」

 

 かぁ、かぁ、と何羽かの烏が声を合わせて鳴く。少女はそれを見て、うんうん、そうだよねぇ、と烏達に語り掛ける。

 

「こういっちゃ何だけど、気持ちの良くない話なんて、それこそ鬼のように見てきてるからね。

少しばかり飽き飽きしてるんだ。

予定調和ばかりが神様の考える結末なのか、どうなのか」

 

 そして、少女はそっ、アクアの服を掴んだ。

 急なことに、アクアは、反応も出来ず、ただ少女を見下ろす。

 

「そして、君へのお願いでもある。

頼むから、楽しくない話にはしないでよね」

 

 その声には、何か真摯なものが含まれているようでもあった。

 

「三文芝居だって、茶番劇だっていい。

楽しくない話には、しないでよね。

どっちにしろ、もう、色々とつまらない話になっちゃってるからね、今は」

 

 そして、何か己に皮肉を感じているかのように、笑う。

 

「ふふ、これはホントの『お願い』。

そうだね、心からの、真剣なお願いってやつでもいいよ。

私だって、どうせなら、()()()()()めでたしめでたし、って言いたいんだよ」

 

 気持ちよく、という言葉をさも重要なものであるかのように、少女はそう言った。

 

「あのお姉ちゃん、その辺の覚悟は決まっちゃってるからさ。

ちゃんとその覚悟が良い方向に繋がると、良いよね。

君から拒まれない限り、どこまでも頑張ると思うよ。あのお姉ちゃん。

君から拒まれない限り、ね」

 

 烏が一斉に鳴き始める。

 今までとは違う調子。

 ぎゃあぎゃあ。

 ぎゃあぎゃあぎゃあ。

 飛び立つ。

 羽音。

 ばたばたとアクアの体にも、何羽もの烏がぶつかる。

 アクアは思わず、両腕で顔を覆った。

 

 視界の端で、少女が笑う。

 

「まぁいいや。

ねぇ、また話そ?

見物料位は払うから、さ。

私は案外義理堅いんだよ?」

 

 気がつくと、少女も、カラスも掻き消え。

 

 アクアは、西日の差す廃倉庫に一人立っていることに気づく。

 

 そして、耳には、ただ、少女の声が響き続けていた。

 

 

 

 君はさ。

 彼女に願いをぶつけてここまで来た。

 

 ……なら、さ。

 

 

 ねぇ、君は。

 有馬かなを、ちゃんと見ていてあげられるのかな。

 

 

 

 




いつも評価、感想、大変有難う御座います。大変励みになっております。
次回、第6話『ルビー』お楽しみ頂けますと幸いです。

尚、現在並行して第0話『有馬かなが刺された日』も作成準備しております。

おそらく次回の更新は0話が先になるものと思います。お楽しみ頂けますと幸いです。


(補足:表現がいくつか伝わりにくい部分があったかと思ったので、微調整してます。
本質的な流れはそのままです。)


(引用文元及び参考資料)
「善の研究」岩波文庫、岩波書店https://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/946_74853.html

日本書紀
日本書紀 https://www.seisaku.bz/shoki_index.html
神話にみる「芸能の力」 山梨大学教育人間科学部紀要
https://yamanashi.repo.nii.ac.jp/records/1296
アメノウズメの<神がかり>・<わざをき> : 天岩戸と天孫降臨
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390001205781331456

烏について
https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/nature/animals_plants/crow/difference.html
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