有馬かなが刺された世界(そして前向きイマジナリー重曹ちゃん)   作:settu

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③から続いた話となります。
ご覧頂けますと幸いです。


第0話 「有馬かなが刺された日」④ 盾

 

 

 有馬かなは、アクアの両肩を掴み、アクアを壁に押し付けて、問いかける。

 

「……アンタにはちゃんと聞きたかったこと。どうして、そこまでしてくれたの」

 

 それが、有馬かなの問い。

 

「どうして……?」

 

 アクアには、その返答は、内心としては、勿論あった。

 それが、目の前の彼女に説明できるものかどうかは別として。

 

 

 * * *

 

 それは、その理由は、一言で言えば、知ってしまったから。

 有馬かなの、彼女の戦いが、穢されるであろうことを知ってしまったから。

 自分を同志と呼んでくれた、彼女の戦いが。

 

 有馬かなが期待していた、その『舞台』にあった真実。

 

 かの『今日あま』の撮影の舞台で、アクアが復讐の為のサンプル回収という本来の目的を果たす為に撮影場を動いている際に触れてしまった真実。

 聞こえてしまった真実。

 喫煙所から聞こえた会話。

 

『かなちゃんねー 使い勝手ラクでいいよね』

『誰にでもいい感じに尻尾振ってくれるから雑に据えとくには丁度いい』

『ギャラも殆どタダ同然でネームバリュー使えるんだから得したよ』

『演技力なんて求められてないのに そこだけは分かってないみたいだけど』

 

 別のその真実自体には、怒りを感じるべきことは何もない。

 業界人は皆『仕事』としてそれをやっている。

 夢で飯は食えない。

 皆、現実的利益を得る為にそれをやっている。

 それは非難されることでもない。ただ捨て置くべき世間の事情。

 

 だが、その世間の事情で。

 とるにたらない『真実』で。

 

 有馬かなは、世界の誰にも顧みられることもなく、ただ、穢されようとしていた。

 お値打ち品のタグが張られた便利な元子役として、使い捨てられようとしていた。

 アクアの道のりを、我が事のように喜んでくれた彼女の喜びが、闇に染められようとしていた。

 

 彼女の苦闘。彼女は10年ぶりの主役、と語った。その間、彼女は信じ続けていた。諦めさえしなければ、戦い続けさえすれば、きっと世界はもう一度彼女を受け入れてくれると。

 彼女は演技の素晴らしさを信じている。

 有馬かなが演技に奉仕し続ければ。執着を続ければ。きっと世界も有馬かなに微笑んでくれる。

 何の確証も無いのに、ただ、彼女はそれを信じてた。

 何のための努力なのかわからなくなってすら、それでも、それを続けた。

 

 だが、その果てに用意されていたのは、『演技力なんか求められていない』というシンプルな回答だった。

 

 使い勝手が良い。愛想が良い。雑に使い倒せる。便利。価格もタダ同然。

 そう言われること自体は別に彼女を根本的に傷つけることは無いだろう。

 彼女もまた、演技を追い続ける中で、世の中と折り合いをつけることを学んだ存在だった。

 

 だから、それが武器になるのなら、必要とされるのなら。それこそ、それも有馬かなは受け入れるだろう。

 

 作品への要請の為、演技の技量を()()する必要があることもあるかもしれない。それだって彼女は受け入れる。それは、どんなに不本意なものであったとしても、あくまでも演技の価値を認めた上での()()なのだから。

 

 だからこそ、彼女はアクアにも『現実』を語ったのであり。

 

 だが、演技そのものの否定は。

 それは、彼女そのものの否定ですらあった。彼女の過去のすべての研鑽の否定であった。

 

 作品を良きものにする為には演技は必要。それは彼女にとっては、信仰とも言える真実。だから彼女は研鑽を積んだのであり。彼女の心の中にアクアが住み続けたのであり。アクアとの再会を喜び、また、共に作品を作ることを願ったのであり。

 だが、あの場で、その価値を、有馬かな以外は誰も信じていなかった。

 

 彼女は喜んでいた。彼女は、そして、アクアは報われるのだと。闇の中で戦った同志が、共に、報われるのだと。

 

『───だけど! ───こうやって実力が評価される時期が来たのよ!』

 

 そんな彼女の笑顔が。その純粋な喜びが。世間の事情という良くわからないもので完全に悲しみに塗り潰されようとしていた。

 

 それこそ、まだ、それが、彼女への明確な悪意でもって為されているものなら、まだ救いがあるのかも知れなかった。だが、そこにあるのは悪意ですらなかった。

 彼女はただ、たまたまそこにあった取るに足らない便利な道具として、ただ便利使いされ、使い捨てられようとしていた。

 彼女はただ、無感情に利用されていたのだった。

 

 そして、それは取るに足らないある日の出来事として、そのまま過去となるのだろう。

 本来は、結局のところは過去は過去。大した事とはならない。

 彼女にとってだって、良い舞台ではなかったね、残念だったね、で終わらせればよい。それで済ますことができるのだったら。

 

 だが、有馬かなには、それでは済むまい。

 

 自らの根本を否定されて、無事な者など居るものか。

 

 彼女は、年齢=芸歴ともいえる人生をはじめは与えられ、やがて演技の価値を知り、ついには望んで、そこにとどまり続けた存在なのだ。

 

 彼女は真実をを突きつけられるのだろう。

 哄笑されるのだろう。

 絶望させられるのだろう。

 

 彼女は、誰にも顧みられぬまま、ひっそりと終わってしまうのかもしれない。

 そして、そうなっても、きっとそのことに誰も気づかないのだろう。

 

 ただ、彼女は消えていくのだろう。

 

 アクアに、光を見せてくれた、有馬かなが。

 

 終わらされてしまう。

 

 

 

 有馬かなは、アクアを戦い続けている者と、諦めなかった者と、呼んでくれた。

 同志と呼んでくれた。

 

 だからこそ。

 

『せっかくだから無茶苦茶やって帰るか』

 

 アクアはあの日、報いようとした。

 

 あまりにも純粋過ぎた彼女に待っているものは、おそらくは、彼女が期待するものではないことがわかってしまったからこそ。

 決して彼女の望む舞台ではないであろうからこそ。

 崇高なものであるべき彼女が、その輝きが穢されることが分かってしまったからこそ。

 そこに、耐えようのない怒りを覚えたからこそ。

 せめて、アクアは、己の力の出来る限りで、報いようとした。

 

 才能が無くとも。使える物を全部使って。

 

『アイみたいになってやる』

 

 その覚悟で、アクアはそのことを為した。

 己の限界を認識しているからこそ。

 その中で、せめて、有馬かなの望みを実現することで、報いようとした。

 

 有馬かなは、アクアを同志と呼んでくれた。

 だから、せめてアクアは同志らしく、アクアの出来る力で戦ってみせた。

 冷酷なその場の事情に、抗ってみせた。

 そう、有馬かなが、闇の中でずっと抗ってきたように、アクアもまた、抗ってみせたのだ。

 有馬かなの為の舞台を作り上げてみせるというかたちで。

 

 有馬かなは演技を信じている。

 なら、演技をやればよい。

 彼女の信じる演技をやってみせればよい。

 

 こちらが出来るのは、その為の場を用意してやること。無理矢理にでも。

 

 せめて。

 彼女の主役としてのその見せ場は。

 彼女を貶めない場を用意する。

 彼女が演技をできる場を用意する。

 彼女が信じているものを行える場を。

 

 それが彼女の願いであり。

 それが彼女に与えられるべきものの筈だから。

 

 だからアクアは『闇』を演出した。

 

『お前なんて誰にも必要とされてない』

『身の程わきまえて生きろよ』

『夢見てんじゃねえよ』

『この先もろくな事はない』

『お前の人生は真っ暗闇だ』

 

 アクアが投げかけた言葉。

 

 それは、有馬かながずっと抗い続けていた『闇』であり。

 アクア自身もまた苦闘し続けてきた『闇』である。

 

 その、『闇』を、最高の舞台装置として。彼女の戦うべき運命として、彼女の前に出現させる。

 

 アクアは、そうすることで、有馬かなに、(むく)いようとしたのだ。

 

『本気でやってみろよ有馬かな』

 

 そう、有馬かなに呼びかけることで。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「嬉しかったのよ」

 有馬かなはぽつりと言った。

「嬉しかったの。私は、救われたのよ、あの時」

 有馬かなは、ただ、アクアの両肩を掴んだまま、じっとアクアの目を見る。

「すべてが闇で。最悪で。そんな中でも……」

 有馬かなは、かのドラマのセリフを繰り返した。

 

 それでも、光はあるから。

 

 そう嬉しそうに語る有馬かなの姿は、アクアには、どこか、当時の姿に被って見えて。

「……それを、アンタが教えてくれた」

 そして、有馬かなは、とても悲しそうに言った。

「それも、価値の無かったことだったと、アンタは言うの?」

 

 

 * * *

 

 

 アクアがあの日、やったこと。

 

 だが、それが、彼女にとっても何かの価値を持つものだったというのか。

 

 そこの真実はアクアにはわからない。

 

 ただ、多分そこにあった何かが、有馬かなにとってのアクアの認識を深めたものとなったことは、アクアにもわかった。

 有馬かなは、アクアを覚えていた。

 アクアに期待しているものもあった。

 だが、それらとは別の何かのかたちで、あの日、有馬かなのアクアへの想いは更新されたのだ。

 だからこそ、新生B小町がJIFに向けて訓練する日々の中で、ある意味、どこか微笑ましい痴話喧嘩染みたあれこれが発生した訳で。

 

 しかしそのことは、アクア自身にとっては何の意味も持たないものであるべきだった。

 アクアは、返報性を求めない。

 復讐に駆られるような己は、返報に値する価値を持たないから。

 だとすれば、ただ、アクアの人格そのものに対する好意は、尚更受けるに値しない。

 

 アクアは、有馬かなの中に何かを見た。

 そこに価値を見た。

 そのような価値ある女性と信じたからこそ。

 

 アクアは、己はその視線が向けられる価値がないものと規定した。

 

『俺にはあのまっすぐな視線を向けられる資格なんて無い』

 

『地獄に落ちようとしている俺に もうこれ以上関わるべきじゃない』

 

 そして、その判断は、今もなお揺らいではいない。

 

 

 

 だからこそ。

 今なお、アクア自身は、有馬かなの言葉を受けられる存在とは決して思っていなかった。

 どのようなかたちであれ。

 アクアは、物事をそのように収めるつもりだった。

 

 

 

 * * *

 

 

「それがお前の役に立ったって言うのなら、そういう意味での価値はあったんだろう。でも、それまでだ。そのことに、お前が感情的にこだわる理由は、何もない」

 アクアは、静かに言った。

「どうして」

「俺には、その資格が無いからだ」

「資格」

 有馬かなはアクアの言葉を繰り返した。

「誰かが、誰かに何かの気持ちを持つことに、持たれることに、資格などというものは必要なのかしら」

 

 

 

 * * *

 

 

 有馬かなは、いわばアクアとは真逆の事を言っていた。

 アクアが有馬かなに見たもの。そして、有馬かながアクアに見たもの。

 真逆の構造。

 

 アクアとて、わかっていない訳ではない。

 有馬かなが、己にどのような視線を向けているのか。

 どのような想いを向けているのか。

 

 むしろ、わかってしまうからこそ、認めるわけにはいかない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 その想いを自分自身が受け入れるべきではない。

 

 それは、正しいかたちではないから。

 有馬かなが、罪びとである己にそのような視線を向けるのは、正しいことではないから。

 認めてしまえば。

 己が、彼女を求めることと同様に、彼女が、己を求めることに理由があると認めてしまえば。

 己が、自分を保てなくなる。

 それは、アクア自身が、許されざる一線を越えることを意味していた。

 

 そうなのだ。

 確かにアクアの中には、有馬かなに対するある種の強い感情がある。

 アクアが、有馬かなの中に何かを見たからこそ、そこにある彼女の真実に惚れ込み、生まれた感情がある。

 

 しかも、それは、復讐者としての過去からの生を積んできた己ではなく。

 ただの、今の生を生きるだけの、取るにたらないアクアとしての好意。

 ごく普通の、極めて軽薄な感情。

 それを恋愛感情と表現すべきものかどうかはアクアにはわからない。

 

 アクアは、有馬かなに、光を見た。

 そして、ただ、それに、想いを寄せた。

 

 もし、それが恋愛感情であるのなら、言ってみればそれは、若者が気になる異性に恋焦がれる程度の、きわめて単純な感情。

 シンプルな、取るに足らない恋。

 

 それが、何か複雑な事情を持った転生者としてではなく、また、母の敵討ちに心血を注ぐ復讐者としてでもなく、ただのごく普通の若者としての、()()()()()()()好意。

 

 とにかく、何かの飾ったものではない、運命的な何かを結び付けたものでもない、極めて素朴な感情。

 

 だからこそ、決して認められない。

 それこそ、決して許されない感情。

 罪びとであるアクア自身に、そのような()()()()()を持つことなど許されてはいけないからだ。

 己の気持ちを自由にすることは、決して。

 

 もし認めてしまえば、アクアは、有馬かなを穢さずにいることが出来なくなる。

 間違いなく、有馬かなを貶めてしまう。有馬かなの心も、そして、身体も。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 有馬かなは、アクアの両肩を掴んでいたその両手をゆるめる。

 そして、ただ、アクアに体を寄せ、顔を押し付ける。

「有馬……」

 彼女の体温を感じる。

 有馬かなは、さらに、アクアの背中に、両手を回した。静かな抱擁。

 アクアは動けない。ただ、その内心は強く動揺していた。

 ただ、己に体を押し付けてきた、彼女を見下ろす。

 ああ、こいつは、小さいな。

 そんな愛おしさを感じながら。

 

 有馬かなは続ける。

「色々あった。本当に色々あったわ。でもね、頑張ってこれたのは。本当に、本当に価値の無い私が、頑張ってこれたのは。アンタに、『光があった』からなのよ」

「……待ってくれ」

 アクアは言った。

「違うだろ。お前は」

「何が、違うの」

 有馬かなの問いかけ。アクアは説明しなければいけない。有馬かなは、アクアの助力があろうとなかろうと、『頑張れる』存在であることを。

 だから、アクアは言う。結局アクアは有馬かなを、どう見てるのかを。

 

「有馬は、強いだろ。……初めから、強かっただろ、ずっと」

 

 それが、アクアが、有馬に見ていたもの。

 強さ。

 決して折れない強さ。

 それこそが、光。

 

「芸能界で……どんな評判を受けても、叩かれても、馬鹿にされても、そこに居て……戦い続けた、お前は……。ただ、演技をしたいから、そこに居続けた、お前は……」

 

「……違うわ」

 

 有馬かなは首を振った。

 

「私は、強くはない」

 

 その声は、とても悲し気で。

 

「私はね。初めから弱かったのよ。確かに芸能界にはなんとかしがみついていたわ。演技も続けていた。でも弱さはそのまま。だから、いつも、恐れて。人が離れることを恐れて。必要とされなくなることを恐れて。それで、ずっと自分の心に閉じこもっていた。……それに、さ」

 

 そして有馬かなは、絞り出すような声で、言った。

 

「強い人間は、逃げ出したりしない」

 

 有馬かなは、それだけを言った。

 だが。

 ただ、それだけで、アクアは、有馬かなが何を言っているのか、理解した。

 日頃、所々で感じていた違和感。

 有馬かなのセリフの端々に感じていた違和感。

 疑問。

 何かの、ひっかかり。

 何故、彼女が、『卒業』を選択したのか。

 

 氷解する。

 

 多分、その感情は。

 有馬かなを結局その行動に走らせたものは。

 その、決して前向きなものではない、人に誇れるようなものではない、その感情は。

 多分、アクアには、その感情に名前をつけるのは、とても憚られるなにかで。

 それを、そのように呼ぶことは、とても、抵抗を感じるものだけど。

 でも、きっと、そのような逃げこそが、有馬かなへの侮辱で。

 

 それを、名付けるなら。

 

 嫉妬。

 

 つまり、そういうことなのだった。

 

「居続けられなかったのよ、私は。分かるかしら。猶更、アンタの言う強さとは相反する」

 

 有馬かなの言葉。

 彼女が言わんとしていること。

 だからこそ、むしろ彼女をただ強いというのは、どこか彼女を責め立てる言葉になりかねないもので。

 

「すまない」

 

 アクアはただ、それだけを言った。

 それは、何に対する謝罪なのか。

 有馬かなを偶像(アイドル)の世界に引き込んだことへの、か。

 引き込んでおきながら、結局はただ利用しただけだったことへの、か。

 有馬かなを拒絶し、彼女をある種の事態に追い込んでしまったことへの、か。

 それとも、この、今、今日の、彼女の感情に気づけなかったことへの、か。

 

 アクア自身にすら、それがはっきりとは分からない。

 でも、多分、そのすべてへ、なのだろう。

 

「アンタに謝られる覚えはない」

 

 有馬かなは言った。

 

「私は結局そういう人間なのよ。卑屈で、性格が悪くて、他者への下劣な感情も抑えられない。だから、逃げ出した」

 

 有馬かなにとっての本分は、間違いなく役者であり、演技の道だろう。

 だからこそ、それを理由にして『逃げ』の選択も取れた。

 それでも、本来、彼女自身偶像(アイドル)としての仕事に真剣に挑み、また、楽しんでいた部分もあった筈で。

 真摯に挑んでいた部分もあった筈で。

 それこそ、それは彼女にとっても新たな居場所であった筈で。

 人との繋がりにとても重きを置く彼女にとり、仲間との日々、というのはきっととても貴重なものだった筈で。

 だが、その中で生まれた嫉妬は、結局制御できるものではなく。

 

 

「やっぱり強いよ、有馬は」

 

 アクアは小さく言った。

 

「お前は自分の感情を認めている。認めてなお、立っている。明日に向かっている。それが強さじゃなくてなんなんだ」

 

 決してそこに言い訳はしないひたむきさ。

 彼女から明かされた真実は、結局はアクアにはまた、輝いて見えて。

 

「だから……、俺とは違うんだ」

 

「アンタさ、その辺り、何気に強情よね」

 

 有馬かなが、アクアを見上げる。そして、苦笑した。

 

「アンタは私を強い、強いっていうけれども。あの『今日あま』のあの日、私は本当に折れるところだった。長年頑張ってきて、でも、とうとう折れるところだった。でも、そこで……、私を救ったのは、間違いなく……、()()なのよ」

 

 そう懐かしむように言う。

 

「その後も、いつも、私は貴方に救われていた」

 

 有馬かなが何を言っているのかは分かる。

 だが、それをアクアは受け入れることはできない。

 

 アクアは黙っていた。

 

 有馬かなも沈黙する。

 

 要は、アクアは、有馬かなの中に救いを見た。

 有馬かなは、アクアの中に救いを見た。

 

 だが、互いに、己の価値は、認めようとしない。

 互いをどこまでも理想化しつつ、自分は価値の無いものとする。

 それが、ずっと二人の関係性をどこか形作っていたものだった。

 

「じゃあ、さ」

 

 突然、有馬かなが言った。

 どこかいたずらっぽく笑う。

 

「互いに価値がないというのはどうかしら」

 

「……互いに?」

 

「そうよー」

 

 有馬かなは笑う。

 

「私は自分に価値が無いことは受け入れられる。アンタはその逆。じゃあ、互いに認めちゃいましょう。こういうのは相互理解が大切よね。だったら、互いに価値が無い」

 

「酷い相互理解だ」

 

 アクアも、何故か笑ってしまった。

 

 馬鹿馬鹿しい解決法だ。

 

「笑うのは良いけど返事はどうなのよ」

 

「いや、すまん」

 

 だが、その気づきは、アクアにとって一つの救いになるかもしれないものだった。

 もし、このまま、日々を、時間を過ごすことができたら。

 せめて、今、このひととき、その気づきについて話し合うことが出来たなら。

 アクアは、まったく新しい気づきが得られたかもしれなかった。

 自分を、許せたかも知れなかった。

 そもそも、自分は価値の無いくだらない人間である。

 だったら、()()()()()()()

 そのことを、誰かが認めてくれるのなら。

 ()()()()()()()()()()、取るに足らない人間だと、誰かが認めてくれるのなら。

 しかも、その相手もまた、自分同様、価値の無い人間だというのなら。

 

 ……だが、結局その気づきは、そこまでのものとなった。

 

 直後、それは起った。

 

 がたり。

 

 その時、小さな音がした。

 

 会話に専心していたために、気づくのが遅れた二人は、その時、初めて暗がりの中で誰かが近づいてきていたのに気づいた。

 その手には、光る刃。

 

 その誰かは、こちらに向かって、それを突き出してきた。

 

 そもそも、その誰かが、いったい何の目的でそれをやってきたのか。

 どうして、その人物はそこに現れたのか。

 どうやって、そこに入り込んだのか。

 その誰かの攻撃対象は、アクアだったのか。有馬かなだったのか。

 あるいは、そもそも、どちらでも良かったのか。

 

 そもそも、その意図は、今日のこの今のタイミングでは理解の難しいその悪意は、いつ定められたのか。

 既に終わってしまったいくつかの事象のなかで、その企みが生まれたのか。

 過去に設定された時限爆弾が、いまになってついに発動したということなのか。

 

 やがて、それは、しかるべき機関によって、しかるべきかたちで分析され、捜査され、その真実が確認されるのかもしれない。

 けれども、当然、その場のアクアにそれは分からないし、意味の無いことだった。

 

 アクアに分かるのは。

 

 それは、かつて見た何かを思い起こさせるもので。

 

 アクアは瞬時、それに反応しようとした。まずは、有馬かなを守ることが、最優先だった。だから、ただ、彼女の前に行こうとした。

 ただ、有馬かなの抱擁を受け、言葉を受け。その精神を乱されていたアクアは、ほんの一瞬反応が遅れた。

 アクアの視線の端に、有馬かなが居た。

 一瞬、彼女と眼が合う。

 

 彼女の眼は語る。

 

 本当に価値が無いのは、私。

 だから、私がこうするのが、正しいの。

 私には……せめて、盾として。

 価値を持たせて頂戴。

 

 アクアもまたその刹那に眼で訴える。

 

 さっき言ったばかりだろ。

 互いに価値がない。それで良かったんだろ。

 だったらそこでカッコつけるのは、おかしいだろ。

 

 直後、彼女の眼は、僅かに別の色を帯びる。

 それは、どこか、楽し気で。

 

 ごめんなさい。

 多分、それも正確じゃないわね。

 価値なんか、関係ないわよね。

 ただ、私は、これを()()()()のよ。

 

 視線が外れる。

 

 そして、アクアが制止する間もなく。

 彼女は、アクアの前に。

 そして、その刃を。

 

 それは、とてもゆっくりに見えた。

 

 有馬かなは、その迅速な身のこなしで、確実にアクアと、その不審者の間に立った。体を回転させ、なるべく広い面積を、アクアと、不審者の間に、作ろうとする。

 それは、とても、凛々しい動きで。

 多分、それは、有馬かなにとっての『演りたい演技』。

 

 アクアはかつて、有馬かなに、本気でやってみろよ、と()()()

 演りたい演技をやれ、と()()()

 

 

 そう、アクアは、有馬かなに言ったのだ。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 そう、言ったのだ。

 

 

 だから、有馬かなは、やってみせた。

 一世一代の、愛するひとの盾となる演技を。

 愛するひとの、目の前で。

 

 その動きは。壮麗で。決意に満ちて。でも、アクアにはなんだか、場違いな迄に可憐に見えた。

 

 彼女の動きは、語っていた。

 こういうのもの、カッコイイでしょ?

 とても、誇らしく、かつ、嬉しそうに。

 

 アクアの眼の前で。突き出された刃は。とてもゆっくりと有馬かなの体に、その腹部に触れたように見えた。そして、そのまま、彼女の体にぐずり、と潜り込んでいった。

 

 かつて見た、あの日の光景のように。

 

 

(第0話 「有馬かなが刺された日」⑤ に続く)




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