女たちは言う。イケメン、美男子、美青年と。しかし、俺に相応しい呼び名があるならそれは……   作:でぃくし

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稲妻よりも迅いもの

「行くぞ!」

「はい!」

 

掛け声と共に伯父さんがたかしの懐に飛び込む。

まるで蛇のようにしなやかに、そして俊敏に、たかしの脇腹めがけて拳が突き出される。

 

しかし、伯父さんが気が付いた時、たかしはすでに拳の届かない位置にいた。

 

(……いつの間に?)

 

たかしの成長は驚異的なものだった。

 

目の前にいるはずの甥が遥か遠くに立っているように感じる。

ジャブもストレートも、フェイントを織り交ぜたコンビネーションも全てがむなしく空を切る。

 

伯父さんがマットを蹴った次の瞬間にはたかしの眼前に拳があったが、それでも数秒前から予測していたかのように紙一重の距離で回避される。タックルも苦し紛れの首相撲もあっさり外され、体捌きと読みの技術だけで勢いを殺される。

 

「くっ……」

 

伯父さんの額に汗が浮かぶ。

たかしは一切攻撃してこないが、本場の武者修行で身に付けた自慢の技の数々が次々と回避されるその衝撃は精神的にはたまったものではなかった。

 

(強い!一体どこまで強くなるんだ!?)

 

死角からの肘打ちに意識を刈り取る左フック、不意をついてのバックハンドブロー、そして猛獣の襲撃を思わせる飛び膝蹴り。そのどれもこれもが伯父さんにとっては必殺のそれだったがまるで当たらず、かすりすらしなかった。

 

──……迅い。

 

たかしの動きはまるで風だ。まったく捉えどころがない。

稲光のように打ち出される伯父さんの拳や蹴りの数々はただ空気を裂き、焼き焦がすだけにとどまった。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「あの、伯父さん、大丈夫ですか……」

 

もはや目の前にいる甥の姿は本人なのか、それとも錯覚から生み出された幻像なのかすら伯父さんにはわからない。

すでにたかしはその動きを制限するために拘束具や数々の重りを着用していたが、そんなものは最初から存在していないかのようだった。

 

「くそっ!集中しろ!」

 

伯父さんの口からついつい焦りの声が漏れ出る。

こんな風に感情的になったのは何十年ぶりだろう、彼は甥の成長に心を揺さぶられ、そして恐怖していた。

 

(……これが天才というものなのか)

 

たかしは強くなる。

もうすでに自分の技術を超え、そして想像を遥かに超える勢いで手の届かない場所へと駆け上がっていく。

 

しかし、そんなたかしの成長を伯父さんは素直に喜べなかった。

 

(……私の技術ではもう彼を強くできないだろう)

 

肩で息をするほど疲れ切ってもなお、たかしの身体に一撃も当てることが出来ずに時間だけが無情にも過ぎてゆく。

 

(このままでは彼の可能性を閉ざしてしまうかもしれない……)

 

一方のたかしは汗一つかいていなかったが、しかしそれでも彼は伯父さんに深い感謝の念を抱いていた。

 

この人に会えてよかった、と。

 

もしあの日、旅に出ようとしなければ、もしあの時、あの店に入ろうとしなければ、今ここに立ってはいられなかった。伯父さんはたかしにとって師匠であり、家族であり、親友であり、かけがえのない恩人であり、そしてヒーローだった。

 

そんなことを考えていると伯父さんの拳がぴたりと止まった。

 

「……?」

 

「これで最後にしよう」

「え?」

「私の力ではこれ以上、お前を強くできない」

 

たかしは泣きそうになった。なぜそんなことを言うのかと。

 

いくら肉体的に強くなれても、伯父さんには出来て自分には出来ないことなど無数にある。だからまだまだ教わりたいことはたくさんあったし、一緒にやりたいことも山ほどあった。

 

「お、俺はあなたから学びたいんです!もっと俺に教えてください!」

「……」

 

伯父さんはしばらく間を開けた後、口を開いた。

予想外の言葉だった。

 

「たかし、血を飲んだことはあるか?」

 

⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰

 

「……あ、ありません、けど、どういうことですか?」

 

それは伯父さんがこの数ヶ月の間に考えたことだ。

たかしを強くするためにはどうすればいいのか、どういった技術を習得させればいいのか。

 

そして彼はゆっくりと吸血鬼について語り始める。

 

「吸血鬼の話は聞いたことがあるだろう。霧に姿を変える、蝙蝠に変身する。流水を渡れない、にんにくが苦手、それから太陽の光で焼き尽くされるなどだ」

「……はい」

 

言われてみれば、子供の頃から泳ぐのが下手で、にんにくの入った料理も苦手だった。

 

そして子供の頃から頭の中が霧で覆われていて、蝙蝠のように意見をころころと変えた。それから太陽もやけに眩しく感じたし、日中に出歩くことは避けていたように思う。

 

だが、たんなる気のせいかもしれない。

 

自分が吸血鬼だという話を聞かされてから、あらためて意識し、そう感じているだけなのだろう。

 

「そのほとんどがデタラメなものだということはすでに分かっているだろうが、中にはいくつかの真実も含まれている。そういった吸血鬼としての隠された力がお前の中にはまだ残っているんだ」

「…………」

 

「焦らずお前のペースで力を身に付けていけばいい……と言うべきだろうが、半吸血鬼のお前がその種の力を自然に開花させることはまずないだろう」

「なら、俺は……」

 

伯父さんは結論を口にする。

 

「たかし、吸血鬼の血を飲め」

「吸血鬼の、血……」

 

伯父さんはわざと牙を見せびらかすように微笑んで見せる。

 

「私の血を飲んでもいい……と言いたいが、お前は嫌がるだろうな」

「え、あ……いや……」

 

いくら伯父さんの血が美味しくても、それを飲むなんてありえない。

そんなことを考えるだけで背筋がぞわぞわとした。

 

そもそもたかしには伯父さんや従姉妹のような鋭い牙がない。

 

彼は以前、自分が本当に吸血鬼なのか確かめるために自分の腕に犬歯を突き刺したことがあったが、まるで歯が立たないということがわかっただけだった。

 

「安心しろ、お前のために用意した血がある」

「……は、はい……」

 

安心しろと言われ、たかしは少し安心した。

 

(けど吸血鬼の血って言われてもな……)

 

そもそも誰の血なのだろうか。

 

たかしの知る吸血鬼と言えば、伯父さんを除いては従姉妹しかいない。まさかあの優しい従姉妹の血を飲まされるのか。

 

それを考えた瞬間、たかしの脳裏に浮かんだのは彼女の艶やかな唇と、そして真っ白なシーツの上で乱れる黒い髪だった。そのどちらもがたかしの心を妖しく惑わせる。

 

「い、いやあ……それって、どうなんでしょうか……」

 

正直、悪い気はしないが、気は進まない。

だが、これ以上の力を得るためにそうするしかないなら……。伯父さんはそんなたかしのことを察してか、苦笑いしながら言葉を続ける。

 

「用意した吸血鬼の血というのは私の妹、つまりお前の母親のものだ」

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