女たちは言う。イケメン、美男子、美青年と。しかし、俺に相応しい呼び名があるならそれは……   作:でぃくし

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あたけとたかしと月の世界

「いやー……焦ったんだけど。いきなり放置されたし」

 

疲れ果てて転がり落ちるようにテナントビルを出たあたけは、人目も気にせず大口を開けてあくびをする。

 

「でも……まあ、割り引きしてもらえてよかったな」

「まあな、お前のカットのおかげで俺まで得しちゃったよ」

 

「フッ……」

 

たかしは鼻で笑うとセットされたばかりの髪を搔き上げる。

 

あたけはたかしの神話的美貌を理解しているつもりだったが、それが人間の社会でどのように機能するのかについてはやはりまだまだ分かっていないところがあった。

 

(こいつは俺が思うよりずっと遠い世界にいるのかもしれない)

 

吸血鬼の男は先ほどの出来ごとを反芻するように心の中で呟いた。

 

「……つーかさ、お前って」

 

あたけはちらりとたかしの横顔を見やる。

たかしの美貌にはもう何も言うまいが、問題はその服装だ。

 

あたけにとってたかしの服と言えばスーツやワイシャツというイメージが強く、そしてこの日もたかしは見慣れたスーツ姿で待ち合わせ場所に現れていた。

 

「いっつもそんな格好だよな……」

「まあ……そうだな」

 

「もしかして、私服とかなかったりすんの?」

 

「ああ、トレーニング用の服以外では従姉妹にもらったセーターしかない」

「せっ!?いや困んないのかそれで……い、いや愚問か、着るものに困るなんてことないよな。お前は……」

 

そこでたかしは何か思い出したかのように顔を上げる。

 

「その点から言うとお前はずいぶんお洒落だな……髪の毛も紫色だし」

「う、うっせ……これは俺なりのこだわりだっての」

 

あたけは照れたように丸眼鏡を押し上げると、軽く咳払いをする。

 

路面には街灯の光が落ち、空には街の喧騒に負けそうなくらい薄っぺらな闇が広がりつつあった。

 

だが、たかしの周囲にはそんな街の空気ですら遠慮するくらいに華やかな空気が漂っていて、美容室から出た後からも街を行き交う人々……特に女たちの視線はチラチラとたかしに向けられ続けていた。

たかしの歩みと共にさざめくのは熱い吐息のような声、そして嘆きのような感嘆だ。

 

(まあ、俺を見ているわけじゃないのはわかってるけどさ……)

 

一緒にいるあたけはそんな空気に晒されてちょっとしたスター気分を味わうことになってしまったが、それでも悪い気はしなかった。

あたけは気をよくしたのか、へらへらと調子よく頬を緩ませる。

 

「なあ、たかし……飲みに行く前に服でも見に行くか?お前がいたらまた割引してもらえたりして、その名もイケメン割(笑)」

 

しかし一方で、たかしは街の淀んだ空気とは別の気配をすでに嗅ぎ取っていた。

 

(尾行されているな)

 

それはストーカーでもなければ追っかけでもない。明らかに殺意を孕んだ何者かによる追跡だった。

 

もっともその気配を隠せずに気取られている時点でたかしにとっては三流にすら至っていないのだが、あたけの方はと言えば追跡には気がついていないようで一つも面白くない自分の冗談の解説まで始める始末だった。

 

「なあ、聞いてるかたかし、イケメン割っていうのはだな……イケメンだと割引になるっていうシステムで(笑)」

 

たかしは目を細めてにこりと微笑む。

あたけの冗談が面白かったからではない。

 

いや、あまりの間抜けさに少し笑ってしまったのだが、それよりもこんな風に明確な敵意を向けられたことが楽しくて仕方なかったのだ。

 

「あたけ」

「え?」

 

たかしは前を向いたまま、あたけに声をかける。

 

もちろんあたけには何のことだかわからなかったが、たかしの声が裂け目の怪物を相手取る時と同じようなトーンだったため、何かよくないことが起きつつあるということだけは理解できた。

 

「な、なに?」

「どうやらつけられているらしい」

 

「……え?お前のファンに?」

「ああ、俺を捕らえて顔の皮を剥がそうというレベルの強烈な連中みたいだがな」

 

「マ、マジ……?」

「ああ」

 

あたけはゴクリと唾を飲み込む。

 

「それって……結構まずいんじゃないの?」

「ああ、かなりやばいな」

 

たかしがヤバイというのなら間違いなくヤバイのだ。

 

それでもたかしは危険な状況を楽しむかのように返すが、あたけの方はと言えば完全に腰が引けてしまっていた。

 

怯えながらもあたけは何とか思考を巡らせる。

 

「お、おい……俺、どうすれば……」

「俺から離れるな」

 

たかしはそう言うとあたけの手を取ると彼の体を引き寄せて、素早く抱えた上げた。

 

「うわあっ!!?」

 

そしてあたけを抱えたまま、たかしは人通りの少ない脇道へと飛び込んでいくとビルの壁面や街灯を足場にしてどんどんと高い位置に上がっていく。

 

たかしの腕の中、あたけが叫ぶ。

 

「たかしっ……は、速いって!やばい!落ちる!落ちるって!?」

 

あたけの丸眼鏡が落ちないようにブリッジをそっと指で支えるたかし。

 

(そういう意味じゃねえよ!)

 

そしてたかしは地上十数メートルの高さまで跳び上がると、まるでハヤブサのような速度でビルからビルへと屋上伝いに猛烈な速度で走り始めた。

 

「うぉおおぉああっ!」

 

絶叫するあたけを抱えたまま、たかしは夜の街を疾走する。

 

美青年がその友人を守ろうとお姫様だっこをしながら街を駆け抜けるその姿は、途轍もなくロマンチックなものだったが、それは常人の目ではまったく捉らえることの出来ない速度だった。

 

あたけの悲鳴を聞きながらたかしは思う。

 

(尾行は下手だが、身体能力はそこそこあるようだな)

 

たかしは楽しくて仕方がなかった。

 

彼の動きについて行ける存在など滅多にいない。

いるとすれば同族の吸血鬼か、ありちゃんのような強大な力を持った人狼、あるいはそれに準ずる異形であろう。

 

あたけを抱えたままのたかしはまだその秘められた力の数万分の一も発揮していないが、それでも本能だけで暴れる裂け目の怪物とは異なる存在が明確な目的意識を持ち自分のことを追っているという事実が嬉しかった。

 

だから彼は追跡者に対し、それ相応の『歓迎』をしてやりたいと考え始めていたのだ。

 

「つ、つーかさ!誰が追っかけてきてんの!?」

 

「さあな、一緒に奴らに聞いてみるか」

「えっ!?」

 

ほどなくして追走劇は終わる。

たかしがいきなり足を止めたからだ。

 

恐怖でその目を閉じていたあたけが恐る恐るまぶたを開くと、そこは駅前から数十キロ離れた高速道路にある高架下の小さな公園だった。

 

(ええ……マジかよ……走ってから三分も経ってなかったぞ……)

 

あたけには知るよしもないが、たかしは人間の知覚できる速度の限界を超えて移動していたのだ。

 

「ここでいいだろう」

 

たかしは無造作に公園に降り立つと、抱えていたあたけをボロボロになったパンダの遊具に乗せようとする。

 

何がいいのだろうか。

 

「や、やめろ!」

「フッ……すまんな」

 

高架下の淀んだ暗がりにはゴミが散乱し、腐った水のような臭気を放ちながら死んだように静まり返っている。

先ほどまで鬱陶しいくらいだった街の乱れた色彩と喧騒はもはや月の世界のように遠かった。

 

あたけはたかしが見つめる方向を凝視するが、自分たちを追っていたはずの追跡者の姿はどこにも見当たらない。

 

「え?いない?」

「……」

「なあ……追っかけて来た相手って以前、お前の話に出てた魔術師か何かなのか?」

「違うだろうな、何しろ……」

 

たかしはそう言いながら一歩踏み出すと、闇の覆いの向こうから、あたけの首筋を狙って放たれていた攻撃を無造作に掴みとる。

 

「魔術よりも体を使って戦うのが得意みたいだからな」

 

きりきりと弦が張り詰めるような音と共にたかしの手元に現れたのは、まるで空中を一直線に裂いたかのようなピンと張ったワイヤーだった。

 

(えっ……!?どこから……?)

 

いつの間にか自分を狙っていたワイヤーを見て驚き、そして硬直してしまうあたけ。

 

だがあたけの疑問に答える声はどこにもない。

高架下の闇は沈黙している。

 

月明かりに照らされたワイヤーに奇妙な液体が滴っているのがわかった。

 

たかしの血とは異なるものだ。その色すらも判然としなかったが、好ましい影響を及ぼさないものであろうということはあたけにもはっきりとわかった。

 

「……」

 

たかしは垂らした釣り糸のようにワイヤーを軽くたぐり寄せると、闇の中にいる相手の反応を静かに待つ。

 

しばらくすると、たかしが牙を剥き出しにして嬉しそうに笑った。

 

「力比べか」

「え……?」

 

次の瞬間、たかしの姿が霞のようにゆらりと揺らめき、辺りに微かな風が吹く。

 

これはただ単にたかしの動きが早すぎて、あたけの肉眼ではそのようにしか捉えることが出来なかっただけである。

しかし、たかしの動きがどのように見えたのであれ力比べはたかしの圧勝だった。

 

「……!?」

 

闇の向こうからくぐもったような悲鳴のような声が聞こえた直後、空気が引き裂かれるような音と共に何者かが猛烈なスピードで迫って来る。

 

そして、ずどんと鈍い衝撃音が響きわたり、たかしの目の前に叩きつけられように巨大な土砂の爆発が巻き起こった。

 

「うわあ、たかしっ!?」

「……」

 

たかしにはこれでも相手は死なないという確信があったのだろう。

土煙の中心を見つめるたかしはなんとも嬉しそうだ。

 

やがて徐々に薄れていく土煙の中から現れたのは、頭から血を流し、腕や足が奇妙な方向に折れ曲がった銀髪の女だった。

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