「あれ、上杉君?」
卒業を目前にした、とある休日でのことだった。
その日、五月は一人で外出をしていた。目的地は近所の映画館で、目当ては最近公開されたばかりの映画である。
その映画には一花が出ているのであった。
姉妹達に一緒に見に行かないかと声をかけたが、みんな用があるらしいし自分もそこそこ忙しく他の日を空けられなさそうであったため、仕方なくの一人であった。
そんな寂しい休日を過ごそうかと思ってみれば、目的地である映画館の発券機で風太郎と鉢合わせたのであった。
やや動揺気味に、声を裏ずらせて風太郎は言う。
「五月か。お前も映画か?」
「ええ、まあ。上杉君は何を見に来たのですか?」
「…………」
「上杉君?」
「……はぁ、あれだよ」
黙っている間に何度か表情を変えた風太郎。素直に答えるべきかどうか悩んだらしい。
しかしそれもわずかな間で、諦めたようにして発券機の上に飾られている広告の一つを指さした。
自分が見ようとしていた映画と同じものだった。
だとすれば目当ても自分と同じだろう。少しイタズラをしたい気分になり五月はにんまりとした笑みを浮かべた。
少しだけ、一花が風太郎と接する時の気持ちが分かった気がした。
「ふーん、もしかして一花を見に来たのですか?」
「悪いかよっ、ホテルで授業をしてた時、これのことを教えてもらったんだよ」
「いえいえ、別に悪い事ではありませんよ。私も同じものを見に来たわけですし」
「そうかよ。なら一緒に見────」
「ところで、四葉とご一緒ではないのですね? 何故でしょうかー?」
「あいつなら忙しいらしいぞ。一緒に住んでるんだし聞いてないのか?」
「残念、知ってましたか」
もしも風太郎が四葉の都合を知らずに慌てるようなら「言えないような目的なのですかー?」とからかってやるつもりだったが、空ぶってしまった。
だけどしっかりと四葉に声をかけてくれていることに、五月は逆に安心感を覚えた。
「では少しお待ちください。私もチケットを買ってしまいますので。あ、席はどちらですか?」
「ここだよ」
そう言って風太郎はチケットを見せてきた。
アルファベットと数字の羅列で示された座席の位置を、発券機のモニターでも確認する。幸い、風太郎の両隣とも空いていた。そのうちの片方の席を購入する。
会計を済ますと、チケットへ印字をする音が小さく聞こえた後にチケットが吐き出された。
チケットを受け取ると風太郎へ向き直った。
「お待たせしました」
「おう。もう開場してるみたいだし中に入っちまおうぜ」
「はい」
「なかなか面白い映画でしたね」
「そうか? 俺にはよくわからなかったが……」
映画を見終わった後、その足で二人は隣接しているレストランへ入っていた。
店に入る前、風太郎は映画を見に来ただけで余計な出費をしたくないなどとごねるものだから五月が奢ることになってしまった。
女子相手にご飯をたかる姿にはわずかながら
(我が姉の彼氏ながら情けないです)
と思ってしまったが、自分が言えば当然喧嘩になるか帰られると思ったので口には出さなかった。
そして今はご飯を食べながら感想会というわけである。
五月も風太郎もハンバーグを頼んでいた。
「そうでしたか? 分かりやすいストーリーだったと思いましたが」
「話は確かに理解できた。分からなかったのはキャラクターの行動だな」
「例えば?」
「主人公の男子高校生。何でアイツは海辺で告白する時あんなに叫んでたんだ? 恥ずかしいだろ」
「あれは自分の抑えられない恋心をできる限り分かってもらおうと勇気を振り絞った素敵なシーンです」
「それにヒロインの父親もだ。なんであんなにフレンドリーなんだよ。普通彼氏相手には警戒するもんだろ」
「それは作中でヒロインの成長を通じて、主人公の人間性の良さが垣間見えたんじゃないですか? 多分ですけど」
「お前らの父親に俺は未だに警戒心剥き出しにされてるんだが……」
「それは何か気づかない所で失敗でもしたんじゃないですか? 私も知りません」
そう言うと一瞬、風太郎が目線を逸らして気まずそうな顔をした。
ドリンクバーから注いでおいたアイスコーヒーのストローに口をつけながら、気づかない所か何か心当たりがあるな、と五月は察した。
「それと最後に一花が役をやってたヒロインの友達。アイツ最初は主人公に冷たくしてただろ? 何でヒロインと結ばれた後は当たり前みたいに親し気に接してきたんだ?」
「それは……! その、作中で描かれてませんでしたけどきっと彼のことが好きだったんじゃ、ないですか……? わかりませんけど」
話しているうちに段々恥ずかしくなってきた。
すでに風太郎との会話で察しているかもしれないが、一花が出ていた今回の映画は高校を舞台にした恋愛映画だった。
割と雰囲気でお涙頂戴をしようとしている制作側の意図が透けて見える作品なのだが、五月だって普段はあまり見ないジャンルだったので逆に分かりやすくてありがたかった。
だというのに目の前の朴念仁は自分でも理解できた話の内容を理解できなかったらしい。
どうして自分が恋愛指南よろしく、一つ一つ答えてあげないといけないのかと思い始めていた。
それに第一にだ────
「上杉君、あなた本当に四葉と付き合ってるのですか? あなただって恋する男子高校生そのものじゃないですか」
「恋するとか言うな! 恥ずかしいだろ……」
「まったく、少しはマシになったかと思いましたがあなたのノンデリカシーぶりもまだまだですね」
「ま、こんな風に話せるのはお前くらいだがな」
「え?」
ちょうど、飲んでいたアイスコーヒーがなくなってしまった。ストローが空気交じりの水滴を吸ってしまいズッ、という音がした。
けれどもストローから口を離せず、上目遣いで風太郎を見る。
彼はテーブルの上に肘をついた手の上に顎を乗せて、窓の外を見ていた。
「四葉の前じゃダセェとこ見せたくねえし、他の姉妹だって……その、色々あったろ」
「それは……はい……」
「だからあいつらとこういう話はやりづらくてな。それと比べればお前は大分話しやすい」
「────」
そう言ってから風太郎がこちらを向いた。
顎を乗せるのをやめると旧来からの気が合う友人と語り合っている時のような笑みを浮かべた。
「変だよな。俺もお前もこういう話は苦手なはずなのに話しやすいなんて思っちまうなんて」
「それは……」
正直言って、自分の内心は風太郎の言葉通りのような分かりやすい状況ではなかった。
かと言って自分でも決して、これまで彼から国語で教わった色んな語彙を駆使したとしても形容できるような気がしなかった。
ただ、だいたいの形は分かる。
(私は少し前まで彼と四葉が付き合うことにモヤモヤとしたものを感じていたけど、今は心からおめでとうと言うことができます。
今私の中にあるこの想いは、きっとモヤモヤがあったころの残滓のようなものなのでしょう)
それを表に出すつもりは今もこれからも無い。
それにモヤモヤの残滓以外にも思うところがある。だからそれを口にする。
「きっとあなたがまだまだ四葉にふさわしくない恋愛ド素人だからです」
「大分ムカつく言い方するな」
売り言葉に買い言葉。
あえて強い言い方をしてみたりしたが、案の定むっとした顔で彼はリアクションしてきた。
そんないつものような顔を合わせれば喧嘩をしてしまうのに、だけど分かっててもやってしまう自分の滑稽さにふっ、と気持ちが零れてしまった。
隠さなくても風太郎なら気づかないだろうけど、それでも自分自身少し気恥ずかしくなってしまい手にフォークを持つと、風太郎の皿へ手を伸ばして切り分けられていたハンバーグへと突き刺した。
「まあ、四葉のことならまだまだ私の方が詳しいですし、あなたに色々教えることもあるでしょうからこれは授業料としていただきます」
「あ、このやろ! ……見てろよ! お前何かに教わらなくたって、俺が一番四葉のことを詳しい男になってやる!」
「────!」
「ん、どうした?」
「あなたという人は! どうしてそう言うことを恥ずかしげもなく言えるのですか!?」
「どういうこと……あれ、もしかして俺今凄い恥ずかしいこと言ったのか……?」
「そうです! 気づくの遅いです!」
「────!」
そうしてようやく、五月よりも大分遅れて顔を赤くするなりそっぽを向くと、前髪を弄り始める風太郎。
ハンバーグが刺さったままのフォークを口を運ぶのも忘れ、そんな風太郎を見ていると逆に五月は平常心が戻ってくるのを感じた。
人が慌てていると逆に落ち着いてくるというあれである。
一つ、ため息をついた。
それからもう一度風太郎を見ると、やっぱりこの人はノンデリカシーだと再認識すると同時に、四葉を真剣に思ってくれているということも本日二度目の再認識をさせられた。
だからだろう。この人といると忙しなく変わり続ける自分の心は、今度は妙な居心地の良さというか、見守っていたい気持ちが沸きあがるのを感じながらハンバーグを口に放り込んだ。