とある休日の昼間。家には二乃一人しかいなかった。
父親はいつものこととして、姉妹の皆もそれぞれ用があるとかで出かけてしまっていた。
先日、ついに五月の進学も確定し全員が浮かれているのであった。
それまで勉強漬けになっていた分、解放されたかのような心持ちで遊び惚けていた。
二乃もその一人であり、家に残っているのも用がないわけではなくお菓子を作っている最中だった。
これから調理学校に進めば嫌というほど作るかもしれないが、作るのが好きなのだから仕方ない。
作っているのはシュークリームだった。いつぞやのように霧吹きを忘れることも無く、つつがなく工程を終えてオーブンにトレイを入れて少し休憩をしようと思った時にインターホンが鳴った。
オーブンミトンを外すと、その足でインターホンの室内機に近づいた。
室内機のカメラに映っているのは風太郎だった。
二乃は通話ボタンを押した。
「フー君じゃない。どうしたの?」
『二乃か。四葉と出かける約束してるんだ。時間になっても来ないから迎えに来たんだが、アイツ何やってるか分かるか?』
「四葉なら出かけてるわよ? あんたと約束があるなんて今日は言ってなかったと思うけど」
『はぁ? そんなわけないだろ。ちゃんと今日の十二時に集合って決めたはずだぞ』
「私に言われたって知らないわよ。とりあえず四葉はいないわ。残念だったわね」
『くそっ、無駄足じゃねえかよ。悪い、邪魔したな』
「あ、待って。せっかく来たんだし上がっていけば?」
『いや、用もないのに邪魔しちゃ悪いだろ』
「今日は私しか家にいないんだけど、その私が良いって言ってるんだからいいのよ。どうせあんた、この後予定してた用もパーになったんでしょ?」
『……』
図星らしかった。
まあ、四葉とデートの約束と聞いた矢先に、その約束がおじゃんになったのだから誰だってわかることだろうが。
その後、部屋に上がってくれるとのことだったのでエントランスの開錠操作をすると、そのまま玄関の鍵も開けておいた。
風太郎にはインターホンの通話を切る前に部屋には勝手に上がっていいと伝えてある。
玄関からリビングに戻った後、二乃はキッチンに置きっぱなしにしていたスマホを手に取った。
チャットを起動すると四葉へメッセージを送る。返事はすぐに来た。
スケジュール間違えてるのはどっちかしら?
ちゃんと謝っておきなさいよ
もんなんだから
あげることにしたから、一応連絡しておくわね
しちゃおうかしら……?
お出かけ楽しんできなさい
四葉からの返事を最後に二乃はスマホをポケットにしまった。
四葉とも風太郎関連の話でずいぶん軽口を叩ける関係になったと思う。
風太郎と四葉のの二人が付き合い始めた頃なんかは二乃自身も含めて気持ちの整理がつかなくて色々と揉めたものだが、それも今となっては過去の話となっている。
二人が付き合い始めてからは四葉の恋愛の仕方というのも見えてきていて、他の姉妹達に似て結構嫉妬深いのを知ったものの、二乃も自分の感情に収まりをつけようとはしていなかったこともあって風太郎不在の時、彼についての話題になった場合は今のような憎まれ口の叩き合いをするのが日常となっているのだが、それは風太郎には内緒にしている。
別に険悪というわけではまったくない。姉妹との新しい付き合い方をしている気がして二乃としてはむしろ新鮮だった。
四葉とのチャットが思いのほか長引いてしまったこともあってスマホをしまうのとほぼ同時のタイミングで玄関の扉が開く音が聞こえた。
続けて足音がするとリビングへ風太郎が顔を見せた。
「お邪魔します」
「いらっしゃい。もうすぐシュークリームが焼けるから」
「シュークリーム……」
そう言って少しぼんやりとする風太郎。
よく作っているし、その反応はなんだろうと思ったところで二乃も一年前のことを思い出した。
「安心しなさい。今度は手順すっ飛ばしたりしてないから。キンタロー君」
「……! そ、その節は悪かったと──」
「今更気にしてるわけないじゃない。四葉といいあんたといい、ほんと冗談通じないわね……お似合いだわ」
そう言いながら二乃は自分の髪先に少し触れた。
この髪が今の長さになったのも、思い返せば彼のせいだった。
彼のことは本当に吹っ切れているが、今目の前にいる彼への恋だって報われないことは決まってしまっている。ただ、この想いが捨てられないだけで。
いつか、本当に四葉のことを認められた時に私はまた髪を切るのだろうかと、そんな風に考えると少しだけナイーブな気持ちが沸いてしまった。
そんなことを考えていると風太郎には気取られないように気を取り戻すと、風太郎へ向き直る。
すでにリビングにある、テレビの真向かいにあるソファへ座っていた風太郎に対し、垂直の角度で置かれているもう一つのソファへ二乃も腰かけた。
「それで? 四葉とはどこに行く予定だったのかしら?」
「何故そんなことを聞く」
「もてなしてあげてるんだから恋バナの一つくらい提供しなさいよ」
「お前が上がれって言ったんだろ」
「トークのできない男は嫌われちゃうわよ」
「ぐっ……」
売り言葉に買い言葉。ああいえばこういう。さきほど四葉ともしたような口喧嘩ならぬ口プロレスは風太郎とは前々からしているが、今回は二乃に有利の得意なジャンルでの勝負ということもあって風太郎は次の反撃を繰り出せずに言葉を詰まらせた。
それでも往生際悪く何か反撃の言葉を頭の中で考えているのか、しばらく目を泳がせた後で諦めたように溜息をついた。
「水族館だよ」
「うわ、ありきたり」
「仕方ねえだろ。デートの行先選びなんて慣れてねえんだ」
「それにしたって映画館の次くらいに選ばれがちなド定番じゃない。別に四葉が特別魚好きってわけでもないし」
「一応いくつか候補は考えたんだ。だが遊園地は今の時期寒いし──」
「去年の学年末試験の時もあんたの提案で行ったでしょ。見栄なんか張らないで本当のこと話して」
「……遊園地は高いからなしにした」
「でしょうね」
「映画館は見たいのがなかった」
「確かにあの子が好きそうなのなかったわね。興味ない映画に連れてかれることほど退屈なことはないわ」
「分かってる! だから選ばなかったんだよ」
「賢明ね」
その他にもつらつらと候補を並べ立てる風太郎。確かにどれもこれも風太郎と四葉のデートの場合、今は時期が悪かったりそもそも向いてなかったりするところばかりだった。
しばらく話を聞いていたが、結局風太郎は他の行先がダメな理由を話すだけで一向に水族館が良いと思った理由が出てこなかった。
それはつまるところ──
「つまり消去法ってことね。だらしないわね」
「うるせぇ」
口を尖らせて言う風太郎。
こちらの得意なジャンルの話だから、つい上から目線で話をし過ぎたかもしれない。
どうやら拗ねてしまったらしく、それ以上話さなくなってしまった風太郎を相手に二乃も気まずさを貰ってしまいわずかな沈黙が流れた。
幸い、ちょうどその時オーブンからシュー生地が焼きあがったことを告げるベルが鳴った。
「ちょっと待ってて、仕上げてきちゃうから」
「お、おう」
ソファを立つと早足でキッチンへ向かった。
オーブンの扉を当てると、中からは大量の湯気が漏れ出てくる。普通のコンベクションオーブンのように熱風を循環させるだけではなく、加熱した水蒸気で焼く機能も持っているため出た湯気だった。
風太郎を出迎えるために外していたミトンを再びはめると中のトレイを掴み、素早く取り出す。耐熱用の皮生地が手のひらの部分にコーティングされているが、五秒も握っていれば生地を貫通して熱が手に届いてしまうからだ。
鍋敷きの上にトレイを置き、出来栄えを確認する。問題ない。霧吹き以外の手順も完璧だったため綺麗に膨らんでいる。
三度素手となった二乃は焼き立てのシュー生地を火傷しないように気を付けながら手に取ると、水平に切り開きクリームを始めとした具を入れ込んでいく。
他の姉妹のおやつにも出来るよう五人分の量を作っていたこともありそれなりの数があったが、二乃は慣れた手つきで捌いていった。
「手伝おうか?」
「いいわ。このくらいの量ならすぐ終わるから」
「そうか」
宣言通り、それから間もなくして全部の生地に具を入れ終えた。
ほとんどは大皿に移した後ラップをかけ、冷蔵庫へとしまった。
二個だけしまわずに残していたシュークリームを小皿に移すと、配膳用のトレーに載せ、ついでに二人分の麦茶も用意してからリビングへと戻った。
「お待たせ」
「ああ……相変わらず俺が普段食ってるやつとはベツモノだな」
「別にこれくらい普通よ」
シュークリームを見て言った風太郎の感想に、二乃は本当に当然のように言ってのけた。
二乃が作ってきたシュークリームは以前の物同様、クリームの周りにカットフルーツを添えたものだった。
大方、風太郎がイメージしてるのはスーパーで百円未満で売ってるやつなのだろう。確かにあれならばフルーツもないし、膨らんだシュー生地にクリームを直接注入しているからサンドしている見た目にもならない。ただあれは工場で大量生産するための作り方であって、手で作るなら逆に手間だし、パティスリーに行けば二乃が作っている方の見た目のが一般的だろう。
今度こいつをちゃんとした店に連れて行ってやろうと、そこまで考えた時だった。
「そうだ。あんた四葉を連れていってやりなさいよ」
「何だ急に。連れてくってどこにだよ」
「パティスリーよ」
「パティ……なんだそれ?」
「スイーツのお店よ。この辺でも結構お店あるし、あんた東京に住むんでしょ? 向こうなら良い店沢山あるだろうから、そのうち四葉が遊びに行った時にでも連れて行ってあげなさいよ」
話しながら二乃自身も興味が湧いたこともあり、スマホを取り出すと調べ始める。
流石都心というべきか、二乃ですらどこがいいか迷うほど大量に候補が出てきた。
下手したら風太郎は一つに絞れないかもしれないと思うと、一つくらいここで案を出してあげた方がいいかもしれない。
検索結果の中から一つ選ぶと、お店の画面を表示させた状態で風太郎へ突き出した。
「こことかどうかしら。新宿に食べ放題の店があるらしいわよ。お店自体はフルーツの専門店でスイーツがおまけみたいなもんだから、鮮度もお墨付きでしょうし」
「食い放題とかそういうのは五月の領分だろ」
「あんた殴られるわよ? それに甘いものなんて五月に限らず女の子ならみんな大好きなんだから大丈夫よ」
「そういうもんか……?」
「そういうものよ」
ようやく風太郎も興味を持ってくれたのか、スマホに顔を近づけてまじまじと見始めた。
見せるための画面を表示させてたから問題はないのだが、自分のスマホを見られてると思うと妙な恥ずかしさが急に湧いてきた。
二乃はスマホを手元へと戻した。
「あ、おいまだ見てるぞ」
「リンクをメールで送ってあげるから、自分ので確認しなさいよ」
「俺の携帯、ネット繋がんない……高いから」
「あんたの携帯ほんと使えないわね!?」
叫んでから、ブラウザのアドレスバーをコピーすると四葉のチャットに張り付けた。
「今四葉の方に送っといたから、後で詳しく教えてもらいなさい」
「お前が今教えてくれればいいだろ」
(ほんとにこの男は……)
「話題提供してあげてるんだから活用しなさいよ。気が利かないわね。なんでそういうの察せないのかしら」
「そういう自分の気持ちを察してくれってスタイル、良くないと思うぞ」
「なんで私が怒られなきゃいけないわけ!?」
憤慨し、息を荒くしながらも落ち着くためにシュークリームに手を伸ばした。
自分の分を取ったところで皿に置いてあったもう一つが既になくなっていることに気が付いた。
いつの間に、と思ってから風太郎の手を見て見れば、これまたいつの間にかシュークリームが持たれており、しかも最後の一口程度の大きさしか残っていなかった。
二乃が一口目を付けるのとほぼ同時に、風太郎が最後の一口を放り込んだ。
「食べるのはや……」
「うまそうだったからな」
「…………」
本当はこの後、食べる速度を合わせてあげるのも優しさだと嫌味を言ってやるつもりだった言葉が出てこなかった。
「あっそ、それで……実際食べてどうだったかしら……?」
「普通にうまいぞ」
「そ。なら良かったわ」
「ああ。やっぱりお前が作ってくれた料理はうまい」
「────」
(ほんとにこの男は……!)
今まで散々気の回らない男ムーブをしてきたというのに、どうしてここぞという時に"良い意味で"余計なことを言うのだろうか。
おかげで冬場だというのに顔が熱くなるのを感じてしまう。
「ふん、どうせ何食べたってうまいって言うくせに。あんたに言われたって嬉しくないわよ」
「それは間違いじゃないが、一応本当にうまいと思ったからそう言ってるんだが」
「お世辞をどうも! ウェットティッシュも置いてあるから拭いておきなさい。粉砂糖かけてたから放っておくとベタベタになるわよ」
「ああ、さんきゅ」
「じゃあ私は片づけてくるから。あんたはゆっくりしてなさい」
そう言って空になった皿とトレーを持ち立ち上がるとシンクへ向かった。
給湯器の電源を入れてからお湯の栓を捻り皿を洗い始めると、カウンターキッチンの向こうでは手を拭き終えた風太郎が立ち上がってこちらに来た。
「ゆっくりしてけって言われたところ悪いが、そろそろ行くわ」
「別に邪魔じゃないからいてもいいわよ」
「そうじゃない。せっかく時間ができたから帰って勉強したいんだ」
「……あんたも大学受かったんでしょ。今更しなくていいじゃない……」
「合格なんてスタートラインに立ったにすぎない。まだまだ俺は頑張らないといけないんだよ」
「フー君……」
淡々と言ってのける風太郎を前に、そんな彼の顔を見る二乃。
自然と笑みがこぼれた。
(ほんとにこの男は────)
変わらないな。と思った。
きっと風太郎のことだから、今日の短い会話の中でもこっちは心の中で二十面相をしていることなど露も知らないのだろう。
それは風太郎にとって…………まあ間違いなく短所なのだが、それも風太郎らしいと思ってしまっての笑みだった。
「……? 何笑ってんだよ」
「何でもないわ。じゃあ気を付けて帰ってね。テーブルの上の麦茶も置きっぱなしでいいから」
「ああ、片づけて任せちまって悪いな。シュークリーム、ごちそうさん」
「じゃあね」
二乃の言葉に、風太郎は後ろ手で手を振って応えると玄関へと歩き去っていった。
その姿を見送った後、再び洗い物に戻ったころには水道から出ていた水はお湯に変わっていた。
自然と、鼻歌を口ずさんでいた。
少ししてから、四葉から返事があった。
察せないのかしら!?