生塩ノアにまつわるエトセトラ   作:アラベスク@arabesuque_38

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アメジストの誘惑

「先生、ちょっとお時間よろしいですか?」

 

 急に振り出した雨を窓からボーっと眺めていると、鈴を転がしたような声とともにふくらはぎまで伸ばした長く美しい銀色の髪と、紫水晶(アメジスト)のように煌めく瞳を持つ生徒──ミレニアムサイエンススクール所属、セミナーの書記である生塩ノアが執務室の入り口に立っていた。

 いつも丁寧に手入れが施されている銀糸が今はしとどに濡れ、雨粒が乳白色の肌をつうーっと伝って流れ落ちていく。しっとりと肌に貼りついたシャツが彼女の身体のラインをくっきりと目立たせていた。

 

「ノア!? どうしたの、雨に降られた?」

「はい、お恥ずかしながら……」

「大変だ、風邪をひいちゃうよ。着替えは私が用意しておくから、シャワーを浴びて温まっておいで」

「ありがとうございます、先生。それではお言葉に甘えて……」

 

 休憩室に備え付けられたシャワールームに消えていくノアを見送って、いそいそと着替えを用意する。脱衣所に丁寧に畳まれたノアの衣服は極力見ないようにした。

 

 ────そもそもなんで下着が一番上に置いてあるのだろう。

 

 脱いだ順序で重ねられたと思われる彼女の衣服。紫の総レースで揃えられた上下のセットがこれ見よがしに置かれていた。艶っぽく透け感のあるセクシーなデザイン。思わず磨りガラス越しに見える彼女のシルエットに重ねてしまう。

 先ほどシャツが貼りついて強調された彼女の身体のライン、普段はゆるく羽織ったブレザーで隠れて見えないけれど、メリハリのある彼女の肢体が薄い扉を一枚隔てた向こうで無防備にさらされていた。

 

 ────だめだ。早く着替えを置いてここを出よう。

 

 ここで時間を費やせば、一糸纏わぬ彼女の裸体とご対面できるぞ──等と邪な思考が脳内を駆ける。そんな邪心を必死に振り払って用意してきた着替えを取り出した。

 寝る時に着るスウェット……は少し大きいかもしれないけど、我慢してもらおう。下着、は流石にないから……男物で申し訳ないけど新品のものを置いておく。

 そして最後に、名残惜しむかのように彷徨う視線が、もう一度彼女のシルエットを捉えようとしていることに気が付いて。慌てて脱衣所を後にした。

 

***

 

「先生。シャワーありがとうございました」

 

 デスクで残った仕事を片付けていると、灰色のスウェットを身に着けたノアが姿を見せた。少しサイズが大きいせいで裾の方がダボッとしている。男性用の色気のない武骨なデザインのはずなのに彼女が着ると何故か妙に艶っぽく見えた。

 長い髪の毛を耳に掛けて、隙間から顔を覗かせたうなじが上気させた頬を相まって扇情的な色香を醸し出している。

 

「ふふっ、先生。視線がえっちです♡」

「あっ、いやこれは……」

「17時54分12秒。先生の視線が私の耳を舐め回すように注がれた……ふふっ、これは興味深いですね。記録しておきます♪」

 

 普段付けている耳あてのようなガジェットを外している所為か、いつもは目にすることのない彼女の形の良い耳が露になっていて、思わずジッと視線を注いでしまっていた。

 

「──……そんなことより、ノアは何か用事があったんじゃ?」

「ふふ、そうでしたね」

 

 ニコニコと私に注がれるノアの視線に耐え切れず、彼女に背中を向ける。デスクに向かって端末を操作しながら話を逸らした。

 ゆっくりと背後からノアが近づいてくる気配を感じる。砂糖菓子のような甘い匂いがふわりと漂っていた。

 

「特別な用事はありませんでしたが、近くで所用がありましたので……お仕事の後、もし先生がよろしければディナーをご一緒に……と思っていたのですが」

 

 ──雨に降られちゃいましたので、どうしましょうか。

 甘い匂いを身に纏いながらノアが私の首に手を回す。背中に抱き着き、耳元でそう囁いてきた。

 

「うーん、そうだね。せっかくだから何か頼もうか?」

 

 私のことを揶揄うような色を滲ませた彼女の声に気が付いて、努めて平静を装う。ふにっ、と背中に押し付けられた二つの存在感を思考の端に追いやった。

 

「あら、それもいいですね。先生とご一緒であれば、どんなところでも特別な場所になりますので」

「うん、よかった。最近よく頼んでいるお店があってね……」

「ふふっ、それは楽しみです♪」

 

 ノアの髪がさらさらと私の頬をくすぐった。肩越しに顔を覗かせる彼女の艶やかな唇が目に入る。

 彼女が身動ぎするたびに二対の柔らかいふくらみがぐにゅりと押しつぶされて形を自在に変えていた。

 意識しないように背中の感覚を忘れようとする。甘く鼻腔をくすぐる芳香、耳朶に優しく響く彼女の涼やかな声。彼女の存在が五感を通じて私の理性を削っていくのを堪え、何事もないように彼女と会話を続ける。

 

「────柔らかいですか?」

 

 唐突にノアが囁いた。

 悪戯っぽく笑う彼女の息遣いが耳をくすぐる。ぎゅうぅぅと自分の胸を押し付けるように私の背中に抱き着く力を強めた。

 布越しにダイレクトに伝わる柔らかい感触。スウェットの下を、磨りガラス越しに見てしまったノアのシルエットを、想像してしまう。

 

「────そういうのは、心臓に悪いから……ね?」

「あら……ふふっ。その言葉、ちゃんと記録しておきますね♪」

 

 クスクスと嬉しそうに笑うノアに両手を上げて降参のポーズを取る。満足したのか彼女が身体を離してくれた後、デスクに突っ伏した。

 もう仕事を続ける気も起きない。仕事で使っていたファイルを保存して首を左右に傾ける。景気のいい音が執務室に響いた。

 

「──……雨、いつまで降るんだろう」

 

 ふと窓の外を眺める。強まってきた雨はガラスに叩きつけられて外が見えない程。帰りの電車が動いているのか、少し心配になってきた。

 

「今日は朝方まで暴風雨みたいですよ。今朝の予報ではそうなっていました」

 

 コーヒーを淹れたカップをノアが差し出してくれる。端末で調べると電車は確かに止まっているようだった。これでは帰るのも難しいかもしれない。

 

 ────今日はシャーレに泊まりかな。

 

 そんなことを考える。そして──ふと、先ほどのノアの発言に違和感を覚えた。

 

「それにしても、雨が降る予報だったのにノアが傘を持ち歩かないなんて」

 

 ノアは真面目でしっかりとした生徒だ。天気予報で雨だとわかっていながら、傘の用意をしないなんてことがあるのだろうか。電車が止まるくらいの暴風雨。そんな中わざわざシャーレに顔を出すのだろうか。

 

「ふふっ、先生。別に傘を持ってきていないわけではないですよ?」

 

 クスリ、と彼女が妖しげに笑う。

 湯あたりしたのかのように上気した頬。スウェットを盛り上げる小高い丘。伸びた布地の首元から深い狭間が顔を覗かせる。

 ユウカちゃんには内緒ですよ♡ と前置きした彼女がニッコリと笑みを浮かべた。

 

「計算通り、かんぺき~♡ です♪」

 

 まるで歌うように「こうして先生の服も着れましたから♪ このことは私の胸の奥にだけ記録しておきますね♪」なんて口にしながらノアが熱い視線を私に注ぐ。

 

「ふふっ、どうやら私も帰れなくなってしまったみたいです……先生、今夜は泊めていただけますか?」

 

 そう言うと、ノアがミレニアムに続く電車の運休のお知らせを私に見せた。

 彼女がどんな目論見を持っていたとしても、この雨の中生徒を外に放り出す訳にはいかなかった。

 渋い顔をして首を縦に振った私とは対照的に、満面に喜色を湛え、頬を染めて瞳を輝かせる彼女がゆっくりと近づいてくる。

 椅子に座ったままの私は、背後の机に退路を阻まれ、彼女を見上げることしかできなかった。

 

「では先生……少々お時間(・・・)よろしいですか?」

 

 今夜は長い夜になりそうだ。

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