二周目のVTuber   作:石崎セキ

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(12)妹①

 

 

本当に大切だと思う人に出逢った時

おかえりと言うのはわたしではなくなるのかもね*1

 


 

 先輩が買い物に出かけたので、私は先輩の部屋で料理していた。先輩の部屋も、最初は来るたびに緊張していたが、慣れとはすごいもので、最近ではまったく緊張しない。冷蔵庫を勝手に開ける余裕さえでてきたくらいだ。

 控えめに言って、先輩の食生活は終わっている。控えめに言わなければ最悪だ。

 私が作り置きをしない限り、完全栄養食だけでご飯をすませてしまうだろう。実家では料理を担当していたし、苦ではない。

 

 大学のときに風邪を引いたとき、先輩がおかゆを作ってくれたっけ……。熱で朦朧としたなかで作ってもらったおかゆが美味しかったことは、いまでも覚えている。

 また風邪を引いたら作ってくれるかな……。

 ……え、いまの発想やばいな。葬式で好きな男に再会するために息子を殺すサイコパスの発想だ。

 これって、もしかしてストーカー思考なんだろうか。

 

 これ以上考えるとまずい気がしたので、問題は後回しにして、推しの動画を見ながら玉ねぎをみじん切りにする。

 

「この前、刀辺(かたなべ)先輩とマジックバーに行ってね。マジックバーって初めて行ったよ。っていうか、バー自体が初めてなんだけど。みんな行ったことある? ……『ある』『ない』『ある』『ある』『ない』『ない』――五分五分かな? 五分五分ってゴブリンの鳴き声みたいだね。まあそれはいいんだけど、意外とウェルカムな雰囲気だし、店内も予想してたより明るかったの。音楽もクラシックみたいなのじゃなくて、ふつうに紅蓮華のカラオケとか流れてて、オタクにも優しい感じ。グラスが急に割れたり、トランプを当てたり、まあみんながイメージするマジックバーって感じかな? 途中で刀辺先輩が『鳩とか出せますか?』ってリクエストして、『食品衛生法があるので、これしか出せません』って、ゴム? シリコン? みたいな鳩を帽子から出してたね。言われてみれば納得なんだけど、マジックバーって、鳩出せないんだね? 『出そうと思えば出せる』。へー、そうなんだ。行けたら行く、みたいな? ちょっと違う?」

 

 舞浜鈴音ちゃんは何よりビジュが可愛い。ちょっと初々しいデビュー時から推していた身としては、いまの気楽な喋りは、心を開いてくれた感じがして嬉しい。もちろん彼女は私のことなんて知らないだろうけど。

 

 そっか、マジックバーか。

 先輩ってマジックとか好きなのかな。……あんまりロマンとかない人だし、すぐにタネに気がつきそうだ。

 

 そんなことを考えていると、ガチャッと鍵が開く音がした。 

 

「あっ先輩、おかえ……」

 

 私は硬直した。

 黒髪のギャルがドアの前で目を丸くしていたからだ。

 え、なに、泥棒? 部屋、間違えた?

 でも鍵はかけてたし……かけたよね? 鍵を回す音もしたし、かけたのは間違いない。

 なんで合鍵持ってるの?

 

 元カノ???

 

 いや、先輩がフリーっていうのも、都の願望じゃん。

 私の心の中の萌春が、私の首根っこに、的確なチョップを繰り出してくる。

 

 え、じゃあ今カノ???

 

 脳がこわれる。

 沈黙を破ったのは、得体の知れない女だった。

 

「だれですか」

 

 こっちのセリフだ。

 

「この部屋の主の、知人です」

 

 私は包丁をまな板に置いて答えた。

 不審者に与える情報は、少なければ少ないほうがいい。

 

「妹です」

「妹?」

 

 言われてみれば、先輩に似ている。可愛い。結乃(ゆの)ちゃんって言ったっけ、確か。

 臨戦態勢を解く。

 この女とか思ってごめん。

 ていうか先輩が女の子を好きかも知らないし。

 

「名前」

「え?」

「その人の名前。言ってください」

 

 どうやら向こうは、まだ警戒を解いていないらしい。

 先輩に似て端正なお顔で、いつでも逃げ出せるようにか、体を階段のほうに向けて話している。

 

「花石朔乃」

「疑ってすみません。その、お姉ちゃんは?」

 

 結乃ちゃん、警戒を解くのが早いよ。この辺りは、まだまだ高校生だ。

 住人のフルネームを知る手段は、腐るほどある。部屋に入る前にはゴミ、郵便受け、近隣住人、エトセトラ。一度入ってしまえば、書類にPC、個人情報の山だ。

 私が悪いお姉さんだったら、今ごろ……まあ、私は悪くないお姉さんなので、優しく答える。

 

「いまは外に出てるよ」

「お姉ちゃんが?」

 

 訝しげな顔をしている。あまり外出はしないのだろうか。

 

「うん。そろそろ帰ると思う」

「ちょっと電話していいですか」

「もちろん」

 

 私がかけるのに躊躇う電話をいとも容易くやってみせる。肉親ってすごい。

 

「いまお姉ちゃんの部屋。どこいるの? もう開けた。遅いよ。いま玄関。うん、いる。え? 持ってきてるけど。は? いま? ……あの、お姉ちゃんが替わってって」

「私に? ありがとう。……もしもし?」

『倉瀬、ごめんね。妹が迷惑かけて。埋め合わせはするから、面倒見てあげてほしいの』

「全然……問題ないです」

 

 埋め合わせとかいらないです、と言おうとして、結乃ちゃんに気を使わせてしまいそうで言葉を引っ込めた。

 

『結乃さ、受験生なんだ。倉瀬、ちょっと勉強教えてあげてくれない? わからないときに答えるのでいいから』

「え、勉強ですか?」

『私に教わるの嫌がるんだよね。ちょうどいい機会だと思って』

 

 なんて贅沢なんだろう。先輩が家庭教師になってくれるなんて、そんなに素晴らしいことはないのに。いや、相方のほうが素晴らしいな?

 でへへ。

 

「いいですよ、結乃ちゃんがよければ」

 

 名前が呼ばれた結乃ちゃんが、ちらりとこちらを見る。なにやら不安そうだ。

 

『じゃあお願い。ごめん、結乃に戻してくれない?』

「はい」

 

 スマホを差し出すと、結乃ちゃんは会釈をして受け取る。

 

「……もしもし? え、倉瀬さんに? いや、一人でできるから。うーん……お姉ちゃんの後輩でしょ? ……いや、違うけど。うん、分からなくなったらね」

 

 私に聞くことを渋っているらしい。

 そんなに親しみづらいだろうか、私は。にこやかに見えるように、口角を緩めてみる。

 私が口周りの筋肉を攣って悶絶している間に、通話が切れたようで、結乃ちゃんが部屋にあがってきた。ちゃぶ台を持ってきて、鞄から英語の教科書を取りだす。

 

「英語やるんだ」

「うん……いえ、はい」

「敬語じゃなくても大丈夫だよ」

「はい」

 

 年下の扱いって難しい……! 地元の小中学校ではお姉ちゃんとしてブイブイ言わせてたけど、高校に入ってからは後輩との絡みが一度もなかった。大学は言わずもがなだ。

 ひょっとして、と私は気づく。私と結乃ちゃんが気まずくならないように、勉強を教えるように指示してくれたのだろうか。勉強をしていれば、気まずい雑談が続くこともないし、両方にこの場にいる意味が生まれる。

 そういう気遣いをできるところも好きだなあとぼんやり考えていると、結乃ちゃんが訊ねてきた。

 

「……あの。どうしてここ、will入れちゃダメなんですか」

 

 私は問題を見る。

 受験以来英語に触れてないから不安だったけど、覚えている内容で助かった。

 

「いい質問だね。文頭に、ifがあるでしょ。時と条件を表す副詞節では……」

「未来のことも現在形で表す!」

「そうそう、いい間違いだったね。例外に引っかかるってことは、それだけ基礎ができてるってことだから」

「……はい」

 

 結乃ちゃんは、続きに取りかかった。

 ちょっとテンションが上がった結乃ちゃん、可愛かったな……

 いや、ふつうにしてても可愛いけど。もう少し気だるい感じの顔つきにして、髪型を揃えれば、先輩そっくりだし。

 でも何だろう、先輩はもうちょっとこう……だめだめ、こんな考え、普通に結乃ちゃんに失礼だ。

 

「あの……倉瀬さん」

「ん?」

「どうして今日は」

「え? ああ……」

 

 配信のことを言っていいのだろうか。

 いや、先輩が配信をしていることを知っているなら、見当がつくはず。だったら多分、先輩は家族に配信のことを言っていないのだ。

 

「遊びに来てたんだよ」

「遊びに? お姉ちゃんとどんなことして遊ぶんですか?」

「じゃんけんとか」

 

 答えに窮してボケてしまった。

 

「……楽しいですか、それ」

 

 拾われなかったので、ますます追い詰められていく。

 まずい。

 この頃ボケをスルーされていなかったから、どう舵を戻したらいいか分からない。

 

「あとは、しりとりとか」

「小さい子みたいな遊びをするんですね」

 

 やっと冗談と伝わって、笑みを交えたツッコミが返ってきた。さすが先輩の妹だ。

 

「結乃ちゃんはどうしたの?」

「お姉ちゃんの様子を見にきました」

「そっか。お姉ちゃん、いなくて残念だったね」

「べつに……です」

 

 照れてるの可愛い〜っ! という感情を隠してフォローする。

 そういうお年頃だが、そういうお年頃と思われたくないお年頃なので、慎重に。

 

「倉瀬さんは、どうやって勉強してたんですか?」

「私? お姉ちゃんのほうが参考になるんじゃない?」

 

 環境も近いし、先輩の勉強方法のほうが合いそうだ。

 

「お姉ちゃんって、1回やれば全部覚えちゃうので。全然参考にならないんですよ」

「確かに私、勉強できるタイプじゃないから、そういうことなら教えてあげられるかも」

「ありがとうございます。まず、どのくらい勉強してました?」

「私は物覚えが悪いから、授業以外に1日4時間は暗記したね」

「やっぱりそれくらいやるんですね」

「残りの6時間を演習に回してたよ」

「は?」

 

 結乃ちゃんの口調が急に変わった。

 それに、萌春が時折見せる、珍獣を見るような目をしている。

 

「きゅ、休日は?」

「休日はさすがに休んでたよ」

「そうですよね」

「だから、12時間しかやってない」

「みぎゃっ!」

 

 結乃ちゃんは、背後のきゅうりに気がついた猫のように飛び跳ねた。感情表現が豊かだなぁと羨ましくなる。

 

「ど、どうやってそんな時間を捻出してたんですか?」

「授業と睡眠で13時間は取られて、1時間は食事やお風呂やトイレに使うよね。授業の間の隙間時間を使えば、10時間は余るでしょ」

「すみません、ちょっと理解できないです」

「1日は24時間でしょ。14時間はその他のことに取られるとして……」

「計算のことじゃなくて」

 

 じゃあなにが分からないんだろう?

 私が頑張って質問の意図を理解しようとしていると、ガチャッと鍵が開く音がした。今度こそ先輩だ。

 

「あっ、先輩。おかえりなさい」

「お姉ちゃん!」

 

 結乃ちゃんが立ち上がって先輩に駆け寄っていく。

 

「いい子にしてた?」

「迷惑はかけてないよ」

「ほんとう?」

 

 先輩がこちらを見る。

 

「はい、ちゃんと勉強してましたよ」

「なに? 私のことが信用できないの?」

「図書館に行くって嘘ついてライブに行ってたのは誰だっけ?」

「昔のことでしょ!」

 

 姉妹だなあというやり取りをしていて微笑ましい。

 私と兄の関係は、ここまでほのぼのしていなかった気がする。でも、あれは、いちいち鼻につく言い方をしてきたのが悪い。もし先輩が兄弟だったら、私だって素直に言うことを聞いたはずだ。

 

「あ、そういえば先輩はどれくらい勉強してたんですか?」

「この人のは聞いても役に立たないって」

 

 先輩が側にいるからか、結乃ちゃんはタメ口になった。

 タメ口にしていいって言ったので、気にはならないけれど、変貌っぷりにはびっくりする。

 そういえば先輩、昔、内弁慶とか言ってたっけ……。

 

「10時間くらいかな」

「やっぱり先輩もそれくらいですか?」

 

 やっぱり受験生だとそれくらいだよなあと思って安心する。結乃ちゃんがあんまり変なリアクションをするものだから、自分の勉強時間が多すぎたのではないかと不安になっていたのだ。

 

「あれ、でも、先輩、アルバイトばっかりしてたって言ってましたよね」

「うん」

「あ、週に10時間とかですか?」

「……? 合計で」

「みぎゃっ!」

 

 私は宇宙猫になった。

 結乃ちゃんが「ほら、あてにならないでしょ?」と言わんばかりに肩をすくめた。

*1
こうの史代(2005)『長い道』双葉社, kindle版, 位置No.69.

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