二周目のVTuber   作:石崎セキ

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本編
(01)未生以前


 

 

未来とは言葉の綾、思考の亡霊でしかない。*1

 

もしもお前ら、時が何を身ごもっているかが見通せて、どの種は芽を吹きどれは実らんと分かるものなら教えてくれ。*2

 

私は、未来について無知であることを愛し、約束事の待ち焦がれやその早まった味見で身の破滅をまねきたくはない。*3

 


 

 27歳の秋、地下鉄のホームで背中を押されたわたしは、16歳の春に逆行していた。

 

 ケン・グリムウッドの『リプレイ』の昔から、時間ループした主人公は株や競馬で儲けるものと決まっている。

 わたしは、アルバイト代を全額つぎ込み、暗号資産を先物買いすることにした。900円が後の1,000万円に化ける。時給1,000万円と思えば、学校に通いながら複数のアルバイトをこなすことは苦ではなかった。おかしくなった自分の妄想の可能性もあったが、高校生で稼げる金額などたかが知れている。その全額を失ったところで、痛くはない。

 

 わたしが暗号資産に手を出したのは、働かずに食べていくためではない。

 働くために資産が必要だったのだ。

 

 ホームで背中を押される前、つまり1周目で、わたしはバーチャルYouTuberをしていた。

 バーチャルYouTuber――もしくは、VTuber。

 定義には必ず矛盾が生じることを前提に説明すれば、「2Dもしくは3Dのアバターを用いて、しばしば台本によらず、動画・配信を用いた自己表現を行なう者」とでもなるだろうか。

 

 聞いたこともない職業に、両親は最初、難色を示していた。

 だが、活動1年目で父親の所得を越えると「就職しなさい」という声はなくなり、「もっと安定した仕事につきなさい」と言われるようになった。活動2年目で父親の所得の倍になり、3年で4倍、4年で横ばいになった。

 両親に文句を言われることはなくなったが、わたしは限界を感じた。

 VTuberを一生つづけることはできない。

 トップ層のようにサラリーマンの生涯収入を稼げるようになれば逃げ切れるが、自分がトップになれる器ではないことはよくわかる。

 

 だが、よりよい事務所に所属することは考えなかった。

 わたしは、死んでなお、舞浜(まいはま)鈴音(すずね)をつづけたかった。

 

 長くつづけるためには預金が必要だ。

 暗号資産を運用することにしたのは、そのためだった。

 

 幸いにも目論見は成功。利息だけで、それなりの生活ができるほどのお金を蓄えた。

 高校も大学もつつがなく卒業し――

 

 オーディションに落ちた。

 

 

   ◇

 

 

 アパートの軒下にバイクを停め、ヘルメットを固定する。

 わたしが住むアパートは、バブル時代の文化遺産だ。鉄製の階段は雨の日には摩擦係数がゼロに近く、赤錆(あかさび)で腐食した手すりにすがるしかない。手のひらを殺人犯のように赤くして2階にのぼり、部屋の鍵を開けると、倉瀬(くらせ)がなにやら話していた。

 

 

 

アメリカの太っちょ"A cup of curry."

 

 

 

「カレーが飲みもののアメリカ人? こういうのはTwitterでやってください……私は好きですけど」

 

 倉瀬は淀みなく話していたが、動揺しているようだった。切長の大きな目だから、黒目を左右にさまよわせているのが玄関からでもよく見える。

 わざと作りだしたトラブルではないらしい。

 

 よりによって、今日はクリスマス。

 配信に異音が混じると、彼氏だと騒ぎ立てる視聴者もいる。

 わたしも舞浜鈴音だった頃、家のベッドを新調したら「セミダブルということは……」とコメントされたことがある。彼らはピューリタンのように禁欲的だ。少し広いベッドで寝たいという願望を抱いたことがなく、セミダブルのベッドに2人で寝ることを窮屈に感じることもないのだから。

 

 不用意に声をだせば倉瀬の迷惑になるかもしれない。わたしは口をつぐむことにした。

 

「いや、彼氏じゃないです。クリスマスに彼氏の家で配信するとか、炎上コースまっしぐらじゃないですか。炎上するほどリスナーもいませんけど。悔しかったら炎上させてみてくださいよ。うぇい。

 まあ、これくらいでいいか。ふつうに大学の先輩ですよ。あおリスの脳を破壊して去勢しようとは思わないですし。まあ、お前らのものになった覚えはないですけど」

 

 だが倉瀬はわたしを視線に捉え、自分の横に座るようジェスチャーをしてきた。確かに、わたしが一言「ただいま」と声を発すれば、少なくとも彼氏を疑う声はなくなる。

 だが、わたしは気が進まなかった。

 舞浜鈴音を裏切る行為であるような気がした。

 

 ……なにを躊躇っている?

 もう、未練は捨てたはずだ。

 

 わたしは、倉瀬のSurfaceの画面を確かめた。

 プラットフォームはYouTube。

 

 口が一文字(いちもんじ)に結ばれた、クールな女の子の一枚絵――といっても上半身だけだが――が倉瀬のキャラクターだった。シャープな顔立ちが、実物どおりの高身長をうかがわせる。

 イラストは暗色で統一されている。

 (あおい)色の長い髪に、立葵の髪飾り。

 ロリータふうの装いで、黒紫のダブルブレストブラウスに、フリルつきのケープレットを羽織っている。首元で黒のリボンが結ばれたケープレットが、全体の雰囲気を引き締めていた。

 Live2Dではないので動いていないが、イラストは高品質。おそらく、プロによるものだろう。

 

 同時接続者数は19人。

 企業勢と比較すれば当然少ないが、多くのライバーが配信する中で、クリスマスを一緒に過ごそうと考えた人が19人もいると考えれば結構な人数だ。

 

 頭のなかで軽く状況を整理して、ゆっくり息を吐く。

 久しぶりの配信で、呼吸が浅くなっていた。過呼吸の兆候だ。

 

「でも、疑われるのも癪だから、先輩を召喚しちゃおっかなあ」

 

 倉瀬が有線イヤホンの片方を差し出してくるが、リモコン部分にマイクがあるタイプで、イヤーピースに向けて話したところで意味があるようには思えなかった。むやみに触って音質に悪影響を与えるのは避けたい。

 首を横に振って倉瀬を見ると、イヤホンを自分の耳に戻している。

 

「せんぱーい」

「はい、先輩です」

「緊張してます?」

「それなりに」

「大丈夫ですよ。天井のシミ数えてるうちに終わるので」

「緊張感が増してきたな」

 

 会話の途中で、倉瀬がメモを差しだしてきた。

 

〈下ネタ、OKでしたか?

 ダメだったら途中でも教えてください〉

 

 下ネタは苦手ではない。指でオーケーサインをだす。

 

「どうして先輩の部屋で配信していたかというと、バイト先に鍵を忘れて、帰れなくなったんです」

「しかもバイト先、新年まで開かないんだっけ?」

「そしたら、本当に偶然先輩と再会して、泊めてもらったんです」

「最初から言ってればよかったのに」

「正直に言ったら疑われると思ったんですよ」

 

 説明をすませて用事は終わりかと思ったが、倉瀬はまだまだやる気のようだ。

 弁明で打ち切ると、消化不良に終わると思ったのかもしれない。

 

「今日はセッ……かく先輩を呼んだので」

「不穏なところで濁さないで」

「先輩とえっちしようと思います」

「濁されてたほうがマシだったな」

「鍵っ子だけ、鍵っ子だけでいいので」

「こんなこと言いたくないけど、先っぽだよ」

「じゃあ先輩、目つむって……」

「天井のシミ数えられなくなっちゃった」

 

 今まで倉瀬の口から下ネタを聞いたことはなかったが、なかなか激しい下ネタが降り注いでくる。もともとの配信が、下ネタをベースにしているのだろう。

 予想していた配信スタイルとは違ったが、それならそれで、やりようがある。

 

「まあ、えっちは後にしましょう」

「後にはするのかよ」

「……あ、一応言っておくとあおリスのみんなは先輩にセクハラしちゃだめですからね。これは私と先輩の信頼関係あってのものですから」

「セクハラの自覚はあるんだ」

 

 厄介なコメントが流れる前に、倉瀬が牽制する。

 出てから指摘すると空気が悪くなるので、予防は大切だ。

 

 急なコラボは嫌われる。

 認知負荷がかかるし、視聴者は基本的に、配信者とリスナーの間のコミュニケーションを期待しているからだ。

 覚悟をしながらコメント欄を見ると、乱入者に対して、反応は思ったよりも好意的だった。

 

「リスナーのこと、あおリスって呼んでるんだね」

「はい。煽りカス、略してあおリスです」

「葵リスナーの略でしょ」

「……? なんでわかったんですか」

「後輩の名前は忘れないよ」

「え、ちょっと待ってください。……あれれー? おかしいですねえ。私、先輩に名前を教えましたっけ」

「探偵の追い詰め方」

 

 単純な推理である。

 ファンネームがあおリスであることと、髪飾りの立葵から推測したのだ。

 

「あの。配信終わっても、絶対に私の名前、調べないでくださいね。デジタルタトゥーなので」

「初音ミクの腕についてるやつ?」

「あの01は絶対に二進数じゃないですよ」

 

 わたしがボケると、倉瀬が視聴者にわかりやすいようにツッコミを入れてくれた。自分でも難解だと思いながらの発言だったから、助けてもらった形だ。

 

「じゃあどんなタトゥー?」

「ドラゴンのタトゥーです。下腹部にあって、興奮するとピンクに光ります」

「ドラゴンの淫紋、聞いたことないよ」

「もし配信途中のVTuberがドラゴンの淫紋を見せたら」

「最悪のもしドラだ。……あ、古城(こじょう)葵っていうんだね」

 

 コメントに活動名が流れてきたので、読み上げた。

 倉瀬の顔が、さっと赤くなる。

 

「おい、あおカスども。それは本当になしじゃないですか?」

「あおカスはむしろ、葵カスの略じゃない?」

「おしゃべりな口だ……ぢゅっ」

「なんか焼けた音したけど」

「卑猥なキスよ」

「言葉選びを(たが)った葛城ミサトだ」

「あれどう考えてもセクハラですよね」

「これもどう考えてもセクハラだよ」

 

 口がよく回る。

 わたしは倉瀬の能力に感心した。

 喋り続けることができるのは、配信者に必要な素質だ。もちろん、沈黙を心地よいものにする配信者もいる。だが、その技術も基礎のトーク力がなければ、宝の持ち腐れだ。配信の入口としてはトークがいちばん手軽なのだから、能力が高いに越したことはない。

 

「総入れ歯、ヌケニンって知ってます? ポケモンの」

「なんでいきなり諸歯(もろは)取れたの? ……ツチニンからテッカニンに進化するときの抜け殻だよね」

「そうです。ここで疑問なんですけど、ヌケニンって名前、変ですよね」

「確かに面白い響きだけど」

「いや、そうじゃなくて。抜け殻だったらヌケラレニンじゃないですか」

「語呂悪っ。抜け殻の忍者でヌケニン、問題ないじゃん」

「じゃあ先輩は寝取りと寝取られを両方NTRって書くタイプの絵師ですか?」

「まず、絵師じゃないよ」

「私は絶対に許しませんからね。先輩を寝取るのはいいですけど、先輩を寝取られるのは嫌です」

「葵のものになった記憶はないけど?」

「私もありません。気が合いますね、付き合いましょう」

「無敵かよ」

 

 急なラブコールが飛んでくる。

 わたしとの関係性を演出することで、彼氏疑惑を払拭しようという思惑だろうか。

 

「とにかく、抜けられと抜けりは区別しないと燃えますよ」

「抜けり? 響きがキショすぎる」

「ぬめりみたいで可愛いじゃないですか」

「まず、その前提を共有してないよ」

「私、子供にはぬめりって名づけようと思います。先輩ぬめりです」

「しれっとわたしとの子を宿すな。あと、わたしの名字って先輩じゃないから」

「認知してくれないってことですか?」

「そんな事実はないからね」

「そんな。せっかく、お腹を痛めて産んだのに……。これがSTR(捨てられ)……」

「また新ジャンルが出てきた」

「捨てられと捨てり」

「そこは捨てでいいでしょ」

「その理屈でいくと、抜けられと抜けりも、抜けられと抜けになっちゃうじゃないですか」

「なにが問題なの?」

「あれ? 確かに問題ないですね。じゃあ、先輩は抜けと抜けられどっちが好きですか?」

「ごめん、ふつうにテッカニンとヌケニンって言ってくれない?」

 

 話に一段落ついたところで、配信を閉じる空気になったのを感じる。

 

「まあ、今日はこれ以上のセクハラは勘弁しておいてやりますか」

永遠(とわ)に勘弁してくれ」

「リスナーに一家言あります?」

「特に講釈したいことはないけど、葵がいつもご迷惑をおかけして申し訳ありませんと」

「なんですか。まるで私があおカスに迷惑をかけているとでも言いたげじゃないですか」

「言ってるんだよ」

「最後にリスナーに一言あります?」

「なかったことにするな。二言はないから」

「みんなー? 先輩はもう二度とあおカスと話したくないって言ってますよ。嫌われたものですね」

「そんなことは言ってない」

「じゃあまた配信出てくれるってことですか?」

「なんだその誘導テクニック」

「今回の配信は、古城葵と――」

「その先輩でお送りしました」

「ありがとうございました。……ね、シミを数えているうちに終わったでしょう?」

「うちの天井、そこまで汚くないよ」

*1
ウラジミール・ナボコフ(2002)『透明な対象』若島正・中田晶子=訳, 国書刊行会, 5.

*2
シェイクスピア(1997)『マクベス』木下順二=訳, 岩波文庫, 21.

*3
ニーチェ(1993)『ニーチェ全集8:悦ばしき知識』信太正三=訳, ちくま学芸文庫, 300.

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