二周目のVTuber   作:石崎セキ

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(21)思い出②

 

 

未来を知って生きていくのが怖い、誰のことも救えずに生きていくのが怖い。*1

 


 

 遠くで雷鳴が聞こえる。

 埃っぽい窓ガラスで、雨粒が、精子のように尾を()いていた。

 

 黒板にチョークを叩きつける音。くっきりとした金釘流の文字。砕けた粉が、スーツの肩を汚している。

 蛍光灯の瞬き。

 担任が書道部に書かせた『全員合格』の文字。

 すべてがベニヤ板の書き割りのように薄っぺらい。

 ドキュメンタリー番組に感じるような胡散臭さ。起こっている出来事は本物だとしても、誰かの意図に沿った加工が施されて、不要な部分は全カットされる。放送に乗るのは、誰かが「価値がある」と判断したごく一部の素材だけ。走馬灯の比喩は、このことを適切に射抜いている。

 

 突如として、離人感に襲われる。

 わたしの魂が、世界から切り離されるような感覚。

 それは感覚と言うより、体験だ。世界とわたしの紐帯(ちゅうたい)が切れ、奥行きのない虚空に放りだされたような。もっと分かりやすい表現をすれば、世界とのレイヤーがずれたような体験。しかも、世界に取り残されたわたしの肉体が、まるでわたしであるかのように振る舞っている。このまま世界が消え去ったとしても、べつの次元にいるわたしだけは、ぽっかりと虚空に残されるのではないだろうか。

 

 精神的なショックによって離人感に苛まれる人もいると聞くが、わたしの場合、前の周でも時おり感じることがあった。

 

 それはたいてい、雨の日に訪れる。

 

 最初は小学生のときだった。

 図書室の高い棚にある性教育の本を読んだのがきっかけだったと思う。ドラマや漫画で見た場面の断片が一気に結びつき、わたしはえずいた。子どもが「自然に生まれるものではない」ことがショックだった。子どもを生むことには選択の余地があり、わたしの親は「わたしを生む選択」をした。そのことが、言いようもなく不快だった。生命のすべてを握られていて、子どもを生んだほうがよいという社会通念があるから生かされた。わたしが生まれた理由は性欲という何だか得体の知れないもの。父の、母の笑い声が聞こえた気がした。性欲はわたしが絵本で知った恋愛とはまるで異質なものだった。フィクションの恋愛こそが、わたしの求めていた恋愛で、現実の恋愛はそれとはまったく違う。

 

 つぎに感じたのは、高校に合格したときだ。

 このまま勉強を続けていたら、わたしは両親が望む通りの人生を進むことになるだろう。いや、両親の望みでさえない。これは社会の望みだ。進学し、就職し、誰かと結婚する。社会的な圧力や夫の期待に応えるため、子どもさえ生むのかもしれない。それらは滞りなく行われ、それなりに辛いことやそれなりに楽しいこともあって、それでも総合的には悪い人生ではなかったと自分を納得させながら死んでゆく。ある年齢までゆくと死因のトップは癌か心疾患になり、わたしはおそらく、もっとも平凡な死に方をするだろう。息子か娘はこれまた子どもを生み、わたしを囲んで平凡に泣く。そんな将来が思い浮かんだ。

 

 その感覚は、両親の期待通りの大学に進学したあとも、ずっとつきまとっていた。

 就職活動は早めに終わったが、卒業直前になって、蹴ってしまった。引き返せなくなる気がしたのだ。それで、バーチャルYouTuberという自分に向いていなさそうな仕事を選んだ。他の誰かの仮面を被ることで、わたしは、将来のわたしを殺すことができた。そして、いつのまにか、その仮面はわたしそのものになっていた。

 

 意識が現在に、そしてわたしの肉体に戻ってくる。

 

 わたしは真剣にノートを取っているように見える、(はるか)の後ろ姿を眺めた。

 

 今日を乗り切れば、ひとまず大丈夫だ。

 

 前回の今日、遥は死を選んだ。校舎から飛び降りて。

 遺書はなかったが、何人かの生徒が、ひとりで飛び降りる彼女を目撃していたので、自殺として処理された。

 

 わたしは遥を救うために高校時代に巻き戻ったのだろうか。そう考えれば、彼女を救えばこの不条理な事態に理由が生まれる。

 だが、この考えはしっくりこない。

 図書室を出るときに確認した時刻は、午後4時14分。わたしが目覚めてから退室するまでの時間は、長く見積もっても2~3分で、午後4時11分から13分辺りに時間が戻ったと考えられる。誰の作為も感じない時間だ。何かしらの意思が働いているなら、もっとキリのよい時間にするのではないだろうか。

 

 それに、劇的なことに理由があると考えるのは誤りだ。

 人生は物語ではない。前半で登場した銃が後半になって放たれるとは限らない。ゆえに、銃は後半になって突如として出現し、登場人物が気がつかないうちに、その人物の生命を奪ってしまう。通り魔に駅のホームから突き落とされることだってあるのだ。

 

 チャイムが鳴った。

 教師は文を書き切ることなく「号令」と指示した。起立、気をつけ、礼、と日直。教師は黒板の文字を消し、せかせかと教室をでていく。

 

 遥がわたしの机まで歩いてきた。

 

「朔乃ちゃん……書き写す前に、消されちゃって。なんて書いてあったか、覚えてる?」

 

 わたしは彼女のノートを覗き込んだ。ページを二分割する、スタンダードなノートの取り方だった。文字はお世辞にも綺麗とは言えないが、丁寧に書いていることが伝わってくる。遥はわたしの言った通りに書き写してから、

 

「朔乃ちゃんは、今日もバイト?」

 

 と訊ねてきた。

 

「いや、今日は休みだよ」

「そうなんだ? 珍しいね」

「よかったら、どこか寄って行かない?」

「どこか?」

「うん、どこか。行きたいところ、ある?」

「どこでもいいよ、朔乃ちゃん……は、どこかあるの、行きたいところ」

 

 なぜか慌てたように問われて、わたしは「映画館」と言った。

 

 

   ◇

 

 

 評判のよい映画を選んだが、失敗だった。

 

 高校生のときに破局したカップルが主役だ。

 男のほうは、女にフラれたことをまだ引きずっていた。そんなふたりは、病院で再会する。女は患者として、男は研修医として。

 微妙な距離感のふたりだが、お見舞いに来ていた彼女の親友から、彼女が当時すでに難病にかかっていたのだと伝えられる。彼女は数年先さえ生きられなかったので、未来に希望を持ちたくなかった。それで、彼と別れることにしたのだった。

 男の説得により、ふたりは再び交際を始める。だが、彼女の病気は進行する一方。彼は論文や症例を探して治療法を模索するが、効果も虚しく、彼女は亡くなってしまう。彼女の死体に、生前はできなかったキスをして映画は幕を閉じる。

 要するに、血色がよくて美人な病人とネクロフィリアの恋愛譚だ。

 

 帰り道の喫茶店で、映画の感想を話し合った。幸いにも遥も外れだと考えたらしく、悪口で盛り上がる。

 チケット代は1,000円だった。この1,000円はただの1,000円ではない。眠さに耐えてアルバイトで稼ぎ、後に1,000万円に化ける可能性もある1,000円なのだ。それに、映画を見る時間でアルバイトをしていれば、さらに2,000円ほど稼げたはず。そう考えれば、悪口のひとつやふたつ、言ってやりたくもなる。

 

「結局、病人が恋愛したら相手を不幸にする、みたいなメッセージになっちゃってない?」

 

 遥はコップの周りの水滴を指先でいじり、テーブルに何かの絵を描いていた。猫のようにも犬のようにも見える曖昧な図形だった。自動車学校で受けさせられたロールシャッハテストを思いだす。

 雨風の音はますます強くなり、ガラスの向こうでは傘が壊れた男性が濡れ鼠になる覚悟を決めて、今にも走り出しそうだった。

 

「一人で治療方法を探すのも、ちょっと独善的だよね。まず主治医と協力するべきだし、一人では読める論文の言語も限られるでしょ。それに論文って、すでに分かっていることしか書かれていないから、研修医がそこから新発見をするのは難しいと思うな」

 

 こんな滅茶苦茶な映画の評判が、なぜよいのか。人気俳優を起用したこともあるだろうが、間違いなく、ラストシーンの彼女の死も理由のひとつだろう。死には、物語としての価値がある。

 それが苦手なのだと、遥は言った。

 

「人の死を消費してる感じがして」

 

 映画の話をしていたはずだが、わたしは遥の死を思いだしていた。

 その死には確かに価値があり、クラスではその死が語り草となり教訓となり、わたしたちの人生観に影響を与えたように思う。わたしを含めて、どうせ誰も彼女とまともに話してこなかったのに、自殺をしたというだけで、クラスメイトに対して他の誰も成し得なかったほどの影響力をもった。それは遥の死がもたらした影響というより、死そのものの力だ。

 

 わたしは遥の言葉には答えなかった。その代わりに、スマートフォンをいじり、家族のグループチャットに「今日は遅くなります」と送る。

 夜八時。窓の外の男性は、いつの間にか、いなくなっていた。

 

 遥に「もう電車ないよ」と言うと、遥は「嘘」と目を丸くした。

 

「ほんとう。全線運休」

「運休? どうしよう……」

 

 遥が交通情報を調べ、青褪めた。

 彼女の家庭環境については知っている。だからこそ、今日、このまま帰すわけにはいかない。何がきっかけとなって、遥が爆発するか分からなかった。

 

「ごめんね、こんなことになっちゃって」

「ううん、朔乃ちゃんは悪くないよ。ちょっと連絡させて」

 

 遥が電話をする。耳を澄ますと、遥の母親の不機嫌そうな声が聞こえた。

 

『何?』

「ごめん……友達と勉強してたら、全線運休になっちゃって。このまま歩いて帰るのも、難しいかも」

『バスは?』

「うん、バスも難しいかも」

『……その子に替わりなさい』

「え?」

 

 遥がこちらを見る。わたしは頷いた。遥が「ごめんね」と小声で言って、スマートフォンを手渡してきた。

 

「もしもし」

 

 わたしが言うと、息遣いで、向こうの緊張が緩むのが分かった。それで、わたしに替わらせた理由に得心が行く。

 

『遥の母です。娘が、お世話になってます』

「花石と申します。こちらこそ、遥さんにはお世話になっております。今回、このような事態になったのは、わたしの責任です。申し訳ありません」

『……いえ。これから、どうするつもりですか』

 

 ぼそぼそと低い声だった。

 

「制服ですので、遅くまでお店にいることはできません。わたしの家には車がありませんので、タクシー頼みになります。ただ、このような状況ですから、タクシーの予約が殺到しておりまして……」

 

 わたしは事前に考えていた嘘を口にした。今朝の時点で、タクシーは24時に予約しておいた。少なくとも24時までは遥の無事を確認しておきたい。

 

『タクシー? 高校生が?』

「アルバイトをしていますので、ご自宅までのタクシー代は負担できます。ただ、なかなか予約が取れませんでした。配車アプリを使いましたが、お宅に着くのは、24時すぎになりそうです」

『……そうですか。色々と考えてくれて、ありがとうございます。タクシー代は、こちらで払います』

「いえ、こちらの責任ですので結構です。このたびは、大切な娘さんをお引き止めして、本当に申し訳ありませんでした」

『これからも、遥と仲良くしてやってください』

 

 声は相変わらず強張っていたが、想像よりも優しい声が聞こえた。嘘をついたことに、多少の罪悪感が込み上げてくる。

 

「遥さんさえよろしければ、喜んで」

 

 電話が切れる。

 横で息を潜めて話を聞いていた遥が、ほっとしたように大きく息を吐いた。

 

「今の話、ほんとう?」

「予約が取れなかったのは嘘。タクシーが24時に来るのはほんとう」

「……そっか」

 

 

   ◇

 

 

 喫茶店に事情を説明して、24時ごろまで留まらせてもらう。24時間営業とはいえ、未成年が出歩いてよい時間ではない。親権者の同意があることと交通状況の両面から説得することで、何とか許可をもらった。

 遥のマンションの前に着いたのは、予定通り24時ちょっとすぎだった。タクシーを出た遥に、中年の女性が近づいてきて、「おかえりなさい」と言った。

 

「……ただいま」

「花石さん」

 と遥の母親が、わたしの顔を見て、くたびれた1万円札を渡してきた。「これ、使ってください」

 

「……ありがとうございます。余った分は、あとで遥にお返しします」

 

 わたしは素直に受け取ることにした。

 電話よりも真剣味の帯びた声で、「遥を、よろしくお願いします」と言われた。

 

 わたしは無言で頷いた。

 なにを今さら、という気がした。彼女を死なせるほど追い詰めておいて、なにを今さら。

 

 タクシーが発進する。

 遥と母親は、タクシーが角を折れるまで、こちらをじっと見ていた。

 

 わたしは家に着くと、遥に「着いたよ。そっちは大丈夫?」とメッセージを送った。

 

 返事はすぐに返ってきた。

*1
チャック・パラニューク(2022)『サバイバー』新版, 池田真紀子=訳, ハヤカワ文庫NV, Kindle版, 位置No.151.

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