私と春はどちらが図々しいだろう。*1
「それでそれで、先輩の家にお泊りまでしちゃったの。しかも1週間以上!」
居酒屋のテーブル席には焼き鳥の皿がずらりと並んでいる。
対面に座る
「それで何か進展あったの?」
「進展って?」
「そりゃあ、エチエチでアチアチな展開よ」
「あ、煙草で火傷した」
「確かにアチアチだけどさぁ……」
と、萌春はビールをぐびりと行く。
先輩が吸っている煙草がどんなものかを試したら、指のつけ根を火傷したのだ。苦くて文字通り一服しかしていない。
「その先輩、煙草吸うんだ」
「うん。大学の時は吸ってなかったけど」
「それ……何でもないわ」
「やっぱり彼氏とかいるのかな!?」
思わず声を張り上げてしまった。
「声でけー」
萌春が顔を
「う、ごめん」
「彼氏はわからないけどさ、どんな感じの部屋だった?」
「いい匂いがした」
たぶんシャンプーの香りだ。早速注文したので届くのが楽しみだった。
「部屋の感想で真っ先に匂いが出てくるとか……」
ドン引きする萌春に、慌てて「ちょ、ちょっと散らかってたかな? 物はなかったけど、洗濯物とか」と視覚情報を伝える。それで写真を撮ったことを思い出した。
「あ、これ写真」
缶の梅酒を飲む先輩の写真である。可愛い。
ジャージのチャックが下りて、胸元がわずかに露出している。眼の前の萌春と、色気が段違いだ。
「おっ、可愛いじゃん。こりゃあライバルも多いわ」
ひょいっとスマホを取り上げられた。肉汁がつきそうなのでやめてほしい。
「先輩を
「じゃあ先輩だけ消しておくれ」
萌春が
「ダウナーな感じだし、小さいし、へえ……」
「みーるーなー」
「おっ、乳でかい」
「かーえーせー」
セクハラ親父と化した萌春からスマホを奪還する。
萌春はしつこい。質問攻撃にうんざりした占い師が、萌春の前世を黒カビと言い放ったこともあるくらいしつこい。占い師の気持ちはよくわかる。
だが、今回はそこまでのしつこさを発揮せず、スマホを返してくれた。
「ごめんごめん。この感じなら部屋に来るまでの関係じゃなさそうだけどねぇ。てか、イブの夜に散歩してる時点でセーフじゃない? ……あ、でもクリスマスは外出してたのか」
「え、どうして知ってるの?」
「う」
「萌春ー?」
「……配信、見たから」
「やだツンデレ」
「クリスマスにじゃないからな!? アーカイブでだからな!?」
「わかってる、わかってる」
「その態度続けたら相談に乗ってやらない」
萌春が不貞腐れ、注文用のタブレットを操作する。底知れぬ食欲に驚嘆しつつ、「ごめんね?」と目を見て謝ると「ふんっ」と顔を
「それで萌春先生に教えを乞いたいのは、またお泊りするにはどうしたらいいかってことでして」
「知らない」
「
「いや、マジで知らない。時間掛けて信頼関係を結ぶしかなくない? なにスモールステップすっ飛ばして、いきなりお泊りかましてんのよ」
「まあ女同士だし」
「意識されてないってことだろ? 先は長いな」
的確に人の急所を刺してくる。
転職するならアサシンをおすすめしたい。
「警戒されてないって言い換えてくれない?」
私の反論は、賑わった店内に虚しく響く。
「でも、すごい偶然だね。バイト先の近くで会うって」
「スゴイ偶然ダヨネ」
「まさか、あんた――」
必死に取り繕うも、取り繕ったことが丸わかりな声になってしまった。マジか、という眼で萌春が見てくる。
「いや、先輩が
せめて職場くらい先輩の近くにしたかったのだ。そんな切ない乙女心を汲んでほしい。
「それ、その先輩に言ってないよね?」
「言えるわけないじゃん。激キモストーカー女って誤解される……」
「激キモストーカー女だよ、あんたは」
即座に返される。
確かに少し気持ち悪かったかも。誰かに同じことをされたら引く自信がある。いや、引くどころじゃない。……うわ、うわうわうわ。
「ど、どうしよう。私、キモすぎるね!?」
やっと気づいてくれたか、と溜め息交じりに萌春が言う。
「
萌春の飲み食いの手が止まっているのを見て、これは相当のことだと思う。私って、ヤバい女だったんだ……
「冷静に考えたら、配信とはいえ先輩に下ネタとか……」
浮足立った心がストンと地に落ち、配信での悪行の数々が思い出される。
「下ネタは大丈夫でしょ。掛け合いもよかったし、いっそコンビ組めば? なんて――」
「それだ!」
「は?」
珍獣を見るかのような失礼な視線を向ける萌春に、私はこれからのプランを語り始めた。
◇
私の出身は、岡山の片田舎だ。
両親は田舎住まいにコンプレックスでもあったのか、娘に都などと名づけた。
岡山自体が片田舎なのではないかという意見には、事実でも名誉毀損になり得るとだけ伝えておこう。
岡山の数少ない観光資源のひとつが、ひょっとすると孫の少年のほうが有名な、
私は、その金田一耕助が訪れそうな寒村で生まれた。
小学校と中学校は同じ校舎だったし、全校生徒を足しても10人もいなかった。みんな知り合いなので、これではコミュ力も育たない。私がコミュ力を磨いたのは高校の女子寮で、ありとあらゆるバリエーションの下ネタを会得したといっていい。萌春はその同寮だ。
寮生活は、楽しかった。
私は確かに女の子が好きだが、きっと「普通」の人もそうであるように、誰にでも性的欲求を抱くわけではない。同じ部屋に住んでいた子は、幸いにも性的なタイプではなくて、特に悶々とすることなく3年を過ごせたと思う。
模試にはあまり苦労しなかったので、進学先に迷うことができた。いちばん選択肢が広がりそうな東京に行くことに決めて、無事に受かった。順調な滑り出しだ。
滑落するのは早かった。
周りの子たちの話に、まったくついていけなかった。
教員が話していることは、テキストやレジュメを読み返せばわかる。でも、周りの子たちと話が合わない。
もちろん、共通する話題が皆無なわけではない。でも、それにプラスアルファして、ブランドものや文学、絵画なんかの毛並みのいい話が自然と混ざってくる。文化資本が、まるで違うのだった。そういう教養的なことの一切に、私は疎い。美術館とかコンサートとか、行ったこともないし。そういう話が出てくると私は話に加われず、何となくグループから浮いてしまう。
親密な交友関係を築くことは早々に諦めて、演習の時にだけ協力する程度の関係に切り替え、空き時間は大学のベンチで講義の復習でもすることにした。といっても、図書館で本を数冊借りてきて、講義で扱った範囲を眺めるだけなので、大したことはしていない。
最初はそれで十分だったのだけど、学期末にレポートが出されて、私は途方に暮れた。
小論文はまだしも、レポートなんて書いたことがない。レポートの書き方、みたいなタイトルの本を読んでも、到底そのレベルで書ける気がしなかった。
見本ではなく、試験に合格する最低限のラインを教えてくれるほうが、よほどニーズがあるのに。みんながぎりぎりのレポートを投稿できるサービスを作れば儲かるんじゃないか、と思考はあらぬ方向へと展開されてゆく。
萌春は大学も違うし、まだ書いたことがなかったので、レポートについてはあまり参考にならない。
他の友達にレポートの書き方がわからないと相談しても、自分もわからないと返ってきた。
初めてのレポートにパニックになりながら、書き上げた原稿をラップトップで確認している私に声をかけてきたのが先輩だった。
「ねえ、本が落ちているよ」
最初は気がつかなかったが、どうやら私に話しかけているらしい。
見れば私の足元に、図書館で借り出した本が落ちている。折れ目がついていないか確認して、大丈夫そうなことに、ひとまず安心した。
「……あ、ありがとうございます」
「それ、私も読んだことある。面白いよね」
「私にはちょっと難しかったんですけど、レポートで使っていて」
「そう、レポートで……。
「そうです。わかるんですか?」
「教養の経済が、たまたま田尾山先生だったから」
「田尾山先生のレポートって、難しいですか?」
「……どうだろう。あんまり気にしたことはないけど、普通に書けば通るんじゃないかな。本のチョイスは間違えている感じしないし……書いてるのはそれ? 見てもいい?」
「はい、お願いします」
先輩はラップトップの前で屈み、すごい速さで画面をスクロールしていく。ちゃんと見てくれているのだろうか、と不安を覚えるくらいの速度だった。
「うん、構成も内容もいいと思う。テーマも面白いし、落ちることはまずないよ。もっと評価を安定させたいなら、こことか、あんまりレポート向きじゃない表現だから少し変えて……」
言われるがままに書き換えると、表現が、かなりレポートっぽくなった。
私は先輩と同じ年齢になったとき、同じことができるのだろうか?
このとき、少し憧れに似た気持ちが湧いたことは確かだ。
これが先輩との出会いだ。
◇
好きになったきっかけはわからない。
好意の断片のようなものが徐々に蓄積して、気がつけば好きになっていた。でも、強いて言えば――
「ふがっ」
私は足を踏まれて心地よい眠りから目覚めた。
――いや、心地よくない。めちゃくちゃ頭痛がする。
「あ、ごめん。死んだ?」
「死んでにゃい……あれ? なんで裸……? まさか……」
「まさかゲロまみれで寝る趣味があるとは思わなかったから」
私は平謝りした。