二周目のVTuber   作:石崎セキ

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(31)月のない夜

 

 

広い世の中で、自分達の坐っている所だけが明るく思われた。*1

 


 

 玄関から廊下にあがり、左へ行くと居間がある。居間の入口から正面を見据えると障子があったが、一枚、破れていた。

 

 入口の柱に、年月日と身長が刻まれている。

「京」「みやこ」の身長が刻まれ、最初は「みやこ」が小さかったが、倉瀬が高校生くらいになると「京」と「みやこ」の身長差は、わずかながら逆転していた。京さんと倉瀬は、ほぼ同じくらいの身長だ。

 お父さんとお母さんの身長も、一つずつ、残されていた。

 

 掘りごたつにつくと、湯呑に魔法瓶からお湯を注ぎ、インスタントのお茶をだしてくれる。

 

「今日は、こねぇなとこまで、よう来んさったなぁ」

「いえ、娘さんの同居相手に心配になる気持ちはわかるつもりです」

「いや、こん人は、都に会いたかっただけじゃ」

 

 京さんが言った。それで、そうか、と納得した。

 わたしが勝手に気を回しただけで、お父さんは、倉瀬に会いたかっただけなのだろう。それを素直に言えなくて、同居相手に挨拶をするとか言い出した。

 勿論、同居相手の心配もゼロではなかったろうが、倉瀬からわたしの話は聞いていると言っていた。女性同士でそんな心配はしないだろうから、本命は、そういうことだったのだ。

 だとしたら、わたしは、かえって邪魔だった。つくづく、わたしは人の心を読み間違えてしまう。

 

「じゃから(かと)うならんで、崩して座りゃあええ。そのままじゃと、えれぇじゃろ」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」

 

 せっかくなので、正座からあぐらにする。えれぇというのは意味が分からなかったが、つらいとか、その辺りの意味だろうか。

 

「に……お兄ちゃん、えらいじゃ伝わらないよ。しんどいとか、そういう意味です」

「なんじゃ、いつもみてぇに(にぃ)でええで」 

「ちょっ……!」

「っ(つぅ)! 踏むこたぁねかろう」

「先輩、知ってます? この人、小さい頃、畑でおしっこしてたんですよ! もうすぐ収穫する野菜に! もちろん処分しましたけど、最低ですよね! この……しっこメン!」

「ちょっ……! 都、何ぃ言いよる。大昔の話じゃろ!」

 

 なぜか複数形で罵倒する倉瀬を、京さんは慌てた様子で止める。

 

(にぃ)って呼んでたのも大昔じゃ……ん」

「ふぅん、二週間は大昔か。通話したとき、兄って言とったけどな」

「ぐっ……三日会わざれば刮目(かつもく)して見よって言うでしょ」

「男子じゃろ、それは」

「あっ、性差別! 性差別ですよ、先輩! 差別メン!」

「何をぉ……」

 

 倉瀬と京さんが言い争っている間、お父さんは、やれやれと言うように湯呑で唇を濡らしていた。

 わたしも同じようにして、ふたりの言い争いを見る。

 

 昼食を取ってから、倉瀬の部屋へ行った。簡素な子供部屋で、机とタンスとベッドくらいしか、物が置かれていない。「家を出るときに、全部物置きにしまいました」とは倉瀬の弁だった。

 

 倉瀬が布団を用意してくれて、少し昼寝をした。

 倉瀬もバスでの疲労が抜けていなかったらしく、ベッドで寝入っていた。わたしも、すでに眠気が最大だったので、泥のように眠った。

 

 気がつくと五時になっていた。

 

 下へ降りると、すでに食事が用意されていた。

 ここについてからは、食べて、寝て、食べて……しかしていない。しかも、今回の夕食を用意したのは倉瀬のようだ。

 申し訳なさを感じながら、食事をいただく。

 

「おお、やっぱ母さんの味じゃ」

「じゃなあ」

 

 京さんとお父さんが、しみじみと言う。

 調理方法は変わっていないけれど、野菜が違うためか、いつもより味が馴染んでいた。

 

 聞くと、野菜は自分の畑で穫れたものと、近所からの貰いものだけで(まかな)えるので、調味料と肉、魚以外で買い物に出かけることはないらしい。

 キッチンに大きな冷凍庫があり、月に一回、スーパーで買い溜めするようだ。

 大変な生活だな、と思う。倉瀬の生活力が高いのも頷ける気がした。倉瀬は高校からずっと実家を離れているそうだが、中学生のときから料理していたのだろうか。

 

 食べながら、倉瀬のことを話した。

 お父さんは、倉瀬のことを誇りに思っているようで、倉瀬の大学でのエピソードを聞かせるたびに喜び、嬉しそうに日本酒を勧めてくれた。

 お兄さんも時おり倉瀬を揶揄(からか)いながら、私の話に楽しそうに耳を傾けていた。倉瀬は恥ずかしそうにしていたが、お兄さんに揶揄われると、お兄さんの失敗談を、配信で磨き上げられた話術で披露して笑いを取っていた。

 

 こういう家族のもとに生まれると、倉瀬のような子が育つんだな、と思う。

 べつに、わたしの家族が悪いと言うつもりはない。普通の家族だと思うし、普通がなかなか得難いものであるのも知っている。結乃はまっすぐに育っているし、わたしの性格がひねくれているのは自分の責任だ。

 

 夕食を終えると、倉瀬がおずおずと言った。

 

「ちょっと散歩しませんか?」

 

 

 

   ◇

 

 

 

 外では虫の音が騒がしかった。

 

 畑に沿って、(わだち)で固められた道をしばらく歩いた。

 微醺(びくん)を帯びた顔に夕風が心地よい。無数の茄子が赤みを帯びて鈍重に揺れている。

 隣を歩く倉瀬は、今にも山間(やまあい)に沈みそうな太陽を、眩しげに眺めていた。細められた(まぶた)の奥で、瞳が夕日をよく映していた。

 

 道がふたつに分かれた。

 片方は下へ行き、片方は上へ行くものだった。倉瀬に導かれて、わたしはつづら折りの山道を登り始めた。コンクリートは(ひび)割れていて、爪を入れれば剥がれそうだった。いつの間にか夜が訪れていた。道が少し膨れた。行き違い用の待避所のようだった。衝突防止のためか、土嚢(どのう)が積まれている。

 

「あれが(うち)です」

 

 と、倉瀬がガードレールの下を指さした。遠くに灯影(ほかげ)が四つ連なっている。月のない晩に、光は頼もしかった。わたしはいつか八戸(はちのへ)で見た烏賊(いか)釣り漁船を思いだした。

 

 明るいね、という月並みな感想に、倉瀬は満足げに頷いた。

 

 土嚢に座って足を休めた。 

 

「立派な畑だよね。継がないの?」

「お兄ちゃんが継ぎますよ」

「継ぎたいって言ったら、半分くらいは継がせてくれるんじゃない?」

 

 実家での暮らしのほうが、倉瀬には幸せなのではないだろうか。わたしの頭に、そのような考えがよぎった。わたしは、倉瀬の重しになっていないだろうか。

 

「もう実家を出て、八年になりますから。その間、手伝ってきたお兄ちゃんに、今さら半分寄越せなんて言えません」

「それもそうか」

「農家は体力勝負ですし……。それに、こっちにいると、結婚結婚ってうるさくて。帰るたびに、近所のジジババどもから、東京で彼氏は見つけたか、ですよ。東京を婚活会場か何かと勘違いしてるんです」

「ああ、面倒くさいよね、あれ。うちも言われる」

「先輩とVTuberするの、楽しいですから。私は、続けたいです」

 

 内心を見透かしたかのような発言に、わたしは倉瀬を見た。暗くて表情が見えなかった。

 倉瀬がスマートフォンのライトをつけた。わたしたちは再び歩き始めた。小さな階段が森に伸びていた。苔でよくすべる階段を慎重に登った。「先輩のアパートの階段みたいですね」と倉瀬が言った。

 

 わたしたちは森に入った。

 ブナやナラなどのさまざまな木々の枝が空を蓋するように重なり、夜の闇のなかで蠕動(ぜんどう)していた。風は一枚一枚の葉を傾がせるけれど、たとえばブナの木であれば一本十万枚、十本百万枚、百本一千万枚にも及ぶ木の葉のすべてが、風速による時差をともなって擦れるものだから、森は音に満ちている。意識すると、虫の音に交じって、獣の吠える声がした。小動物が足元の(くさむら)を音を立てた。

 

 靴が半分ほど落ち葉に沈む。ブーツでよかったが、スカートでは歩きづらい。倉瀬が振り返った。光の奥に倉瀬の影が見えた。

 

 大丈夫ですか? 帰ります?

 大丈夫。道は合ってるんだよね。

 はい。バレちゃいましたか、行き先があるの。

 散歩にしては、きつい道だと思って。

 すみません、もうすぐですから。ほら、これ。

 

 倉瀬がブナの木を照らした。高い枝にリボンが結われていた。すっかり色褪せて、ほとんど白かった。

 その(こずえ)が指す先を目指して歩いた。わずかに水の音がした。視界が開けて、小さな湖が見えた。深い群青だった。木々の連なりが途切れて星空が覗いていた。星がいくつか(またた)いた。

 

 太い木が倒れていた。

 倉瀬が腰をかけた。わたしもとなりに座った。スカート越しに、ざらざらとした感触があった。蟻が数匹、這っていた。腐葉土の匂いが、していた。倒木に手を預けた。木の皮がポロポロと崩れた。しめった苔の手触りがした。ライトが消えた。湖が夜空を映した。

 

 ここ? 綺麗な場所だね。

 そう……なんですけど。やっぱり、いませんね。

 いない?

 蛍です。運がよければ見れるんですけど、もう八月なので。すみません。

 ううん、連れてきてくれて嬉しい。よかったら、また来年も連れてきてよ。

 …………。

 倉瀬?

 本当ですか。

 え?

 来年も、一緒にいますか。私たち。

 

 わたしの手の甲に、手のひらが重ねられた。しなやかで、ひんやりとした手が、すがるように。となりを見た。薄い星(あか)りが、倉瀬のうつむいた横顔をかすかに照らしていた。(ほの)白い光の()けた肌に、浅紅(せんこう)(しょく)がさしていた。首が手折(たお)れそうなほど細かった。

 手の筋肉がこわばり、弛緩する数ミリの動き。血が通るたびに皮膚が張り詰め、脈動のわずかな間隙を縫い、ゆるむ。その収縮。心臓が同時に動いているようにさえ、思う。ふたりの体温が交じる。

 

 いつしかわたしたちの手は汗ばみ、夜の森に、わずかな熱を発している。

*1
夏目漱石(1948)『門』新潮文庫, 83.

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