二周目のVTuber   作:石崎セキ

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(36)160円の意地

 

 

それを考えること屢〻(しばしば)にしてかつ長ければ長いほど益〻(ますます)新たにしてかつ増大してくる感歎と崇敬とをもって心を充たすものが二つある。それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とである。*1

 


 

 私とプラネさんは、スタジオの「コモンルーム」という誰でも使える部屋で、先輩の話をしていた。

 

 長机が四台と、パイプ椅子が並んでいる広い部屋に二人きりというのは少し寂しかったが、意外にもプラネさんが話を回してくれたので、気まずい沈黙が訪れることはなかった。

 そうして三十分も経った頃、廊下のほうでガヤガヤと話し声が聞こえた。

 収録が終わって、先輩たちが集まってきたのだ。

 

「せんぱ――」

 

 と立ちあがろうとしたとき、先輩に、やけにべったりとくっついている女性の姿が目に入った。

 よく見ると、髪型と髪色が先輩と同じだ。

 一瞬、ここにいるはずのない結乃ちゃんかと思ったが、顔つきはまったく似ていない。

 

「はじめまして、舞浜鈴音です。古城さんですか」

 

 鈴音ちゃんか。話し方が先輩に似ているとは思っていたけど、髪型も髪色も似ているだなんて。

 じっと、というより、しげしげといった感じでこちらを見つめてくる。

 

「あっ、すず――舞浜さん。はじめまして。古城葵です」

「葵は、ファンなんだよね」

「ああはい、配信、ほとんど見てます。5thライブもオンチケ買いました」

 

 ファンなので、会えて嬉しくはあるのだけど、先輩との距離感が近くて、そちらに意識を取られてしまう。

 

「ありがとうね」

「あの、お二人は……」

「友達だよ。ね、朔乃ちゃん?」

「高校の同級生でね」

 

 友達? 先輩と鈴音ちゃんが?

 

「いやあ、びっくりしましたよ。夕立さんが、鈴音さんと同級生なんて。お二人とも、お互いについて気づいていたんですか?」

 

 コドクさんが訊ねる。

 

「彼女から、VTuberになったと聞いていました」

 

 先輩が答えた。

 

「私は広告で知りました。さ――夕日ちゃんからは聞いてませんでした。騙すようで申し訳ないんですけど」

「気にしてませんよ。知り合いであろうとなんであろうと、実力がある人なら呼ぶし、ない人なら呼びません」

 

 文脈はよくわからなかったけれど、鈴音ちゃんが夕立夕日について事務所内で話していたのがきっかけで、先輩がコドクさんの企画に呼ばれたということだろうか?

 だとすると、今のやり取りは鈴音ちゃんが先輩を推したのが、先輩の要望によるものかどうかを確認するものだろう。

 

「それならよかったです。あ、そうだ、プラネちゃん。夕日ちゃんに聞いたんだけど、これからご飯なんだって?」

「エ……アッ、はい」

「それ、よければ私も参加させてもらえないかなぁ」

「モッ、勿論……! あ、古城さんは大丈夫?」

「勿論です」

 

 ここで駄目だと言えるはずがない。私は頷いた。

 

「あ、じゃあ、あたしも――」

「マフィンちゃんはcLipsのみんなと焼肉だよね?」

 

 マフィンさんを制止して、鈴音ちゃんが食い気味に言った。笑顔だけれど、少し圧がある。

 

「え、あたしが?」

「cLipsのみんなは、もう焼肉の口でしょ?」

「まあ……正直、焼肉をおごられる気満々でいました」

 

 (つむぎ)さんが言った。デビュー前の新人で、ここまで堂々と先輩に絡めるのは凄いと思う。

 

「君、大物だねー」

「ありがとうございます!」

 

 褒められてはいないと思う。

 

「うららも後輩に奢りたいよね〜?」

「あ? 別にいいけどさぁ……」

「生の星マフだぁ……」

 

 紬さんが感極まって、うっとりとした目で見ている。顔の前で拝むように手を組んで、恋する乙女といった様子だ。

 

 私も推しと会えたら感動すると思ったのだけど、鈴音ちゃんと会えたことより、先輩と友達だったことにショックを受けていた。

 

 先輩、友達がいたんだ……。

 いや、そりゃあ友達の一人や二人いてもおかしくないけれど、自分の知らない先輩を知っているのだと思うと胸が苦しくなる。それも、髪をおそろいにするほどの……。

 

「私、ちょっとお茶を買ってきます」

 

 と言って部屋を出る。

 すると、「私も」と鈴音ちゃんもついてきた。何か話したいことがあるのかと思ったけど、何も言われなかった。ひたひたと後ろをついてくるだけだ。

 自販機でお茶を二本買うと、ようやく口を開いた。

 

「朔乃ちゃんは、綾鷹のほうが好きだよ」

 

 何この女。

 

「……知ってますよ。これは、舞浜さんへの差し入れです」

「ありがとう。私も綾鷹のほうが好きなんだけどなぁ」

「……」

 

 何この女?

 

 鈴音ちゃんは、私がどう反応しようかと考えている間に、自販機に小銭を投入して、綾鷹を買っていた。

 

「これ、朔乃ちゃんに渡してくれる?」

 

 何この女!!!

 

 ムカついたので、目の前でキャップを開けて、飲んでやった。

 鈴音ちゃんのことは好きだけど、この人は少し苦手かもしれない。

 

「堂々と横領するんだね?」

「喉が渇いていたもので」

 私はもう一本、綾鷹を買った。「代わりに先輩には、これを渡しておきますね」

 

「ふふ、よろしく。意地悪して、ごめんね?」

 

 鈴音ちゃんの声、可愛いな。

 さっき苦手に思ったことも棚に上げて、そう考えてしまう。

 

「……気にしてないですけど」

「そう? ならいいんだけど」

「あの。先輩と、どういう関係なんですか」

「さっき言ったでしょ。高校の同級生だよ」

「それだけですか?」

「……そうだね。それだけ」

 

 友達以外の特別な関係なのかと訊ねたつもりだけど、鈴音ちゃんは俯いてしまった。その様子を見ると、なぜか心がギュッとなった。

 

「あの……先輩のこと、好きなんですか」

「どうして?」

「ええと、その……」

「あははっ、大丈夫。そういうのじゃないよ。あなたは選ばれたでしょ、朔乃ちゃんに。それで、嫉妬しただけ」

「選ばれた?」

「私はね、朔乃ちゃんに捨てられたの。要らないって、思われた。だから連絡を取れなくなった」

「それは、先輩がスマホを水没させたからで――」

「朔乃ちゃんなら、きっと電話番号は忘れない。LINEのIDだって」

 

 だから私は、朔乃ちゃんにとって、連絡を取らないでいい相手なの。

 鈴音ちゃんは、そう言った。

 

「それなら」

 私は言った。

 私も、そのことについてはずっと考えていたから。「私も、同じです。私も会ったのは偶然で……だから、先輩に連絡を取らないでいい相手なんだって、思われていたんだと思います」

 

 鈴音ちゃんは目を見張った。私には先輩が連絡を取ったのだと思っていたらしい。

 

「でも、今は違います。舞浜さんも、きっと」

「そうだね、ありがとう」

 と言って、鈴音ちゃんは私が渡したお茶を飲んだ。「やっぱり、このお茶ちょっと苦手だな。しょっぱくて」

 

「わがまま言わないでください。その状態じゃ、綾鷹だってしょっぱいですよ」

 

 

   ◇

 

 

 焼肉はマフィンさんたちとエンカウントする可能性があるというので、すき焼きになった。

 

 ぎりぎりで予約が間に合い、店に入ると、順番待ちの客が数組並んでいた。

 華金だけあって繁盛しているらしい。個室の座席に通され、メニュー表を見てびっくりした。

 

 ……た、高い。ライブの現地のチケットと同じくらいの値段がする。

 キャリア的に、鈴音ちゃんの奢り? いやいやいや、さすがに推しに奢られるのは……。でも、割り勘だと困るのは確かで……。

 

「好きなの頼んでいい?」

「勿論。二人も、好きなものを選んでね」

 

 先輩が私の様子に気がついたのか、鈴音ちゃんの奢りということを確かめてくれた。今度、余裕があるときにスパチャしておこう。

 

 注文すると、すぐに鍋が運ばれてきた。

 和服姿の店員さんが、バーナーで着火してくれる。

 

 すき焼きが完成するまでの間、私たちは自己紹介をした。

 外ではリスクがあるというので、本名で呼ぶようにするらしい。個室ならいいんじゃないかと思ったけど、店員さんに聞かれるのもまずいのだという。さすがに大きな事務所は徹底しているなと思う。

 

「私が先輩って呼ぶのは大丈夫なんですか?」

「変な名前だと検索されるかもしれないからね。リスナー以外にバレるリスクは減らせるから大丈夫」

 

 確かに「プラネさん」とか言っていたら、にわか程度の人にも気づかれるリスクは高そうだ。

 

「なるほど……でも、うっかり配信で本名を呼んじゃいそうで」

「そうしたら、こう」

 

 鈴音ちゃんが、親指で喉元を掻っ切る仕草をする。

 

 配信と随分と印象が違うな、と思う。

 鈴音ちゃんは、今では高槻(たかつき)さんという印象が強い。プラネさんは内田さんと知ってもプラネさんという感じが強いけど、涙を見たあとでは、鈴音ちゃんと高槻さんを結びつけるのは難しかった。

 

「実際、そういう事故とかないんですか?」

「個人勢がうっかり自分の本名を呼んじゃったとか、画面共有にメールが映っちゃったとかは聞くけど、大手では聞かないね」

「研修で散々言われるからね……」

 

 先輩の回答に、プラネさんがしみじみと返す。こってりと絞られた経験があるようだ。

 

 先輩が、牛肉をつゆにつけた。それを見て、みんないっせいに食べはじめる。

 おお……凄く美味しい。このすき焼きかライブかならライブを選ぶけど、豆腐まで美味しいのはどういうカラクリだろう。卵も、うちのスーパーで買えるものより濃厚で、……食レポの語彙力がなくて、これ以上の感想は出てこなかった。

 

「あとは商標を登録すると、権利者の名前と住所が載っちゃうから、それでバレるケースもある。個人勢の場合は弁護士に相談したり、別の人に会社を設立してもらったりする必要があるね」

「もし商標を登録しなかったら、勝手に商標を取られちゃうかもしれないってことですか?」

「活動実績があれば争えはするよ」

「商標周りはややこしいからね。個人勢の友達がそれで騙されてた。うちで商標を管理しますよ、って言われて依頼しちゃうと、商標の権利を取られちゃうの。それで管理費とか称して、月に数千円取られるんだって。まあ、脅迫だよね。弁護士に頼んで契約解除してもらったけど、かなり費用がかかったって言ってた。二人も気をつけたほうがいいよ」

 

 高槻さんが恐ろしい手口を解説した。

 ある程度の人気が出ると、こういうことも起こるらしい。私たちには、まだ先の話に思える。

 

「ヘェ……そんな手口があるんですね……」

 

 と、プラネさんが感心する。

 

「遥は法学部だから、そういうの詳しいよね」

「法学部なんですか?」

「ああ……うん、一応。でも、法学部だから法律に詳しいでしょっていうのは、天文学者なら星の名前全部言えるでしょ、ってくらい無理があるからね」

「天文学者なら星の名前くらい全部言えるんじゃないんですか?」

 

 プラネさんが口を挟んだ。

 

「星がいくつあると思う?」

 

 先輩がツッコんだ。

 

「女の数くらいでしょ? エート……三十五億!」

 

 女なんて星の数ほどいるという言葉を真に受けている人をはじめて見た。

 というか、三十五億あると思っているなら、星の名前を全部言えるんじゃないかという発想はどこから来たのだろう。

 

「地球上の砂粒より多いよ」

「エッ!」

 

 プラネさんは肉を小皿に落とした。生卵が服にかかって、慌てて拭いている。

 これくらい驚いてくれると雑学の披露のしがいがあるだろうな。リスナーに教えてあげよう、とプラネさんが言ったけど、みんなすでに知っていると思う。

 

「星に自分や他人の名前をつけられるサービスもあるから、配信でやってみたら?」

「そんなのがあるの!?」

「あくまでも、その会社が勝手にやってることだから、自分で名前をつけるのと変わらないけどね。適当な猫を見つけてミケって呼ぶのと同じ。他の人はタマって呼んだり、ムギって呼んだりするかもしれないけど、その会社ではミケって呼んでくれる」

「ふぅん……それ聞くと、大したことなさそうだけど」

「たとえ嘘でも、推しの名前の星があったら、ファンは嬉しいんじゃないかな。ほら、星にまつわる名前だしさ」

 

 先輩がそういうサービスに好意的なのは意外だったけど、本人としてはそこまでロマンを感じているわけではないんだろうなぁと思う。

 「たとえ嘘でも」とか、言っていたし。

 商標の流れも踏まえると、詐欺まがいのビジネスとして認知している可能性さえある。

 

「いいね、内田さんに合った企画かも」

「それは……そうかも! いいこと聞いたナァ!」

 

 プラネさんは、配信で星の名前をつけると息巻いた。

 

 

   ◇

 

 

 食事を終えて外に出た。

 

 先輩は半分払うと言ったけど、高槻さんは「今度奢って」と言って、先輩のLINEとDiscordは勿論、電話番号、現住所と実家の住所まで聞き出していた。

 私も電話番号まで聞かれたが、二度と逃さないという決意のようなものを感じる。

 

 高槻さんは笑顔で、「また連絡するね! 今度コラボしよ!」と駅に向かった。

 プラネさんも、「今日はいっぱい配信のアイディアもらった!」と意気揚々と帰っていった。

 

「楽しかったですね」

 

 と私は言う。

 返事が返って来なかったので、私は隣を見た。

 

 先輩はぼんやりと空を眺めていた。

 

 地球上の砂粒よりもあるはずの星は、東京の空には、一つも浮かんでいなかった。

*1
イマニュエル・カント(1927)『実践理性批判』波多野精一・宮本和吉=訳, 岩波文庫, 225.





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