君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつまでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し決して単なる手段として使用してはならない。*1
コンビニで煙草を買って、すぐ外のゴミ箱に捨てる。
わたしは、何をしているのだろう。
古城葵&夕立夕日ちゃんねるは、もう軌道に乗った。
コドクさんのチャンネルに動画が上がれば、倉瀬のシフトを半分くらい減らせる金額にはなるのではないだろうか。これで、配信への準備に時間をかけることができ、ますますチャンネルを伸ばすことができるようになる。この勢いを維持すれば、YouTubeだけで食べていくことも、夢ではないだろう。
だから、この喉はもう、わたしだけのものではない。夕立夕日のものだ。
そのはずなのに。
遥を見て、わたしは羨ましいと思ってしまった。
舞浜鈴音であることが、
だがそれは、夕立夕日に対する裏切りだ。
遥と倉瀬に対する裏切りでもある。
三周目を迎えることになったら、わたしはどちらを選ぶのだろう。
死それ自体は怖くない。
死後の世界が存在せず、ただ無だけがあるのだとすれば、どれだけありがたいことだろう。
だが、そうではないことを、わたしは知っている。
時間が巻き戻ること。
それが、何よりも怖ろしい。
ワイ「人肉美味かったンゴねぇ…」
「ウミガメのスープです。ある男は偶然、恋人が他人とキスをしている現場を目撃しました。その夜、男は、恋人に優しく接しました。いったい、なぜ?」
「今日はそういう回なんだ。イエスかノーかで答えられる質問をして、真相に辿りつけばいいんだよね。恋人とその他人は恋愛感情でキスしていますか?」
「イエスです」
:えっ、今日はウミガメのスープを飲んでもいいのか!
:俳優とか演技のセンを潰したのか、さては慣れてるな
:¥3,000 俺は寝取られ願望があったに賭けるぜ
「せっかく三千円も払ってくれたし、聞いてみようか。男には寝取られ願望があった?」
「イエス」
「終わっちゃった」
「返金するので、住所、氏名、電話番号、口座番号、好きな子の名前を教えてくださいね」
「リスナーの個人情報を抜くな」
:返金と好きな子の名前との間に何の関係が…?
:スパチャしたリスナーにする仕打ちか?
:絶対ナイショだぞ
「もちろん、誰にも言いませんよ」
:夕日ちゃん
「あっ、聞きました? このガキ、先輩が好きみたいですよ!」
「リスナーをガキ呼ばわりするな」
:極悪がよ
:秒で約束を破る女
:絶対ナイショって言ったじゃん!
「本当の正解は、殺す前にいい思いをさせてあげたかったから、です」
「もしかして、サイコパス診断をやらされてる?」
「不正解だったので、再試です」
「この文脈で再試って言われると、サイコパス診断の略称に聞こえるんだよな」
「ある社長令嬢が殺人を犯しました。それを知って、使用人は安心しました。いったい、どういうことでしょう」
「サイコパス診断の匂いがする」
「元々のウミガメのスープ自体、物騒ですから」
「それもそうだけど。使用人と彼女の関係は良好だった?」
「イエスです」
「つまり、社長令嬢にいじめられていたわけではないんだね。じゃあ令嬢とか自分とか周囲の人とか、関連する人物の身を案じている?」
「誰かの身を案じているわけではないです」
「その安心は、自分本位のものだった?」
「これはイエスですね」
:これで先輩がサイコパスだったらどうするんだよ
:かつて食べた肉が人肉だったから←確かにサイコパス診断かも
:先輩の質問、無駄がなくて美しい
:古城、もう20秒もボケてないぞ そろそろボケなくて大丈夫?
「使用人は、保身ができると思って安心した?」
「そういうわけじゃないです」
「殺人によって、使用人にとって不利な状況が好転した?」
「イエスです」
「殺された人間についての情報は必要?」
「必要ないです。……先輩、ちょっと真剣すぎじゃないですか?」
「ごめんごめん、集中しちゃった。今までの情報をまとめると、使用人と令嬢は仲がよかったけど、令嬢が殺人を犯したことで、使用人の状況が改善した、ってことだよね」
:クイズに夢中になって配信を忘れちゃう先輩かわいい
:これでカスみたいな答えだったらグーパンするからな
:使用人に不利な状況は、何かが発覚すること?
「何かが発覚するわけじゃないです」
「保身もノーだからね」
:難しい
:使用人と令嬢の関係性は重要?
「重要です」
「ただの主従関係じゃないのか。親子?」
「違います」
「恋人?」
「違うんですが……」
:百合?百合ですか?
:恋人でもないとなると、夫婦とか?
:友人ではないよなぁ
「恋人ノー、夫婦ノー、友人ノーです」
「使用人が、片思いしてる?」
「はい」
:片思いしている相手が殺人を犯したことで状況が改善?
:わかったかもしれん
「もしかして、めちゃモテ令嬢だったりする?」
「うちのリスナーに『ちゃお』の読者はいないですよ。みんな知ってます? めちゃモテ委員長。でも、社長令嬢はめちゃモテです」
:先輩が『ちゃお』読んでるのいいな
:そりゃ社長令嬢ならめちゃモテか
:社長令嬢はめちゃモテです!ってドラマありそう
「使用人は社長令嬢に片思いしていたけど、ライバルが多かった。殺人を犯したことで、社長令嬢は地位と名誉を失い、ライバルが少なくなった。だから、使用人は安心できた」
「正解です」
「やっぱりサイコパス診断じゃない?」
:純愛やね
:最後のコマが黒塗りで、吹き出しに「お嬢様」とだけあるやつだ
:極度に発達したサイコパス診断はウミガメのスープと見分けがつかない
「第三問! 恋人が浮気しているかもしれないと思ったので、女は駐輪場に向かいました。いったい、どうして?」
「恋人のスマホのパスワードを知るためかな。自転車のダイヤル錠は基本的に四桁だから、スマホのパスワードが四桁の場合、再利用している可能性が高い」
「……正解です」
「さ、つぎの問題だね」
「先輩、尺が足りなくなります」
「そしたら巻きで終わらせればいいよ」
「どんだけクイズやりたいんですか」
:あっクソ自分で閃きたかった
:普通にウミガメのスープなのかよ
:詳しいね、やってた?
:先輩、クイズ好きなんだ
「クイズ嫌いな人なんていないでしょ」
「仕方ないですね。じゃあ、第四問です。夫の葬式に」
「息子の葬式で会えるから」
「正解です」
:やっぱりサイコパス診断じゃねーか!
◇
「すみません、フォローしてもらっちゃって」
「いや、面白いクイズだったよ」
古城葵の配信とウミガメのスープは、あまり相性がよくない。
ボケまくるスタイルと、熟考を要するクイズの食い合わせが悪いからだ。
倉瀬が「まずい」という顔をしていたので、今回はわたしが出しゃばることにした。
だが、そんな必要はなかったのかもしれない。配信は水ものなので、上振れすることもあるし、下振れすることもある。問題は、その下振れを愛嬌として受け入れてもらえるかどうかだ。
古城葵には、そう考えてもらえるだけの魅力がある。
倉瀬は風呂に入りに行った。
配信後の風呂が至福なのだと、前に言っていたこともある。
わたしは、シャワーですませたいタイプだ。
何かをしていないと、余計なことを考えてしまう。昔からその傾向はあったが、最近は、いよいよ酷い。
舞浜鈴音に会うことは、織り込み済みのはずだった。遥が業界にいる以上、こちらから頼むのは虫の良すぎる話だが、向こうから頼まれたなら断る理由はないと思っている。コドクさんも言っていたことだが、使えるものは何でも使い、使えるときはいつでも使えばいい。
理屈ではそう考えていても、いざ会ってみると動揺してしまう。
スマートフォンに着信があった。
「もしもし」
「朔乃ちゃん、配信お疲れさま。今日も面白かったよ」
「そう? それなら、よかった」
面白かった……本当だろうか?
「朔乃ちゃん、ストイックだよね」
わたしの疑念を察してか、遥が言った。
「葵の実力を引き出すのが、役割ってだけだよ」
「もっとエゴを出しても、大丈夫だと思うよ?」
「善処する」
遥が、それを言うのか。
自分自身を殺して生きてきたような子だったのに。比喩的な意味でも、文字通りの意味でも。
「葵ちゃんも、凄いよね」
「そうだね。おかげで、楽をさせてもらってる」
本心だ。
わたしは面白いことを言うのが苦手なので、倉瀬のおかげで助かっている。
「楽……? 冗談でしょ」
「冗談言うように見える?」
「冗談言うように見えなかったら、VTuber失格だと思うよ」
「それもそうだね」
遥も舞浜鈴音として、随分とトレーニングを積んだようだ。
彼女のアーカイブを見るのは気が引けたが、すき焼きのあと、何本か見てみた。わたしと同じで、お悩み相談を含むマシュマロを主体とした配信だったが、定型句を改変して反応するわたしとは違い、口ごもることも多く、丁寧に向き合っている印象を受けた。きっと、感受性が強いのだろう。
「
「そう見えたら、VTuber失格だね」
「見えないけど、でも……」
「そうだね。ごめん」
「まだ、何も言ってないよ?」
「言おうとしてたでしょ」
「言おうとしただけ」
わからない。
遥が何を言いたいのかがわからない。激励のつもりなのか、あてつけのつもりなのか。
なぜ、わたしはすべてを悪いほうに取ってしまうのだろう。
わたしは、遥を信じるべきだ。遥は、こんなわたしのことも見捨てないでいるのだから。
だが、それは遥が、今のわたしを知らないからだ。実情を知ったら、きっと離れていく。
そんなことはない。遥は優しい子だ。お前は、遥の何を知っている? 何も知らない。お前は、遥を見たことがないから。かつて死んだ子として見て、今は偽物として見ている。遥に、かつてのお前を重ねている。かつて死んだのも、偽物なのも、お前なのに。
頭の中が、うるさい。
電話口で、誰かが何かを言っている。
そうだ、今は話しているんだ。意識を、そちらに戻さなくては。
「朔乃ちゃんは、変わってないね。ずっと、朔乃ちゃんだ」
「それ、褒めてるの?」
「もちろん」
◇
わたしは、洗面所へゆく。
鏡の前で笑みを作ってみる。
舞浜鈴音は、もっと無邪気に笑う。
舞浜鈴音は、もっと屈託なく笑う。
舞浜鈴音は、ずっと笑顔だった。
花石朔乃は、舞浜鈴音ではない。
夕立夕日は、もっと穏やかに笑う。
夕立夕日は、もっと愛想よく笑う。
夕立夕日は、もっと自信を持っている。
花石朔乃は、夕立夕日ではない。
◇
「せんぱーい、お風呂あがりましたー」
「ありがとう」
わたしはシャワーを浴びる。
頭の中に、遥の声が蘇る。
「葵ちゃんは、手放しちゃ駄目だよ」
遥に、そんな風に思わせていたのか。わたしは、どれだけ遥を馬鹿にすれば気がすむのだろう。
わたしがいなくなったほうが彼女のためになると思っていた。だが、それはわたしのエゴだった。
遥を助けた? 本当か? 生きていたほうがマシだったと言えるか? 彼女を救ったと悦に入るなら、救い切らないと駄目だろう。
エゴを出したほうがいい? そんなわけがない。
わたしは、わたしを殺すべきだったんだ。
花石朔乃はいらない。舞浜鈴音もいらない。
そうすれば、すべてが解決する。
わたしは、倉瀬の部屋のドアを叩く。
「……先輩?」
「開けていいかな」
「は、はい。あ、でも……散らかってるので!」
「大丈夫。倉瀬が部屋を開けるとき、見えてたけど、そんなに散らかってなかったよ」
「え、見えてたんですか?」
早くすませたい。
部屋が開く。
倉瀬が、後ろを気にしている。
さっきまでベッドにいたのか、掛け布団がわずかに乱れていた。
「……先輩?」
わたしはベッドに向かう。
わたしが進むにつれて、倉瀬が後退する。
「倉瀬」
「……え?」
わたしは倉瀬をベッドに押し倒す。思うよりあっけなく、それは倒れる。わたしはそれに覆い被さる。わたしはそれに口を近づける。
「だめ……だめですよ、先輩」
倉瀬が上体を起こす。
わたしは、倉瀬に抱きついているような格好になる。
「どうして」
「先輩。嫌なことは、しなくても、いいんです」
「そんなこと」
「わかりますよ、相方ですから」
「……」
「……」
「……ごめん……倉瀬を、傷つけた。……本当に許されないことを、した。……ごめん、なさい」
「大丈夫ですよ。私は、どこにも行きません。だから、大丈夫です。大丈夫……」
倉瀬の手が、わたしの背中を撫でる。
謝り続けるわたしに、倉瀬が言う。
「何があったのか、話してくれますか?」