二周目のVTuber   作:石崎セキ

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(04)繭を身籠(みごも)

 

 

閉じた回路の中自分の似姿を追いかけてまたもとの居場所へ*1

 


 

 わたしの入った(まゆ)を、スタッフが大きな台車から下ろす。

 障子紙でつくった繭の内側で、わたしは目をつむり、イヤーモニターから聞こえてくる声に耳を澄ましている。

 

「5秒前。4、」

 

 カウントダウンが始まった。

 目を開いても、あるのは暗闇だけ。

 誘導灯さえ消えた会場は、宇宙の果てのように真っ暗で、5,700席が埋まっているとは思えない。

 

「3」

 

 わたしがいるのは、ステージの中央。

 向かって左手――いわゆる下手(しもて)には、会場のスタッフとマネージャーが待機している。

 上手(かみて)では、大掛かりな機器を専門のスタッフが操作している。

 だが、完全な暗闇を演出するために、ドアは閉じられていた。

 舞台には、わたしひとりしかいない。

 

「2」

 

 暗闇のなかでは聴覚が鋭敏になる。

 わたしたちの祖先は、夜行性の捕食者に怯えて眠った。そのために、かすかな物音を聞き取れるように進化したのだろう。

 さっきまでは感じなかった5,700人の呼吸が、大きなうねりとなって鼓膜を、そして皮膚を震わせる。

 

「1」

 

 背後のパーライトが、目が眩むほどの光を放った。

 消灯のためにスリープモードだったノートPCがすぐに起動し、会場の様子を映す。

 舞台の中央には大きな繭がひとつ。そのなかに人影がある。

 わたしは、繭の内側で手を掲げた。同時に背後のスクリーンに投影された舞浜(まいはま)鈴音(すずね)の3Dアバターが、手を掲げる。

 

 観客が演出の意図を理解するまでのコンマ数秒の隙をついて、スクリーンが再び真っ暗になる。

 そして。

 タイトルが表示された。

 

 

 

繭を身籠る

 

Suzune Maihama

5th Anniversary LIVE

 

 歓声、そして拍手。地響きのような。

 

 

   ◇

 

 

 またあの夢か。

 

 アラームを止め、わたしは内心ぼやいた。

 最近処方された睡眠導入剤には、副作用として「幻覚、せん妄、錯乱」に並んで「悪夢」と書いてある。

 冗談じゃない。どうかしている。猫アレルギーの愛猫家に、副作用に「猫への恐怖」がある抗アレルギー薬を処方するようなものだ。誰がそんな薬を飲みたがるというのだろう。 

 

 汗でびしょ濡れの寝間着とシーツを洗濯機に放り入れ、冷たいシャワーを浴びる。

 心臓が悲鳴をあげたが、おかげで冷静さを取り戻した。

 

 製薬会社も精神科医も、人でなしには変わりないが、弁護の余地はある。

 夢の原因は、倉瀬と配信をすることを決めたからかもしれない。それで亡霊がよみがえったのだ。

 

 シャワーから上がると、インターホンが鳴った。

 時間ちょうどだった。

 

「はい」

 

 と返事してから、念のため、ドアスコープの布カバーをめくり、背伸びをしてレンズを覗く。

 倉瀬が両腕をクロスしてピースしていた。

 ずっと、この体勢をキープしていたのだろうか。……待たせたのが申し訳なかったな。

 

「先輩」

 

 と、まるで挨拶のように倉瀬は言う。

 

「おはよう」

「おはようございます」

「せっかくだし、外で話そうか。カフェインは大丈夫? コーヒーでもおごるよ」

 

 

   ◇

 

 

 アパートの正面の公園は、坂を途中ですっぱり切ったような高台にある。

 2階のわたしの部屋から見れば、砂場の中央にある灰色のすべり台と、端にあるバネ仕掛けの鳥の遊具が2匹だけの寂しい公園だが、近所の幼稚園の園庭の代わりになっており、いつも賑やかだ。

 

 倉瀬が「先輩は幼稚園のときってどんな子どもだったんですか?」と尋ねてきた。

 

「極力、トラブルがないように過ごしていたよ。話が通じない相手は苦手だから」

「小さいときからそうなんですか?」

「その時点で人格は完成していたんじゃないかな。身長も、そのときからそんなに伸びてないし」

「身長って人格と合わせて成長するんですか? だとしたら私、人格が成長しすぎですね」

 

 倉瀬は170センチを越していて、わたしとは20センチ以上の差がある。表情があまり変わらないが、つき合っているうちに、愉快な性格をしていることがわかってきた。

 

 消防署の前にある肉のハナマサを右に折れ、2分ほど歩くと、雑居ビルの間に階段がある。

 階段を降りた先が〈clarté lunaire(クラッテ・リネール)〉。店名のとおり、月明かりをモチーフにした喫茶店だ。夜にはカップルが多いが、平日の昼間ということもあり空いている。

 

 金髪で右耳にピアスをつけた、学生のアルバイトが席を尋ねてきた。

 

「お煙草はいかがなさいますか?」

「禁煙席で」

 

 彼は少し驚いたような顔をして、後ろの倉瀬を見て納得したように頷く。どうやら、わたしは喫煙者として認知されているらしい。

 入ってすぐのところにレジがあり、右が禁煙席、左が喫煙席に分かれている。それぞれのブースの中央に、ひとつだけある大きな照明が、月をかたどっていた。

 禁煙席ではあるが、向こうから煙草の臭いが仄かに漂ってくる。ふだんは喫煙席なので気にしていなかったが、分煙対策は甘いらしい。

 

 できるだけ奥を選び、座る。倉瀬は「わ、おしゃれですね」と上機嫌だ。

 雑談をしていると、注文したケーキセットが届いた。コーヒーには興味がないので、〈当店おすすめ〉のムーンブレンドの味は、まあ飲める、という評価しかできない。それよりも、なぜ店名はフランス語なのにメニューは英語なのかが気になる。フランス語が読めない客を、慮ってのことだろうか。大抵の客は日本語でも名前なんて気にしないので、クラッテブレンドと書いても同じような気がするが。

 レアチーズケーキをフォークで崩しながら、本題に入る。

 

「それで、配信についてだけど」

「え、あ、はい」

 

 すでにショートケーキを頬張っていた倉瀬が、慌ててフォークを置く。

 

「そのままでいいよ」

「はい。ええと……では、まず、立ち絵についてですが。私の絵を担当してくれた先生に依頼するのでいいでしょうか」

「うん、絵柄は揃えたいよね」

「それで、その、Live2Dの料金込みで、25万円くらいかかるんですけど……」

 

 倉瀬が口ごもる。

 もちろん、倉瀬に払ってもらおうとは思っていない。

 

「25万ね、わかった。他に必要な費用はある?」

「ありがとうございます。ええと、マイクとカメラがあれば」

「オーディオインターフェースとかは用意してない?」

「マイクとカメラだけです」

「じゃあ、それも買うから。代わりに、一緒に配信するときは、うちに来てよ」

「もともとお家にはうかがうつもりでしたけど……大丈夫ですか? かなりの出費ですよね」

 

 1周目と同じ機材を揃えるなら、60万円程度になる。2Dモデル込みで、85万円。倉瀬に言うつもりはないが。

 正直に言えば、1年以内に元を取れる見込みはない。倉瀬が続けていれば、いずれ届く金額ではある。だが、期限を区切るなら、かなりの幸運が必要だ。

 

 だからこそ。

 わたしが倉瀬に残せるものは、それくらいしかない。わたしの勝手に付き合ってもらったお礼として、遺品を渡せればそれでいい。わたしの家族には不要だろうから、遺言状をしたためておけば、遺産分与で揉める心配もないだろう。

 

 だとすれば、前回以上に思い切った買い物でもいいかもしれない。

 

「音質が悪いと、視聴者がつかなそうだしね」

 

 音質を改善するだけで、視聴者は劇的に増えるだろう。

 

「他に気になることってあります?」

「収益化したときの取り分。乗っからせてもらうのに悪いんだけど、5:5でいい?」

 

 わたしとしては、収入はすべて倉瀬に渡してもいい。人生を何周かできるくらいの蓄えはある。

 でも、そんな関係性は長くは持たない。わたしはいずれ、倉瀬の言動に目くじらを立てるようになるだろう。倉瀬が買うものに難癖をつけるかもしれない。そしてまた倉瀬も、わたしの機嫌を過剰にうかがうようになるだろう。人間関係を壊すには、金はうってつけの道具だ。

 

「あ、それは勿論。収益化、考えたことなかったです」

「収益化したら、それで食べていくつもり?」

「できれば。バイト生活から抜け出したいですし。厳しいとは思いますけど」

「そうだよね。事務所に入ってないのに、事務所のデメリットだけあるようなものだし」

 

 事務所のデメリット。それは勿論、収益の取り分だ。

 わたしが()()所属していた事務所では、投げ銭の30パーセントが事務所の取り分だった。投げ銭は例外的で、基本的には収入の50パーセントが事務所に取られていた。

 それでも、わたしはVTuberとして生活するには企業勢になるしかないと思う。スタート時点での伸び方がまったく違うからだ。

 

 では、企業勢の半分の視聴者さえ得られれば、個人勢のほうが利益が得られるのか。残念だが、そうではない。

 いちばん大きいのは、案件の問題だ。広告代理店を挟んだ企業案件は、たいてい大手事務所に流されるし、そうでなくても企業はやり取りがスムーズな相手を好む。企業に依頼するデメリットは、お金がかかることくらいなのだ。つまり、個人勢に回ってくる案件の大半は安くてうまみのない、しばしば詐欺まがいの仕事ということになる。

 企業勢は給料の半分で、優秀なマネージャーを複数雇い、スケジュール管理、案件の仲介、グッズ展開、新しいモデルの用意を行なってくれる。個人で同じことをしようとすれば、時間と収入のほとんどが消し飛ぶだろう。

 

 そんなことを説明すると、倉瀬は「初めて気がつきました」というような顔をした。

 

「初めて気がつきました」

 

 そして実際に言った。

 

「でも、そういう戦略を考えてくれる先輩もいますし、先輩なら私の倍以上の数を集められます。機材も貸してもらえますし、すごく得しちゃいますね」

「……いや、倉瀬のほうがすごいと思うよ」

「えへへ、ありがとうございます」

 

 本心だったが、倉瀬は露骨に照れた。少しチョロいのが心配になる。

 

「それじゃあこれからのスケジュールだけど――」

*1
中澤系(2018)『中澤系歌集:uta0001.txt』皓星社, 139.

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