『~~~♪』
時刻は朝の六時半。スマホのアラームを手早く止め、のそのそと体を起こす。
その場で何度か伸びをしたり目を擦ったり少しの間ボーっとする。私はあまり寝起きが良くないのだ。次第に意識がはっきりしてくると、視界の端に鮮やかな金色が映った。そっとそれを撫でてやると、もぞもぞと布団に潜り込んでいってしまった。
残念、フラれてしまった。
二度寝の誘惑を払いのけリビングへ向かうと、食欲をそそるいい香りがした。
「おはよう。虹夏」
「あ、おはよう! お姉ちゃん」
こちらに溢れんばかりの笑顔を向けてくれたのは、妹である虹夏だ。制服の上からエプロンを身に着け、フライパン片手にキッチンに立つ姿は様になっている。
「朝ごはんもうすぐだから、お姉ちゃんは座って待っててね」
とのことなので、折角だしお言葉に甘えさせてもらうことにした。テレビを点け適当にチャンネルを変えてみるが、これといって目を引くものもなく、目線は再びキッチンにいる虹夏に向いた。微かに聞こえてくる鼻歌と、連動して動いているアホ毛に思わず口角が上がる。
「んー、どうかした?」
チラリとこちらを窺う虹夏に、なんでもないと手を振る。いくら何でも七つも下の妹に向かって新婚みたいだ『ガチャーン!』な、んて……?
「し、しし新婚!?」
「……ああ、ごめんね。雰囲気というか、空気感が夫婦っぽい『ガチャーン!』というか——」
「夫婦!?!?」
「うん、虹夏ちゃん。ちょっと落ち着こうか」
顔を真っ赤にしながら立て続けにお皿を割っていく虹夏をなんとか落ち着かせ、散らばった破片を拾い集めていく。しばらくすると、我に返った虹夏が慌てて破片に手を伸ばそうとしたので、既での所で待ったをかける。
「ストップ。破片は私が片付けるから触らないで」
え、でも……と渋る虹夏だが、私も譲る気はない。平時ならともかくとして、今はダメだ。
「もし怪我したらどうするの。今の虹夏の手は、貴方だけのものじゃないんでしょ」
その言葉にハッとすると、ごめん、なさい。と小さく零した。素直に謝れるのは偉いし、全く気にしていないから問題ない。けど、そうじゃないでしょ。
諭すように分かりやすく口角を上げながら、首を横に振る。すると、もう一度ハッとした虹夏は私に倣って笑顔を浮かべた。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「いーよ」
割れたお皿を片付け、私たちはいつもより少しだけ遅い朝食を摂っていた。余談だが「ウインナー焦げちゃったね、えへへ」とはにかむ虹夏は大変眼福でした。
「ところで遂に当日だね。問題なさそう?」
「大丈夫! ……って言いたいところなんだけど、ちょっとね」
そう、今日は虹夏が所属するバンド『結束バンド』の記念すべき初ライブの日なのである。リビングにあるカレンダーには、今日の日付に大きな赤丸がしてあり、その下には『初ライブ!』と書かれている。かなり気合が入っているのだろう、日が経つにつれ虹夏がカレンダーの前に立つ回数は増え、昨日に至っては確認出来るだけで五回は睨めっこしていた。
「何か不安なことでもあるの?」
もちろん、どれだけ練習を重ねたとしても緊張や不安が完全に無くなることなどないだろう。ましてや結束バンドにとって初めてのライブだ。これで何もないと言われた方が逆に心配になる。
「結局一回もギターボーカルの子と合わせ練習出来なかったんだよね」
アホ毛をしおらせながら虹夏は答えた。そこまで音楽に精通していない私だが、それでもバンドというものが完全な個人プレイで成立するものではないことくらいは分かる。ちょっとで済む問題ではない気がするのだが、虹夏の表情はアホ毛とは裏腹に気負った様子はない。もしかしたら合わせる必要もないくらいの実力者なんだろうか。
「なんとかなるよ! うん、きっと大丈夫!」
あ、ただの開き直りだった。虹夏は普段しっかり者だけど、ストレスや緊張が一定を超えると一気に崩れちゃうんだよね。とはいえ何事もなく成功で終わるかもしれないし、今ここでこれ以上負担をかけてもしょうがないか。
「まあ私もライブ見に行くし、緊張し過ぎずにね。楽しむことが大事だよ」
「うんっ! 期待しててね、お姉ちゃんのことも楽しませてみせるよ!」
むん、と力こぶを作って見せる虹夏。その顔が曇らないことを祈るばかりだ。
「さて、そろそろ支度してきな。食器は洗っておくから」
「え、もうこんな時間! ごめんお姉ちゃん、よろしくっ」
なんだかんだゆっくりしていたようで、登校時間が迫ってきていた。席を立ち、パタパタと駆けていく。その後、お皿を洗い終えた頃に虹夏も準備を終えて戻ってきた。
「じゃあ行ってくるね、お姉ちゃん」
「うん。行ってらっしゃい」
はいっ。と玄関で腕を広げる虹夏。いつからか習慣となっている、行ってらっしゃいのハグ(虹夏発案)だ。当初はこんなに続くとは思っていなかったが、高校生になっても続いていることを考えると一生このままかもしれない。柔らかいし、暖かいし、いい香りするし役得でしかないから良いんだけどね。
「ん~、満足」
「それは良かった」
「……ね、お姉ちゃん」
抱き合った状態で虹夏は背伸びをすると、私の耳元に口を寄せた。
「さっきみたいな、夫婦とか新婚とか。私以外に言っちゃだめだからね」
内緒話のように囁くと、するりと腕から抜け、飛び出して行ってしまった。
うわぁ、いつの間にあんなこと言うように……。~~っ、耳が熱い。鏡を見なくても赤くなっているのが分かる。
虹夏を見送ったら起こしに行こうかと思ってたけど、落ち着いてからにしよう。
「今日ばっかりは起きるのが遅いことに感謝しなくちゃ。こんな所恥ずかしくて見せられないし」
「ふーん。誰に見せられないんだ?」
独り言のつもりだったのに。不意に返ってきた声の方を向くと、そこにはニヤついた顔を隠そうともしない私の姉、星歌がいた。
「いつの間に起きてたの。というかいつからそこに」
「虹夏が腕を広げた辺り」
「ほぼ最初からじゃん。なんで声かけてくれないの」
「邪魔しちゃ悪いかなと。それに気づかない方が悪い」
全く、ああ言えばこう言うんだから。楽しんで見ていたくせに。私の布団で寝てたくせに。
「私を抱かないと寝れないくせに」
「おい、その言い方は誤解を招くから止めろ!」
何も間違ったことは言ってないし、外では言わないから大丈夫。だからそこで「ぬいぐるみでも寝れるから」と言われても只々可愛いだけだから。もっと自分の可愛さを自覚してくれ。
一通り互いを口撃しあったところで、星歌と共にリビングに戻った。
「そう言えば聞きたいことがあったんだった」
「どうした」
「虹夏のライブについて」
瞬間、星歌の表情が曇った。見た目や言動から勘違いされやすいが、星歌は面倒見がいいし他人のことをよく見ている。というか、そもそも虹夏のことが大好きなので気にかけていないわけがない。必ず何か知っている筈だ。
「まず今回のライブは失敗するだろうな」
「……」
「技術も、準備も、経験も何もかも足りない。おまけに結束力すら足りてないんだ、どんな形であれ成功はしない」
「辛口だね」
「事実を言ってるに過ぎない」
星歌が言うならきっとそうなのだろう。虹夏の、結束バンドにとって初めてのライブは失敗に終わる。
しかし額縁通りに受け取ってはいけない。言い換えれば技術、準備、経験、結束力。その全てが足りなかったとしても出す価値がある。失敗すると分かっていながら、ライブを行うことにそれ以上のメリットがある。彼女はそう言いたいのだ。
「星歌は本当に面倒くさいよね」
「え、何で私ディスられたの」
「とにかく、何となくは分かったよ。けどそこまで分かってて出すんだね」
てっきり憎まれ口を叩いてでも止めるのかと思った。虹夏が傷つくことは星歌にとっても望むところではないだろうから。
「本気でバンドをやるなら、これくらいのこと乗り越えられなきゃ未来はないよ」
レーベルからスカウトが来たこともある元バンドマンが言うと説得力が違う。察するにその為に私が厳しくしてバンドを成長させてやる、とか考えてるんだろうな。
「確かに将来的なことを考えると正しいのかもしれないけど、先に潰れたらどうするの」
「その辺はお前が見ててやりなよ」
大概虹夏に甘いんだから。と最終的に全部丸投げしてきた。つまり私たち二人で飴と鞭をしろと。私としても虹夏の力になれるのであれば協力を惜しむつもりはないから良いけど。
「本当星歌は星歌だね」
「私の名前のこと悪口かなんかだと勘違いしてるだろ」
「別に言葉足らずだとか、損な性格してるだとか、行き遅れ気味だとは言ってないんだから良くない?」
「言ってる言ってる、ぜーんぶ言っちゃってるよ。それに最後に至っては今関係ないし、今日のお前容赦ないな!」
つい言い過ぎてしまった。私も虹夏ほどではないにしろ、知らないうちに緊張していたみたいだ。
そうなんです、全ては妹を心配してたからなんです。本当はお姉ちゃんのこと大好きで尊敬してるんです。だからその振り上げた拳はどうにか収めてください。
「調子の良いやつだな」
「でも星歌だって私のこと、好きでしょ」
「んぐっ……!」
正面から真っすぐ目を見て言うと、星歌は思いっきりむせた。
「図星?」
「……っせぇ。焦げてたウインナーが苦かっただけだ」
そういうことにしとくね。さて、一頻り聞きたいことも聞けたし、私は洗濯とかしてくるけどお姉ちゃんはどうするの。
「
「分かった」
それじゃあまた後で。リビングを出ようと椅子から立ち上がろうとしたところで、不意に動けなくなった。状況的に椅子を引こうと前かがみになったところを、同じく上半身をこちらに乗り出した星歌が首へ手を回すことで、ちょうど格闘技におけるクリンチのようになっている。
「星歌、実はまだ怒ってたりする?」
「いや怒ってはない。ただ一つ訂正しておこうと思ってな」
訂正? 良く分からないが怒ってないのであれば一度離してほしい。中腰の体勢が地味につらいんだけど。離れようと軽く抵抗してみるが、拘束は解けず、逆にグイっと体を引き寄せられた。そしてそのまま私の肩に顎を乗せると
「私が行き遅れる前に、お前がもらってくれるんだろ。
奇しくも虹夏がした方とは逆側の耳元で囁いた。言い終えると腕が離され、くっついていた部分が離れる。改めて星歌の顔を見ると、したり顔でこちらを窺っていた。
「……何その顔。虹夏の時みたいに私の慌てる姿が見れると思ったの?」
「あれ、大して効いてないじゃん」
「二回目だし、何より相手が星歌だし」
言外に、虹夏みたいに可愛らしく誘惑出来ると思ったの? と。言いたいことを理解したのか、星歌は口をパクパクさせながらじわじわと顔を赤くさせていく。やがて、俯きぷるぷると震えたかと思うと、私はリビングから追い出された。それはもう何の抵抗をする暇もなく、背を押されたかと思ったら勢いよくドアを閉められた。
仕方ないので、そのまま洗濯をする為に移動しようとした。
移動しようとしたのだが……。最後の力を振り絞り、周囲の確認だけするとその場にへたり込んだ。
無理だ。もう限界。顔の熱を抑えられない。耳どころか顔全体が真っ赤になってるのが分かる。二回目だとか関係ない。あんなこと星歌に言われて平気な筈がない。
ああ、全くもう。私の家族が可愛すぎて困る。
最後の方にようやく名前が出てきましたが、本作の主人公は『伊地知 風香』です。