とりあえず、駄犬を背負ってビルに帰還した。
こいつをどこに置いておけば良いのか聞きたいが、生憎後輩は出かけたらしい。
もぬけのからになった、社長室で僕は小さくため息をつくと、周囲の気配を探る。
近くに気配を見付けた。
この会社にはふさわしくない、普通の気配。
神秘的でも魔的でもないその気配は、それでもどこか懐かしい気配だ。
駄犬を背負い直して、そちらの方へと足を向ける。
完全に意識を飛ばしたために脱力しきった駄犬の体はそれなりの重量になっているが、これでも鍛えている。運ぶだけならば特に問題ない程度の重さでしか無かった。
ビルの廊下を進んでいく。
途中幾つかの部屋が合ったが、その気配を探れば神聖な気配が漏れ出ていたり、或いは真逆の魔的な気配が漏れ出ていたりと、正直言ってあまり近づきたくない雰囲気が漂っている部屋ばかり。現代構造物内部にいるというのにどこぞの迷宮にでも潜っている気分になる。
そんな事を考えながら、気配の元へと歩いて行くとそこはどうやら編集室らしかった。
「ん? はい、どうぞー」
扉をたたくと、中から聞き覚えのある声が聞こえた。
許可も出たしと、僕が中に入るとそこには思っていたとおりの相手がいた。
スーツに黒縁眼鏡をかけた出来る雰囲気を漂わせる女性。
その相手は僕を見て納得したような表情を見せた。
「勇さんでしたか。……ここにいるという事は今日から?」
「ああ。そういう事になるのかな。いきなり嵌められて社長に文句を言ってきた帰りだ」
「ははは」
「笑い事では無いんだが、心桜さん」
「あはは。すいません。ですけど、社長がまともな契約結ばせてくれるわけ無いって分かっているのに、わざわざ、契約を結んでしまう勇さんにも問題はあるんじゃないですか?」
「だまされた方が悪いって事ですかい? ま、その点は反省しているですけどね。少々平和ぼけしている感は否定できないし」
そう言うと心桜さんは小さな笑みを浮かべて見せた。
そして、部屋の片隅を指さす。
そこには、編集室らしからぬベッドが置いてあった。
あまり大きくないところを見るに一人用。
何で、そんな物が置いてあるのか疑問に思いながらも、ずっと駄犬を背負っているのも見た目的に良くない。
とりあえず、そこに駄犬を寝かせて、心桜さんの方へと向き直ると。彼女は席に座りなにやら作業をしていた。
「何をしているんですか?」
「スタジオの映像システムの改修ですね。とりあえずは勇さんに担当して貰うような仕事では無いです」
「おおぅ……ばっさり切りますね」
「まあ、勇さんに対してこちらが期待しているのは武力面だけです。正直技術畑の事については期待していませんから」
「……一応これでも大学は卒業してるんですけど」
「あはは。魔法と妖術と科学技術とコンピューター技術の複合物です。弄れる気します?」
「……教えて貰えればなんとか?」
「それ、武術の奥義だけ教えろって言ってるのと大差ないですよ?」
「あ、そういう物なんですか」
「魔法と妖術の複合までならともかく、そこに科学技術を混ぜ込んだシステムですから、正直、さわるには輝姫さん程度には妖術を修めて貰わないと難しいですねぇ」
それはつまり妖術を極めろと言っているのと大差ない。
そんな事をあっさりと言いのけて、その上でカタカタとキーボードを叩く心桜さん。
流石に魔法科学分野における第一人者である。
よくもまあこの人を呼んで来れたものだと、感心するほどの凄腕だ。
手持ち無沙汰となった僕は、心桜さんのとなりに腰を下ろすとぼんやりと彼女のタイピングを眺めていた。
よく分からない数式の羅列がすごい勢いで打ち込まれていく。
いや、僕にはそこに打ち込まれている言葉が数式であるかどうかさえ分からない。
何語だ、これ。いや、そもそも言語なのかも怪しい。
「何語ですか?」
「ラテン語と梵語とヘブライ語と数字から抽出した共感言語」
「オリジナルとは恐れ入りました」
「んー。オリジナル……と言うよりも二次創作なんだけどね」
「言語の二次創作はオリジナルと大差ないのでは?」
「それでも、社長や輝姫さんなら理解できる程度にはオリジナルの原形を残してますし」
「数字は理解できる僕は、まるで理解できないんですけど?」
「どれか三つは理解してないと難しいかな。後は魔法か妖術に対する造詣も欲しいところです」
その言葉を聞いて僕はため息をついた。
どうやら本当に僕の出番は無いらしい。
生憎だがこちらは一般人。ラテン語や梵語、ヘブライ語なんて物を履修しているはずが無く、魔法や妖術なんぞ触れた事も無い。
そしてそれらを一から勉強しても習得までには時間がかかるだろう。
なら、僕は僕の仕事に専心させて貰った方が効率的だ。
「それじゃあ、僕に出来る事は何かあるんですかね?」
「んー。ここで出来る事と言えばモデリングのサンプル採取くらいだけど、勇さんって武術のモデリングとか許せるタイプでしたっけ?」
「……まあ、仕事というのなら」
「あはは、不満そー」
「不満というか何というか……」
あまり、武術をひけらかしたくないだけである。
修めておいてなんだが、人殺しの技術。そんな物を衆目につかせて良いのかという疑問はついて回っている。それは、嵌められたとはいえ、武術の一部をネット上に公開してしまった今でも変わらない。
「人殺しは良くない事じゃないですか」
「そうですね」
「その良くない事に特化した技術なんて、人前で見せる物じゃ無いと思うんですよね」
「自らの肉となるまで修めた技術。使ってなんぼだと技術屋的には考えるんですけど、そういうタイプでは無いと?」
「まあ、自分は」
「ふふ。貴方のそういう所嫌いじゃ有りませんけど、師には似ていませんね」
「師については、反面教師にしましたから」
久しぶりに師の話が出てきたなと苦笑する。
自分とは似ても似つかないタイプの師匠。
無論尊敬しているし先達としてその力量に疑いは無いが、あまり褒められた性格をしているとも言わない。そういうタイプが僕の師匠だった。
「……しかし、師の話が出てくるなんて意外でした。最近連絡も無くて、生きてるか死んでるかさえ僕は知りませんし」
「まあ、生きてはおられるんじゃ無いですか?」
「そりゃ、僕の師匠ですから、その辺りは心配していませんけど」
「いや、さっき上がった動画を確認してたら、どうもそれっぽい人がコメント残してるんですよね」
「……んんん?」
「えっと、輝姫さんの狐火をかき消した技の名前は?」
「旋風の事ですか?」
「あ、本当にその名前なんですね」
その言葉に僕は師が何をしたいのか分からなくて苦笑する。
いや、苦笑しか浮かばないだろ。何やってんだあの人。
「何やってるんですかねあの人」
「うーん。裏では有名な護衛なんですけどね、勇さんのお師匠様」
「ああ、そうだったんですか?」
「……知らなかったんですか?」
「自分の事をしゃべらない人だったんで」
「……普通師匠って弟子に自分の仕事とか引継がせたりするものでは?」
「うーん。僕たちは普通の師弟関係じゃ無かったんで、その辺りのことはよく分かりませんね」
「驚きです。あれほど有名な護り人。その継承も含めても師弟だと思っていたのですが……」
あの師がそんな事を考えているはずが無い。
あの人の適当ぶりを弟子としてよく知っている身としてはそう確信できる。
「まあ、師の事については置いておいて、本当に僕のやるべき仕事は無いんですか? このままだとただ飯ぐらいだ。そういうのは避けたいんですけど」
「まじめですねぇ。ただ飯なんて食べれるときは食べておけば良いんですよ。特に貴方みたいな人はね」
そう言って苦笑しつつ心桜さんは僕に一つのファイルを手渡してきた。
それを受け取って中をぺらぺらとめくると、中身はここに所属しているアクターについてまとめた物だった。
「とりあえずうちのアクターの事を確認してもらえれば」
「了解。と言っても、ざっと流し見た感じ全員には会ってるみたいですね」
「設立して三年目、軌道に乗ったのはつい最近の小さな会社ですから。アクターさんだけなら全員に会うのは難しくないですし、それにそろそろアクターさんも増やしていくつもりらしいですよ」
「へぇ。そうなんですね」
「人ごとみたいに言ってますけど、そのスカウトも貴方の仕事の一つになるんですよ、勇さん」
「へ? いや、僕にそんなスカウト眼なんて……」
「いえ、そうでは無く。社長と勇さんが学生時代に制圧したアクター候補はまだ、山ほどいるでしょう?」
「えぇ……まだヤバイの増やすつもりなの、うちの社長」
「あはは。一番ヤバイ人が何を」
「失敬な。僕はどこからどう見ても人間ですよ?」
「ええ。ですけど、人間である事とヤバイ事は両立できますよね」
「常識だってある」
「力量が常識の範疇には無いですけど?」
「鍛錬のたまものです。やましい事など何一つ無い」
「やましい事云々の話では無いんですよ。ねえ、夕日さん」
心桜さんがそう駄犬に向かって呼びかけた。
ベッドの方へと視線を向けると、そこにはゆっくりと半身を起こしている駄犬の姿が目に入った。
どうやら目が覚めたらしい。
綺麗におとしたから、割とすぐに目覚めるだろうとは考えていたので予定通り。
とりあえず彼女に近寄ると、彼女の体に触れて体調を確認していく。
ふむ。異常なし。
そんな僕の態度に駄犬は苦笑しながら僕に向かって言葉を発した。
「あはは。案外優しいんだね主様は」
「優しいか? お前の意識飛ばしたのは俺なんだから、責任もって状態くらい確認するさ」
「ふふ。でもその優しさはつらいよ。私の事なんて歯牙にもかけてない事が分かっちゃって」
「何を今更」
「それも、そうだっと」
そう言いながら駄犬はベッドから立ち上がった。
「ん? もう少し安静にしておいた方が良いぞ?」
「んー。そうしたいのは山々だけど、配信準備あるし部屋に戻るよ」
「……部屋?」
「あ、そうか。主様はしらないっけ? 私たちアクターはこのビルで住んでるんだよ?」
「え、共同生活してるの?」
「まあ、部屋ごとに結界張ってプライベートにはほとんど干渉し合わないようにはなってるけど、一応共同生活と言えば共同生活かな。朝、昼、晩はだいたい一緒にとるし」
今度こそ本気で驚いた。
確かに随分と結界の張った部屋が多いとは感じていたが、まさか共同生活なんてしてるとは思わなかった。協調性なんて物は生まれる前から持ち合わせていないような奴らばかりなのに。よく共同生活できる物だ。
特にあの天使と魔人。
あの二人が仲良く共同生活している状況というのが理解できない。
「ひどい目を向けるなぁ。まあ、言いたい事は分かるけど、それでも私たちだってそれ相応の常識くらい持ち合わせているんだよ?」
「……そうかな? そうかも」
「無理矢理自分を納得させなくても」
「まあ、言いたい事は分かりますけどね」
確かに、利益があれば不利益は飲み込む程度の自制心は今までにあった奴全員が持っている。
何らかに狂っている、或いは価値観がずれている奴らは多いが、少なくとも第一期生、即ち魔女足利楓、座天使天上白亜、魔人魔霧永劫、天狐稲荷輝姫、天狼大神夕日。
この5人の感性はあくまでも人よりだ。
人に寄っているだけで、人そのものの感性はしていないのでそこの齟齬は出てくるだろうが、なるほど共同生活が出来なくもなさそうだ。天使ちゃんと魔人ちゃんの二人を押さえ込むのは他のメンバー全員でかかれば押さえ込めるだろうし。
「なるほど、理解した。……ところで聞きたいが、俺の仕事って」
「私たちのお世話係」
「より直接的な文言を使うのなら、このメンバーによる戦闘行為の仲裁ですね」
「白亜ちゃんと永劫ちゃんの喧嘩止めるのかなり大変だったんだよねー」
にこやかな笑みを浮かべてそう言ってくる二人に対して、僕はもう一度大きなため息をついた。