月山の一件から数日。金木達はこれまで通りの日常を送っていた。
朝起きて大学へ行き、そこで親友のヒデや先の一件で距離が近づいた西尾達と交流し、放課後になるとあんていくで働く。まだ喰種としての生活、特に人肉を喰らうことについては慣れないが、それでもある程度充実した生活を謳歌していた。
小雨が降りしきる日だった。ふと、客の来店を知らせるベルが鳴った。
その扉を開けたのは20代前半ぐらいの若い男だった。
金木は仕事中にもかかわらず思わず彼に目を奪われた。彼の容姿が整っていたのもあるが、それ以上に彼が得も言われぬ存在感を放っていたからだった。それを言葉にするのは難しいが、近い言葉で表すと"カリスマ性"とかになるだろうか。それならば彼が来てからこのように無意識的に背筋が伸びているのも説明がついた。
その時、彼を見て動きが止まっていた金木の脇腹をトーカの肘が襲った。碌に接客もせずに突っ立っている金木を咎めるためである。金木は慌てて「いらっしゃいませ」と声を出した。
「今、店長さんって居るかな?」
彼は柔らかい笑顔を浮かべながら、良く通る声で金木に言った。
「すいません、今出かけていて………後一時間ほどすれば帰ってくると思います。」
彼は横目で自身に注目している客がいないことを確認した後、金木に近づき眼を赫眼に変えた。そしてすぐさま元の眼に戻す。
「結構大事な要件なんだよね。帰ってくるまで此処で待っていていいかな?」
言われて金木は隣にいるトーカに視線を送った。彼女に判断を仰ぐためだ。
彼女は顎に手を当てて数秒考えた後、口を開いた。
「………此処で待つのもあれなんで裏に案内します。」
「うん、ありがとうね。」
そうして、トーカは彼を応接用の部屋に連れて行った。
金木は少し迷ったが結局彼らについていくことにした。もしも彼が悪意を持った喰種ならばトーカが一人では危険だと思ったからというのは勿論だが、カウンターの奥で西尾が金木に向けてしっしっと手で払うような仕草をしていたのを見たからであった。小雨が降っているということもあり、幸い客足も少ない。西尾一人で充分だという判断だったのだろう。
「これ、読んでいい?」
部屋に着いた彼は丁度机の上に置かれていた一冊の本を手に取った。題名は"小夜時雨"。金木の私物であり、例によって著者は高槻泉である。
金木は特に自分の本を他人に貸すのが嫌といった性分ではなかったため、それを二つ返事で了承した。
さて、芳村が帰ってくるまでこうして椅子に座っているだけというのはあまりにも時間の無駄だ。そのため金木も彼と同じように読書に勤しむことにした。格闘技の本だ。金木は月山に襲われたことによってより一層、力をつけなければならないと考えるようになっていた。せめて自衛が満足にできるぐらいには。
トーカもトーカで高校で配布された物であろう問題集を解いていた。こういっては何だが意外に感じた。金木から見た彼女はあまり勉強とかするタイプには見えなかったからだ。多分、定期試験は一夜漬けで乗り切るみたいな質なんじゃないだろうか。
金木はそこまで考えて、ふとそう言えば彼女は高校2年生だったことを思い出した。つまり来年は受験生である。
彼女の学校はどうか分からないが、金木の場合は丁度その頃ぐらいから教師が受験勉強について口を酸っぱくして言っていたような気がする。多分、どこの学校でも似たようなことを言っていることだろう。彼女はそんな言葉に当てられて受験に対しての焦りが出てきたのかもしれない。そう考えると、隣で難しい顔をして問題集と睨めっこしている少女のことがなんだか少し微笑ましく感じた。
それから特に何事も起こらずに長針がぐるりと一周が回ろうとしていた頃、ガチャリと扉が開いた。芳村と、それから笛口親子が姿を見せた。
彼女達はここ最近、死体回収を芳村や四方と一緒に行っていた。今日もそれだろうと推測される。
「カネキ君、トーカちゃん、彼は?」
金木達は不思議そうに尋ねる芳村に来客が来ていることを伝えた。そして事情を知った芳村が彼に要件を聞く前に、何やらハッとしたような顔でヒナミがとてとてと彼に駆け寄った。
彼女はすんすんとしきりに彼の匂いを嗅いだ。重要な何かを確認するかのように。そして数回頷いて「やっぱり…」と声を漏らした。
「………ヒナミ!」
リョーコは見ず知らずの者の匂いを急に嗅ぐという奇行をしでかしたヒナミに慌てて駆け寄った。彼に対して何度も謝った後、ヒナミに対しても謝るように促す。しかしそんな彼女に構わず、ヒナミは興奮した様子で言った。
「お母さん、この人………私達を喰種捜査官達から助けてくれた人だよ!」
ピタリとリョーコの動きが止まる。そして口に手を当て、信じられないと言った様子で彼の顔を見つめた。
「やあ、久しぶり。あれから元気そうで何より。」
彼はそう言ってニヤリと笑った。
☆☆☆
あの日、リョーコ達が捜査官達から逃れてあんていくに逃げ込んだ後、リョーコは自分達を助けてくれた喰種のことが心配だから見に行ってほしいと金木とトーカに頼みこんだ。彼女達は顔が割れている為、のこのこと現場に戻ることが出来ないためである。二人は捜査官達に顔が割れていないために、一般人に扮して様子をうかがうことは容易い。そのため快く引き受けた。
しかし伝えられた場所にたどり着いた金木達が見たのは撤収途中の捜査官達の姿だけであった。リョーコが言っていた喰種の姿は何処にもなかった。
それが意味するのは、既にその喰種が逃げた後であるか、既に捜査官達によって討伐された後であるか。しかし、個人的には後者のような気がした。というのも捜査官達には大きな傷が無かったからである。
今更語るまでもないだろうが、喰種捜査官というのはエリート中のエリートである。選ばれた一部の者にしかなれないような、まさしく雲の上の職業といってもいい。
そんな彼らからそう易々と逃げられるだろうか。それも彼らに対して怪我を負わさないように手加減した上で。針の穴を通すようなものだろう。不可能に近い。
更にそもそもの話だが、喰種捜査官に対して手加減する動機自体が無い。
喰種というのはそのほとんどが彼らに対して良い印象を持っていない。当たり前だ。誰だって自分達に明確な敵意をもって攻撃してくる者を好きになる筈がない。彼らを殺したい喰種はいても、わざわざ手間をかけてまで彼らを傷つけないように立ち回る喰種なんてそうそういない。
それは勿論リョーコ達を助けに来た喰種も例外ではない。もしも手加減して戦っても彼らから逃れることが可能なほどの実力を持っていたとしても実際にそれをやるというのは考えづらい。
以上の理由からその喰種が無事に逃げられた可能性は低いと考えたわけだ。とはいっても、金木がそれをリョーコに話すことは無かった。彼女は自身に罪の意識を感じていたし、そのことを言うのは気の毒だったからだ。そのため、心の中では可能性が低いと思いながらも彼女にはその喰種はきっと無事に逃げられた筈だとトーカと一緒に励ました。
そのため、訪ねてきた彼―――トナリがその喰種だと聞いた時金木はひどく驚き、そして安堵した。これでリョーコが自分を責めることもないのだ。
☆
彼への一頻りの感謝を終えた後、彼は此処に来た本来の目的について語った。
曰く、彼は人間と喰種との共存を目指していてその協力を取り付けに来たのだと言う。
金木は驚いた。共存を目指していることや大規模なデモを計画していることもだが、もっと衝撃だったのはその方法についてだった。
彼は体を真っ二つに切って残機を増やそうなんて語ったのだ。全くもって意味が分からない。人道に思いっきり喧嘩を売るようなものである。それを言うと、「俺達は野蛮な喰種だぜ?"人"道なんてそんな崇高なもの守れる筈がないだろう?」なんてブラックジョークが返って来た。
喰種なんてものは全員がこうも倫理が終わっているのだろうか。一瞬そう思ったが、トーカの割とドン引きした表情で認識を改めた。彼が異常なだけなのだ。
「理論は……分かりました。でも、本当にそんなこと出来るんですか?その、残機を増やすなんてこと……」
「出来るさ。既に俺の身体で試している。勿論証拠もある。切られてから復活するまでを録画したビデオカメラだ。気になるなら見ればいい。」
そう言って差し出したビデオカメラを受け取った芳村。彼は深い皺をさらに深めて映像を確認する。金木もちらりと見てみたがあまりにもグロかったためすぐに目をそらした。無駄にカメラの画質が良かったからはっきりと彼の腹の断面が見えた。気持ちが悪い。夢にも出てきそうだ。
「確かに。君が復活する所はしっかりと映像に収められていた。」
「それは何より。で、協力してくれるのか?」
金木はあんなふうに体を切断するというのは正直怖い。勿論そこに麻酔なんてものは存在しない。道具に頼れない以上痛みに対して自身の精神力、いわば痩せ我慢だけで耐えないといけない。それがどうしても怖い。
「私はやりたい。」
金木が中々決心がつかないでいた時、トーカが凛とそう告げた。
「どれだけ辛くて苦しくても、私達の苦痛だけで喰種達の今の状況がほんのちょっとでも良くなる可能性がある。なら、私はやってみたい。その可能性に賭けてみたい。」
真っ直ぐとしたトーカの言葉を聞いて、金木は痛いのが怖いとかうじうじしていた自身のことが急に馬鹿らしくなった。女の子、しかも金木よりも年下の子が勇気をもって言っているのに自分だけやめときますだなんて出来やしない。
「あの、僕もやりたいです。いや、やらしてください。」
「アンタ本当に分かってるの?多分、痛いなんかじゃ済まないよ。」
「はは…そうかもね。でも、トーカちゃんだけをそんな怖い目に遭わせて自分は黙って見てるなんてこと出来ないよ。」
「………あっそ。」
トーカは興味なさげにそっぽを向いた。
「私もやります。」
「……お母さん?大丈夫なの……?」
「心配してくれてありがとう、ヒナミ。でもやっぱりお母さんはトナリさんから助けてもらったから……少しは彼の役に立ちたいの。私一人が参加しても大して変わらないのかもしれないけど……」
リョーコはちょっぴり自嘲気味に笑った。
「そんなことはないさ。一人増えてくれるだけでも助かる。」
トナリは笑みを浮かべた。
さて、この場に居る中でまだ協力を約束していないのは芳村、ただ一人だけ。彼に視線が集まるのは必然的だ。
「そうだね……協力を約束する前に一つだけ確認を。最近、"アオギリの樹"という組織が何やら大きく動いているらしい。」
アオギリの樹。確か最近活発に動いている喰種の集団だった筈だ。なんでも手当たり次第に喰種捜査官を殺していくとかで、金木は素直に関わりたくないなと思った覚えがある。
「彼らは曰く、急に人間との共存を目指し始めたらしい。そして捜査官殺しもピタリと止んだ。思うに、君は彼らにも協力関係を持っているんじゃないかな?」
「流石、耳が早いね。ご名答。その通りだよ。」
芳村が静かに、しかしじっとトナリを見つめる。まるで試験の自分の書いた答えが合っているかを注意深く確認する受験生のように。それに対して、トナリは案外大したこともなさそうだった。
「まぁ、気持ちは分かるさ。アオギリの樹なんてそんな野蛮な連中と手を組みたくないだろうし、そもそもそんな連中が人間と共存なんてデリケートなことが出来るのかとか思うだろうしね。」
彼は金木達が抱いた不安をそっくりそのまま言い当てた。
「しかしさっきも言った通り、状況はまさしく"猫の手も借りたい"といった具合だ。彼らの手がどれだけ血で汚れていようが、借りたいものは借りたい。けれども勘違いしてもらっては困るのが、彼らと協力関係にあるのは何も"協力は失敗するかもしれないけれど、やらないよりはマシだ"みたいな自暴自棄的な考えからではないってことだ。しっかりと彼らを御する事ができると考えているから協力する。実際、彼らはここ最近捜査官殺しを行ってはいない。」
「しかも」と彼は続けた。
「人間の心を動かすにはあらゆる種類の喰種が必要だ。温厚な奴らだけ集めてデモを行っても、"凶暴な喰種は共存を望んでいない"と思われる可能性がある、というか十中八九そう受け取られる。人間達に共存は全ての喰種の総意であることを伝える必要がある。従って、アオギリのような凶暴な喰種達もデモに参加させなければならない。」
芳村は押し黙る。何かを思い出しているように。
やがて口を開いた。
「……彼女は我々が参加することを了承したのかい?」
彼女。誰だろうか。少なくとも金木には見当もつかなかった。
しかしそれだけで彼らの間では十分だったらしい。トナリは頷いた。
「俺が今ここにいる。そしてあなた達に協力を取り付けに来た。これが答えだ。」
「そう…か……。では私も協力を約束しよう。」
☆☆☆☆☆
協力締結から数日。あんていくの面々(西尾達にも話をして協力してもらえることになった)と一緒にデモの参加者を集めるべく行動した。
デモに参加を約束した者の多くは芳村によって説得された者達であった。やはり彼の人脈、ひいては喰種達からの信頼は凄まじい。彼のこれまでの献身により、「芳村が参加をするなら大丈夫だ」と思わせられる土壌が特に此処20区では整っていたのだ。
必然的に、金木達は芳村の影響下にない、つまり20区以外の喰種を担当することになった。
意外だったのは共存に協力的だった喰種が多かったことだ。明らかに人相が悪そうな(人ではないためこの表現は適切ではないかもしれない)者が二つ返事で協力を約束したときは思わず耳を疑った。しかもそれは一度や二度ではなかった。勿論協力を断った者もいたが大半が協力をすぐには約束するまでいかないでも、協力に前向きではあった。
理由が気になって彼らから話を聞いてみた。すると、どうやら既に喰種の間ではデモが一大ムーブメントとして周知されているらしいのだ。
アオギリの樹とあんていくという東京23区(正確には24区)の二大巨頭が共存という同じ目標に向けて手を取り合う。これほど胸熱なものはない。これは正に歴史の転換点となる。そのようなことを喰種達は興奮した様子で話していた。
そこで金木は初めて、自分たちがやろうとしていることの大きさを実感した。そう、今までは理解だけだったのだ。自分達がする行動によって多くの喰種が救われる。そんな何となくの理解。それが喰種達の話を聞くことで、ようやく理解が実感へと変わった。
☆☆☆
「パトロンが必要だ。」
協力者集めが終わり、あんていくで一息ついていた金木達に向けてトナリはそう言った。
「何故だ?食糧問題なら店長とアオギリの樹って奴らの方で解決できるんじゃねえのか?」
「食料問題はね。」
「じゃあ、他に何があるんだよ?」
「服装だよ。」
「服装…?」と西尾は首を傾げた。
「ああ。デモは全体で統一した服装で行うからね。」
「…デモに参加した喰種とそうでない喰種とで見分けられるようにするためか?」
「正解。四方君の言う通りだ。我々以外の喰種に人殺しなんてされて妨害されたら堪ったものじゃないからね。特にピエロだ。奴らは十中八九デモの妨害をしてくる。それに対して"俺達は無関係ですよ"っていう証拠が欲しいのさ。」
なるほど。確かに理にかなった作戦である。トナリの言う通り、妨害をしてくる喰種を分別できるのも勿論、デモ隊を討伐しに来た喰種捜査官達や集まった野次馬達とも簡単に見分けることが出来る。当日は多分テレビ中継か何かで様子が国民に伝えられるだろうから、パッと見て分かりやすい方がいい。サッカーチームがチーム内で同じ色のユニフォームを着るの同じ理由だ。
「けれど、服装を統一するってなると結構お金がかかるんだよね。単純に参加する喰種と同じ数必要になるし、デモも何回まで続けるか分からないからその分だけプラスされる。かと言って、下手な服装だと人間って割と見てくれで判断することがあるから悪印象を持たれかねない。」
それに、と彼は続ける。
「そんな数の服を一括で購入することは一般の方法では無理だね。同じ服を何千着、何万着の在庫がある店なんて存在しないし、よしんばあったとしても大人買いなんてレベルでは済まない。はっきり言って目立ちすぎるのさ。」
トナリは淹れたての珈琲を一息で飲み干した。
「それで、パトロンって結局誰なんですか?」
「それは―――」
トナリが言い終わる前に、カランカランと音を立ててドアが開いた。
そこに居たのは―――
「アモーレ!話は聞いたよ。この僕の力が必要なんだってね!」
五体満足で悠然と佇む美食家の姿だった。
☆
「……トナリさん。どうしてコイツをよりにもよって呼んだんですか?」
「霧嶋さん、水臭いよ!先日一緒に殴り合った仲じゃないかッ!」
「狂人が……!」
トーカが不快感を隠さずに顔を歪める。
しかしそんな中、月山を呼んだ張本人―――トナリはいつもの調子だった。
「彼ほどパトロンとして適役はいない。国内有数の財閥であり、それも一族全員が喰種ときた。こちらの事情を説明する手間が大幅に省ける。」
「……でも、月山さんは信用ならないですよ!それに、彼がそう簡単に協力してくれるとは思えないですし……」
「いや、実はもう協力に対する話は付いているのさ。後はカネキ君、君がそれを了承するかどうかだ。」
「えっ?僕ですか?」
自らに指を向けて戸惑う金木にトナリは頷いた。
「君はデモに参加するだろう?つまり、残機を増やすために身体を真っ二つに切るってことだ。当然、君は出血をすることになる。彼は協力の対価としてそれを求めているのさ。君の流れ出る血液を、だ。」
トナリはそう言って肩をすくめた。
「カネキ君ッ!君の中に流れる血は正にファンタスティックだ!故に一滴たりとも無駄にしてはいけない。無駄にすることは美食家であるこの僕が許さない!」
「えぇ………」
ドン引き。金木の心情を一言で表すならまさしくそれだった。
しかし冷静に考えてみると、それが協力条件だとしたら破格であった。特に金木に何か害があるわけではないのだ。血液が床に流れるか彼の喉に流れるかの違いだ。まぁ尤も、その違いが大きいのだが。
「……まぁ、いいですよ。」
「本当かい!ありがとう、カネキ君!」
「……別にあなたのためじゃないです。ただ、僕が少し我慢するだけで―――」
「オーケィ、オーケィ!そうと決まればパパにすぐさま準備するように伝えてくるよ!Au revoir(ごきげんよう)!」
「うん、聞いてないなこの人。」