-----ユーラシア“ムルマンスク”近郊 廃村
「データ内容はひとつも残すなよ!」
男は焦りを隠しもせず叫ぶ。
自動小銃を片手にせわしなく視線を動かし、腕につけた時計に目を落とし、靴音をカンカンと鳴らす。
想定以上に作業が遅れている。
ムルマンスク都市内部に潜ませていた部下からの連絡が途切れてはや一時間。
“奴ら”がここを嗅ぎつけるのも時間の問題だろう。部下が最期まで口を割らないわけがない。それほどの信頼関係があるわけでも、忠誠心もあり得ない。
命がかかれば必ず口を割る。たとえその後に殺されるとしても。
「………。」
自分の足元でへたり込み、生気のない瞳で虚空を見つめる少女の腕を掴む。
「立て、こんなところで易々とお前を失うわけにはいかないんだよ!」
吐き捨てた言葉は少女を畝うものではなく、自身の益のため。
この少女は男にとってそれ以下でそれ以上ない。
ただ金を生む。
「データ移設完了しました!」
「よし、とっととズラかるぞ!」
部下の言葉を待っていましたとばかりに部下から手渡されたデータを受け取るなり男が合図し、長く使った研究所を後にしようと少女の腕を引いた。…その時だった。
勢いよくドアが開き、瞬間目の前が白一色に包まれた。
「なんだっ!?」
「ぐえっ!?」
男が叫んだと同時に、正常な人間があげると思えない悲鳴が耳に飛び込んでくる。
遅かった!?
内心愚痴た時にはすでに遅く、部屋中で銃声が悲鳴が木霊する。
だが、男の行動も早かった。伊達に部下と研究所を預かっているわけはない。
掴んだ少女を盾にし、まだ回復しない視界のままに手にした自動小銃を狙いも定かではないままに乱射する。
「なめるなよぉぉっ!!!!!」
こんなところで死ぬわけにはいかない。
死ぬわけにはいかないのだ。
「対象を発見! これより確保するっ!」
「仲間も気にせず撃つかよ普通!?」
誰かの声がする。
聞いたことのない声、部下のものではない。
ついに来たのだ。神の御使い……“蒼きカラス”が。
男は死に物狂いでその部屋から脱出する。こういう事態を想定し、隠し通路を作っていたのが正解した。
臆病者の男であるからこそ、あらゆる事態を予測していた。
目が見えずとも隠し通路の場所も、パスワードも打ち込めるよう日頃からシュミレートしていた。
データは全て自分が持っている。
少女もこちらのもの。
部下をすべて失うのは痛いが、自分には金がある。
少女“達”を使い稼いだ莫大な金が。
金があれば全てやりなおせる。
「とっとと歩け!」
全てに備えていた男の誤算。
それは、ただひとつ。
先のごたごたで商品である少女が脚を怪我していた。
銃弾がかすめたのか、か細い太ももからは赤い血が流れている。
まるで人間のような赤い血が。
暗い通路を、懐中電灯の明かりを頼りに進んでいく。
どこまでも続くのではないかと思える暗闇の道を、想定以下のペースで進み続け、やっとの思いで外へと出た。
そこはユーラシアの寒き空の下、大粒の雪が吹き付け、風が自分たちの姿を隠してくれる。
------これで、これで逃げられる!
汗びっしょりの笑みを見せ、用意していた軍用車へ乗り込もうと、足を向ける。
「その状態でこの極寒の地を連れまわす気か?」
聞きなれない声が、吹雪に交じって聞こえてきた。
「は?」
と、間抜けな声が口から洩れた時、焼けるような痛みが右足を走った。
撃たれた、と気づくいたのは痛みの後だった。
鮮血が右足を濡らし、男はみっともなく叫びながら雪の上をのたうち回る。
自分を撃った男を睨みつけるも、その顔は黒いフルフェイスで伺い知れない。
男なのか、女なのか。
「なぜ!? なぜ、ここがあっ!?」
地図にもない道だ。
バレるはずがないと、男は叫ぶ。
「この廃村全体を上空からスキャンした。それ以上は知る必要がない。」
この村全体を上空からスキャンした?
たったそれだけで、この村全ての構造が丸裸にされたのか?
「データは持っているな?」
拳銃をこちらを向けながら、男を撃った人物は問いかける。
「こ、このデータとガキを渡す! だから、見逃してくれないか!?」
男は狼狽しながら、うずくまっていた少女の髪を掴み、差し出す。
その行動そのものに、人としての扱いは見受けられない。
まるで安価な物を放るように、乱雑に。
だが事実、男にとってこの少女は替えの効く代替品に過ぎず、いくら金を生もうと命に勝るものではない。都合よく金が稼げる品に、命があった。それ以上もそれ以下もないのだ。
「頼む! まだ死ねないんだっ! 俺には家族がっ、息子がいる!」
涙ながらに叫ぶ言葉は本物。
しかし、それもすでに調べのついている事実に過ぎない。
今回の任務に就く前のブリーフィングで全員に対象の情報が共有されている。
秘密裏に非道な人体実験を繰り返す集団、その全ての研究対象が20歳未満の少女達であること。そのデータや商品を反政府組織や暗部に高値で横流ししていること。
男には妻と息子がおり、旦那の仕事内容は二人とも知らないが、息子は難病を患っており金が必要だったこと。
そして、男がデータの在処を吐かなければ家族を人質にしても良いという指令が下されていること。
その他詳細な情報の全て今回の作戦に参加している全員が頭に叩き込んでいる。
つまり―――
「頼む! たすけっ!?」
その取引に、価値はないのだ。
「歩けるか?」
息絶えた男の傍らで浅く息をし、力なくうずくまる少女に近寄り、声を掛ける。
太ももの出血だけじゃない。見るからに、少女は衰弱している。
歳は15歳くらいだろうか、この年頃が着ている服とは思えない布切れ。
抵抗する様子もないので、少し布を太ももからめくってみる。
そして、めくった事をすぐに悔いた。
この年頃の少女が秘部を見られることを全く恥じていない。
間違いなく性虐待を受けている。
「こちらアサルト2、対象を排除した。データも確保、少女を保護。かなり衰弱している。早めに応援を…」
仲間に無線を飛ばした瞬間だった。
決して自軍のものではない、プロペラ音が耳に飛び込んできた。
音の方を睨みつけ、舌を打つ。
「くそっ、もう消毒しにきやがった!」
それは、データの存在を消すための掃除屋。
外部に漏れる前にデータと少女を消しに来たのだ。
敵機は軍用ヘリが3機。こちらは少女と自分だけ。
フルフェイスのヘルメットを投げ捨て、長い薄紫の髪が風に舞う。
「逃げるぞ。君をここから無事に仲間のところへ届ける。」
少女が力なく見上げた瞳はアイスブルーの水晶が輝いていた。
「大丈夫だ! 必ず、君を助ける!」
運転席の女がサイドミラーを気にしながら叫ぶ。
助ける?この人は、私を助けるというのか?
背後からは、掃除やの連中が軍事車両に乗り、武装して追って来ている。おまけにここは、北極海に近い場所。上手く逃げ出せても、食料も防寒対策もないのでは、凍え死んで未来永劫腐らない汚い氷のオブジェの完成だ。
助かる可能性なんて、あの場所から逃げ出した時から皆無なのだ。
それでも、必死な形相で運転する女の顔からは、諦めた様子や、絶望している様子もない。
必ず助け出すという強い希望の色。
「…なぜ?」
「ん!? どうした?」
雪と共に吹き荒れる向かい風のせいか、上手く聞き取れなかったようで、女が尋ね返す。
上手く身体に力が入らないのを酷使して、なんとか声を上げる。
「なぜ、私を…助けるの…?」
この人は、ラボの人間ではないはずだ。なにか理由があってあのラボに来たに違いない。一人でならあの場から簡単に脱出する手筈は整っていたはずだ。
「…私も、君と同じだった。…捨てられた人間だからな! 私だけじゃない、私たち皆が君のように世界から捨てられている。」
そう言って、女は苦笑いする。
なぜ、この状況で笑えるのか。なぜ、自分より他人の命を救おうと思ったのか。
少女には、皆目理解出来なかった。
ラボ。実験施設で、ありとあらすゆる実験を施された。人を殺す事も、動物を殺す事も、虫を殺す事も、等しく同じだと教えられ、同じように捕らえられていた子を殺し、毎日が色褪せて見えて行くほど血を見て、血を流した。
人を悦ばせるために女に生まれたのだと教えられ、薬でいじくりまわされ、感じたくもないのに興奮させるために感じてしまう体に変えられ、自分に人権なんて最初からこの世界にはなかった。
全て諦めようとしていたのに、なぜ今になって生きたいと思わせるような、こんな。
光なんて、見せつけるのか。
「大丈夫、“RAVEN”に来れば……皆に会えば、君もいつか変われるさ。」
そう言って、女性はにかっと笑って見せた。
こんな絶望的な状況で。
「れい、ぶん?」
「そう。私や君みたいに世界からつま弾かれた者達が行き着く場所……人は世界のゴミ捨て場なんて言うけれど、私にとっては、皆が家族だ。」
「かぞ、く……?」
分からない。
そんな暖かい言葉、私は知らない。
でも、許されるなら。人権のない自分でもまだ許される居場所があるのなら……。
「私も、そこに……行き」
その瞬間、耳が遠くなるような爆発音と共に、車両がひっくり返った。
なにが起きたのかも分からないままに、私と運転席の女は車両から投げ出され、雪が綿のように積もる雪面に叩きつけられた。
「ぐ…っ…」
何が起きたのかと、後ろを振り返ると煙を上げる雪面とひっくり返り、半壊している自分達が載っていた車両が見えた。
あぁ、撃墜されたのか。と他人事のようにその光景を見て思った。
当たり前だ。向こうは武装していて、こちらは逃げる兎もいい所。遅かれ早かれ、こうなるのは分かっていた。
独特のプロペラ音と、曇った雪空を明るい光が私を射す。。
頭上には、軍事ヘリ。背後には無数の軍事車両。
「これ…を……!」
ふと、声がしてそちらを見ると運転していた女が血にまみれ、雪面に倒れていた。
その半身はもう……助からない。
自分達が使われていたデータが入っているのか、メモリースティックを手に、私に向けている。
「逃げろ…! 生きる…んだ…君、は…!」
血まみれでもう意識もはっきりしていないはずなのに、女はまだ私の身を案じている。
少し前の私なら、諦めていた。生きる事を。
しかし、もしかしたら、生きれるのかもと、この地獄から抜け出せるのではないのかという希望を見てしまったから。
女からメモリースティックを受け取り血を流している足を引きずって走り出す。
生きたい。生きたい。生きたい。生きたい。生きたい。生きたい。生きたい。生きたい。生きたい。生きたい。生きたい。生きたい!!!
目からは流して尽くしてしまったはずの涙が決壊したダムのように流れ、目で収まりきらなかった涙が鼻からも溢れ出す。
生きたい。生きて、もう一度新しい人生を…!
そう強く思った瞬間、足を激痛が走った。
瞬間、再び雪面に倒れこむ。自分のお腹からは夥しい量の血が流れている。
撃たれた。と分かるのに数秒もいらなかった。
「ったく、手間取らせやがって…」
少女を撃ったのであろう男が車両から降りて、私を見下ろす。
――ここまで、か…
罰として、なにかしらの拷問を受けるだろう。
雲の切れ間から溢れる日差しのように射した希望は、いとも容易く潰えていった。
――もう一度、あそこに戻るならこのまま、死んでしまいたい。
涙が止まらない。あの地獄にだけは戻りたくない。誰か、誰か、と居るはずもない誰かに助けを求める。生きる事を諦めたはずなのに、生きれると分かってしまった人間はこうも、脆いのか。感情なんて、失くしてしまったはずなのに。
歯を食いしばり、私を見下ろしていた男が私を掴む手を見上げた。
その時だった。
「…!」
自分に迫る男が何かに弾かれたように、雪面に血を撒き散らし倒れこむ。
少女に向かって生暖かい返り血が飛びかかり、生気の抜けた顔を赤く染めた。
『運が良かった。動くなよ。』
どこからか、声が聞こえる。
スピーカーを通した音声だ。と分かった瞬間、鉄の巨人が頭上を跨いだ。
少女を跨いだ鉄の巨人は、追って来ていた軍事車両を蹴り飛ばし、慌てて迎撃態勢に入った軍事ヘリに向けて拳を振り抜いた。目にも追えない早さでヘリが雪面に激突し、火を上げる。
そこでようやく、鉄の巨人のシルエットがはっきりと見えた。
「モビル…スーツ…」
今となっては、主流となっている二足方向型の軍事兵器。
しかし、その姿形は少女の知っている正規軍の扱っているMSに該当しなかった。
突如現れたMSは追っ手を全て撃墜するやいなや、コチラを向いた。
胸部のハッチが開き、中からパイロットスーツ姿の人物が降りてくる。
降りてきた何者かは、少女を逃がそうとしていた女に歩み寄るなり、ヘルメットを外す。
後ろ姿と吹き荒れる雪のせいで、顔は良く見えないが、この曇天の中でもはっきりと分かる燃えるような赤い髪がとても印象的だ。
「……なにか、言い残す事は?」
血まみれで倒れ、腹から下がなくもはや目もはっきりと見えていないであろう女に向かって、赤い髪の男が問いかける。助からない。と、判断したのだろう。
倒れ込む女もまた、自分が死ぬと分かっていてなお、痛みを我慢したように笑みを浮かべる。
そして、絶え絶えに
「……たの、む、ペンダントを握らせてくれ……。」
赤い髪の男に懇願し、男は優しく女の胸にぶら下げていたペンダントを右手に握らせる。もはや自分で握る力もなく、男が代わりに強く拳を上から閉じた。
手渡すやいなや、女は安心したように笑みを浮かべ、目を閉じる。
「アンタはよくやった。」
戸惑いのない意志のこもった声でそう告げると、赤い髪の男は腰元から拳銃を取り出し、横たわる女に向ける。
「……楽しかった…皆に。」
男が頷く。
そして、躊躇なく頭に向けて一発、発砲した。
乾いた銃声が、雪原に響き渡る。
赤い髪の男はコチラを見やり、近づいてきた。
もはや、血を流し過ぎたのか、視界も定かではない。だが、命を救ってくれた男に向けてどうにか、伝えたかった。
「あり…がとう…」
「俺は救援を受けて来ただけだ。助けたのは、君を連れ出した彼女だ。」
男は少女にそう告げる。
絶望から救い出される安心感と、これからどうなるかの不安感がぶつかり合い、また涙が溢れる。
「…少し眠っていろ。」
赤い髪の男が少女に投げかける。
言われなくても、もう意識は途切れ途切れだ。
男の顔も良く見えず、声や周りの音も遠く聞こえる。
だが、最後の力を振り絞り男の腕を掴んだ。
「名前を…せめて、あなたの、名前だ…け…」
男は少し躊躇った後、口を開いた。
「ユウイチ、ユウイチ・レオンハート少尉だ。」
「ユウ、イチ…ありが、と…」
そこで、意識は深い闇へと落ちていった。
眠りに落ちた少女を抱え、ユウイチは立ち上がる。
頭上には迎えのヘリが来ていた。
ユウイチは耳元の無線でギャーギャーと煩い同僚との通信を切り、一つため気をついた。