幕間
基地から離れた暗い山中を、ユウイチ達は歩いていた。すでに火災や爆発、兵士達の叫び声も聞こえていない。ただ風の音と、松葉を蹴立てる三人の足音だけが響く。
「ねぇ、本当に大丈夫なの……?」
よろめくユウイチの身体を支えて、ヒナは言った。
「これで安心はできないが……あの基地から離れるより選択肢はなかった。」
「そうじゃなくて、ユウイチの事。どこか、調子が悪いんじゃ……」
相変わらずのむっつり顔だったが、額にはびっしりと玉の汗を浮かべている。全身泥まみれで、ワイシャツがべったり血と汗にまみれていた。
「やっぱり休もうよ。このままじゃユウイチ……」
ヒナが暗い声で言うと、ユウイチは立ち止まり、背後の闇に目を向けた。彼はしばらく沈黙してから、
「あぁ、少し……待て」
木の根にユウイチは腰掛けると、赤黒く汚れたワイシャツを脱いだ。タンクトップ姿になったユウイチを見て、ヒナは悲鳴を上げそうになった。
左の脇腹に鋭い金属片が突き刺さっていた。CDを半分に割ったくらいのサイズで血に濡れてテラテラと光っている。
さっき、赤いMSにやられた時に負傷したのか。
相当な激痛である事は容易にヒナにも想像がついた。
「……よくそれで歩いてたわね。」
レベッカな呆れながら言った。
「運が……良かった。内臓や大きな動脈は傷ついてない。……上着のポケットに小瓶の詰まったケースがあるはずだ。それをくれ。……レベッカ、頼めるか?」
「任せて。」
レベッカは上着からケースを取り、ユウイチに渡した。レベッカは慣れた手つきで消毒し、手当てをはじめた。ヒナはその様子を正視できなかった。
ーーなんで、こんな事ができるの……?
自分の身体を機械みたいに操って、痛みを我慢して、出てくる言葉は敵…敵…敵…これじゃまるであの人型兵器……MSと一緒じゃないか。
そこまでして、なにがユウイチを突き動かすのだろう。
まったくわからない。
「どうした、ヒナ」
「…………」
「具合が悪いのか?」
「ほ、ほっといて……」
ユウイチの視線から逃げるように、ヒナは後ずさった。
「もう、私はほっといてよ。」
ユウイチは何も言わない。レベッカは黙って手当てをする。沈黙。
怒っているのか、苛立っているのか、怒鳴りつけられるかもしれない。もしかしたら、殴られるかも。
私のために2人ともこんな目にあって、しかもワガママまで言って。
だって、こんなにも暖かいのは初めてだったから。
なぜだろう。ずっと一人で生きてきた。
心が折れそうな一人には広すぎる部屋も、寂しさや切なさが入り混じり、喉の奥底から呟いた言葉も、返ってこない無言にかき消されしまう。
本当はギリギリだった。
いつも、我慢していた。自分の側にいたであろう人達を思い、涙を流す日もあり、写真に写る二人の笑う顔でしか覚えていない笑顔を思い出しもう届くことはない涙も切なさも愛心もいつまでも混じることはない。ずっとギュッと胸の奥に押し込んできた。
なのに何故今になって生きたいと、自分のせいで人をこんな目にあわせておきながらも生きたいと思ってしまうのだろうか。
自分はいつからこんな弱くなってしまった。
いつだって誰にも頼らず生きてきた。一人で、孤独に耐えてきたはずだ。
なのに、何だろうか。ここで、死ぬわけにはいかないと胸の奥底で何かが駆り立てる。
諦めてはいけない気がした。自分を守るためにボロボロになって戦おうとしてくれた人達がいた。
自分にそんな価値なんてないのに、誰かが自分の為に必死になってくれていた。
それがたとえ命ぜられた任務であったとしても、他人が自分の為に必死になってくれた事があっただろうか?
それが、怖い。
「似ている……なんて勝手に思ってしまった。」
ふと、ユウイチが口を開いた。
「俺には記憶がない。だから、両親が居たのか、生きているのかすら覚えていない。どれだけ仲間に恵まれても、一瞬孤独を感じてしまう。俺は皆と違う、と。君もそうだと思った。瞬間瞬間に見せる悲しげな目が……似ていると思ったんだ。」
「そんな……そんな同族だからって助けたいの? デスティニープラン適応者に混じってそれを隠して暮らしている孤独な少女を哀れんで! どうせ私がユウイチ達にとって有能な力があるからでしょ!?」
言いながら強い罪悪感を覚えた。
「違う。今は――心から君を助けたい。」
「……え?」
「助かった後、どうなるかは分からない。元の生活には戻せないかもしれない。でも、生きていて欲しい。何かあっても俺達がそばに居る……少しやかましい連中かもしれないが、きっと退屈はしない。」
私は孤独で、
「君を守ると約束する。」
死ぬまでずっとひとりぼっちなんだと、笑顔で居る事で、人に優しくしていれば生きていけるなんて取り繕って、
――ホントの私は、とても弱い。
いま、こうして痛いのを我慢するのも。ひどく敵を警戒するのも、なにからなにまで機械的、合理的に考えるのも――全部私を助けたいから。そうしないと助けられないから。
敵の恐さを誰よりも知っているから。
締め付けるような切なさと愛しさが、津波のように彼女を襲った。体の芯が熱く潤み、全身が火照る。心臓の鼓動が速くなり、頭にみるみる血が昇る。彼女にとってはじめての感覚だった。理屈では説明できない、感情の渦。
自分の中で激しく二転三転する気持ちを、どう表現したらいいのかわからず、彼女は結局、ただ答えた。
「……うん。」
「良かった。じゃあ行こう。」
治療が終わり、ユウイチが立ち上がる。
「罪な男ね、アンタ。」
「どういう意味だ?」
――10分ばかり歩いたところで、なんの前触れもなく立ち止まるユウイチとレベッカ。
「どうし……」
「静かに」
ユウイチは右手でサブマシンガンを構え、レベッカは左手にナイフを握った。先の茂みに銃口を構え、油断なく前へ踏み出していく。ヒナも、闇の中に人の気配を感じた。押し殺した息づかい。衣ずれの音。まさか、もう追手が……?
ユウイチがマグライトを点けた。
しげみの奥の木にひとりの男が寄りかかっていた。
息も絶え絶えといった様子だ。全身ずぶ濡れで、黒いパイロットスーツを着ている。ブロンドの長髪は乱れ放題で、白い顔には泥と血がついていた。
「ゼル……」
「よぉ、……遅かったじゃねぇか」
ゼル・ウィガーは口の端を釣り上げ、それから力無く前に倒れた。