原点
ーー十年前 オーブ
「急いで、ヒロキ!!」
「ヒロキ! 早く走ってぇ!!」
息を切らせた母と、必死に自分の手を引きながら励ます姉の声。それらを掻き消す轟音。悲鳴。そして、巨大な機動兵器ーーー数多のMS。
上空に舞い降りる背中に大きなバックパックを持つ赤き巨神兵。
赤き巨神兵は凄まじいスピードで飛び回り、背中のバックパックに搭載されている二門のビーム砲口から眩い炎を迸らせる。ヒロキの視界を一瞬眩ませる。
彼らは避難の為に港を目指していた。ヒロキ達の住んでいたオノゴロ島は、ザフト軍の集中的な攻撃にさらされていた。それは、そこにはオーブが誇る軍事企業モルゲンレーテ等の軍事企業が存在したからだ。
オーブの空を覆い尽くす巨大な機体の数々、そしてビームやミサイルが飛び交う空には、幾つもの黒煙が上がっている。
港に向けて走り続けるヒロキの目に、港が見えた。港には脱出用の艦艇が横付けされ、軍の人間が避難民を誘導している。
あと少しだーー!!
こんな絶望的状況にも関わらず手を繋いで前を走るヒロキの姉ーーシズカが微笑みかける。
「大丈夫だから! 絶対、助かるから!」
こんな状況にも関わらず、自分を勇気付ける為にそんな事を言っているのだろう。
「あななたちを死なせるわけにはいかない!」
母が強気で言う。その表情は玉粒の汗でだらけだ。
緊迫した状況にも関わらず我が家の女子二人は強いな。とヒロキは心強くなる。ふと、三人の前にオーブの軍人が現れる。
「早く乗れ!!!」
そんな会話をしている内にオーブの脱出用艦艇の元に辿り着いていた。
「助かった…」
肩で息をさせ、膝に手を付き前のめりになりながらヒロキは呟いた。
「まだよ! 早く! 乗り込んで!!」
母が叫ぶ。
オーブを出るまで、状況は変わらない。
大体、なんでこんな事にーー。
セイラン家がブルーコスモスの盟主ロード・ジブリールを匿い、それを世界中に隠したという話しを姉から聞いた。
今やプラントのデュランダル議長が提唱したロゴスの打倒ーーーオペレーション・ラグナロクに賛同した世界同盟軍とそれに反発する国々や義勇軍との戦争の火が世界中を包んでいた。そして、オーブはその争いの原因ともなっている男、ロード・ジブリールを匿った。世界中が今まで中立を貫いていたオーブを批難し正義の名の下にオーブを襲う世界同盟軍、そしてそれを阻止しようする義勇軍の戦い。
後に天下分け目の一戦とも言われた第二次オーブ攻略戦は、島国であるオーブを守りながら戦わねばならない義勇軍の圧倒的不利であった。
しかし、幼い自分にはあまりよく分からなかった。
なぜ幸せな日々を奪われなければならないのか。こんな目に会わなければならないのか。
すでにいくつかの防衛ラインは占拠された。と軍人は母にいう。
いつこのオノゴロ島も陥落するか分からない。そして、そこに居ればどんな事が起きるのかも。想像に容易い。と。
「先に乗って!」
シズカに促され、ヒロキは頷いてみせる。
オーブが陥落するのは目に見えている。だが、脱出さえ出来れば今はいい。
生きなければならない。2年前のオーブ攻略戦で死んだ父の為にも。再び戦火に包まれたオーブで自分達も死ぬわけにはいかなかった。
ヒロキが脱出艇に乗り込んですぐに、オノゴロ島が大きく揺れた。
ハッ!としてヒロキはまだ乗り込んでいない姉と母に向かって叫んだ。
「お母さん、シズカ姉もーーー早く!!」
姉がヒロキに向けて手を伸ばし、ヒロキも手を伸ばす。
二人の手が触れ合うその瞬間、耳をつんざくような轟音が全身を殴りつけた。
世界が暗転していく。
「ーーーーな、に……」
気付いた時、ヒロキは乗り込んだ筈の脱出艇の外にいた。仰向けのまま港のアスファルトの残骸、その上。
身体中を激痛が走る。視界は朦朧とし、身体が言う事を聞かない。
何とか首を動かして辺りを見渡せば、まるですげ替えられた舞台のように背景が、辺りが一瞬にして様相が変わっていた。
斜面は大きくえぐられて赤茶けた土が露出し、港のアスファルトは足場のないほどに倒壊し、木々は倒れ、そばではなにかがぶすぶすと異様な臭いを上げて炭化している。
「ーーーーに、んげ、ーー」
その炭化したものが、人間“だった”ものだとすぐに幼いヒロキは悟った。
これが、オーブ攻略戦の折に使われた新兵器“ラグナロク”の攻撃によるものだったとヒロキは後になって知る。
当惑しながらも、全身に走る痛みを無視して辺りを見回す。全身は頭がおかしくなりそうなくらいに痛いのに、冴え渡っていく。
ーーーシズカ姉は、お母さんはーー!?
手を伸ばす。そしてヒロキはその時になり、自分の状況を把握した。
自分が伸ばした手が、右腕が肩からゴッソリと“ない”。無くなっているのだ。
「あ……れ……」
右腕だけじゃない。立ち上がろうと足を動かしてみた。
左足の感覚だけが、無い。ゾッとして首だけを動かして自分の足を見れば、膝から下に続くはずの左足は途中で断ち切られ、その先にはなにもない。
そして、ヒロキはさらに絶望する。
自分が無事に残っている左手で握っている“ナニか”。
それは、自分が見覚えのある服の袖口から覗かせている女性の手だ。だが、“それだけ”しかない。
姉の身体に続くはずの腕は中途で断ち切られ、その先にあるはずのシズカの姿はない。
ヒロキは凝然と視線をぎくしゃくさせてナニかを探す。
そして、見つけてしまった。
えぐられた大地のあちこちに、盛り返された土塊の一部のように転がるもの。無造作に地に投げ出された真っ黒な塊ーーー 焼け焦げた衣服をまとわりつかせ、ねじくれた形で転がる二つのそれらが、最愛の家族の変わり果てた姿だった。
ついさっきまで自分に触れ、話し、動いていた者達が、一瞬にして物言わぬかたまりと化していた。
家族だけじゃない、自分だけだ。
周りに、生きている人間は、自分しかいない。
ヒロキは身体から血を流しながら痺れたように自分が握っている姉の手を見つめる。
まるで自分に向けてさしのべられたような手。そう、あの時自分達は手を伸ばしあっていた。手を、取ろうとしていた。
あの手を、掴んでいればーーーー
喉元になにかが込み上げる。悲しみ、恨み、憤りーーーそんな言葉では言い尽くせないほどの激情。それは彼のちっぽけな体を内側から食い破りそうな程に大きかった。
「ぐ……う…あ、あ、ああああああああああああ!!!!!!」
幼い彼は天を仰ぎ、獣のように吠えた。
上空を飛び交う死の巨神兵達が、その赤い瞳に焼き付けられる。
そこで、ヒロキの意識は途絶えてしまった。
目を開ければ、自分が涙を流している事に気付く。
また、あの夢だ。
あの日から毎日のように夢に見る。目を閉じれば、昨日の事のように思い出される。
ふと、部屋に備え付けられている通信機が鳴り響く。
「ーーーーはい。」
『ヒロキ、そろそろ時間だ。準備してくれ。』
通信機から聞きなれた女性の声が聞こえ、ヒロキは重い身体を起き上がらせる。
気持ちを切り替え、ベッドの近くの壁に掛けてある赤い軍服に身を通す。
ーーー俺は、昔の俺じゃない。
目の前で家族を殺され、右腕と、左脚を奪われた無力なかつての自分。
あれから十年ーーーいまの自分は、無力な子どもじゃない。