ザンザスに教えてもらった場所は、普通の民家だった。少し色褪せた赤いペンキで塗られた家の前には、様々な種類の花がたくさん咲いていた。というより、玄関の門より向こう、はガーデニングが綺麗に整えられている。
「あら、お客様かしら。」
ふと、家の庭に人影が見えた。
向こうもこちらに気がついたようで、こちらに向かってきて門越しに高齢の女性が、不思議そうに声をかけてきた。
「どちら様かしら?」
「すいません。グレンさんよりコロ爺という方にこちらを渡して欲しいと頼まれまして。」
言って、リナは茶色い袋を見せた。
その袋を見てご婦人は合点がいったようだった。
「あぁ、いつも悪いわね。どうぞお入りくださいな。」
「……失礼します。」
人当たりの良いご婦人に促されるまま、リナとユウイチは開けられた門をくぐった。
「いまちょうどコロ爺はお日様を浴びていたところなんです。」
女性に連れられ、庭に足を踏み入れるとユウイチとリナの目に木製のロッキングチェアに揺られる高齢の男性が見えた。
「お父さん、グレンさんからのお見舞いで若いお二人が来てくださいましたよ。」
奥さんであろう女性が声をかけると、椅子に揺られていた男性がこちらを向いた。
「っ」
男性と視線が交錯し、ユウイチはわずかに驚いた。
目と目が合っているはずなのに、男性の目にはユウイチ達がきちんと捉えられていなかった。まるで生気はなく、ただそこに居ると言われたから視線を向けた。そう見えた。
男性は話さない。ただこちらを見つめると、視線を外してまた揺られ始めた。
「ごめんなさいね、愛想なしで。今日はまだ反応してくれただけ機嫌がいい方なのよ。」
「……いえ、お構いなく。その…」
「えぇ。“無感動症候群”よ。主人が反応を示さなくなって、もう5年になるかしら」
女性は遠い目をして、夫である男性を見つめる。
“無感動症候群”――デスティニープランが施行されて以降急激に広まっている心の病いだ。選ぶ、という選択肢を奪われた人が急激に会話や行動が鈍化し、果てには必要最低限の事しかしない。食べない。話さない。
生きていて、まるで死んでいるかのように見える症状が顕著だ。
「……夫はずっと絵を描いて生計を立てていてね。それは、この辺りでも有名な画家だったのよ? 花や緑を描くのが好きで……最初はこのガーデニングも夫が育てていたの。」
四季折々の綺麗な花は、バランス良く植えられ、飾られ、素敵な景色を生み出していた。
「でもデスティニープランが施行されて、最初は反対していたんだけど、世間の目や世論から私達も受けざるを得ない状況になって……」
女性はそこで言葉を区切り、ひどく言い淀んでいた。
その先の言葉を恐れているようだった。
「……絵の才能はない、と宣告されたんですね。」
リナが代替した言葉は、残酷な現実だった。
彼女の言葉に、ご婦人は伏せ目がちに答える。
「……えぇそうよ。絵を描く事が生き甲斐だった主人にとって、それはショックな出来事だったでしょうね。もう七十年以上絵を描き続けてきて、貴方には遺伝子的に絵の才能はないから他の職を探した方がいい、だなんて残酷な話しでしょ?」
酷い話しだった。
が、ありきたりな現実でもあった。今のこの世界において、自分の夢や生き甲斐に適性がないなんてのはありふれた話しだった。だから夢を持つ事を大人は子どもに牽制する。
才能なんて、遺伝子を見ればすぐに分かるのだから。
その時絶望しないようデスティニープランに任せればいい、と説き伏せる。
「夫は苦しんだ。自分が初めから適性ある仕事に就けば、もっと私に楽な暮らしをさせてやれた。平凡な自分に付き合わせてしまった、と悔やんでいたわ。」
「……ちょっと待ってください。いくら絵を否定されたとしても自分が好きならやり続ければいいじゃないですか。」
ユウイチは至極当たり前の言葉をかけた。
そう、たとえプランに否定されても自分を曲げなければ良いい。今更生き方を変える必要などないのだ。システムに強制はなく、選ぶのは自分なのだから。
「この話しはね、もっと酷いオチがあるのよ。」
ユウイチに問われたご婦人は悲しげに瞳を揺らす。
「……私には絵の才能があると、デスティニープランは見出したのよ。」
「そんな……」
「私も愕然としたわ。夫の絵を見て憧れるばかりだった私に、そんな才能があるなんて思いもしなかった。素敵な絵を、夫の手前筆を持つ事を躊躇っていた私にとってそれは衝撃的だった。だから、つい試してみたくなって――」
「旦那さんに見られてしまったんですね。」
「……馬鹿な事をしたと、今も悔やんでも悔やみきれません。夫は、私の完成した絵を見て涙を流し、その日から一晩中絵を描いては破りを繰り返した。酒に溺れ、私と会話もせずアトリエにこもりっぱなしで――二週間が過ぎた頃、夫はアトリエで自分の手首を切り落としていた。」
それは、画家にとって最悪の選択だった。
「一命はとりとめたものの、そこから夫は何も話さなくなった。目線は動くし、トイレも行くしご飯もたべる。けれど、表情がない。活力もなく、何もせずだだ一点を見つめるだけの繰り返し……私は、私が奪ったんです。夫から感情を、絵を……っ!」
顔を両手で覆い隠し、女性は涙を流して嗚咽する。
その姿に、二人は何も言葉をかける事ができない。
そんな病気があると、ただ話していただけの二人が見た生々しい現実はあまりにも悲劇的で――胸に深く突き刺さった。
やがて、落ち着きを取り戻したご婦人は紅茶を淹れてくれ、心を落ち着かせようと無理に笑顔を作って話す。
「ごめんなさい、お客様にお見苦しい事を……」
「いえ……気になさらないでください。」
出された紅茶を含みながら、リナは庭で椅子に揺られるご主人を見た。そして静かに述べた。
「……デスティニープランは確かに幸福に近づく選択肢を提示してくれます。自分の才能をキチンとした場所で扱うための――でも、それが絶対である必要はないんです。あくまで才能は指針であるべきで、夢こそが人の活力なんだと私は思います。」
「……夢こそが。」
リナの言葉をユウイチは反芻する。
女性も頷き、やがて懐かしむように話し出した。
「私達が生まれた時代は、めまぐるしく変わる激動の時代だった。私の祖父母は再構築戦争で他界し、両親からは酷い時代だったと伝えられて育ちました。戦争が終わり、多くの国家が消え、大西洋連邦やユーラシア連邦に吸収合併した。気づけば、宇宙に人が住めるようにするなんて話しまで出ていました。」
「……“世界樹”、ですね。」
C.E.の9〜10年頃、人類は新たな居住地にと宇宙への進出を決めた。
「最初は夢のような話しだと笑っていましたが、あれよあれよと話しは進み、あっという間に宇宙にコロニーが浮かんでいた。そして同時に最初のコーディネイターが生まれ――人は遺伝子を改竄する道を進んだ。それは夢に溢れた時代でした。」
夢、と彼女は好意的に語る。
「人が宙に住む事、遺伝子を改竄して生まれる事が出来る。素晴らしい。ばかりを追い求め、その結末を見なかった。その後に待つ新たな人種間のいざこざを。」
コーディネイター、という新たな人種の誕生がなければもしかすると世界はここまで困窮する事はなかったのかもしれない。最初はコーディネイターが人種になるなんて考えもせず、結果的に爆発的に増えたコーディネイターはナチュラルとの軋轢を生む事になる。
「新人類の誕生に熱狂する人々は、それが禁忌の代償と考えもしなかったんです。だから今回も同じ――幾度となく繰り返かす。輪舞曲《ロンド》のように永遠に――だから争いはなくならない。」
怒気を孕んだ口調で婦人は語る。
「デスティニープランが原因で、また戦争になると……?」
「……認め難いですがね。今までの歴史が、それを証明しています。」
諦めたような口調だった。
全てに絶望し、今更何も期待していない。ただ彼女は穏やかに余生を過ごせればいいと、そう考えているのだろう。
彼女だけでなく、全ての人々がーー。
「私達には、世界を変えられなかった。だからあなた達の代で変えて欲しい、なんてただ背負わせる事しかできない我々を……どうか憎まないでください。」