いつか、誰かの悲しみ
時刻は夜が更け、5時を回っていた。
時期に日も昇るだろう。王宮前には、大勢の遺体が布を被せられて並べられていた。その傍で遺族達が咽び泣く。
ザンザスの依頼通り、貧民街の人々を処理したのは“RAVEN”と公表された。これで、“RAVEN”に対するこの国の国民達の感情は負のものとなるだろう。
ここまでが、計算された敵の策略だとでもいうのだろうか。
王宮の外壁から呆然とリナが眼下で広がる遺族達が子ども達の遺体に縋り泣き喚く光景を、ただ見つめていた。
そして、心痛な面持ちで遺族達の傍に立つユーフェミアと、ザンザス、カレンの姿もある。一人の父親らしき人物が立ち上がり、ユーフェミアの前に立ちはだかる。
「RAVENとかいうおかしな奴らはどこにいる!? 俺がこの手で……殺してやる……!」
内から湧き上がる激情を隠すこともなく、父親は激昂する。しかし、ユーフェミアは悲しみを浮かべたまま困ったように返すだけだった。
「それは……出来ません。我々といえども、彼らの行いに口を挟むことは出来ないのです。」
「ふざけるな!!! そうやって都合の悪い事があると逃げて! 奴らは子ども達を、まだ年端もいかない子ども達を殺したんだぞ!!!」
父親が怒りに任せユーフェミアに詰め寄ろうとし、近くにいた兵士に抑えられる。
それでもなお、父親は屈さない。
「大体、そんな噂にすぎない組織が本当に存在するのか!? あんた達が都合よく事実を捻じ曲げたんじゃないのか!?」
父親は兵士により地に押さえつけられてもなおあがいて喚く。
「俺達の子ども達はあんた達に嵌められたんじゃないのか! この国は飢餓で苦しんでいる、だから食い口を減らしてやろうって魂胆なんだろ!?」
「ち、違います! 決してそのような事は……!」
ふと、父親の背後で呆然とその光景を見ていた遺族達が立ち上がる。
そして、ボソボソと誰かが「そうだ……そうに違いない……」と呟き始めたかと思うと徐々に打ち寄せる波のようにゆっくと音量を上げていき、瞬く間に大きな罵声が飛び交った。
「返せっ!! ウチの子を!」
「そうだ! あんた達に殺されたんだ!!」
「貧民街の奴らを殺せっ!!!」
狂想曲のような罵声が夜更けのスカンジナビア王国の王宮前に響く。
皆が涙を流し遺族達以外の国民達も同調して叫ぶ。国民達の総意のような罵声がユーフェミアと防衛隊向けられる。
「やめろ! 静かにしないかっ!!」
「落ち着いてください!!」
ザンザスとカレンが必死に呼びかけるも、もはや止まる事を知らない罵声により虚しく掻き消されてしまう。たった一夜にしてこの国の平穏は壊されてしまった。
この国の未来を担う子供達の多くを失った人々は荒れ狂い、やり場のない怒りを国へぶつける。守られていた側が、その責任を国へ問うたのだ。
王宮前で朝の耳障りな目覚まし時計のような罵声の嵐を、リナは空虚な目で見つめていた。ふと、リナの背後に足音が聞こえ誰かが近づいてくるのを感じる。
「醜い光景ですね。」
目をやれば、アルミ製のコーヒーカップを二つ手にしたジェノスが眼下に目をやりながら愚痴ていた。
「スカンジナビア王国の朝は冷えます。どうです?」
ジェノスがコーヒーカップの一つをリナに手渡し、リナは力無く微笑んでそれを受け取った。アルミ製の板を通して伝わる熱と、飲み口から沸き立つ湯気が、リナの心すら温めていく気がした。
ジェノスはリナと同じろうに並び、眼下に目をやる。
「デスティニープランで守られた世界……といってもこの国はデスティニープランの施行率は世界最低基準です。これが、原初の人間の形なのかもしれませんね。」
ずずっとコーヒーをすすりながらジェノスが呟く。
原初、リナ達が生きるこの時代よりも前の時代ーーデスティニープランが施行される前の世界では国が人々を守っていた。国に守られ、守りきれなければ人々はその責任を国へ問う。
「……デスティニープランが施行されてから10年、親は子を守る義務を捨ててしまったのかもしれないわね。」
遠い目をしたリナが告げ、ジェノスは少しばかり目を丸くして問い返す。
「と、言いますと?」
「デスティニープランは個人の適性を割り出してそれに見合った生き方を導いてくれる。だから、親が子の教育をする必要もなければ、道を示す必要もない。デスティニープランに従っていれば平和に生きられる。」
デスティニープランが恋愛も、学校も、職業すらも決めてくれる。そして、それに管理されることで平和すらも約束される。
SEED保持者、及び親や、世界に行き場のない者達を最下級に設定した身分制を敷くことで世界はその安定を保ってきた。
だが、デスティニープランは生きる環境までは考慮しない。
飢餓で苦しむこの国の人々がデスティニープランを受けた所で平和に幸せな生活が約束されるだろうか。デスティニープランは、その答えを示してはくれない。
「子ども達を育てる親が、10年前に“ブレイクザワールド”や戦争を経験した人ばかりの人々よ。あんな世界になってほしくないと、システムに頼った教育を施すのも無理はないのかもしれないわね。」
デスティニープランは決して絶対の存在ではない。
だが、人々にとっては絶対にして唯一の選択肢なのだ。それを奪われてしまったら人はどうなるのだろうか。再びあんな事を繰り返す事になるかもしれない。いや、それ以上の悪夢を引き起こすかもしれない。
リナにはまだ、デスティニープランのない未来という答えが見えていなかった。
ふと、木霊していた罵声にどよめきが走った。
ジェノスとリナは眼下に視線を送る。
「ユーフェミア様!」
ザンザスがユーフェミアに制止の声をかける。
しかし、ユーフェミアはそれを止めようとしなかった。
額を地につけ、すらっとした綺麗な指を揃えて土で汚し、両膝で母国の地を踏みしめ、綺麗な長い髪が汚れようともユーフェミアはそれを辞めなかった。
「皇女が、地に頭をついて謝るような事はしてはいけません!」
「黙りなさい、ザンザス!」
制止の声を上げるザンザスに、ユーフェミアの鋭い声が飛んだ。
「私は全てを知っています。そして、このような悲劇を起こしてしまった事は皇女である私の責任です。私は罪から逃れるような真似は致しません。」
ユーフェミアの地に張り付けられた指に力が篭る。
それは決して一国の国の主が為すべき行為ではなかった。どこの国に、国民に向けて土下座をする皇女が居ようか。しかし、ユーフェミアは決して皇女になったからといって全てを忘れたわけではない。農作業を耕す辛さ、一日をパン一個で済ます食事のひもじさを、乾ききって唾すら出ない喉の干ばつを。
だからこそ、ユーフェミアは一人の人間として頭を下げた。
「私を虐げたいというならばどうぞご自由になさってください。強姦するなり、拷問するなり好きにしてください。ですが、私の命一つでどうか納めてください。」
ユーフェミアの言葉に水を打ったように王宮前が静まり返り、耳を傾ける。
「防衛隊の皆さんは、皆さんを守るために命がけで戦い命を落としました。同じように傷ついています。家族を残して死んだものもいます。どうか、やり場のない責めは全て私が請け負いましょう。ですから、どうか……!」
地に顔をつけるユーフェミアは気丈にも涙は見せなかったが、その身体は細かく震えていた。それが悲しみによるものなのか、恐怖によるものなのかな分からない。だが、彼女のその姿勢を見た群衆達は静まり返り、その場に力無く膝をついていった。
先頭で喚いてた先程の父親が涙をボロボロとこぼしながら言葉にならない声を上げる。
「ずいません……! 皇女様……でも、こうでもしないと俺たちは、どこに怒りをぶつけたらいいのかも、わからなくて……!!」
父親は泣き崩れ、ユーフェミアの前で膝をつき嗚咽交じりの泣き声を上げる。
それを合図にしたかのように群衆達も怒りの涙ではなく、悲しみの涙を流し、泣き崩れていく。
「……皆さん……申し訳ありません……私の力不足……」
先程の罵声の嵐が嘘のように、ただ咽び泣く群衆の声だけが王宮前には響いていた。
「良い皇女様ですね〜」
皮肉交じりにジェノスが告げて、リナは侮蔑の混じりの視線をジェノスに送った。
もちろん、彼に悪気はない。世界中から捨てられた人々が集まる“RAVEN”にいる者達の多くは世界を恨んでいる。そんな人間がこんな綺麗なモノを見せられて感動するはずもない。
「……すいません。ジョークが過ぎましたね。」
「いいのよ……貴方が悪いわけじゃないわ。」
ばつが悪そうに顔を暗くするジェノスに、リナも居心地の悪さを感じた。
ジェノスは目線を白み始めた空へと向けて、空の果て、その遠くを見るような瞳で話し出した。
「昔は俺もプラントに住んでましてね。ザフトの士官学校に入学するつもりだったんです。いずれはザフトレッドを着て、世界の役に……それが10年前の俺です。」
少し冷めてしまったコーヒーを啜りながら、ジェノスは話しを続ける。
「そしてその2年後にザフト士官学校に入学したんです。ですが、ZEUSの立ち上げに際して軍の再編成の関係で俺は地球の士官学校に送られました。そりゃあもう、ZEUS発足当初なんて最悪でしたよ。いきなりナチュラルと一緒に働け。だなんて、当時はまだナチュラル・コーディネイター関の差別感情は色濃く残っていていましたしね。」
今から8年前、ZAFTは地球連合を軍に組み込んだ巨大軍事連合、ZEUSを立ち上げた。そして世界中からデスティニープランで割り出した兵士適性の高い人間をかき集めて軍属にした。いわゆる、世界徴兵だ。
そして、その中で育った兵士達が今ではZEUSの中枢を支える精鋭達だ。
元から兵士適性の高い者達を、その能力に見合った適性の高い要職に就ける事でZEUSの兵はその練度を増していった。
「俺はそれから士官学校を卒業して、ZEUSに配属されてここに来るまで様々なイジメ、ってやつに合いました。なんの嫌がらせか地球のナチュラルが多い隊にばかり配属されてね。それで3年前のある日、俺はカッとなっていつもいびってくる上官を刺しちゃったんですよ。」
軽く言って笑顔を見せるジェノスだが、その目はとても悲しげな目をしていた。
ジェノスは独り言のように話しを続ける。
「本来なら銃殺刑。でも上層部は俺の高い能力を惜しんだ。だからここに捨てられた。まあ、今となってはここの方が居心地が良いんで気に入ってますがね。」
笑みを見せてはいるが、それはきっとジェノスが思い描いた将来ではなかったのだろう。
「デスティニープランは執拗なイジメについての答えは示してはくれませんでした。ナチュラルがコーディネイターを差別する感情に対しても、ね。自分で望んで軍人になってそうなったんだから仕方もないのかもしれませんが、俺はあの上官を刺した事を後悔はしてません。あんな人間が上に立つべきだと示したデスティニープランを許す気も。」
普段、あまり怒りを見せない温厚な彼が垣間見せた真っ黒い殺気。
それは今はいない上官に対してなのか、デスティニープランに対してなのかはわからなかった。だが、ジェノスもまたデスティニープランに運命を狂わされた一人なのだ。
ふと、殺気をおさめたジェノスが申し訳なさげに「すいません。与太話でしたね。」と額に悲痛な曇りを帯びさせて謝罪した。
「いいのよ。私達の部隊には誰だって抱えてきた過去があるんだもの。」
寂しげな夢を見るような顔つきでリナが朝日が昇り始めた空を見上げる。
白くまばゆい太陽光が雲間から漏れてスカンジナビア王国を明るく照らす。長い、長い夜が明けた。こうしてまた人は一日一日を生きていくのだ。辛くとも、悲しくとも、生きている限り日々は進んでいく。
朝日に照らされ、寂しげな表情を浮かべる美しい女性に向けてジェノスは問うてみた。
「……昨夜のユウイチにかけた言葉、アレはどういう意味ですか?」
「……。」
ジェノスの目がリナの蒼い瞳と交錯する。ジェノスの目には険がある。
錯乱していたユウイチには届いていなかっただろう。けれども確かに、リナはユウイチを抱きしめながらそう言った。
一人にはさせない。一人にもなりたくない、と。
「……貴女は何を知っているんですか?」
ジェノスの挑むような目つきがリナを凝視する。
さしずめジェノスが探偵で、自分は容疑者といったところだ。
リナは小さく短いため息をつくと、よく予習をしてきた生徒のように嬉々とした口調で語り出した。
「むっつり顏で、赤い髪がとても印象的で、人付き合いが苦手で、人からの愛情が怖くて、本当は脆くて、赤と蒼のオッドアイがとても綺麗で、そして、カロリーメイトが好きな青年。」
饒舌に言葉を並べたリナは軽く微笑んで続ける。
「私が知ってるのは、そんなユウイチよ?」
ジェノスは彼女の表情からその言葉の真意を読み取る事は出来なかった。
いや、多分今の言葉は心からの本心なんだろう。全て、彼女が見て知ったユウイチなのだろう。
「……参りましたよ。カロリーメイトが好きってのはどうかと思いますが。」
「フフ、それには私も同感かな?」
愛嬌のある微笑を口に含めてリナは笑う。
出来ることならこの笑顔を信じたい。ジェノスは胸の内に住んでいる疑心を戸棚に押し込むように隠した。
「そろそろユウイチもシャワーを浴び終わった頃でしょう。様子を見てきます。」
そう言って、ジェノスはリナに背を向けてその場を離れようとした。
そのジェノスの背後からリナが唇に冷ややかな笑いを浮かべて告げた。
「ジェノス。貴方の好奇心は鴉を殺す事もある。気をつけてね。」
その言葉にこもった語気と、彼女の表情はジェノスの心を冷や冷やとさせるに充分なものだった。
ジェノスは「気をつけます。」と彼女を一瞥してその場を離れた。
ジェノスがいなくなり、一人朝日が降り注ぐ外壁に残されたリナは表情に影を落とす。金色の髪が、朝日を反射させ、彼女の神々とした雰囲気を際立てる。そこに人が居たならば女神かなにかと勘違いするのではないだろうかとすら思える彼女の表情は、とても悲しげだった。誰もいない外壁に一人、彼女は大好きな本の台詞を呟く。
「片側にはにくしみ、もう片側には愛がつまってるの。」