スカンジナビア王国防衛隊ベル・リグレッドは、閉鎖され閑散とする貧民街をひた走る。息は絶え絶えに、肩からは血を流し、その血が彼の走った後にしたたり落ちる。なんとか出血と痛みを抑えようと手で止血し、玉粒の汗が額に滲む。
どうして、なぜこうなった?
そんな感情ばかりが錯綜する。
貧民街はあの事件で封鎖され、国土は“RAVEN”によってひとまずは守られた。
ただ、ベル・リグレッドは疑問に思っていた。
――本当にこれで終わりなのか?
あの貧民街の人々の、洗脳されたような姿は?
どうしてスカンジナビア王国が狙われた? 戦略的な理由。
いや、違う。それだけじゃない。
ユーフェミア皇女は隠している。ザンザスやカレンにだけ伝え、三人はとんでもないものを隠している。
だが、そんな事はどうでもいい。
彼女達が“そうした方がいい”、と判断したのならそれは間違いないのだから。
だが、一人だけ――“そうしない方がいい”と判断した男がいる?
「何故だ、グレン隊長っ!!!」
恩師でもある隊長に、振り返りざまに銃を向ける。だが、振り向いた途端に拳銃は弾き飛ばされてしまった。破片が手に突き刺ささり、ベルは思わず顔を顰める。
恐ろしいほど正確なまでの射撃だった。こちらが撃つ前に、相手は拳銃だけを撃ち抜いたのだ。
「お前がユーフェミアに頼まれて、俺を嗅ぎ回っていたのは知っている。しかし、確信に変わったのはいつだ?」
グレン・イェルハルドは冷酷にベルを見つめて言い放つ。
「……被害者達の遺体の服から、あんたのタバコの香りがうっすらした。」
キッと睨みつけ、侮蔑の視線を向けベルはグレンに告げる。
グレンはベルの言葉に目元を手で覆うと、やがて空を見上げて笑い出した。
「はっはっはっ! こいつぁ傑作だ、てめぇは皇女様のためなにわざわざ遺体の服の匂いを嗅ぎ回ったわけだ!」
そして、自然な、あまりにも自然な動作でベルの足を撃ち抜いた。
「ぐぁあああ……!」
ベルは苦痛の声を上げ、足を押さえて血を這った。
「てめぇのそのイカれ具合はあのポンコツ皇女様を慕っているからか? それとも……愛ゆえに、ってやつか?」
「……黙れ、ユーフェミアを馬鹿にする事は許さないっ…!」
「チェックメイト間近のお前に何ができる? 褒めてやるよ、ベル。お前は昔から鼻がよく、そして能ある鷹は爪を隠すを体現していた。その気になれば、お前が防衛隊隊長だっただろう。」
さぞ不思議そうに、グレンはベルに銃口を向けたまま問いかける。
「だが、なぜだ? なぜザンザスに譲った。防衛隊の隊長になった方がユーフェミアの近くに寄れる。“可能性”はそっちの方があっただろうに。」
グレンの言葉に、ベルは自嘲めいた笑みを浮かべて吐き捨てる。
「……あんたにゃ分からねぇよ。一生な。」
「そうか。ま、別にいいんだがな。」
さして興味はなさげに、グレンは言った。
分かるはずがないのだ。ベルがユーフェミアを愛していたとして、そこには親友二人が居て、自分がこの国の防衛隊に入った時、すでに関係は出来上がっていた。あの三人の関係性を壊したくなかった。だから、ユーフェミアにザンザスやカレンには内密の諜報役として打診された時、優越感があった。
彼女は自分を見てくれていた。信頼してくれていた、と。
それだけで良かった。本当に、それだけで幸せだった。
グレンの銃を握る手に、わずかに力が入る。
「……俺にも質問させてくれ。“何故”だ?」
ベルの質問に、グレンは少し躊躇い間を置いて答えた。
「……この国を愛しているが故だ。愛国心に偽りはない。」
「なるほど。お互い、この国に肩入れしすぎたわけか。」
ベルは薄ら笑いを浮かべ、天を見上げた。
――志し半ばのリタイア。すまない、ユーフェミア。
「……最後にタバコを一本くれねぇか?」
自身の生を終わらせる一射が放たれる前に、ベルは言った。
「……バカ。お前タバコの吸い方も知らねぇだろ。」
サイレンサーで抑えられた小さな射撃音が一発響く。
放たれた弾丸はベルの額を撃ち抜き、撃たれたベルは仰向けに倒れた。奇跡はない。ベル・リグレッドの生涯はここに幕を閉じた。
「最期にタバコをもらって、俺のタバコの匂いを残そうとは……全く油断ならねぇ奴だったよお前は。」
一歩間違えれば、こうなる前にチェックメイトだった。
それほどまでにベルは優秀で狡猾だった。
ただ一点彼が読み違えていたのは――
「俺は誰よりもお前の能力を評価していた。……ホントもったいねぇよ、お前。」
最大級の警戒を送らざるを得ないほどに。
グレンの頬を、雫が伝った。
自室の大きな窓にもたれかかり、ユーフェミアは相手を待つ。やがて、コンコンと小さなノックが響く。
待ち人の到来を知らせる合図が鳴り、ユーフェミアは誰にでもなく話し始める。
「……今回の襲撃、やはりあなた方の存在を敵は把握している可能性が高いです。」
窓の向こう側に居る相手も、背中越しに応じた。
「……時間の問題だった。君達スカンジナビア王国には本当に何と礼をしたらいいか……。」
「構いません。お父様の遺言でもあります。あなた方は必ず世界に革命を起こす火種となる……。そう信じています。」
「……買い被り過ぎ、と言いたいところだが期待にはできる限り答えたい。」
相変わらず実直な人だ、とユーフェミアは微かに笑みを浮かべた。
「貧民街の内覧……あれはやはり“アコード”の能力でしょうか。」
「……間違いないだろう。敵は、“アコード”を戦力に置いている事になる。」
それは厄介だ、とユーフェミアは顔を顰めた。
“アコード”。コーディネイターの次の進化人類。究極のコーディネイターとも評される人造異能力者。
自然ではなく、人が作り上げた進化。その種は、知らず知らずの内に世界中に散らばっていた。
その存在が知られたのは今から一年前。
新興国ファウンデーション王国と“ZEUS”による世界戦争。
多大な犠牲の末、“ZEUS”は英雄シン・アスカの活躍によりファウンデーション王国を打ち破る。その戦争が発端となり、再び世界的な兵器増産、軍事強化の気運は高まった。
そして、その戦争で猛威を振るったのが“アコード”だった。
「敵の規模は未だつかめていない。ただ、“アコード”も含めた巨大な組織だとしたら……」
「……あの時以上の災禍が振り撒かれるかもしれないのですね。」
鎮痛な面持ちで、ユーフェミアは手元に視線を落とした。
「しかし、場合によってはこれはチャンスだ。俺達が敵の影に隠れて動きやすくなる。」
「宇宙にいる彼女も、早く地球に呼び戻してあげなくては。」
“フェンリル”を駆る若きエース、ティア・キサラギ。
彼女の力は、必ず今後の戦いで必要になる。
「ティア達にはもう伝えてある。だが、その前にやってもらいたい事もあるのでね。」
「?……あ、そういえば“彼”はいかがでしたか?」
少し嬉しそうな声で、ユーフェミアが問いかける。
窓の向こうからは、呆れたため息が聞こえてきた。
「……若い頃のアイツを見ている気分だったよ。荒削りな部分が多すぎる。」
「まだ覚醒途中ですし、及第点ではないでしょうか?」
事実“彼”は、敵のガンダムを撃墜に成功している。
いまだ覚醒途中にありながら、だ。
「それに、私はどこか貴方に似た雰囲気を感じました。」
「俺に? まさか、勘弁してくれ。」
告げられた男は、心底嫌そうだった。
ふと、ユーフェミアは時計を見やった。
「そろそろ見回りが来ます。今宵はこの辺りで」
「了解した。敵は去っても油断はなさらないように、ユーフェミア皇女。」
「えぇ、お気遣い痛み入ります。アレックスさんも、どうかお気をつけて。」
窓の向こう、アレックス・ディノと名乗る男に向けてユーフェミアは声をかけた。
やがて、彼の気配は消える。
「……どうか、彼らの命運に幸あらん事を。」
誰も居ない部屋に一人、ユーフェミアは願う。