ユウイチがドアを開けた先は、喧騒と言ってもいいほどの活気が溢れていた。
「おう、らっしゃい。珍しいなお前がココに顔を出すなんて。」
ドアを開けてすぐに声をかけてきたのはどこまでがおデコでどこからがおデコなのかも分からない綺麗な無毛の頭に、本当に見えているのかと疑いたくなるような真っ黒なサングラスをかけたやたらとガタイの良く肌の浅黒い男だった。
「お、帰って来たなぁ〜。うぃーっす。 」
「おかえり〜」
そして次に声をかけてきたのは酒を片手にカウンターに並んで腰掛ける病み上がり二人組。ゼル・ウィガー少尉とレベッカ・ゲート中尉だ。
「もう怪我はいいのか?」
二人に声をかけながら、ユウイチは空いていたゼルの隣の席へと腰掛ける。席に着いてすぐにサングラスをかけたマスターが「何にする?」と声をかけてきた。ユウイチは「今日はアイスティーでかまわない。」と返す。
「こんな状況下だ。俺ら負傷組も駆り出されたってわけよ。」
ゼルが言いながら、ジョッキに注がれたビールを口に運ぶ。あれだけの負傷から復帰してすぐに二人ともアルコールとは分かりやすいやつらというか呑気というか。ここ“アテナ”の艦内には酒場が存在する。よくもまぁ規律、規律と口うるさいクリス副長が許可したものだなとも思うが、自由を制限された“RAVEN”隊員達にとっての数少ない憩いの場として総帥が組み込んだのだという。大体任務終わりの隊員や暇を持て余した隊員達でこの酒場は賑わっている。
「マスター! おかわりっ!」
「飲み過ぎだ、ウィガー」
マスターがゼルが突き出したジョッキを一瞥しながら返す。しかしゼルはぶうたれて
「いんだよ、こんなご時世だからこそ呑まなきゃやってらんねぇの!」
「こんなご時世に限らず365日四六時中任務以外はここに居るじゃないか。」
ゼルを探すのに手間はかからないと隊内ではもっぱら有名だ。
「放っときなさい、ユウイチ。そいつアル中だからなに言っても無駄よ。」
柑橘系のカクテルを口に運びながらレベッカが呆れ果てた目で言った。
「それは間違いだな、俺毎日呑んでるけど中毒じゃねぇもん。」
『いや、それは中毒だろ。』
レベッカと声が重なる。自覚症状もないのが中毒の恐ろしいところである。
そんなくだらないやり取りを呆れた様子で聞いていたマスターがため息混じりに語り出した。
「お前らなぁ…“アメノミハシラ”であんな事が起きたばかりなんだぞ? もっと危機感とかねぇのか。」
マスターの言う事も最もだ。“アメノミハシラ”での革命同盟軍とZEUS軍のアスカ隊による攻防は“RAVEN”でもあっという間に話しは広まった。確かに“アメノミハシラ”への攻撃なんて全世界レベルでの経済危機だ。しかし、そんな重大な事件とは裏腹にユウイチ達の心中は達観していた。
「まぁ、確かに敵に優秀な脳外科医をオススメしたくなるレベルの大事件だけどここの所色んな事が立て続けに起きすぎてねぇ…」
と、レベッカが机にうだぁっと顎をつきながらぼやいた。レベッカの言わんとする事は分かる。あのオーブでの事件以来色んな事件が立て続けに起きすぎている。革命同盟軍の宣戦布告にZEUSの新型奪取、スカンジナビア王国への奇襲。この10年の間に起きるはずもないと思われていた事件ばかりがこうも続けばリアクションも薄くなるというものだ。
「それに正規軍の奴らのミスなんだろ? 新型3機が奪われたのも“アメノミハシラ”を傷つけちまったのも。だったら俺らからしたらざまぁみろぐらいにしか思えないしなぁ〜あ、マスターおかわり。」
「飲み過ぎだバカ。」
“RAVEN”には世界から爪弾きされた者ばかりが集められる。親に捨てられた者や人を殺めてしまった者、SEEDを宿す者、ここに捨てられる理由は人それぞれだ。世界を守りたいと思う気持ちを持つ者よりも、憎んでいる者達の方が多い可能性も大いにある。そんな彼らには正規軍の失態は良い酒のつまみになるだろう。
「なるほど。だから今日は一段とココに人が多いわけだ。」
いつもこの酒場は賑わっているが、今日はひときわ騒がしい気がしていたのだが合点がいった。
ユウイチは目の前に置かれたアイスティーを口に含む。無糖の為、ほんのりと苦みが口に広がる。
「あ、ユウイチ居たぁ〜っ!!」
豪快に扉が開かれ、酒場に元気よく誰かが入室してくる。入室してきた人物は一目散にユウイチの元へと駆け寄り、椅子に腰掛けているユウイチの胸へと抱きついて来た。
「ヒナか。」
「おかえり、ユウイチ〜」
すりすりとユウイチの胸部で頬ずりするヒナ。その姿は飼い主に甘えたがる猫そのものだ。
ふと、ヒナの容姿を見れば青い“RAVEN”の軍服をキチンと羽織っている。しかし上着の下はセーラー服姿というなんとも奇怪なファッションセンスだ。セーラー服はなにがあっても脱がない気なのか。
「ほら、私の属性だし? セーラー服って」
もうなにもツッコみたくない。
ヒナはユウイチの隣の空いていた席へと腰掛ける。このむさ苦しい男ばかりの酒場にヒナが居るだけで華やかになる。
レベッカは…まぁ男みたいなものだから。
「おう、ヒナ。ビール飲むかぁ?」
ほどよく酔っ払ったゼルがニヤニヤしながらヒナを茶化す。その姿は誰にでも絡みたがる厄介なおっさんそのものだ。
「馬鹿言ってんじゃないわよ。」
「マスター、私いつものみっくすじゅーすっ!」
「あいよ。任せときな。」
元気よくオーダーするヒナの飲み物を作るマスターの雰囲気も心なしか柔らかく見える。
というか彼女はいつものと言っただろうか?
「…ここの常連なのか?」
「うん! ユウイチが居ない間は病室でゼルとレベッカで遊ぶかここでマスターと会話してたかのどっちかだね〜」
まさか自分のいない間にこんなむさ苦しい場所を出入りしていただなんて、厄介な酔っ払いに絡まれなかっただろうか。まぁもしヒナに絡もうものなら筋肉隆々のマスターによってどんな目に合うか分からないが。
「そういえばニュースで見たんだけど“アメノミハシラ”が攻撃されたんだよね? 私昔、社会見学で“アメノミハシラ”に行った事あるからなんか複雑だったよ。」
言いながら、ヒナはマスターから差し出されたミックスジュースをストローですする。元々ヒナはオーブで暮らしていたんだ。なし崩し的に“RAVEN”に組み込まれたがやはり、郷愁の念はあるのだろう。
「しっかしホント、毎日毎日気の滅入るニュースが続くわねぇ…」
革命同盟軍の宣戦布告以降、世界情勢は悪くなる一方だ。ZEUSが徹底抗戦の構えを見せる以上、RAVENもこれからは革命同盟軍との戦いに駆り出される事になるだろう。新型3機を奪取した敵艦も地球に降下したとの情報だ。“アテナ”にもすぐ次の任務が与えられるのは間違いない。ティア艦長は今頃クリス副長と共にラカン総帥らと会議しているのだろうか。
「…なんかこう、もっと気分の明るくなるニュースはないのかしらねぇ…」
レベッカがしみじみとぼやき、ミックスジュースを美味しそうに飲んでいたヒナがレベッカに返す。
「どっかの動物園で『パンダの赤ちゃんが生まれたぁ』とか?」
「いや、そこまでとは言わないけどさ…」
それまで黙っていたユウイチは、ふと気付いて口を開いた。
「しかし……なにか変な感じだな…。確かに革命同盟軍は行動を起こしている。しかしいざ宣戦布告以降の行動にしては比較的静か過ぎる気もする。慌てているのは俺達ばかりで…」
後手に回っている。と言わざるを得ない。
嵐の前の静けさとも取れるが、それとは別に足元でムカデが這っているかのような不快感すらある。
「…かと思えばこっちはあんな調子だしねぇ」
レベッカが呆れた調子で言い、後ろでギャーギャーと騒ぎ立てる男達を一瞥する。
男達は一斉に備え付けられたモニターに映し出される派手なコンサート風景を食い入るように見入っている。
『勇敢なるゼウス兵の皆さぁーん!』
歓声に応えて手を振る女性。手を振りながら叫ぶ。
『平和のため、わたくしもがんばります! だからどうか、みなさんもお気をつけてぇ!』
世界の歌姫、ラクス・クラインによる慰問ライブ。定期的に回っていた慰問ライブも、今回の突然の革命同盟軍による宣戦布告によって不安感を煽られたゼウス兵達の士気を上げる意味を兼ねてあちこちを回っているようだった。
プラントの歌姫と言われていたラクス・クラインはこの10年、その聞くもの全てを虜にする歌声と見るもの全ての視線を奪う容姿により世界の歌姫と呼ばれるまでに成長した。彼女の熱狂的なファンは勿論ここRAVENにも多数存在する。彼女の存在も10年前の戦争終結から現在に至るまでの劇的な情勢変化によるフラストレーションの解消に一躍買ってきた。デスティニープランにおいて管理された世界の安寧を保っている貴重なキーマンとも言えるだろう。
前プラント最高評議会議長であるシーゲル・クラインの娘という立場ながらも政治にはほぼ関与せず、ただ人々の為に歌を歌う彼女の姿を評価する者は少なくない。
「みんな楽しそ〜」
ヒナがモニターの奥と前で熱狂的な歓声を送る面々を見ながら漏らす。
「ヒナはあんまり興味ないの? 学校とかでも人気だったでしょ?」
ヒナのあまり関心なさげな態度を見てレベッカが問う。確かにヒナぐらいの歳なら世界のアイドルに夢中や憧れを抱きそうなものだが。
「ん〜確かにクラスメイト達は凄く夢中になってたけど、私はね〜綺麗だなと思うけど熱狂的なファンか、と言われるとあんまりかなぁ。確かに凄いんだろうけど、私は街中でギター片手に歌ってるようなストリートミュージシャン達の方が胸に響くかな。」
ヒナの言うことも分かる気がする。お金を稼ぐ為に路上で歌を歌う者、ただ歌が好きだから街中で歌を歌う者の方が心には残るかもしれない。
「ユウイチと同じか。まぁ、コイツはわけのわからん栄養食品と戦闘以外に興味を示さねぇ堅物だけどなぁ。」
ユウイチの肩を組みながら、ゼルがろれつの怪しくなってきた舌で言う。
別に興味がないわけではない。ただ、モニターの奥に映るラクス・クラインを見るたびに言いようのない違和感を感てじてしまう。なぜこのような違和感を感じるのかは分からないが、彼女の歌や、容姿がユウイチの胸には残らない。なにがそうさせているのか、と問われれば答えることは出来ないのだが…
「そういえば今度のラクス・クラインの慰問先、ココらしいわよ。」
これまたあまり興味なさげにレベッカがぼやいた。瞬間、ゼルとヒナの表情が変わる。ゼルがわなわなと震えながら隣へ座るレベッカににじり寄る。
「う、嘘だろ!? 聞いてねぇぞ!?」
「そもそも言ってないし。」
「ゼル! どうしよう!? 色紙用意しなきゃ!」
「ばっきゃろう! それどころじゃねぇ! 連絡先と部屋へ招待した時の為に部屋を掃除して、あとなんか適当なレストラン予約してだな!」
あぁじゃないこうじゃないとヒナとゼルが意見を交わし始める。
さっきまでのやり取りはどこへ行ってしまったのだろうか。
「……コイツら、あまり興味が無いんじゃなかったのか?」
「私に聞くだけ無駄よ。馬鹿二人の思考なんて」
ゼルに至ってはラクス・クラインとお近づきになりたいという下心だろうが、ヒナは分からん。あれか、隠れファンとかいうやつなのだろうか。彼女ぐらいの年頃なら熱狂的なファンである事を隠したがるのも無理はない。
「それよりアンタ、リナとは話したの?」
「どういう意味だ。」
ぎゃあぎゃあと振り切ったテンションでやり取りする二人を他所に、レベッカが唐突にユウイチに尋ねる。
「会ってどうする。一体なにを話すんだ?」
「アンタがスカンジナビア王国でした事はもう隊内にも広まってんのよ。」
ズキン、と一瞬胸に激しい痛みが走る。
「それを止められなかったリナが、自分を責めるのも無理はないでしょ。」
止められなかった? 自分が勝手にした事だ。誰も止めてくれなんて頼んでなんかいない。
「アンタはそれで良かったのかもしれないけれど、ほかの人はそうじゃないのよ。」
「……。」
誰にも傷ついて欲しくなかった。ならあの時震えるリナに撃たせれば良かったのか?
彼女に傀儡と成り果ててしまった子どもらを、微かに笑ったあの少女を殺させればよかったのか?
「誰だって一人では荷物を背負いきれないのよ。こんな仕事だからこそ、余計にね。」
レベッカの目がユウイチの目を見つめる。その視線から逃れるようにユウイチは視線をグラスに注がれたアイスティーへと送る。
「……人の気持ちなんて聞かされても、俺には何も言えないだろ?」
そんな話しを聞かされても、俺はリナに何て言えばいい?
笑ってあの時は勝手な事してすまなかった、とでも言えばいいのか? 人の気持ちなんて、考えたって分からない。俺は人の心を読めるわけではないんだ。
「ただリナの話しを聞いてあげるだけでいいのよ。」
「だったらレベッカやゼルが聞いてやればいい。俺はごめんだ。」
そう吐き捨てるように言って、ユウイチはカウンターにお代を置いてレベッカ達へと背を向ける。
「……俺は、他人の重荷まで背負いたくない。」
言い残し、ユウイチは酒場を出て行く。
店内の喧騒の中、レベッカは哀れんだ視線をユウイチの背に送り、グラスの中のカクテルを飲み干した。
「俺からの奢りだ。」
そっとマスターがレベッカに新しいカクテルを差し出す。差し出されたカクテルを受け取り、レベッカは複雑な感情が入り混じった笑みを浮かべマスターを見上げた。
「ありがと。」
酒場を後にしたユウイチは艦内の通路をぼんやりと歩いていた。レベッカに言われた言葉が、何度も頭の中を反芻する。レベッカの言葉の意味を知りしながらも、理解出来ない。
皆、世界に捨てられて無理矢理こんな仕事をさせられて、自分の事でいっぱいいっぱいなんだ。なのに優しさや気遣いなんて、俺達に必要なのか?
ユウイチには分からない。ここでしか生きていけないのに、他人を気遣う余裕なんてあるのだろうか。ここは、世界の底辺だ。行き場をなくしたカラス達の集うゴミ箱なんだぞ。
「トリィ」
思い悩むユウイチの肩に、自室から勝手に出てきたのであろうメタリックグリーンのペットロボットが羽ばたいて来てユウイチの肩に止まる。
「…勝手に部屋から出るなと言っただろう。」
肩に止まった名も覚えていないペットロボットへと向けて話しかける。しかし話しかけられた当の本人は理解しているのかしていないのか、「トリィ?」と首をかしげて見せるだけだった。ペットロボットなんかに話しかける自分がなんだか馬鹿らしく思えて深いため息をつくユウイチの耳に何かが聞こえてくる。
「……歌?」
小さくとしか聞こえないが、確かにユウイチの耳はそれが歌声に聞こえた。
「トリィ!」
突如何かに導かれるように、肩に止まっていた鳥型ロボットがユウイチから離れて飛んで行く。
「あ、おいっ! ったく…」
またしても勝手に飛び去っていく鳥型ロボットに毒付く。放っておこうかとも思ったが、クリス副長の頭辺りを丘かなにかと感違いして止まったりしたら目も当てられない。それに、この歌声に惹かれるように彼は飛んで行った気もする。ユウイチは面倒に思いながらも、ペットロボットが飛んで行った方へと足早に足を向けた。
歌声に近づくに連れて、その歌声がハッキリと聞こえてくる。
まるで聞き手を包み込むような歌声が、ユウイチの心に染み渡っていく。
ーーどこかで、聞いた事のあるような……
どこかその歌は哀愁や懐かしさすら感じさせる。もはやペットロボットの行方よりも、歌声に惹かれて足が勝手に向かう。行かなければならない気すらもする。やがて艦内から艦外へと日の光が差し込む扉にたどり着き、ユウイチはゆっくりとした歩調でその扉をくぐった。
青い海と、蒼い空をバックに、誰かがデッキに立っている。
その後ろ姿から、ユウイチは目をそらす事も声をかける事もできない。
脳裏に、何かが過る。
桃色の長い髪を風にたなびかせ、優しい子守唄のような歌声で歌う女性の後ろ姿。心の底から湧き上がってくる安心感。それは、ユウイチにとっての安らぎ。
視線を釘付けされたように、海へと向けて独り歌う女性の後ろ姿から目を逸らせない。
ユウイチは、この歌を知っている。
この歌を、身体が覚えている。
これは、“彼女”が作った希望の歌。
「トリィ」
メタリックグリーンのペットロボットの声がして、ユウイチは現実へと引き戻される。
ハッとして自身が見ていた景色が夢から覚めるように変わる。
「あら?」
鳥型のペットロボットは、歌を歌っていた女性の肩へと慣れた感じで止まる。
甘栗色の長い髪、自分達の着ている軍服とは少しデザインの違う蒼服。その女性が、ペットロボットとユウイチの存在に気付き、こちらを振り返る。
「ホームズ大佐…」
振り返った女性は自分達の搭乗する艦の艦長にして、大佐である最高責任者。“アテナ”を浮沈艦たらしめているその人バーバラ・ロス・ホームズ大佐だった。
「……ユウイチ、くん。」
向こうも綺麗な翡翠の瞳をぱちくりとさせてこちらを見つめている。
「あ、も、申し訳ありませんっ! 私のペットロボットがご無礼をっ!」
まさか大佐である彼女の肩にペットロボットが止まるとはなんて失礼な。我に帰ったユウイチは慌てて頭を下げる。
「あ、あぁ…い、いいんだよ! そんなの、頭を上げてっ! 少尉!」
彼女もわたわたと慌てた様子でユウイチを促す。
気まずい空気が流れる。
「この子もきっと、私が歌なんて歌っていたから興味を惹かれたんだよっ」
「本当に申し訳ありません。」
歌を聞いてしまった意味も込めてユウイチはさらに深く頭を下げる。
「い、いえ…私も誰も聞いてないだろうとばかり勝手に思っていたので…ですから、どうか頭を上げてください。」
バーバラに促され、ユウイチは下げていた頭をゆっくりと持ち上げる。
正面に申し訳なさげにこちらを見つめるバーバラと目が合う。こうして二人きりでこんな距離で話すのは初めての事だが、改めて見ると彼女の清らかな美しさは目を惹くものがある。
リナやレベッカとは違う、どこか神々しさすら感じさせる美しさだ。
「トリィ?」
二人の気まずさを他所に、変わらずバーバラの肩の上でペットロボットは首をかしげてみせる。
後で分解してやる。と怒りを押し殺す。
「すいません、自分のペットロボットが…」
「いいんだよ。そんなに謝られると私まで申し訳なくなっちゃう。」
「すいません…」
まさかこんなタイミングで大佐と遭遇するとは思いもしなかった。
バツが悪そうに、ユウイチは顔を伏せる。
「…この子、名前はあるの?」
「名前…ですか?」
聞かれた内容が意外なものだったので、ユウイチは思わず聞き返す。
「うん。お名前。」
「……特に、ありません。」
もしかするとあったのかもしれないが、記憶のない自分には思い出す事も出来ない。
ユウイチの返事を聞いてバーバラは少し考え込んだ様子で
「……じゃあ、トリィという名前にしない?」
「トリィ…ですか?」
「うん。トリィ、トリィと鳴くし。鳥型ロボットだからトリィ、って。」
少し安易だなとは思うものの、名前がないのも不便だ。それに大佐直々の命名なので断るわけにもいかない。
「……分かりました。では、今日からトリィと呼びます。」
「うん。そう呼んであげて。」
「トリィ」
穏やかな笑みを浮かべる彼女の肩で、どこか嬉しげにトリィが首をかしげてみせる。というか、そろそろ大佐の肩から降りろ。
「そう言えば、こうしてユウイチくんとお話しするのは初めだったかな?」
「はい。」
いつもは任務関連か、傍にクリス副長がいる事が多い。こうして互いに顔を合わせて任務外で話すのは初めてかもしれない。
「少しだけ、話し相手に付き合ってもらえるかな?」
「自分なんかでよければ…」
あまり受け答えが上手ではないものの、バーバラに促されるままユウイチはバーバラに並んで側にあったベンチへと腰掛ける。空を見上げれば、カモメが呑気にクゥクゥと鳴いている。
「どう? 記憶は戻った?」
「いえ、たまに予期せぬタイミングでフラッシュバックするような事はあるんですが…」
バーバラは、自分が記憶をなくした状態で目を覚ました時、そばにいてくれた女性でもあった。
涙をひた隠すように安堵した様子の彼女の姿を、ユウイチは忘れる事が出来ない。もしかすると、彼女は自分の過去を知っているのかもしれないとすら。
「…大佐、どうして俺に“スパイラル”を渡したんですか?」
ずっと気になっていながらも、聞けなかった事を尋ねる。バーバラは少しだけ目を丸くしながらも、変わらぬ口調で返す。
「ユウイチくんなら、キチンと使いこなせる。正しく使える。そう信じてたから。」
「…ミナミ中尉には怒られましたが。」
使い方がなっていない、と。
「ふふ、私にも君はモビルスーツの扱いが雑すぎると文句を言いに来ていたよ。」
可笑しげにバーバラは笑う。こうして笑うバーバラをみると、本当にこの女性が大佐なのかと疑いそうになる。だが紛れもなく彼女はこの艦の艦長なのだ。
「君はまだまだ強くなれる。私はそう信じています。」
「信じて…ですか?」
「うん。ユウイチくんなら、きっと。」
何故そこまで信用出来るのかユウイチにはわからない。
記憶をなくしている自分すら自分では信用に値しないというのに。
「…記憶は、きっといつか戻る。でも、もし戻った時君がどうしたいのか、なにを信じるのか、それは君が選ぶ自由。」
そう言って蒼い空を見上げるバーバラの表情は、どこか哀しげにも見えた。
「……想いだけでも、力だけでも…ですか」
「……私の大好きな言葉だよ。」
バーバラの言葉の理由はわからないが、確かにその言葉はユウイチの心に優しく染み渡っていく。
「それに、記憶がないからと言って私や皆に余計な気遣いは無用だよ。君の記憶がどうあれ、ユウイチくんはユウイチくんなんだから。」
優しい口調でそう言ってくれるバーバラに、ユウイチは救われた気すらもする。
「しかし、上官に余計な気遣いするなと言うのも…」
「私がそんなに偉そうに見える…?」
落ち着いた凜とした佇まいのバーバラの姿を見る限り、自分と同い年にはとても見えない。
「…ふむ。じゃあこうしよう? 私と二人きりの時は敬語も上官もなしに。」
「そ、それは…」
いきなりのバーバラからの提案に、ユウイチは思わず戸惑う。
そんな突然な提案をされてももしバーバラ大佐を呼び捨てにしているところをクリス副長に見られれば、魚雷の弾頭に括り付けられて発射されかねない。そんな命の無駄遣いはしたくない。
「上官命令。」
ビシッとユウイチに指をつきつけて言うバーバラの表情は真剣そのものだ。というか職権乱用ではないのだろうか。
「わ、分かりました…バーバラ、さん…」
「さん?」
「……バーバラ…。」
「改めてよろしくお願いね、ユウイチくん。」
とても嬉しげにバーバラが言う。
こうして話した事はないはずなのだが、彼女との会話はとても穏やかで心地よいものだった。
「あ、もうこんな時間。私、そろそろ行くね。」
腕に巻かれた時計を見てバーバラが席を立つ。
彼女もこの情勢下で色々と忙しいのだろう。こうして話せば同年代の少女だが艦長である事にも変わりないのだから。
「ひとつだけ、聞いてもかまわないでしょうか?」
「敬語」
「…だろうか…?」
「はい。なんだい?」
この清らかな笑顔の裏になにか黒いものを感じ得ないのは何故だろうか。
「さっき歌っていた歌、あの歌の名前を教えてくれ…ないか?」
耳に残るどこか懐かしさすら感じさせるあの歌の名を。
問われたバーバラは、一瞬戸惑ったような表情を見せた後、変わらぬ笑みを浮かべて答えた。
「Fields of hope、という歌だぬ。」
「希望の大地……あぁ、とても良い名前だ。」
ユウイチの耳に、その歌の名はとても心地よく残った。