※このお話はレプトス視点でお送りします。
「はっはっはっはっ」
早朝の静かな街道を走る。海底では水泳が主だったけど、今はこのロードワークが日課になっている。
冬も近付いて、空気の冷たさが意識を覚ましていく。
「おはよーレプトス、今日もやってんねえ!」
「ばうわうっ!」
隣を元気に追い抜いて行くのは、イカヅチ妖精のヅッチーちゃんと、三つ首の犬ベロベロスちゃん。
「おはようございます、ヅッチーちゃん!」
朝の挨拶をして手を振ると、彼女は『ライドオーン!』と叫んで、ベロベロスちゃんの背中に飛び乗りました。そのまま加速して、あっという間に見えなくなります。
この光景を見るのも、毎日のことになりつつあります。
以前の私は海の底、リューグーという場所に住んでいましたが、現在はハグレ王国という国に上京しています。
「おっすレプトス、今帰り?」
「エステルさん、はい。これで終わりです」
「早えなあ。私だって早起きしてんだけどさ」
道の向こうから走って来たのは、エステルさんです。とても魔法系とは思えないくらい元気な方で、今日もジョギングに来ていたようです。
ピンク色の長髪を短くまとめ、話す間も足踏みを止めません。
「どこ走って来たの」
「てこてこ山です」
「なんだ行先同じかよ。今度一緒に走ろうよ」
「ええ、是非とも」
「じゃねっ!」
エステルさんは眩しい笑顔を浮かべて、走り去って行きます。胸に不安が纏わりつくとき、彼女が傍にいると勇気が湧いて来ます。
「砦が見えてきた。スパートをかける!」
周囲に人がいないことを確認して、足に力を込める。全身を振るわせて、前に向かうための糧に変える。
「ふっふっふっふっ!」
加速する景色の中、一定に保たれた呼吸が、逆にスローモーションのように思える。
この感覚は病み付きになりそうで、少し怖い。でも地上の人の多くが、走ることそのものに魅せられるのも、少し分かるような気がします。
「っゴール……!」
私はハグレ王国の砦の前で停止すると、息を整えながら、その建物を見上げた。
古ぼけた大昔の砦、それがこの地に住む、ハグレたちの住処。
「お帰りレプトスさん」
「ローズマリーさん」
私に声をかけてくれたのは、全体的にモスグリーンの女性、この国のナンバー2。ローズマリーさんでした。
「毎日精が出るね」
「ええ、同じことの繰り返しですが、それが楽しくて」
「うん、そういうのって、あるよね」
この国はハグレと呼ばれる、異世界から召喚され、放り出された者たちが集まって築いた、小さな国です。
しかし過酷なこの世界で生き抜いて来ただけあり、所属している人たちは皆、一つのことに特化したスペシャリスト。何度も世界の危機を救っています。
「何時また夏休みのようなこと起きるか分かりませんし、鍛錬は欠かせません」
「すっかり夏休みが戦争の代名詞みたいになってるな……」
マリーさんが苦笑します。彼女は今日も朝早くから見回りをし、そしてまた仕事を始めます。
「せめて私一人で、大婆様クラスを受け持てるようにならないと」
大婆様は私の家族であり、故郷リューグーの長でもあります。
また私と同じ拳法『竜宮振蹴拳』の使い手、というよりは開祖です。
「頼もしいことだけど、体には気を付けてください」
「はい、ありがとうございます!」
一礼をしてから彼女と別れると、砦内の売店に向かいます。食堂としても機能していて、今日もいい匂いがしています。
既に何人かの王国民も朝食を摂っている所でした。
「あ、おはようございます! レプトスさん!」
「おはようベルくん」
テーブルの一つから声をかけられて、振り向くとそこには、可愛らしい獣人の男の子がいました。
この国の子供たちの中でも背が低く、最初は女の子のような見た目だったそうです。今も割とそうです。
でもこう見えて凄腕の薬師であり、男気もある格好いい子だったりします。
「ここ空いてますよ」
そう言って隣の席を寄せてくれました。王国ではまだ日の浅い私が孤立しないよう、気を遣っているのが伝わって来て、心が温かくなります。
「ありがとう、今行きます」
「おう新入りさん、今日はどうすんだい」
食堂のおばちゃん的な存在である、人形のキャサリンさんに尋ねられました。片目を包帯で巻いており、かなり込み入った事情の方だそうです。
「たっぷり力うどん一つ」
「あいよ。普通人間ってのはカロリーが足りたら、あとはビタミンと食物繊維のバランスなのに、お前らは本当にカロリーが追い付かねえよなあ」
そう言いながら、大きな丼に素うどんが沢山入り、お餅と卵、その他にも様々な具がどっさり入ったうどんが出来上がりました。
「ほいおまちどう。たっぷり力うどんな。神様のお餅入りだ。ありがたく食えよ」
「はい!」
私はベルくんの待つ席へ戻り、丼を置きました。
リューグーのご飯も美味しいですが、ハグレ王国も負けていません。これは本当に嬉しい誤算でした。
「じゃあ食べましょう」
「はい」
『いただきまーす』
ベルくんは栄養バランスを考えた定食で、食べる仕草は元より、小さなお口がもごもご動くのも愛らしいです。
「美味しいですか」
「ええ、とっても」
お世辞ではなく、うどんはとても美味しかったです。お出汁の利いた汁と、主張し過ぎない具、腰のあるうどんの、素朴な味わいが、一日の始まりと、冷えた体を温めてくれます。
「この国にはもう慣れました?」
「はい。皆さんにとてもよくして頂いて」
「お友だちはできましたか。あ、勿論僕もですけど」
「ふふ、ありがとう。ベルくん」
「あとお仕事のほうは」
「おめーはレプトスの母親か!」
他のテーブルから女性の怒る声がしました。この国の鍛冶屋のジーナさんです。他の皆さんも苦笑してます。
「じ、ジーナさん、からかわないで。僕は男ですよ!」
「パパってガラじゃねーだろーがよ」
マリーさんがモスグリーンなら、彼女はクロムイエローでしょうか。腕利きの戦士でもあり、短気ながらも気の良い女性です。
「気を遣い過ぎなんだよ。本当に気にするならもうちょいフランクに接してやれ」
「女性に対してあんまり馴れ馴れしいのは」
「おーん、私は女じゃないてかい?」
「ジーナさんは自分からぐいぐい来るでしょー!?」
条件反射なのか、ベルくんはジーナさんにからかわれると、スイッチが入ったようにムキになりますが、それがまたとても可愛いから、周囲には笑顔が絶えません。
「だ、大丈夫だから、ぷぷ、私なら」
「あ、レプトスさんまで、もうジーナさーん」
「あたしゃ知らね、ごちそうさまでした」
そう言ってジーナさんは一足先に引き上げて行きました。私たちも朝食を再開して、何気なく会話を続けることにしました。
「一応お仕事は決まったんですよ」
「え、それは良かった。どこに行くんです」
「道場です。利用者も増えて人手が足りないって」
「うわあ、すごくレプトスさんに似合ってますよ」
ベルくんは裏表ない喜びようが、すごくくすぐったいです。
「ハオさんは基礎トレーニング、マーロウさんは剣がメインだから、格闘が出来て健康路線も行ける私に来て欲しいって」
「あー、分かる。僕も二人に見てもらうけど、正直一般の方で付いていくのは、大変ですもんね」
ハオさんは女性のレンジャーであり、世界樹の守護神の巫女を務める方でもあります。
天真爛漫で結構しっかりしていて、なのに他の皆さんは彼女の様子がおかしいと言って憚りません。
マーロウさんは獣人の剣士で狼さんです。恐ろしくも頼もしく、娘さんと一緒に暮らしています。
「竜宮振蹴拳みたいに、体系だった流派があるのも助かるって」
「確かに段階的に教えられるって、大事ですもんね」
拳法は体の力の扱い方を知るための動きに過ぎない。だからこそ繰り返しが力になり、繰り返すからこそ、初歩には多くが詰まっている。
「ええ。だけどもう一人くらいは、お手伝いさんが欲しいって」
「みんなおはよーさんでち!」
話の途中で大きな声が響き渡りました。見ればツインテールの女のコが、元気に一杯に挨拶をしたのでした。
彼女こそはこの国の王様、デーリッチちゃんです。
こう見えてとても強く、賢く、そして優しい人で、この国の人々は彼女を慕って集まったのだとか。
「さ、デーリッチも朝はしっかり食べるんでち。カモン!ゼニヤッタちゃん!」
「国王様、そんなに慌てなくても朝ごはんは逃げませんわ」
そしてデーリッチちゃんの後から売店に入って来たのは。
目を奪う赤い長髪。
一転して青いワンピース。
抜けるような白い肌。
――私はこの人を見かけると、不思議と目で追ってしまう。
柔らかな笑みを湛えたまま、常に国王に寄りそう、ハグレ王国一の忠臣。
悪魔、ゼニヤッタさん。
「レプトスさん、レプトスさん?」
「あっはい、何ですかベルくん」
「ほら、さっきの道場の話」
「あっええ、そうでしたね」
私はうどんを食べながら、ベルくんとの話を再開しました。
だけど、視界の端にあの人を見かける度に、どうしても見てしまう。
本当に綺麗な人で、今までこんな気持ちになったのは、生まれて初めてでした。