年明けから数日後、ハグレ王国はいつもの日々を送っていた。
「おはようございます、マリーさん」
「おはようレプトスさん。もう怪我はいいのかい」
「お陰様で」
日課のジョギングから戻り、レプトスはローズマリーに挨拶をした。
年末の試合の傷は、まだ完全に塞がっていないが、それでも体は動かせるようになった。
「全く冷や冷やしたよ。危うく死人が出る所だった」
「申し訳ありません。つい熱くなってしまって」
年末のゼニヤッタとの試合、勝敗は彼女の負けだった。山の頂から落ちて、彼女は意識を失ったのだ。
「いや、私たちも止めるべきだったけど、完全に当てられてしまっていた。面目ない」
途中でハピコとクラマが追い付き、オープンパンドラで先回りしたデーリッチのリカバーにより、両選手は地面への激突と、危険な状態を免れることが出来た。
その際レプトスは既に気を失っており、ゼニヤッタはまだ意識があった。
「そんなお気になさらず。ところで、ゼニヤッタさんは」
彼女が目を覚ましたのはつい先日のことであり、目を覚ましてまだ間もなかった。
「今日はおむすび本舗にいるんじゃないかな。君を付きっきりで看病してたのに、自分は休まないかな今度はこっちが心配になるよ」
目を覚ましたとき、最初に目にしたのは、自分のベッドの傍に座り、気を失うようにして自分の胸に眠る、彼女の寝顔だった。
「ゼニヤッタは言ってましたよ。完全に自分の負けだったって」
「え、そんな、先に意識を失ったのは、私なのに」
「『あのままトドメを刺して入れば、間違いなく彼女は勝っていた。しかし最後の最後で、レプトスさんは私を守ることを選んだ。この国の流儀に則り、私を上回って見せたのです』」
「え、そ、それって、まさか」
「『だから私の敗北です』だって。ゼニヤッタは悔しそうでしたよ。そして、とても嬉しそうだった」
レプトスは胸が熱くなった。今すぐ口から想いのたけを吐きたかったが、相手が居らず、また言葉に出来そうもない。
「私はもう行くから、あなたもお行きなさい。それと」
「何でしょう、ローズマリーさん」
「改めて。ようこそ、ハグレ王国へ」
マリーが去って行った後、レプトスは駆け足でおむすび本舗へ急いだ。大きな手作りおむすびとお味噌汁と、たまに冷奴を出すお店だ。
果たしてゼニヤッタはそこにいた。
今日もそこそこ繁盛していて、穏やかな空間を形成している。
「ゼニヤッタさん!」
「あらレプトスさん、おはようございます」
「あ、ああ、おはようございます」
客足が一通り掃けたのを見計らって入店する。
いつも通りの彼女を見て、レプトスは言葉続かなくなる。あの戦いで、自分の気持ちははっきりしたはずなのに。
「あの、お体、大丈夫ですか」
何とか言えた言葉に、ゼニヤッタは口に手を当てて、微笑んだ。
「まあ、ええ、おかげ様で」
「そうですか、よかった……」
そこで言葉が途切れる。どうしてだか、上手く話せなくなってしまった。どこか怪我の後遺症でもあるのだろうか。
思わぬ不安に苛まれかけたその時、ゼニヤッタはお膳をレプトスに手渡した。
「今度会ったら、是非食べて欲しいと思って、用意してましたのよ」
それは大きなおむすびだった。
まるでニワカマッスルが食べるんじゃないかってくらい大きなおむすびだった。
「栄養をしっかり摂りませんと、回復がよくありませんから」
「あ、ありがとうございます!おいくらですか!」
「結構です。私からの気持ちということで」
「えっ、ゼニヤッタさんの、気持ち……?」
「お召し上がりながら、聞いてくれます?」
レプトスはお膳を見た。大きなおむすびに、大きな味噌汁。
まるで地竜ちゃんが飲むんじゃないかってくらい、大量の味噌汁だった。
「私、最初はあなたに拳法進められたとき、子供に懐かれたくらいに思ってましたの」
少し困ったように笑いながら、彼女は店の奥にレプトスを招いた。従業員用の小さなテーブルに、二人で座る。
「でもそれは違うって直ぐに分かりました。教えを受ける毎に『ああ、私はこんなことも出来たんだなって』分かって、それが嬉しかったし、それを教えてくれたあなたが、眩しかった」
薄く開いた目に、深紅の瞳が見えた。少女のようであり、母のようであり、見つめる度に、幾度も違う光を見せる、赤いオーロラ。
「あなたの気持ちには気付いていて、私はそれに答えられない。だけどあなたは、それでも私にぶつかって来た。逃げるでもなく、避けるでもなく。決して諦めなかった」
「うむむ、ごむんままい」
「お茶どうぞ」
「もうも」
おむすびと味噌汁を半分ほど平らげた辺りで、レプトスはお茶を一服する。
胃袋だけでなく、心まで満たされていくのを感じていた。
「困った人。でも嫌じゃなかった。私のことを、私だけを見て、追いかけてくれるあなたが」
ハグレ王国の騎士でもなく、おむすび本舗の店主でもなく、恐るべき大悪魔でもない。
ゼニヤッタという一人の女性を追った、一人の少女。
それは新しい仲間である、彼女だからこそ抱けた、憧れだった。
(やっと分かった)
レプトスは、目の前の女性を見て、どうして自分の胸が苦しくなるのか。
どうして想いが大きくなっていくのか、ようやく理解した。
「レプトスさん、お米ついてますわよ」
「あ、ごめんなさい」
口の端に付いた米粒を、細い指先が摘まんで、それを自分の口へと運ぶ。
悪戯っぽく笑うゼニヤッタに、レプトスの顔が赤くなる。
「ねえレプトスさん」
「はっはい、何でしょう」
慌てて残りのおむすびと味噌汁を平らげて、レプトスは姿勢を正した。
「こんなことを言うのも悪いのですけれど」
最近見慣れた、少し困ったような笑顔が、後輩の少女に向けられる。
「これからも、私のお友達で、いてくれますかしら」
その響きに、先ほどの思考が繋がる。
――やっと分かった。
(私はきっと、この人のことが)
自分の中の答えが、結末となって結ばれる。
(好きだったんだな)
「ええ。これからも、よろしくお願いします。ゼニヤッタさん」
目の前の憧れから、それとない終焉を言い渡されて、しかしレプトスは傷付かなかった。
赤い髪、青いワンピース、白い肌。
拒まれるとも、実を結ばずとも、想いが消えることはなかった。
たった今始まったばかりのレプトスの恋心は、消えるということを知らなかった。
「……でもですね、一つだけ言わないと、いけないことがありまして」
「あら、何でしょうか」
レプトスは席を立つと、未だ座ったままのゼニヤッタに顔を近付けた。深紅の瞳には、煌めく翠色の瞳が映っている。
それはまるで、朝陽のように金色の光を放っていた。
「私、まだまだ諦めませんよ」
そしてお膳を下げて、ごちそうさまでしたと言うと。
「それじゃゼニヤッタさん、また今度!」
笑顔でおむすび本舗を去って行った。
「あらあらまあまあ」
「oops 朝っぱらから青春してるナ」
入れ替わりにイリスがやって来るなり、友人の悪魔娘を茶化した。
「イリスさん、笑いごとじゃありませんのよ……!」
「笑いごとだロ? Wedding bell なら用意してやるぞ?」
「本当、どうしてこんなに懐かれたのかしら」
ゼニヤッタは額に手の甲を当てて考えたが、理由は思い浮かばなかった。その突然さに、理由などいらないことなど、当人だけが分からなかった。
「やはり徹底的にやっつけないと、いけなかったのでしょうか」
「ウン? お前もしかして手加減してたのカ?」
「まさか、彼女はそこまで弱くありません。私がそれだけ強くならないと、いけないかもという話です」
イリスは返答に詰まった。彼女はもう十分に強い。色んなボールを何気なく潰せるのだ。
今度は何を潰せるようになるというのか。
「don’t be afraid。いっそOKしてやったらどうダ。それで話は終わりだろ」
「とても自分の見合いを蹴り散らかした人の言葉とは思えませんわね」
「他人事だから面白いんだロ」
「全く困った人ばっかりなんですから……」
ゼニヤッタは溜息を吐き、イリスはクスクスと笑った。
深海の龍華はまだ蕾をつけたばかりであり、優雅な悪夢もまた、始まったばかりである。
<了>
これにてこのお話は完結となります。