鴉は舞い降りた   作:キサラギ職員

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“心に空いた穴を忘れるな”
“私は道半ばに現れた幽霊のよう”
“来る日も来る日も私は遠くに留まるだけ”


4、Silent line 侵してはならない「領域」
27、Interlude 幕間


 

 ベイラムとアーキバス。二大企業グループの一時共闘により戦況は覆り、惑星封鎖機構は保有戦力の過半を喪失。星外への撤退を余儀なくされた。

 決定打になったのはベイラム主導によるアイスワーム掃討作戦だったが、アーキバスは封鎖機構の執行部隊との交戦を経て強襲艦を初め主力兵器の多数鹵獲に成功。これは、両社のパワーバランスをアーキバス優勢に傾け、企業陣営の消耗を見込んでいたルビコン解放戦線にとっても大きな逆風となった。

 惑星封鎖機構という共通の敵を失い、にわかに再燃した集積コーラル到達競争は、以前にも増して、硝煙の匂いを漂わせはじめていた。

 

 

 

『621、調子はどうだ』

 

 再調整のため調整槽に漬け込まれたレイヴンは、いまだに見えぬ目を見開いて、力なく培養液の中で浮かんでいた。この液体に浸かって各種機器を使うことで、感覚を調整し、負荷のかかりやすい脳への負担を軽減することができるのだ。

 調整槽の前には、杖を突いた初老の男、ハンドラー・ウォルターが立っている。

 

『もう少し休息を与えたいところだが、企業は既に動き出している。封鎖機構が片付いた今、あとはコーラル集積地点を目指すだけだ』

「………」

 

 言葉はなかったが、こくんとレイヴンが頷いた。

 

『洋上都市ザイレムで行った調査は覚えているか?』

「……」

 

 またも、こくんと頷く。エアと散歩もとい一緒に任務をした場所だ。霧が濃かったのを記憶していた。

 

『得られた情報を友人が解析した結果、中央氷原には広大な地下施設があることがわかった』

「……」

『ウォッチポイント・アルファ――――……アイスワームが防衛していたのも、この施設の入口だったようだ。お前には、これに潜ってもらう』

 

 神経接続、開始。

 

『ウォルター、さん、わかった』

『ウォルターでいい。どこで学んできた? 悪いと言ってる訳じゃない』

『ベイラムの通信で、ミシガンの部下が』

『そうか。今まで通り呼んでくれて構わない』

『うん、わかった。ウォルター』

『少し休め』

 

 医務室からウォルターが出て行くと、それを見計らったかのようにエアからの交信が繋がった。交信は厳密に言えば神経接続ではない。頭の中で言葉を考えれば、それで伝わる。

 

『レイヴン。ひとつ伝えておきたいことが』

『うん』

『ウォルターの言う友人ですが』

『どんな人なの?』

『いえ、彼がそのような人物とやりとりをした記録は存在していません』

 

 ほんのかすかに、レイヴンの心中に疑問が浮かんだ。そしてそれは秒を重ねるごとに大きくなっていく。

 

『………ウォルターが、嘘を……ううん、友人がいるってことにして、自分のことをしてるってこと?』

『はい。かつていたのか。あるいは嘘なのか。彼は、本当の思惑を伏せています』

『……………』

『そしてあなたを使い、何かを為そうとしている』

『……………』

『この、ルビコンで』

 

 

 

 

 

「621………」

「どう?」

「よくやった。時間はかかったが、やる価値はあったと俺は思う」

 

 ウォルターの部屋は、ほとんど無駄なものがない。レイヴンの部屋は最近カーラから貰った玩具の類、ラスティからはぬいぐるみを貰ったりして、それこそモノが徐々に増えてきてはいるのだが、ウォルターの部屋は本当に、からっぽだった。

 二人は、その室内にいた。車椅子の前に、直立姿勢を取っているレイヴンがいる。髪の毛はそのまま下ろしており、薄手のシャツとショートパンツを身に着けていた。

 ウォルターはワイシャツを身に着けていたが、連日仕事をしているのか、ヨレヨレになっている。顔にも髭が目立った。

 

「つぎは、歩けるようになりたい」

「手伝いたいところだが、その前に」

「?」

「身だしなみを整えるべきだ。そろそろお前も、そういうことを覚えるべき頃合いだと、俺は思う」

 

 身だしなみ。何について言っているのだろうと見ていると、ウォルターは机の引き出しから櫛を取り出した。

 

「来られるか? 621」

「むり。見えない。歩けない」

「無理しなくていい。これでどうだ」

 

 半ば抱えられる形で、ベッドに腰かけさせられる。隣にウォルターがやってきて座ると、おもむろに髪の毛を梳き始めた。丹念に、お世辞にも光沢がいいとは言えぬその銀色の髪の毛を、整えていく。

 

「なにしてるの?」

「女性の髪の毛は命と聞いたことは?」

「切ると……死んじゃうの?」

「そういうことじゃない。とにかく女性なら髪の毛の一つ、毎日整えるものだ」

 

 レイヴンは暫くぽかんとしていたが、その心地よさに目を細める。他者に触れられていることは、一種の交感を刺激する。鈍い体の感覚でも、他者が触れていることはわかった。ウォルターに触れられることは、決して嫌なことではなかった。

 妙に手つきがたどたどしいが、なんとなく、経験があるような気がした。

 

「……誰かに、やったことがあるの?」

「昔のことだ。気にするな、621」

「…………………」

 

 考える。感じ取る。ウォルターに今聞いても答えは得られないだろう、と。レイヴンは機微に疎い。しかし、推測するだけの経験は既に積んできていた。

 

「……昔話を、しよう。前にもしたが……ある科学者がいた。家族を捨てて、研究に没頭した男だ」

「男はある日、気が付いた。研究でも得られないものを既に得られていたのだと……失って気が付いたんだ。なんとも哀れで、情けないやつだとは思わないか」

「ううん」

 

 髪の毛をウォルターに預けながら、レイヴンは言う。

 

「とても、悲しい人だと思う」

 

 失って初めて気が付く、大切なものの価値。

 レイヴンは全てを失っている。だからこそ感じたことがある。それは哀れでも情けないことでもない、ただ悲しい人なのだと。

 

「……………こんなところか。この櫛はやる。自分で整えられるようになれ、621」

 

 言うとウォルターは、レイヴンに櫛を手渡した。

 

「ウォルター」

「ああ」

「行くね」

 

『レイヴン……………案内、しますね。そこを出て……右です……』

 

 エアが、いつものようにサポートしてくれた。ウォルターには、その声は聞こえていないが。

 

 そしてレイヴンは、車椅子を操作して、扉を潜っていってしまった。櫛を大切そうに腿に置いて。

 一人残された室内でウォルターは椅子に座り直すと、頭を抱えてしまった。

 

「  」

 

 そしてここにはいない、レイヴンも知らない人の名前を呼んだ。

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