35、Escape 脱出
「やだ! やだ!」
「やめて………痛い! 痛いよぉ……!」
「おねがい、します………ていこう、しないから……」
「いたい…………いたい………」
「…………はい……」
「……………………………」
どれくらい時間が経過しただろう。ACの操縦席から引きずり出されてから。
ウォルターから貰った服を剥がれて、あれこれ検査されて。そこから待っていた“教育”の熾烈さ。今まで文字通り味わったことのない拷問に、621の精神はあっという間に摩耗した。痛みに慣れていれば、罵られることに慣れていれば、あるいはよかったかもしれないが。記憶にないのだ、そんなことは。会う人は皆、優しかった。無論敵は優しくなかったが、それとはまた性質が異なる。生身で実際に暴力を加えられる等、考えもしなかった。
『やめてください………』
『どうしてこんなひどいことをするのですか……』
『レイヴン、頑張ってください……』
エアも、辛かった。どれだけ声をあげても、その声が暴力を振るう連中に届くことはないのだから。必死に声を上げてはみたものの、無意味だった。徐々に摩耗し、ボロボロになっていくレイヴンをただ見ることしかできない。
そして、いつしかレイヴンはエアの声が聞こえなくなったことに気が付いた。
「エア………」
「たすけて……だれか………」
『俺にそれをやれと? しかも封鎖機構にもう一度潜るのか』
『はい。友人を助けるには、それをお願いするしかないのです。報酬は、用意しました。レイ………友人のお金ですが、これが用意できる全てです』
『封鎖機構もヤバかったが、こっちも大概にヤバいな。アーキバスの手中にある兵器をハッキングだと?』
『やって、くれますか。私は……その、AIみたいな存在なので、生身が必要です。私は、力が必要なのです』
『AIか。言っただろう。笑えるなら構わないと。それにお前の言うこの……計画は、実行されればボスの身が危ない。流石に笑えん。人間いつか死ぬものだが、それでもあの人には長く生きていて欲しい』
『お願いします』
『…………ボスにメッセージを残す。時間をくれ』
天井から吊るされた鎖に繋がれた一人の哀れな少女がいる。
薄手のシャツを纏ってはいるが、砂まみれで、靴の痕跡まで残っている。
どこかの地下牢。
彼女は、再教育センターとは名ばかりのそこで、絶望にまみれていた。
ACに乗れば獅子奮迅、一騎当千であろう彼女も、乗っていなければただの少女に過ぎない。しかも歩くことも長時間は無理で、目が見えないのだ。鎖でつなぐ必要性すらなかったかもしれない。
「おい、そこで何を……ぎゃっ!? お前はヴェスパー隊の……」
「悪いな。死んでくれ」
外で物音がするが、それに反応できるだけの余裕は彼女になかった。カシュ、という音。確かサプレッサー付きの銃を使ったとき、あんな音がしたはずだった。
カチャカチャという音がして、扉が開く音がした。
「悪いな……謝って謝り切れるものじゃない。私にできることは、これくらいだ」
「戦友」
「らすてぃ……?」
ラスティその人が、いた。
一度は撃破し、そして逃げた、その人。
レイヴンはまるで天使がそこにいるかのような錯覚を覚えた。
「自由にしてやる。これは、君のハンドラーからの依頼だ。セキュリティクリアランスが生きていてよかった。まあ、もう消去されるだろうが………戦友、クソ……こんな子に酷い仕打ちを……スネイル………次会ったときは、容赦はしない」
拘束具が解かれると、レイヴンはその場に倒れ掛かった。ラスティがその身を支えると、傷んだ髪の毛を優しく指で梳いてやり、顔を正面から見据えた。
見えない瞳が、ぱちくりと瞬いた。
「ここから出してやる。だけど悪い。私にも為すべきことがある。すぐにアレを取りに行かねば………いいか、よく聞いてくれ。ここから……」
ラスティは、ここから何歩くらい歩けばいいかの大まかな位置を伝える。
「カギは全て開けた。敵も排除した。君のハンドラーが残した……旧式とはいえ、ACもある。そこまで辿り着くんだ、いいね。自分で、歩くんだ。這いつくばってでもいい」
「らすてぃ」
「なんだい、戦友」
「………こんど、会ったとき話すね」
「ああ。幸運を祈る」
ラスティが最後にレイヴンの額にキスを落とすと、そのままゆっくりと身を地面に横たえてやり、足早に去って行った。
そしてレイヴンは、痛みを訴える体を押して、ゆっくりと立ち上がった。
「はぁ、はぁ……」
自分の足で、歩く。練習を重ねていなければできなかったことだ。
試しに神経接続をしてみると、アクセスポイントを発見した。これは、古い型番のACらしい。近くにあるらしく、オペレーションシステムにアクセスできた。
【メッセージ、1件】
【暗号化を解除、再生します】
『621、これはある友人からの………いや、この俺からのごく私的な依頼だ』
「………ウォルター」
それはウォルターからのメッセージだった。
『お前は気づいているだろう。コーラルの潜在的な危険性を。アイビスの火で焼失したはずのコーラルは、しかし生き残り、集まり……ゆっくりと自己増殖を続けていた』
「………」
エアが調べたことと、合致する情報。
次にウォルターが言うことも、予測がついた。
『集積したコーラルは指数関数的に増殖を速め、やがてはルビコンから溢れ、宇宙に蔓延する汚染となるだろう』
「……うん」
『その前に……コーラルを焼き払う必要がある。それが、かつて星系を飲み込んだ大火を再現することになったとしてもだ。これは、ハンドラーとしての指示ではない。俺が死んでいった友人から受け継ぎ、お前に託さんとする、一つの依頼に過ぎない』
「………うん」
『621』
『火を点けろ』
『燃え残った、全てに』
そして、彼女は到達した。ACへ。足元のスイッチを手探りで作動させると、降りて来たワイヤに掴まって、腕力の限界を込めてしがみつきコアに到達。操縦席に入って、L.I.N.K.Sに接続する。
【バージョン情報が旧式です】
【動作不良】
様々なエラーが表示されるが、無視して起動する。
スクラップを再生したその機体が、メインカメラに光を灯した。
【メインシステム、戦闘モード、起動】
【Main system combat mode active.】
【DISPLAY LATENCY】
【OVERBOOST CAP】
【WPN FCS】
【EN RECYCLING】
そして、足元で煌々と燃えているそれを見遣る。ラスティが用意してくれたのだろうか。篝火が焚かれている。
「火を、点けろ………」
「篝火…………」
レイヴンはその火を暫くじっと見つめていた。
そして鴉は、新たな翼を得て舞い上がった。
『レイヴン!』
全てが終わった後、“再教育センター”にそれが飛翔してきた。
かつて技研が開発した無人AC“エフェメラ”。それの搭乗者は――――エアだった。
とある人物の協力を得てその機体を奪取、ハッキング、コーラルの情報伝達特性を使って機体を乗っ取って、レイヴンがいる座標へと急行してきたのだ。しかし待っていたのはMTの残骸程度なもの。
『レイヴン………』
『こちらの仕事は片付いた………』
ノイズ交じりの通信が入った。
差出人、茶柱。
『このメッセージが再生されているということは、俺は、焼き切られたということだ。だがこれがあれば……封鎖機構が一度は試し、そしてついに試作だけで終わったこれがあれば……今は、まったく別の用途で使われているこれさえあれば……企業による妨害さえ、なければ……』
それはチェスだ。一つ狂えば、この流れには行き着かなかったであろう、たった一つの答え。
放棄され、隠匿された、世界の真実。
半世紀もの間、封鎖機構が実験していたが、ついに叶わなかった、コーラル技術。
『決定的な破綻は、回避できるかもしれない』
メッセージは、そこで途切れた。
ラスティ女体化とかいう胡乱極まる幻覚を決めたので初投稿です