ヤンデレの悪魔に人生狂わされる   作:ヤン・デ・レェ

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悪夢と朝食

深夜のことだ。男の家である雑居ビルの三階。2LDKの居住スペース。二つある洋室の内の一つが男の寝室になっていた。もう一つには来客用の布団を敷いて、デンジとポチタを寝かせていた。

 

一つ目の洋室で眠る男の頭の中での出来事だった。

 

男は夢を見た。どこかでの、見知らぬような懐かしいような、不思議な場所での夢だった。

 

男の目の前には、首のない裸の一人の人間が立っていた。

 

だが果たしてソレを人間と言って好いのか、男にはわからなかった。

 

ソレは胴体を遺して、首から上も性器も四肢もなかった。灰色の胴体だけが石膏像の様に、無機質に虚空に浮かんでいる。

 

心臓があるはずの場所には大きな穴が空いていて、向こうまで覗けた。

 

男は周囲を見回した。

 

周囲は、不気味なほどに静かだった。

 

ごつごつとした、石と砂がむき出しの荒野が広がっている。見上げれば無数のドアが浮かんでいる。

 

地面を見れば蟻の群れも歩いている。だが、音が無かった。

 

男が灰色のトルソーから、その場から離れようとした時だった。

 

その時、悪寒と共に虚空から声が発せられた。

 

「お前も、こうなる」

 

ゾクりと背筋に奔ったのは、むき出しナイフの鋭敏な刃になぞられた様な、不快な冷たさだった。

 

「お前は、誰だ?」

 

「…お前が、既に知っている者だ」

 

「お前のことなど、知らない!」

 

「…ならば、そのままで構わない。寧ろ、都合が好いくらいだ」

 

「ど、どういうことだ!?」

 

「お前の人生が、愛に、狂わされ、壊されていく様を、私は、愉悦と共に、見物、できるからだ」

 

男はトルソーに迫った。勇気を振り絞り、不気味な死体の様な、トルソーの肩を捕まえた。

 

トルソーは余りにも軽かった。

 

トルソーは中身が空っぽだった。

 

赤い血肉のほんの外側の皮だけが、クラゲの様に波打っていた。

 

男はトルソーに触れていた手を急いでひっこめると、ゆっくりと後退った。

 

「なにを言っている?…お前は、誰なんだ?何者だ?誰の指図で動いてる?俺に何の恨みがある?」

 

「恨みは無い。憎しみも無い。寧ろ、愛おしい」

 

「なら、なんでそんなことを!」

 

男は再びトルソーに掴みかかろうとした。だが、出来なかった。あの、薄気味悪い感触を思い出したからだ。

 

「だから、だよ。だから、お前と契約した。そしてお前が、私の愛の対価に、その道を選んだ。それだけだ」

 

「…理解できない…何が、何が起こってるんだ?何を言ってるんだ?俺は、何かを忘れている?だとすれば、何を忘れて…うぐぅぅっぅ…ガぁぁアァッ!?」

 

男の記憶の扉が開くより早く、激しい頭痛と共に時間がやってきた。

 

トルソーの胸の空洞が急速に大きくなっていく。黒い渦が生まれ、そこの深淵へと誘う様に風が流れ込んでいく。

 

男を吸い込もうとしているのだ。

 

「おい!お前、何か知ってるんだろう?教えてくれ!俺は、俺はどうすればいい!!」

 

男は渦に吸い込まれないように、踏ん張りながら叫んだ。

 

「……楽しみだ。お前が、私と同じになるのが」

 

だが、トルソーは答える代わりに楽し気に吸い込む力を強めた。

 

「ぐわぁあああああぁぁぁあ!?」

 

そして、男はそのまま風に運ばれるように、灰色のトルソーの胸元に吸い込まれてしまった。

 

男は去り際に思った。ここはまるで地獄のようだと。

 

 

 

 

「うわああぁぁぁぁぁ!?」

 

雑居ビルの三階。自分の寝室で男が飛び起きると、既に周囲は明るかった。

 

酷い頭痛に頭を押さえつつ、男が立ち上がろうとすると体の重みに気が付いた。

 

見れば、ダブルベッドの上でお腹を跨ぐようにデンジが座っていて、うつらうつらと船を漕いでいた。昨日拾って風呂に入れてから、着替えさせた大人用のぶかぶかのパジャマ姿で胸にはポチタを抱いている。

 

ポチタはこちらを見て、「ワン!」と吠えた。尻尾も振っている。

 

「兄貴が起きた!」

 

ポチタの鳴き声でデンジが飛び起きると、男に抱き着いてそう言った。

 

突然のことで頭が真っ白になっていると、デンジとポチタが続けて言った。

 

「兄貴!兄貴!オス!お疲れ様です!おはようございます!」「ワオン!ワオン!」

 

「何を、言ってるんだ…?」

 

困惑して退かすでもなく、寝たままの体勢で問答する男。

 

デンジは驚き、それから身を小さくするようにもじもじしながら言った。

 

「え!あ、その、間違えた?違った?でも、ヤクザの組長には、こうやって…」

 

「俺はヤクザじゃない。もっとクレバーでスマートな…なんだ、兄貴で好い」

 

「ハイ!兄貴!」「ワワン!」

 

訂正するにも好いものが思いつかなかった男は、兄貴呼びを許すことにした。

 

頭が働かなかった。とにかく今は冷静に対処しなければ。相手は昨日まで義務教育も受けられずに育った、子供と犬なのだから。

 

男は頭の中で言葉を整理してから口を開いた。

 

「…ただし、そのお疲れ様ですってのは無しだ。今度から、おはよう、だけで好い。」

 

「兄貴は、そっちのが好き、なんスか?」「ワゥン?」

 

「なんですか、が正解だ。」

 

「なんですか?」「ワフッ?」

 

「よろしい…うん。俺はそっちのほうが好きだ。」

 

「ならそうしまっす!組長!」「クゥ~ン…。」

 

「そうしてくれ。あと、俺は組長じゃない。社長だ。取締役でも好い」

 

「しゃちょう!」「ワン!」

 

「よろしい…」

 

男が懇切丁寧に言葉を選び説明すれば、デンジとポチタはその場での復唱に過ぎなくても忠実に、男の指示通りに実践して見せた。

 

男は「なぁんだ、賢い子たちじゃないか」と思いつつ、今度こそポチタを抱えたデンジを抱き上げてベッドの上から降ろそうとした。

 

「あぁ…」「キューン…」

 

ベッドの上から、さらに言えば男の腹の上から降ろそうとしたのだが…デンジとポチタが切なげな声で鳴いたので、男はつい手を止めてしまった。

 

すると、パアアァッ!と擬音が付くくらいの勢いでデンジとポチタの表情が晴れた。

 

降ろそうとすると曇った。手を止めると晴れた。

 

男はいつの間にか自分が微笑んでいることに、上がった口角の凝りで気が付いた。

 

心を決めて降ろしてしまおう。気まぐれに拾った責任はとるが、それも養育だけだ。甘やかすわけには…と、そう思った時である。

 

「ぎゅるる~ッ」と、デンジの腹の虫が鳴いた。

 

「きゅるる~ッ」と、ポチタの腹の虫も鳴いた。

 

「ぐうぅぅ~ッ」と、男の腹の虫も鳴いた。

 

「まずは、朝食にしよう」

 

「うおー!飯だー!」「ワオォーン!」

 

男は結局、ポチタを抱いたデンジを抱きかかえて、ダイニングに向かってのしのしと歩き出した。

 

 

 

 

雑居ビルの三階。2LDKの居住スペースの内のダイニングに向かった男はデンジを、向かい合う二脚の椅子の片方に座らせると、自分は冷蔵庫を漁りにキッチンに向かった。

 

流石に初日の朝飯がカップラーメンでは寂しい。そう思った男は、ライトが開閉と同時に空しくも点灯するほぼ空っぽの状態の冷蔵庫を、頭を突っ込むようにして覗き込んだ。

 

ひんやりとした空気に、微かに美味しい匂いが混ざっていた。

 

「そういえば、昨日の残りがあったはずだ」

 

独り言ち、それから男は昨日の昼に自分が口にした食事を頭に思い浮かべながら、冷蔵庫を漁った。

 

「あった」

 

ラップに覆われた皿に、一食分の生姜焼きが残っていた。昨日口にしたのはハンバーグだったから、これは今日の分だろう。

 

「俺が作った訳じゃないけど…まぁ、いっか」

 

最近のマキマが、衛生面も考えつつ自分と一緒にいない間の男のことも考えて、二食分作り置きをしておいてくれるのだ。

 

男は皿を取り出すと、冷凍しておいた余ったご飯と一緒にレンジに入れて温めボタンを押した。

 

「兄貴ー!腹減ったーです!」

 

「ちょっと待ってな。今、あっためるから」

 

チン!とレンジが鳴った。

 

「好い匂いがする!」「ワン!ワン!」

 

デンジとポチタが涎を垂らしていた。

 

「はい、お待ちどう。食べてから、少しお出かけするぞ…買い物がてら、色々と説明するから、よく聞くように」

 

湯気を上げる生姜焼きが差し出されると、ご飯も待たずにデンジとポチタはがっついた。

 

「美味ーい!ほい、ポチタの分!」「キューン!ワン!はぐはぐはぐ…ワフ!ワフ!」

 

「…まぁ、食ってからでいいか…。」

 

説明も聞かずに肉を頬張るデンジとポチタに、何も言わずほかほかのご飯を差し出してから、男は片手間に用意したインスタントのコーヒーが入ったステンレスのマグカップを手に、向かいの椅子に腰を沈めた。

 

 

 

 

コーヒーを飲み干す頃、お代わり三杯目の冷凍ご飯を無心で頬張る二人を見守っていると、日ごろ胃腸が弱いせいで朝ご飯をしっかり食べる習慣がない男も食欲が湧いてきていた。

 

「にしても、美味しそうに食うなぁ…食い方は下手だけど、俺も、なんか食べたくなってきたな…」

 

そう言って立ち上がりマグカップをシンクに出してから、今日の昼はどうしようかなと考えつつ着替えるために寝室の衣装箪笥の元に向かおうとした時だった。

 

ガタリ!と椅子が倒れる音と共に、温かい物が二つ男の体に飛んできた。

 

驚いて反射的に受け止めると、それは案の定デンジとポチタだった。

 

口の周りに米粒を纏わり付かせて雄弁にも咀嚼しながら、男の腰を抱きしめていた。

 

顎が生命維持の第一の為にともごもごと動く度に、男の背筋を擽るような感覚が駆け上った。

 

「あはは、こらこら、どうしたんだよ。まだ、食ってる途中だろう?」

 

「…あにきが、もぐもぐもぐ、行っちゃう、もぐもぐ、そうしたら、また、もぐもぐ、ヤクザに、もぐもぐ、こきつかわれるんだ、もぐもぐごくん…それは、イヤだ!ぜったい、イヤだ!」

 

「ワン!ワンワン!ガルルル!!」

 

「……」

 

デンジはそう言って、男の背中に顔を突っ込むようにして泣き出した。振りほどけないほど、力が強い。ポチタも唸りながら、心配そうにデンジと男の足元に擦り寄っていた。

 

男は自分の小さいころを思い出していた。そういえば自分もそういう生活が嫌でヤクザの元から逃げ出して、デビルハンターになって、何でも屋になって、そうして今の生活を手にしたんだったと。男は思い出さずにはいられなかった。

 

デンジの境遇と男の境遇は似ていた。抗争中、部下が持ってきた敵ヤクザに関する資料で読んだ時から知っていた。いたたまれなくて仕方がなかった。だから、拾った。拾うことを選べるだけの力が、今の男にはあったのだから。

 

「そ、そうか、そりゃ、イヤだよなぁ。扱き使われんのは、俺も嫌だ。だから、今があるワケだし…間違ってないよ、お前は…」

 

男は振り返ると、自然と手がデンジの頭に伸びた。

 

撫でる直前。デンジが男の手を取り自分の頭に押し付けながら、半泣きで言った。

 

「デンジ!デンジって呼べ!お前じゃない!それは、兄貴が、ヤクザっぽくで、ヤダ!」

 

「…そう、だな。そうする。ありがとう。デンジ…あのな、俺さ、着替えて来るだけだから。心配なら、ついてくるか?まだ、食っててもいいんだぞ。いなくならないから…」

 

「ついてく!一緒にいる!」「ワン!」

 

デンジとポチタが、勢いよく、顔を上げた。

 

泣きはらした眼。心配そうに飼い主兼友達を見つめるポチタの眼。

 

慈しむようにデンジとポチタを見つめる男の眼。

 

三種類の眼がそこにはあった。

 

 

 

 

それから男は急遽デンジとポチタの前で、不本意ながらも合意の上で、ストリップと言う名の着替えを披露することになった。

 

安物の黒いスーツと黒いスラックス。合皮のベルトに、薄っぺらい黒のネクタイ。そして両産品の白いシャツ。それから、持ち主よりも頑丈な、お気に入りのスポーティな腕時計で身を固めた男は、自分の持つ、一番小さい、スラックスとシャツをデンジに着せると、ベルトの穴を詰めて締めてやって、ポチタの毛並みを整えて、戸締りを確認してから、下の階に向かった。

 

雑居ビルの二階は、男の所有する資産の会計事務所兼シンジケートの本部中枢になっていた。男にのみ忠実な屈強な黒服に監視されつつ守られつつ、男から信頼を勝ち取った事務関係の責任者たちが8時間交代制で24時間、仕事を回している不夜城である。

 

彼方此方の机の上でこれでもかと各地から集金されてきた金塊や札束が積まれていたり、或いは薄っぺらい紙に換金された後で金庫に仕舞い込まれ、出納が記録されていた。

 

男は中でも一番立派なデスクで書類の確認をしていた、几帳面そうな細身の眼鏡をかけた男を呼びつけた。

 

「おはようございます、社長」

 

「おはよう。俺、この子たちとちょっと出て来るから。車、お願いね」

 

「承知しました。どうぞお気をつけて」

 

眼鏡の男は手元の書類に「社長一台使用」とメモを書き付けてから、ペコリと丁寧に男に頭を下げた。

 

「デンジ、ポチタ、さぁ、行くぞ」

 

男は現場の責任者に手早く用件を伝えると、仕事場に興味津々のデンジの手を引いて歩きだした。時折、ポチタが後ろから付いてきているのを確認しながら二人と一匹は、一階のフロントに見送られて駐車場で黒塗りのSUVに乗り込んだ。

 

向かう先はショッピングセンター。自分のスーツを買って以来の、デンジ用の衣類をマネキン買いをするためであった。

 

ついでにポチタを獣医に見せて、このまま人間の食物を食べさせて良いものかの確認を取るためだった。

 

男の会社で所有する黒塗りの米国産大型SUVが、都会のハイウェイを周囲に浮いたり沈んだりしながら、威厳のあるエンジン音を轟かせて一路ショッピングセンターに向けて走って行った。

 

夏のある日、アスファルトの大地は陽炎を立ち昇らせた。太陽は中天に浮かぶばかりで、今日も暑い一日になりそうだった。

 

 

 

 

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