ヤンデレの悪魔に人生狂わされる   作:ヤン・デ・レェ

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三日間 父子の日

昼前のお時間。マキマのお家は、都会のマンションという表現が適切な、高層建築の最上階にあった。こんなに高い所では、昇り降りも大変だろうに、と男はいつも思った。今回もその通りだった。

 

だが、これはマキマに言わせれば、「一分一秒でも長く、君と一緒にいる為に必要なの」である。

 

少し前までは、より低い階層に住んでいたというのだから、中々、無理をする。無論、以前の住人には同意の上、自発的に退去願った。

 

エレベーターで延々と続くような、都会の摩天楼を見つめる時間も、マキマはずっと男の腕を離さなかった。逃げる訳もないのに…否、寧ろ、鬼ごっこをしたいくらいだった。マキマなりに、燥いでいた。あどけない欲望の表現は、腕をつかんで離さないという、なんとも可愛いものだった。

 

さて、最上階に着くなり、男とマキマはフロント同様、顔パスで居住区に向かった。だが、人がいない。兎に角いなかった。

 

それもそうだろう。マキマにより、徹底的に最上階だけは陸の孤島と化しているのだから。

 

マキマはもとより、三日間、男を、「お出かけ」以外で外に出すつもりがなかったのだから。三日間、このフロアの住人は各々の諸事情により、家に帰ることが無いようにと、そのように決められていた。

 

今更ながら、マキマは加減を知らないタイプだった。

 

男と共に歩くこと少し、清潔な白が眼に眩しい内装の廊下を突き当りまで進んで、文字通り、入り口から最も遠い部屋に到着した。ここが、マキマと男の我が家だった。

 

マキマがバッグから取り出したキーで、ドアを開けた。明日まで、男は一歩たりともここから出られない。

 

 

 

 

「な、なぁ、マキマ、今日はどうすんだ?できれば、作ったことあるのが好いなぁ…なんて」

 

家に帰るや、早々に、男はジャケットを剥ぎ取られ、代わりにエプロンを着せられていた。片腕が半ばから無い男に、マキマが所望したのは料理だった。

 

男がキッチンに立つと、マキマは、一眼レフの高価なカメラを首から下げて、男の隣に立った。

 

「うん。今日は、これまでに作ったことがない料理を作ってよ」

 

「話聞いてたか?」

 

「勿論…それとも、お父さんは料理も作れないのかな?」

 

「うぐ…お父さんってなぁ、まだ結婚してないってのに…」

 

「フフフ…安心してよ、お手伝い、ちゃんとするからさ」

 

初日は必ず、こうして二人で昼・夜と料理をするのが、我が家でのルールだった。

 

今日の献立は、男が怪我しないようにと配慮しつつ、スタミナが付きそうな鶏肉の照り焼きを作ることになった。付け合わせのサラダと、お味噌汁にご飯があれば完璧だろう。

 

まるで夕飯みたいなメニューだったが、冷蔵庫に丁度良く鶏胸肉が用意されてあったので、これを使わない手はなかった。

 

マキマが材料を切っていく横で、男は片手でも出来ることを選んで、野菜やお米を洗ったりしていた。

 

分担しながら、料理を進めていく二人。

 

腕が一本無くなってしまった以上、マキマが居なくては、以前にもまして成り立たない行為になってしまった。

 

だが、マキマに不満などなかった。

 

マキマはよく写真を撮ったが、以前にもまして、男の姿を写真に収めるようにしていた。

 

「はい、どうぞ」

 

「ん」

 

洗い終わった米を炊きつつ、次に切った野菜をドレッシングで和える。和えるのは男の仕事だと、マキマが手渡すと、男が短く答えて受け取り、和え始めた。トマトが出来るだけ崩れないように、集中し、和える男の横顔を、マキマは一枚撮った。

 

パチリ。

 

「次、お肉切るね」

 

「ん」

 

不愛想にも聞こえる返答だが、一年近く一緒にいるからこそ、男の素が出ていることをマキマは理解していた。理解していたから、好きなのだ。この短い返答を、鼻にかかった一言を欲しいがために、聞きたいがために、マキマは男に料理を強いる。

 

男はと言えば、娘がいればこんなもんか、と感じつつ、手間暇のかかる料理を作れる全ての人への尊敬を深めていた。

 

肉を切っていたマキマは、隣で味噌汁の味噌を出汁の混ぜ込まれたお湯に混ぜてから、片手で豆腐を均等に刻む男を見て、手を洗い、それからまた一枚撮った。

 

パチリ。

 

 

 

 

「ねぇ、ちょっと醤油入れすぎじゃないかな」

 

「んー…甘じょっぱいの、好きなんだけどな」

 

「東北生まれ、だもんね」

 

「んだ…ふふ」

 

男の故郷は東京から遠かった。東北で生まれた男にとって、幼いころ食べた、芋煮の甘じょっぱいスープこそが、遺伝子に刻まれた好きな味付けだった…と、マキマは男の半生を記録した資料と、共に過ごした時間の中から知っていた。

 

少し濃い目の味付けで、エナメルの様に艶やかな焦げ茶の、食欲をそそる照り焼きソースが完成した。

 

男が、マキマが切った肉に、ソースを掛けつつ、焼いた。

 

パチリと音がして、瞬間前に、男が振り返った。今度は男が正面からこちらを向いた画が撮れた。

 

「なぁ、そんなに、撮れ高、あるもんかな」

 

男が、菜箸で肉を裏返しながら言った。ジュクジュクと、ソースが蒸発して香ばしい薫りへと昇華した。

 

マキマが、鼻をスクスクと鳴らした。

 

「好い匂い…フフ、撮れ高?あぁ、どうだろうね?…わかんないや。誰にも見せるつもりなんてないもの」

 

「そういうもんかな」

 

「うん。だから、君は黙って撮られていればいいのさ」

 

マキマは男の後ろに立つと、ソースの匂いとは別の、背中から立ち昇るような薫り…父親の薫りを、胸いっぱいに吸い込んだ。もしも、そんな言葉があれば、だが…それでも、マキマの満足のいく匂いに、ソレは育っていた。

 

幸せ。幸せ。もっと欲しい。

 

純粋に、単純に、マキマは願ってやまない。もっと欲しいと、手を伸ばしてしまうほど。

 

「熱ッ…」

 

「あぁ!?ちょっと、何してんだ、ほら、早く水道の水で冷やせ!」

 

伸ばした手は、男の体を抱きしめるより先に、手前にあったフライパンの持ち手に当たった。カバーに覆われていなかった部位に当たったことで、マキマは指先を火傷したのだ。

 

治して、しまわないように、マキマは気を付けた。

 

「舐めたら治るかな?」

 

照り焼きを放り出し、マキマの手を取り全開にした水道の水の柱に指を突っ込んだ、男の顔を見つめながら、マキマが言った。

 

男は苦い笑みで、言った。

 

「舐めるより、冷やす方が好い」

 

「いや、私が、じゃなくて、ケミ君が舐めてくれれば、ね?」

 

「ね?じゃないよ。どうしたマキマ、熱でもあるのか?」

 

男がマキマの額に手の平を当てた。温かかった。男の手が。

 

「フフフ…そうだね。熱、あるかも」

 

「看病するよ」

 

男が言った。

 

その言葉に、マキマは、蹌踉として、男に身を預けて見せると、鼻先と鼻先を近づけて言った。

 

「お粥作ってくれるの?」

 

「レトルトのな」

 

「えぇー…あぁ、火傷しちゃうもんね」

 

「あぁ、だから、腕一本で出来る範囲でだな、悪いな」

 

男の謝罪に、マキマは目を瞬かせた。

 

そして、身を起こすと、ぐるりと両目を巡らせてから、男の眼を見つめながら言った。口角が見る見る上がっていく。

 

「悪くないよ。むしろ、こう、なんか素敵」

 

「熱あるな。間違いない」

 

「フフフ…好きだなぁ」

 

「昼ごはん食ったら昼寝したほうが好さそうだな」

 

マキマは、のんべんだらり、そんな酔ったような調子だった。男の腕を引き、胸に抱きしめた。誰にも譲る気なんてないのだろう。一瞬、一際きつく、痛いほどに抱きしめると、力を抜いて、今度は甘えるように、体の柔らかさと温度を伝えるように、抱き込んだ。

 

その時だった。

 

フライパンから煙がもくもく上がっていた。

 

「あぁーーー!?焦げてるよ!あちゃー…やっちまったよ」

 

男の腕が、マキマの胸からするりと、抜けて行ってしまった。

 

「あ、ごめんなさい…ちょっと、イチャイチャしすぎたよね」

 

「いや、いいさ…まだ、大丈夫。全然、食える食える」

 

消火作業…もとい、皿にこんがり肉を盛り付けながら、男が言った。

 

「さぁ、ちょっと早いけど、昼飯にしよう。朝も食ってないから、流石に腹が減った」

 

「私も…食べてない」

 

「なら、丁度好いな。早めの昼食。遅めの朝食って感じだ」

 

男はそう言って、マキマの分の、随分焦げつきがマシな方の肉をのせた皿を運んでから、自分の分の、表面が真っ黒な肉ののった皿を、キッチンからダイニングテーブルの、自分の席に配した。

 

それから、炊飯ジャーの開閉スイッチを押して、先に茶碗を取り出すと、片手で米をよそい、マキマの分を手渡した。

 

味噌汁も、それからサラダも同じように配膳すると、先に座り、氷で指を冷やしていたマキマが、またカメラを構えて待ち受けていた。

 

パチリ。

 

「今度は、なんだ、どんな題名なんだ?」

 

男が席に着くなり、カメラの画面をのぞき込む、マキマに聞いた。

 

「昼ご飯に苦戦した父親…かな?」

 

マキマが首を傾げながら言った。男が苦笑した。

 

「俺は、パパか?」

 

「時々、パパだよ」

 

「ずっとじゃないなら、いいや」

 

「ずっとは、イヤなの?」

 

「なんか、勿体ない感じがする」

 

「ふふ…そっか、実はね、私もだよ」

 

男とマキマはそう言って、笑い合うと、手を合わせた。

 

「いただきます」

 

「いただきます」

 

二人の席は、今日は向かい合わせだった。隣り合う時もあれば、向かい合わせの時もあるのだ。今日は、向かい合わせの気分だった。

 

食事中、特別に、二人とも会話を盛り上げるようなそぶりは見せなかった。だが、静かに箸と食器が合わさる音と、向かい合う相手の黙々たる咀嚼音が、なんとも心地の良いものだった。居心地の好い音だった。

 

互いに拒絶するでもなく、力み、受け入れようと動くでもない、ただ、其処にあるがままを受け入れる感覚こそ、快だった。

 

それは、マキマにとっても、男にとっても言えることだった。畢竟、他人の二人にとって、この上のなく、互いの何かが重なり合う瞬間だった。

 

細やかな安堵。穏やかな快楽は、二人が離れ、また出会う日まで、年輪の様に、時間をかけて浸透していく。身と心の奥深くへと、楔打つように、堅く接ぎ合わされていくのだった。

 

 

 

 

マキマは、敢えて何も強いることはなかった。

 

強いる…では、語弊が生まれる。正確には、「命令」しなかった。

 

初めの内こそ、彼女は支配を試みた。だが、男を観察し始めて、十年が経過する頃には、最早、支配のことなど頭から無くなっていた。

 

だから、契約を持ちかけた。そして、思いがけず、彼女は、男との間に、人間として契約を結んだ。

 

これは僥倖だった。ただ、本当に操り人形に出来ないのか、という確認の為だったにもかかわらず、結果的に、マキマの欲望を満たす機会を得ることに繋がったのだから。

 

マキマは三日間を、それぞれ、男に父であること、恋人であること、そして子供であることを望んだ。

 

そして自身は、三日間を、それぞれ、男の娘でいること、恋人でいること、そして母親でいることを望んだ。

 

このことを、直截、男に打ち明けるつもりはなかった。

 

だが、マキマは代わりに、正直な自分の欲求を、その都度男にぶちまけた。

 

「お父さん」と呼んでみたり。「エプロン、着てくれない?」とお願いしたり。

 

「ずっとぼーっとして、私のことを観て、それから褒めてよ」と言ったり。

 

お願いは多岐にわたったが、その殆どは極めて単純なものが多かった。

 

「撫でて欲しい」「褒めて欲しい」「抱きしめて欲しい」

 

彼女の欲望は、この三つに、概ね統合された。

 

男の、泉で浄めたガラス玉の様な黒い澄んだ瞳に、マキマは狂わされ、狂わされながらも愛を掴んだという、強い実感を得ていた。得て、久しかった。

 

マキマは、男が愛おしい。男との三日間が愛おしい。マキマは、だから何度も、何度も、何度でも、この三日間を再現するのだ。

 

同じ手順を踏んで、三日、男のことを独占する。繰り返し、繰り返し、何時か何も言わずとも、男から自発的に、初日に父となり、二日目で恋人となり、三日目でマキマの可愛い子になるように。

 

それが、日常になるように。

 

幼いころから、マキマが取りこぼしてきた、根本的に手に入れられなかった何かを、埋めるように。彼女は、敢えておねだりしかしなかった。

 

そしてその度に、困惑しつつも、娘の為に、恋人の為に、母親の為にと、手探りで動く、男のことを愛しているから。愛してしまったから。

 

愛した以上、マキマは守勢に回らざるを得ない。この日常を守る側に。この平穏無事で淡々とした毎日を、維持継続するために。

 

彼女は手段を択ばない。

 

「ケミ君との、今の生活を守る為ならば、どれだけ巨大な権力相手でも、どれだけ強力な悪魔相手でも関係ない。全て根絶やしにして、彼との生活の礎に変えてあげる」

 

案の定、彼女は、加減を知らないタイプだった。

 

 

 

 

 

 

 

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