顔だけは良い妹が何故かバーチャルアイドルをやっているらしい 作:hikari kawa
突っ伏した床板の冷たさを頬に感じる。
「はい、経口補水液飲んでください。首と腋と、太ももは冷凍したペットボトルで冷やしますからね。あーあ、鼻血まで出しちゃって。お風呂に水張ってますから、落ち着いたら入って下さい」
出かけたはずのアンジェの声がして、身体のあちこちが急に冷えていき……。手渡された妙に美味しく感じる飲み物をごくごくと飲む。
「今までサボって生きて来たから、やりたいことが出来てもどのくらい頑張ればいいか判断出来ないとみました」
「そう、かも」
「うちで死んだら土葬ですからね。骨壺には入れませんよ?」
「ふ、ふふっ」
「改宗は私の方でやっておきますので。ンニャホトピ教の教義に則って埋葬してあげます」
「……知らない宗教で葬られちゃう」
「それがイヤなら、自分の面倒は自分で見てください。優しいシスターアンジェさんはお陰様で色々と忙しいんですから」
だんだんと意識が浮上してきた。ぼんやりとした景色が徐々に輪郭を得ていく。
学校の夏服を着たアンジェは空になったバケツを持って僕を見下ろしており、呆れた表情を浮かべている。
「なんで、こんな、準備」
「私の授業の十倍集中していたので、どーせ休憩もしないんだろうなと予測しました。私があれこれ言ってたのも聞こえてなかったんでしょ。なんだかイヤな予感がして急いで帰って来たんですからね」
「おかげで助かった。ありがと、命の恩人」
そう言うとアンジェは表情を和らげた。
怠い身体を起こすのに失敗し、身体を横にして経口補水液をあっという間に飲み干す。
「代わりと言うのもなんですが、もし私に何かあったら礼さんが各種手続きよろしくお願いしますね」
「……とりあえず日記帳は、秘密裏に処分するよ」
「よろしくお願いします。それと今のノートパソコンはキリエに借りているのですがサブスクは解約してから返却してください。Tアニメストアとプールーと、あと話題の大将軍見たくて新しく加入したものが」
「……またサブスク加入したの?」
「毎月五百円で無数の映像作品を見れるだなんてお得過ぎるじゃないですか。私、映画館には一生行かないと思います」
このシスター、基本的に真面目で倹約家ではあるものの『見放題』とか『選び放題』とか『詰め放題』みたいなのが好きでその結果『なんだか逆に損してるな……』みたいな事をちょくちょくする。
詰め放題で買ってきたジャガイモを見て『主よ……芽が、出そうです』と言っていたのを僕は知っている。主はそんな試練課さないぞ。
「はい、もう一本飲んでください。今度は二リットルのスポーツドリンクです。……あ、このネコさんクッション。レーさんがずっと座ってたからつゆだくになってるじゃないですか。スポドリ代と合わせて埋め合わせしてくださいよ」
もっともな事を言うアンジェに頷きつつ、ごくごくと飲むスポーツドリンクが身体に染み渡っていく。これだけの水分があっという間に吸収されていく事は恐怖ですらある。アンジェが居なければ親子共々八月にお陀仏になるところだった。いや、僕はお陀仏どころかンニャ仏の可能性すらあった。
荒い呼吸が、落ち着いてくると今度は睡魔が襲ってくる。
これって、寝ても大丈夫な睡魔なのかな。雪山的な睡魔だったらどうしよう。
「さて、それじゃあ私は部屋でデビュー配信の下準備がありますので。さっさと水風呂に浸かって下さい」
「デビュー、決まったの?」
「十七日、土曜日の夜です」
アンジェの時間もしっかりと進んでいるらしい。時間だけは、勝手に過ぎていく。
とりあえず、今はこの疲労感に流されて眠りたい。
「そっか。アーカイブ、そのうち絶対見るよ」
「生配信で見るから誠意を感じるんですよ。どーせこのあいだのエリさんのライブもアーカイブで見るつもりでまだ見てないんでしょ」
「いやいや、そんな。ははは。あっはっはっ、げほっ」
「……。それだけ笑えるなら大丈夫そうですね。というか、寝る前に水風呂入って下さい。しっかり体温下げないと駄目なんですから」
アンジェは僕の脇腹をゲシっと蹴り、僕のすぐ隣に膝を下ろした。
……このまま風呂場まで引き摺ってくれないかな。
「ねえ、れ……さん。もし、私……が付き……たら。ちょっと、聞いてます? 寝ないでください。良い感じのセリフ言うんで」
ああ、多分湿っぽいこと言おうとしてる。
「……二人でサブスクの動画ずっと見て、たまに勉強するような夏休みと今。どっちの方が良かったのかなって。結末まで想像できる毎日と、どうなるか予想もつかない明日。……貴方はまた、私の遠くに行くんだなって」
歌姫の女子中学生日記も聞いてられないけれど、シスターのイフストーリーも大概だ。
どちらにしたって、今も同じ時間にいるというのに。
「それでも。貴方が楽しそうだと私も嬉しいです。きっと、楽しい夏休みになりますよ」
・・・
『さ、グレゴリーのオールデイジャパンはじまりました。今晩ワンワン、メインパーソナリティの吉木です』
『知らない挨拶出たっ。どうも、板見ことイタミンです』
『逆じゃない? という事で今週のワンワンニュースっ。ワンッ、もあたいむ』
『……ええとそれは?』
『山崎まさワンの曲ですね』
『まさよしじゃなくまさワンっ』
聞き逃していたオールデイジャパンをタイムフリー機能を使ってスマートフォンから流す。
生放送で聞くラジオも良ければ、こうしてソファに寝転んで聞くラジオも格別だ。水風呂に浸かっている間に乾かしてもらった服はカラッカラに乾いており着心地が良く、またウトウトと眠くなりそうになる。
「グレゴリーって、お昼の帯番組のコンビですか」
「そうだよ」
「なんだかテレビよりも生き生きしてますね」
教会の奥、普段は英会話のレッスンに使っている部屋には僕とアンジェ。対面のソファに座るアンジェは机の上にノートを広げ、デビュー配信で話す内容を検討していた。
「大抵の芸人はラジオがホームだから、有名な人でもテレビと雰囲気違う人が多いよ」
「私、プールーで配信している番組の細田下田のお二人が好きなんですけど、あの方々のラジオもあるんですか?」
「えっと。細田さんのコンビは今もやってて、下田さんの方は人気あったけどグレゴリーと入れ替わるみたいなタイミングでラジオ辞めちゃった」
「ふーん。良いですよねコンビ。コメント見ながら一人でお喋りも楽しいですけど、気心知れた相方がいるとテンポよく喋れる気がして……。どっちの方が面白いですかね」
「一人でゆったり喋るのを聞くのが好きな人もいるだろうから、アンジェはたまにゲスト呼ぶくらいで良いんじゃない」
「ですか。うーん。とりあえず懺悔ルームは趣味と実益を兼ねて必須として……」
自分がどういう配信をするのか悩んでいるっぽい。
「バーチャルアイドル、ブイチューバーって結局何をするのが良いのでしょう。先輩だったりそれこそキリエの配信を見てもわからないんですよ」
「マリリって何やってるの?」
「私が見た限り、カメラメーカーの案件配信とか電子工作配信とか、スパイグッズ開封とか。昨日は結婚相談所の所長さんに年下の男の子を篭絡する方法を聞きに行ってました」
何やってんだあの人。
「しょーじき面白い配信が多いです。キリエは雑談も面白いですし、ブイチューバーがやりがちなゲームだったりカラオケだったりにそれほど比重を置かない配信スタイルは、正直憧れるというか。うーん、でも真似をするだけと言うのも芸がありませんから悩ましいです」
アンジェはアンジェで変な人ではあるけれど、あの全身面白人間と同じことをやるのは得策では無いだろう。
「無駄に加入しているサブスクから得た情報をアンジェなりに伝えてみたら?」
「無駄は余計です。ですけど、なるほど。おススメを言ったり聞いたりするのは楽しそうですね。一緒に映画を見るのも面白そう」
アンジェがノートにペンを走らせる。
このシスター、物腰のわりに捻くれている部分があるから感想を語るだけでもそれなりに面白そうではある。
「あの教材について語ってみたら? 長寿シリーズだし、好きな人も多くてアンジェに興味持つ人も居るかもよ」
僕からすればすっかり英会話の学習教材である、棚に置かれたⅮⅤⅮボックスを見る。
「聖女さまのまなざし、ですか。今さら聖まなについて語るのですか?」
「日本人って外国人が日本のもの好きなことが好きだから、アンジェが海外育ちなのを踏まえて聖まな語ったら喜ぶと思うよ。私、聖まなで日本語覚えました、みたいな」
「そういうものですか。まあ、聖まなに関してなら数時間語れますけど。ふーん」
一応、と言った具合でノートに『聖まな』と書き加えられる。
「……」
「……」
特に喋る事も無くなり、ラジオの音だけが響く。
出会って二か月か三か月ほどのアンジェを前にこれほどダラッと出来るのは、僕が図太いのか、アンジェの顔がどことなく亡きマイマザー夏生に似ているからなのか。
この空間は実家にいる時よりも実家っぽい空気が流れている。
『そういえば吉木さん、オンラインクレーンゲームってやった事ありますか?』
『あのね板見。ああいうゲームってゲームセンターで実際にやるから楽しいの。筐体横から覗いたり、揺らしたり。それをわざわざオンラインでやる訳がないでしょ』
『なるほど。ということで八月はなんと。オンラインクレーンゲームで有名な会社、ディスケさまがスポンサーに就任という事でして。本日は広報の方が来てくれております』
『んぁー、ディスケさんっ、もうこんな狭いところによくぞお越しいただきましたぁ。もうオンラインクレーンゲーム大好きっ』
「ふっ」
「ふふ」
結局寝落ちして、目が覚める頃には日が暮れていた。
アンジェさんの回(2)でした。
いつも感想、評価、誤字報告ありがとうございます!