顔だけは良い妹が何故かバーチャルアイドルをやっているらしい   作:hikari kawa

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龍は飛ばない

 スニーカーに代わりサンダルを貸してくれと頼むと、ルカの母である承子おばさんはせっかくならと浴衣と下駄を用意してくれた。「礼くんには縹色やわ」と濃い青色の浴衣を渡され、あれよあれよという間に着付けて貰う。マジックテープでべりべり留める帯は無いのかとクレームを入れると「あんたのおかんもそう言っとった」と返される。

 そして玄関に立つと、群青色の浴衣に着替えたルカと共に並べられ写真を撮られ、承子さんは「懐かしいわぁ」と頬に手を当てた。

 なんでも昔、同じ場所と同じような浴衣姿でルカと並んで写真を撮っていたらしい。

 

「どこいくのー。もみじもいく」

 

 と迫る二歳児は母と姉に冷蔵庫の中にプリンがある事を教えられると一度僕の顔をじっと見て、パタパタと走り去っていった。初対面の好青年とプリンとではプリンに軍配が上がったようだ。

 

「それでは行ってまいります」

 

 ガラリと玄関を開けると湿った草木の匂いがした。

 神釣の武家屋敷の裏手にはちょろちょろと流れる沢があり、その流れに沿って山を下っていく。山だったり木々は色にすれば緑というイメージがあるけれど、こうして歩いていると青みがかっているんだなと気が付く。湿度を帯びた空気は濃厚で、アスファルトからの輻射熱とは無縁の地面は踏みしめる度に感触が違った。

 二十分ほど歩いた頃だろうか。傾斜は緩やかになり、沢は田んぼに繋がる用水路と合流した。ザァザァと流れていく水は不思議なほど透明で、手を伸ばしてみれば慣れた水道水の温度よりも随分と冷たく柔らかだった。

 

「こんなところ久しぶりに歩きました。礼さま、お疲れではありませんか?」

「毎日散歩してるから大丈夫」

「お散歩ですか。そう言えば礼さまが全然家に帰ってこないとエリーが配信で不満そうに言っていました」

「エリが配信してるの知ってたんだ?」

「知ってるも何もルカはエリオットのメンバーシップに入っている古参なのです」

「物好きな……」

 

 年の近い変人同士気が合うのだろう。僕はルカの連絡先すら知らないが、妹とルカはそれなりに交友があるご様子。

 

「それに礼さまの近況もエリーの配信を見ていると全部知れるのです。最近は太鼓を叩いていらっしゃるとか。夜までプラプラしていることも多いとか。料理を作らないとか」

「誰に向けてのトークなんだ。エリオットのファンは喜ばないだろ」

「ルカはテレビに知り合いが出ているような気分で楽しく聞かせて頂いておりますよ」

「テレビに知り合い?」

「はい。自分の知っている方が街頭インタビューに映っていたりしたら楽しいでしょう? ルカにとっては配信をしているエリーも、たまに出てくる礼さまも、見ているだけで嬉しくなるのです」

 

 そんな風に言われてしまうと『妹に配信で僕の名前を出さないようにルカからも言ってくれ』と頼めないじゃないか。僕の些細なプライバシーよりはルカが楽しんでくれる方が上等なのは間違いない。

 

「ルカが楽しんでくれたならそれでいいとするよ」

「はい。それで良いのです」

 

 本当はまるで良くないのだが、その辺りは将来的に弁護士か法学部の学生に相談する事にしよう。

 それにしても──先ほどから随分と頭の中がすっきり晴れやかだ。

 間違いなく自然に癒されている。

 人間の気配のない世界、居るのは生まれた頃から知っている親戚だけ。本当はルカが何か抱えていそうだから話くらい聞いてやるかと思って外に連れ出したのだが、少なくともルカが今すぐ感情を爆発させる様子はみられない。

 流石は育ちの良いお嬢様。そんなに構ってやらずとも良さそうだ。

 一歩二歩先行したルカは家の中に居る時よりも気の抜けた様子で風を撫でて、上品に目元を和らげている。歴史に綴られる一国のお姫さまとはこういう雰囲気なのかもしれない。

 素直でおっとりしていて、どこか子供っぽい。

 ルカを語る上ではノイズでしかない外面だけれど、はたしてこんなのが東京に出てきてもやっていけるのだろうかと心配になる。

 身長なんて僕が三メートルだとすればルカはその半分も無い。通勤通学ラッシュの電車にはとても耐えられないだろう。

 と、考え……。

 大ばあさまが僕を呼び出した理由がようやく現実の問題としてカチリとハマった。

 あれこれファンタジーな理由を口にしていたけれど、曾孫を慣れない場所に送り出す。その単純な事実を認識すると、そりゃあ心配かと納得できた。

 

「ルカ、本当に東京来るの?」

「さあ。どうなのでしょう。他人事です。ルカにやりたいことなどありませぬ」

 

 自分の進路なんだからさぁ。などと言えるしっかりした人間では無いので「僕も同じようなものだ」とだけ頷いておくと「でしょうね」と納得された。

 たまに喋っては、黙り、歩く。

 そんな繰り返しを続けていると──。

 

「礼さま。見てください稲穂が揺れますよ。竜の子の帰還に喜んでおります」

 

 いつの間にか足元の傾斜は平らになり、眼前には広々とした田んぼがあった。

 足元ではバッタが跳ね、空には鳥が飛んでおり……突然の薙ぐような風にグッとその姿勢を崩した。突風に揺られ草木も稲穂も雲までも意志を持ったように一方向に奔り、ルカをその中心に出迎える。

 なあルカよ。稲穂は、お前が揺らしてないか?

 偶然の範疇に収まる自然現象を目の当たりにして見なかった事にして、空の広さに思いを馳せる。わぁ、ひろーい。

 

「ほら、向こうの水路にいつの間にか繁殖している外来種アメリカザリガニがおります」

「一説では夏祭りでザリガニを釣ったルカがこけて逃がしたやつらしいよ」

「はて。ルカの記憶では礼さまが原因だったような。可哀想だからと逃がしておりました」

 

 もしかしたら、そうかもしれない。

 

「礼さまがこの地を外来種で穢した。元居たものは追いやられ忘れ去られたのです」

「これよく見たらザリガニじゃなくてエビじゃない? エビであれば外来種と言えども喜ばれたりしない?」

 

 僕の保身にルカは懐かしむように微笑む。

 

「ご安心ください。本当はお婆さまが小さな頃からこのあたりの水路に棲み着いているらしいのです。この地はとっくに穢れているのです」

「なら良かった」

「それに。ザリガニのお陰でこうして礼さまと遊べる日が来てルカは嬉しゅうございます。もうここには帰ってこないと思っておりました」

「大げさな」

「だって。ルカは本当にそう思っていたのです。もう、会うことはないだろうな……と」

 

 まるで山の天気のようだ。つい先ほどまで柔らかだったルカの瞳は物悲しく恨めしそうに変わり……見るからに拗ねていた。

 もうここには来てくれない、か。

正直なところ、数年前の僕など思い出すだけで憂鬱なメンタルブレイク時期なのでルカに構っているどころでは無かったのだけれど。

 ルカがそんな風に思っているとは考えもしなかった。過ちを濯ぐような気の利いた言葉でも贈れればいいけれど──。

 

「じゃあ、とりあえずごめんね」

「そんな謝り方ではゆるしませぬ。礼さま、ルカはこう見えて釣りが大好きなのでございます。今日はルカが満足するまで付き合って貰いますからね?」

 

 腕まくりしたルカは用水路の傍でしゃがむと、袖の中から糸でぐるぐる巻きにされた小さな釣り針とスルメイカの入った小袋を取り出した。

 

「では、真剣勝負でございますっ」

 

・・・

 

 日が暮れる前に勝負は決した。

 当然、僕は勝負となれば非情に徹する鉄の男なのだが見事に敗北し勝者を背負って山道を登る事となった。

 よほど楽しかったのか、良い気晴らしになったのか。背中ではクスクスと笑い声が聞こえる。

 何がそんなにお気に召したのか聞こうかと思ったが──やめた。

 それくらい理解出来る。笑える話だけが楽しい事ではない。

 手に汗握るような刺激はまるで無かったけれどアメリカザリガニの様子を伺いながら釣り針を垂らせば都内に居る時よりも頭の中が静かで落ち着いた。前に行った釣り堀を思い出し、ルカから聞かされた退屈な日常の話を含めて楽しかった。

 ──そんな自分に心底呆れて落ち込む。

 ザリガニを釣る前は『ルカちゃんのご機嫌でもとってやりますか』と息巻いていたのだが、この綾野礼、自分がルカ以上にあれこれ抱えて沈みそうな泥船だという事を失念していた。

 春からあれこれ経験し、自分を顧みる程度の余裕は生まれたが──ではなぜ自分から目を逸らしていたのかと振り返ってしまうと、もうルカどころの騒ぎではない。

 余裕があるというのも考え物だ。

 至らぬところばかりが目について眩暈がする。

 自分の事を客観的に振り返り掘り起こせば呆れて膝から崩れ落ちそうだ。

 現に、数年間思い出す事も無かった田舎には僕に愛情を向けてくれる人たちがいた。それを無かった事にして忘れていただなんて褒められたものでは無い。自分の人生で下手なりに筋を通せたのはここ数か月程度のもので、それ以前は目も当てられない。

 足元に散らばる細かな罪状は数えきれない。

 卑しい生き物だ。

 ああ、こんなメンタルじゃ新しい歌詞出来上がっちゃうよ。闇落ちしてしまう、この血に眠る罪深き竜が目覚めてしまう。この、ネス湖の化身が火を──。

 

「……ルカ、そろそろ降りてくれない?」

 

 自省が脱線したところで背中の住人に声を掛ける。

 

「いやでございます。ルカもたまには紅葉のように甘えたいのです。礼さまはお気になさらずそのまま自省をお続けください」

「ああ、そう? じゃあ続けるよ?」

 

 許可が下りたところで再び自分に浸る。

 ──僕は他人から向けられる愛情をあまりにも蔑ろにしてきたように思う。人に着付けて貰うとか面倒見て貰うとか当たり前だと思っていた。というか今も思っている。面倒を見て貰う事自体は好きですらある。

 でも。

 貰いっぱなしというのは良くない。

 そして何故これまでそんな風に生きてこられたかといえば……哀れが故に、だ。

『礼君はお母さんが亡くなったからしょうがないよ』『礼君は、可哀想だからね、しょうがないよ』『礼君は』『礼は』『──なんで来たの?』

 哀れみを向けられるのが嫌いだったはずなのに。ソレを啜らないと生きていけない自分が嫌いだったはずなのに。その事実すら嫌で、何もかもから目を伏せてしまった。

 その結果。

 今になって雪の降る日を思い出す。妹には悪い事をした。何も見ないままの人生であれば構わなかったのに、なあなあで消えそうな罪悪感が目障りだ。

 いや、それどころか家族自体が。

 

「……」

 

 ルカが僕をジッと見ている事に気が付く。

 自省はここまでにしておくか。

 これ以上黙っていては流石のルカも心配してしまうかもしれない。不安な表情よりは笑顔の方が良い。それに別に今は気が重いだけで最悪ではない。ただ、眼鏡をかけて視力が上がったら足元の汚れに気が付いたようなものだ。

 

「眉間にしわが寄っておりまする」

 

 背中に乗るルカが僕の眉毛と眉毛の間を指で摘まんだ。

 

「あのね礼さま。実はルカも悩みがあるのです。自省の片手間に聞いていただけまか?」

「片手間どころか背負ってますけど」

「……そんな風に言うなら教えてあげませぬ」

「聞くって。茶化さないって約束するから、教えてくだされよ」

 

 僕の返事がお気に召したのかは分からないけれど、ルカはぐっと腕に力を込めずり落ちないように僕にしがみついた。

 幾度かの深呼吸の音が聞こえる。軽いお悩み相談なら受けるけれど深呼吸が必要なほどとは思いもしなかった。

もしかしたらルカは自分の悩みを他人に話した事が無いのかもしれない。

だからお悩み一つ開帳するのに時間がかかる。

僕ほどでは無いけれど抱え込む性分なのかもしれない。

 

「あの、あのな、兄さまよ。笑わんと聞いてな?」

 

 ルカはバカみたいな喋り方を止めて、おずおずと口を開いた。

 笑わんといてな……だって。

 関西弁だ。真剣に話を聞くどころか漫才が始まってしまうぞ……。

 

「ルカ、人に相談する時は関西弁なのはちょっと」

「あ? 茶化したらあかんやろ。約束したんちゃうんか」

 

 ワクワクを抑えきれず軽口を叩くと──蛇のような瞳が僕を捉えていた。

 ルカの瞳は髪よりも暗い灰色だが、今は僅かに若草色の光を帯びている。

 冷たい水中に落とされたら息が続かないように。ルカに見据えられた僕は次の呼吸のやり方を忘れ口をパクパクとさせた。そして冷や汗をダラダラと流しながらどうにか「まことにすいまめん」と謝罪をひねり出し。

 

「もうあかんよ?」

 

 コクコクと服従を頭の上下で示し事なきを得る。

 僕の馬鹿! 

 このっ、おふざけに支配されたスカポンタンが、何より先にこの悪癖を自省しろ!

 バカな喋り方しているうちは容易いルカちゃんでも今は真面目な神釣留火。

 留火は……怒ると怖いのだ。

 幼いころから留火を前にすると、自分より遥かに雄大な生き物に嘱目されているような錯覚は感じていた。実際に怒らせた事は無いはずなのだが、はずなのだが……。僕が潜在的に留火を畏怖するからこのような幻覚を見るのか、それとも事実として神秘を帯びているのか確かめる術もないけれど。からかうのは、自制しよう。

 こんなのを怒らせてしまえば何が起こるやら。

 ほんと何がおこるのやら。

 ……何か、起こるのかな。

 

「あのな、兄さまよ。自己肯定感って、どうやって上げるん?」

「え? 自己肯定感?」

 

 その悩みはもっとスケール小さい生き物が抱えるものだろう。

 

「最近、何したらええのか……よう分からんくて。考えるのも面倒やしぜーんぶ滅ぼしたろかなって。わははっ。はぁ」

 

 風が音を立てて逆巻いて落ち葉を散らした。

 揺れる木々の先、呑気に浮いていた雲が足早にはけていく。僕はさして繊細な頭をしているわけではないのだが……気圧でも変わったのか頭が痛い。

 

「留火ちゃんよ。とりあえず穏便にいくのはどう?」

「うちな、自分のことようわからんの」

「自分を見失ってバカな喋り方してるもんね」

 

 上手いこと返せたなと言い切った後に、奥歯を嚙みしめる。違うんです、口が勝手にふざけただけなんです。

 目をギュッと瞑って嵐に備えていると、耳元でため息が聞こえた。

 

「からかわんといて。ああしとると、一つ膜張っとるみたいで安心するん。それにかわええやろ?」

「まぁ、十年くらいあんな喋り方で通す根性は認めるよ」

「おおきに。誉め言葉やんな」

 

 留火の近況を考える。

 跡継ぎたる弟が生まれたから、よそ行ってもええよみたいな話。

 ラッキー、東京で遊んじゃお! とでも思えば気が楽だろうけれど悪い言い方をすれば用済みからの放逐ではある。

 留火の気持ちを勝手に代弁すれば『そんなのやるせないけれど、この田舎で一生暮らすのもそれはそれで嫌なのでございまするん』といったところだろう。

 留火の事だから大ばあさまの好意は理解しているだろうけれど、色々と思う事があるのは察する。ここにいても、どこにいても、やりたいことが無ければ意味がない。そう思っているのだ。

 

「自己肯定感の上げ方なんて僕が知りたいくらいだけど──」

 

 まいったな。

『自己啓発セミナーとかどう?』とか『そんなんドラム叩いてりゃあ勝手に上向くっしょ!』とかそういう言葉はポコポコ浮かんでくるのに真面目な答えは欠片も思い浮かばない。こんなことなら深夜ラジオではなくて昼のラジオのお悩み相談でも聞いておくんだった。

 

「えと。この世界で僕だけは留火がろくでもない存在だって知ってるよ。元気出して」

「頭ぶちぬいたろか?」

「僕の頭に慰めの言葉って入っていないみたい」

「アホ」

「というか慰められても嬉しくないでしょ」

「……アホ」

 

 背後から側頭部にゴツゴツと頭突きをされる。

 

「留火さ。僕以外に相談相手とかいないの?」

「村の子らには言えん。兄さまには、そういう人おるん?」

 

 僕自身は元気に悩みを抱え込むタイプ、というより何も解決せず沈むだけと生きてきた人間なので他人とは笑い話だけしかする気が起きないのだが。

 一人、悩みを相談されるのが好きな知り合いがいる。

 

「しいて言うなら、近所の教会に住み着いているシスターもどきとはよく喋るよ」

「シスターって教会で歌って踊る感じのシスター?」

「そう。そのシスター。ろくでもない人間ではあるんだけど、話してみるとちょっとすっきりした事はある」

「東京ってシスターなんかおるんや……。懺悔室とかで話すん?」

「正確には告解室らしいよ」

「なんやの、知った風に」

 

 興味を持ったらしい。頭をグリグリとぶつけられる。

 

「僕の場合はただの雑談しただけなんだけど。ほら最近『自認〇〇』みたいなのあるらしいじゃん。あ、このキャラあたしだ、とか。自分をどんな風に捉えているかみたいなやつ」

「知っとる。スィッターで見るやつや」

「で、『礼さんは自分をどんな風に思っているのか正直に言ってみてください』と言われたから。まあ、素直に言ってみたのよ」

「なんて言うたん?」

「人の好意を啜る虫けら」

 

 僕の自認を告げた時のシスターアンジェリカの顔は、今もはっきりと憶えている。

 

「竜の子がそない卑下せんでもええのに。で、そのシスターはなんて言いはったん」

「わっ、て嬉しそうに立ち上がってハイタッチ。『それでこそ礼さんです、もう、最近なんだか真っ当すぎて物足りなかったんですけど。イエーイっ、すっごいテンション上がります。これですよこれ、ここにチアリーディングのボンボンが無いのが悔やまれます。わーいっ。はぁ、やっぱり人の不幸って蜜……いえ、辛いですよね。アーメン』って」

「ドブカス過ぎるやん。人の心とかないんか?」

 

 もっと言ってやってくれ。

 

「ま、どうしようもないヤツではあるんだけど。でもね、留火。それでもちょっと安心したんだよ。ガラクタにも愛好家はいる。僕の無価値も、人によっては喜ぶらしい」

「それが自己肯定感に繋がるん?」

「少なくとも僕以外の誰かは僕が生きている事を赦してくれている」

「……」

「生きていていいなら。あとはゴミでも拾って一点。食器を洗って一点。ちびちびとポイントを稼いでいけばいい。そしたらそのうち少しはましな自分になるかもしれない」

「だから良い子ちゃんしとるん?」

「さあ。今言ったのはただの一般論」

「そんな一般あらへん」

「おススメなんだけどなぁ点数稼ぎ。テストで良い点取るとリリーが褒めてくれる。ドラムを上手く叩けると変なおっさんが褒めてくれる。そういうのおれはわりと嬉しいよ?」

 

 肩をトントンと叩かれ留火を地面に下ろすと、留火は浴衣の裾を直した。

 先程までの圧迫感は鳴りを潜め、困ったような瞳に見上げられる。

 

「兄さまの本心なんて初めて聞いたわ。一応、憶えとく」

「素直に言うのは今回だけ。東京の僕は一味違うからね」

「そうなん?」

「ここでだけは……何事も無かった頃に戻れる気がする」

 

 ざわめく風が足元を吹き抜ける。

 上水流の土地は僕と相性が良いのだろう、普段よりも気持ちが軽い。都会の人が思う田舎への憧れとは違う──自分に合致した居心地の良さがある。

 そんな感慨を伝えると。

 

「おおきに」

 

 留火は笑みとも慈しみとも違う穏やかな表情を僕に向けた。……もしかしたら母親が子に向ける表情とはこんな風なのかもしれないと、何故かそう感じた。

 

「……なあ、兄さま。東京行っても、うちの面倒、ちゃんとみてくれる?」

 

 ホームシックの予習でもしてるのかこいつ。

 先程の表情とは打って変わって留火は足元の草をグリグリと踏みしめる。

 

「僕の知り合いの前でバカな喋り方しないなら学校見学でも観光でも付き合うよ」

「バカな喋り方をしたことなどありませぬ。ルカは、いっつもこうなのです」

「バカ」

 

 留火がこんな喋り方になったのはいつからだったか。

 留火が大ばあさま以外と壁を作っていると気付いたのはいつの事だったか。それを自分には関係ないと目を伏せたのはいつだったか。

 

「……ちょっとだけ、東京行くんが楽しみになったわ。竜の子の様子も見なあかんしな」

「そりゃどうも」

「あーあ、でも、せっかく気晴らしになったのに乳臭い家に帰るの嫌やわぁ。ほら、途中まで抱っこして? 留火も、東京じゃ兄さまエリーに譲るから」

 

 ぎゅっと留火の腕が僕の首に伸び、強く抱きしめられる。

 神釣の武家屋敷に近づくほど風が強く吹き、空が荒れる。

 

「……ここだけの話、僕も幼児のニオイは好きじゃない」

「せやんな! ほんま鬱陶しいわ。あの子みたいなフツーの子どう扱えばいいかわからんし、柔らかいし後ついてくるし」

「まるで可愛く無い?」

「そうは言っとらん」

 

 どこの兄妹も姉弟も似たようなものか。

 

「なあ。東京行ったら、なにか変わるんかな。うちな、なんのために生まれてきたんか分からんの。そういうのって場所でどうこう変わるものなん? というかなんでうちが自分探しせなあかんの」

 

 あの小さく素直だった留火も思春期か。あんまり刺激しないようにしないと。

 

「でもさ、今の留火ほど面白い事になってる人も居ないから。その点は自信もって良いと思うよ?」

「どゆこと?」

「因習村からご神体が追い出されるとか前代未聞だ間抜け」

「なっ!」

 

 山道を駆け上る。

 背中の龍は、未だ飛ばない。

 




 八千文字ほどでした。
 読んでいただきありがとうございました、いつも感想、誤字報告ありがとうございます!
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