顔だけは良い妹が何故かバーチャルアイドルをやっているらしい 作:hikari kawa
この世の終わりみたいな空だ。
時間間隔が狂う、太陽が分厚い雲に覆われた単色の世界が広がっている。
羽田空港に到着し外の空気を吸おうとロビーから出てみれば暗灰色の雲が物凄い速さで通り過ぎていくのが見えた。雲の奥では轟轟と大気が蠢き、飛行機がこの地に辿り着けたのが奇跡のように思えてくる。
雨の気配はなく、ただ漠然とした不安感がある。この地に居る知り合いの殆ど全てに大なり小なり詰めら責められると思うと六日間に及ぶ逃亡観光生活はさすがに現実逃避が過ぎたかとため息が漏れる。
まずは……せいぜい呆れるくらいで特に怒ってはいないであろうアンジェさんの声を聴いて気持ちを落ち着けよう。そして可能ならば今日一日僕に同行して場を取り持って欲しい。
スマートフォンが示す時刻は金曜日の十二時半過ぎ。
多くの学校では昼休みであろう時間。スマートフォンをスワイプしアンジェの連絡先をタップしようとすると……タイミングよくアンジェの方から連絡があった。もしかしたら怒っているのかもしれないと震えながら通話に応えると──。
「もう家出は終わりましたか?」
「あ、うん。帰ってきたとこ」
そう答えると溜息が耳に届き、しばし間が空いた。音声だけだが何か言いたげなアンジェの表情が目に浮かぶ。どう諭したものか、そんな迷える子羊を前にしたシスターの姿はよく目にしたものだ。
「空元気続けて爆発する前に自分でホームに避難したのは良いと思いますけど」
「……」
「わざわざ遠く行かなくても、私の家に来ればよかったのに」
「……あの家は監視されてる」
「怖い言い方しないでください。場所によりけりです」
事実、我が家とアンジェの住まう元教会は例の悪魔の縄張りに含まれているので安息地足りえない。というより僕にとってのコチラは……根本的な部分で休まる場所ではなかったのかもしれない。父親も母親も妹もいるこの地域は──。
思考をカットし、アンジェの言葉だけを考える。
私の家に来ればよかったのに、か。そういう言い方が一番反省を促される。結局僕は良き隣人よりも、あまり連絡を取っていなかった遠縁、血の繋がりを選んだのだ。
「……次はアンジェも誘うよ」
「そうしてください。懐いている犬が急にどこかに行ってしまったら寂しいでしょ?」
「竜は人には懐かない」
「まだ言ってる。……なら私は聖女マルタに学びましょう」
「マルタ?」
「近年では、水着衣装でドラゴンを鉄拳聖裁した事で知られる聖女です」
「次に家出する時はアンジェに伝えてから行くね」
「そうしてください」
懐かしく感じる会話のテンポだ。少なくとも……二歳児と話すよりは楽しい。
「っと、別にこんな話をしようと思っていたのではなくて。礼さん、十五時過ぎくらいに私の学校来れます?」
具体的な時間を告げられるがその目的に心当たりは浮かばない。
「一緒に帰ろうってこと?」
「それもいいですけど。聞いてませんか? 今日、エリさんとルカさんが学校見学に来るんですよ。保護者として礼さんも来てください」
それは面倒──。
そう反射的に考え、違和感に気が付く。
……エリさんとルカさんが学校見学。
妹が学校見学。アンジェがルカをしっかり認識している。アンジェにルカを紹介したっけ。記憶が曖昧かつ現実味の無い情報に混乱する。
「もしかして田舎転生、都会から逃げた僕が現代知識で幼児相手に無双している間に、妹とルカの面倒見てくれてた?」
「押しかけられたんですよ。あなたが、二人を放っておくから」
言葉尻にトゲを感じる。そんな邪険にせずとも……。
身体が慣れない内に長時間一緒の空間に居ると眩暈と頭痛をもたらす場合があるだけの可愛らしい妹たちなのに。
二人の姿を思い浮かべる。
「……アンジェ、よく無事だったね」
「無事じゃないですよ、私のセラミックが如き信仰心が無くては耐えられなかったに違いありません。髪のキューティクルが減った気がします」
ちなみにセラミックは丈夫なイメージだが強い負荷に弱い。
「高いコンディショナーを要求します。あとでキリエにおススメ聞いてください」
妹は見慣れさえすればどうにかなる説があるものの、絶好調のルカは……爆弾低気圧みたいなものだ。ご迷惑をお掛けしてしまった。
「色々済ませたら、どこかに買いに行こうか」
「もちろんです。とりあえず、保護者役は引き継いでくださいね。私には荷が重い……というより相応しいのはあなたでしょう」
妹とルカに相応しい、か。
そうだと頷くのは難しいけれど、二人の面倒をみるべきは僕を置いて他には居まい。
「……色々ごめん。あと、ありがとう」
すると小さな声で「バカなんだから」と聞こえた。
「……別にお礼なんていいですよ。あの二人の相手は妙に疲れましたし思わぬ来客ではありましたが、ルカさんに勧められて見た怪獣映画はそれなりに楽しめました。千客万来。私の好きな言葉です」
アンジェは怪獣映画のセリフを引用し、通話を切った。
・・・
空港でしばらく旅客機を見学しつつ、程よい時間でモノレールに乗り込み電車を乗り換え、アンジェが通う私立フィデス女学院に辿り着く。
東京都を俯瞰した場合はやや左側に位置するフィデ女は由緒正しい女子校とは聞いた事があったけれど……。初めて目にするアンジェの、夏生の母校は自然に囲まれつつも威厳のある校舎が目立ち、僕の通う高校の倍以上の敷地面積がありそうだった。
「……」
時刻は十五時過ぎ。
すでに下校している生徒も居るようで、先ほどから何人もの生徒の視線を感じた。
女子校の校門前に突っ立つ男性一名の悪目立ちたるや……こちらを見ながらコソコソ話す在校生の姿が散見される。現在の僕の衣服は神釣家で貰った暗灰色のワイシャツに黒いスラックス。やや不審者度数が高いものなので警備員さんなど今にもこちらに寄ってきそうだ。
「また暗い色の服着ちゃって」
やや気まずい空気を感じながら待ちぼうけていると、僕からの到着メッセージを受け取ったアンジェが急ぐ様子もなく校舎の方から歩いてきた。
見慣れたジャンパースカートの制服姿ではあるけれど、やはりこの場所にこそ一番馴染む服装だ。髪を染めていない生徒の中でアンジェの姿は特に目立ち、僕ではなくアンジェを遠巻きに眺めている生徒まで居る。
僕としてはもはや日常の一部、道沿いの花壇の花くらい見慣れたアンジェさんではあるものの、時と場合によっては高嶺の花に化けるポテンシャルがあるのかもしれない。
「色々と覚悟した方が良いとは思いますけどとりあえず、おかえりなさい」
普段より一歩、二歩ほど離れた場所でアンジェが立ち止まり、入館証……ならぬ入校証を手渡してきた。それを首から下げつつ──覚悟?
視線で不安を伝えるとアンジェは嘆息する。
「一つ。あなたが休んだアルバイト。あれ、代わりにエリさんとルカさんが行きました」
「違法労働……。え、なんで」
第一報から信じられない情報が伝えられる。
僕が田舎で遊んでいる内に異常事態が起こっている。
「妹達の善意じゃないですか? 礼さんのアルバイト先、お店の商品全て売り切ってしばらく閉店するみたいです」
「僕の真野パイ無事なのそれ」
「二つ。未羽さん……うちの歌姫さまも練習すっぽかされてご立腹です」
「歌詞は書いたって伝えておいて。僕が清廉に会う前に伝えておいて。……聞いてる?」
「三つ。キリエも、何考えているか分からない顔を浮かべていました」
「それはアンジェが構えばいいじゃん」
「礼さんと同じであの人心開かないでしょ。楽しいわたしちゃんを提供してあげるってスタンスで生きてるから人に相談とか出来ないんですよ」
「そこが茉莉花ちゃんの良い所じゃん」
「だからあなた達はつかず離れず仲良しなんでしょうけど……。とりあえず話は一旦中止です」
アンジェの視線を追うと校門の前に黒いタクシーが停車。
後部座席のドアが開くと見慣れない制服を着たルカが運転手さんにお礼を言いつつ降りて来た。
そして。
「あ! ほーとー息子っ!」
バゲットハットを脱ぎ、黒いマスクを外し──。
中学校の制服を着た妹が現れた。
妹は僕の腕に抱き着くとあれこれ喋り始める。拗ねるわけでも怒るわけでもなく、ただここ数日の情報が矢継ぎ早に嬉しそうに伝えられ、自分の口角が上がるのを感じた。
ああ……あまりにも無常じゃないか。
相槌の中で諦観を抱える。言葉に詰まるような喜びもあれば戸惑いもある。
やはり、妹に必要だったのは劇的な物語ではなく普通の生活をしていれば刺激されるだろう向上心、反骨心なのだろう。女子、三日会わずば──、なんて言葉が脳裏を過ぎる。
ルカの飛来は停滞を薙ぎ払うような衝撃をもたらしていた。
・・・
フィデス女学院理事長室に通され、椅子に座っていた理事長さまとご挨拶をする。
ルチア・イルミナ・ブラウン。
アンジェの後見人であり、この学校の理事長さま。ホグワーツ魔法魔術学校の副校長みたいな外見で……僕ら部外者の事を感慨深げに見つめている。
「あなたが……エリーゼ、長いこと生徒を見てきましたが…………ええ、貴女のような子にはこの学校は合うかもしれません。それにルカ。不思議と初めて会った気がしません。もし通う事になるのらば高等部からになるでしょうが……。ふふ、貴女達二人が通うとなると少々荒れそうな気がしますね。どうぞ、気の済むまで御覧なさい」
妹は目新しいものを見るように理事長さまを観察し、ルカは慣れた様子で会釈し口を開く。
「ルチアさま、一つよろしいでしょうか。ここでの夏生姉さまは、どのような生徒だったのか憶えておいででしょうか」
ルカの口から夏生の名前が出てきた。ルカも夏生にはとても懐いていたし、思うところがあるのだろう。
「ええ、もちろん憶えていますよ。あの子は明るく軽やかで──小さな物事を楽しめる子でした。良く言うのならば、こんなところでしょう」
含みのある言い方だ。実子を前にした配慮かもしれない。
「ふふ、姉さまであればそうでしょう。ありがとうございます、ルチアさま」
思い浮かべるように語るルチアさんと目が合うと、僅かにその目じりが下がった。
「よく来ましたね。今日はただ眺めて行きなさい。いつか、何かの糧になるでしょう」
はい、と返事をして目を逸らす。理事長室は無機質なほどに片付けられているが棚に飾られたトロフィーに表彰盾から歴史の積み重ねを感じさせられる。
歴史、この見えない年表のどこかに夏生が居たようだ。
「アンジェリカ、案内がひと段落したら──」
ルチアさんがアンジェに何事か伝え、鍵を渡した。
そうして、室外に出るまでの緩衝材のような会話をし、理事長室を後にする。
「それでは、ちゃっちゃと回りますか。はい、三名様ご案内ー」
「スコさんさぁ、もうちょっとてーちょーに扱ってくれないと入学しないよー?」
「エリさんが高等部に入る頃には私、高等部卒業してますし」
「ではルカの面倒はみてくれるのでしょうか」
「あー。そうですねぇ……。この学校は村社会なので高等部から入るのはおススメしません。別の学校がよろしいかと」
進んでいく三人の後に続く。
学校としての違い、共学と女子校との違いはあれど放課後の校舎の雰囲気というのはどこか似ている気がする。
廊下は暗く、窓の外は暗く、吹奏楽とテニスボールの打球音が遠くから聞こえる。アンジェとすれ違う在校生が「ごきげんよう」ときょうび聞かない挨拶をしたり、妹を見て絶句したりとまあまあ愉快な事はあるものの。
その輪に入る気にはなれなかった。
妹の制服姿を茫然と眺め、空を眺める。
聞こえてくるアンジェの声から察するに、一階廊下から外に出てグラウンドを見て、講堂の外観を眺め、校内をぐるりと一周するらしい。
「礼さま?」
廊下を先行するアンジェと妹から離れ、ルカが寄って来た。僕に構わずアンジェのありがたいお話でも聞いていればいいのに。
「ルカ、制服まで持って来てたんだ」
「はい。ルカはTPOを弁えた女。学校見学は全て制服なのです」
「全てって、もういくつか行ったの?」
「はい。ここが最後。どこぞのトカゲちゃんが失踪したのでルカはエリィをお供にあちこち巡り、時には労働にも励み、エリィの配信にもお邪魔させてもらい、それはもう充実した一週間を送りました」
言葉を失う程の情報量。
一つ一つ深堀したらそれだけで五千文字は費やされそうだ。
「なんだ……、僕がお節介焼く必要無かったじゃん」
「ルカも少々不安でしたが、少し勇気を出せばどうとでもなりました。エリィもおりましたし。礼さまなどおらずともへっちゃらでした」
話している間に廊下からグラウンドに繋がる渡り廊下に一歩踏み出すと、ほんの少しのきっかけがあれば瞬く間に雨が降り出しそうな空が見えた。
グラウンドではサッカー部が練習しているようで、タイミング悪くポーンと飛んできたサッカーボールが妹に迫り──。
妹は胸でボールをトラップし膝でトントンとリフティング。そしてサッカー部顔負けのキックでボールを蹴り飛ばすも。
「あっ!」
「なにやってるんですか……」
履いていたスリッパもすっ飛び、アンジェと共にスリッパの元へと走っていき、そこで話しかけてきたサッカー部の生徒と何やら話始める。
妹を前にやや調子を崩しつつも堂々と話す生徒の目つきは堂々としており──。
なんとなく、どういう人であれば妹の無差別魅了攻撃を弾けるのかが分かってきた。確固たる自分を確立している人であれば、そこまで揺さぶられないのかもしれない。
そんな様子を遠くに感じながら眺めていると、ルカに腕を掴まれる。
「さっきの続き。……あのね、礼さま。ルカは生まれて初めて自由を謳歌したかのような気分で、あまりに何も知らぬ身を恥じるばかりで……実は少々混乱しておりまする。礼さまがおらず寂しかったのです。もう全て洗い流す寸前だったのです」
いつも自然体のルカの瞳は、今は不安げに僕を見上げている。
なんと声を掛ければいいのか思い浮かばず、とりあえず紅葉にするようにルカを高い高いの要領で持ち上げた。あの二歳児はとりあえずこうするとすぐに泣き止むのだが……。
「ちなみに都会で一皮脱皮したルカはこの程度では喜びませぬ」
「……つい最近まで喜んでた気がするんだけど」
ルカを地面に下ろし、至近距離で目を合わせる。
認めたくはないが、あまりに血の繋がりを感じる瞳だ。精神状態も似たり寄ったりかもしれない。根幹が揺らいでいるというか、動揺している。
ルカは環境の変化に。僕は、状況の変化に。
「……兄さま、知っとる? 夏生姉さまはね、ここではオカルト研究会に入っとったの。たぶん、……あっち。そんな気がしまする」
手を引かれ、歩きだす。
何も知らぬ敷地の中を、導かれるように突き動かされるように進む。
確かに何かが在る気がする。何故か、上水流に似た気配を感じる。
白く歴史を感じさせる講堂の脇を通り、舗装されていない土の上を進むと──。
木造建ての背の高い古ぼけた建物があった。建築に詳しくは無いけれど……西洋風の意匠をところどころに感じる。
三角の屋根……もしかしたら、教会だろうか。
「なんやろ、ここ。上水流にもこんな古い建物無い……無いことも無いわ」
「解体費が無い訳じゃないだろうし……ほら。見てこれ」
建物の周囲をぐるりと回ると、都内に散見される文化財の説明書きのような金属製のプレートがひっそりと生えていた。珍しい建築様式らしいが……文字が英語なので読み取るのが面倒だ。
やや時間をかけて読み進めていく。
ざっくりとした説明をするならば。
「この地で教えを広めようとシスター・マリアが最初に使用した場所。この女学院の始まり──のような建物です。古いので基本的に立ち入るのは禁止されているのですが、今日は特別に許可が下りています。……というか、スリッパで外に出ないでください」
背後、僕たちが来た道とは違う方向から近寄ってきたアンジェの指先で鍵がクルリと回り、ドス、と僕の腰元には妹が抱き着いてきた。二人の足元はローファーに変わっている。
「最後に紹介するつもりだったんですけど。十数年前、ここにこっそり忍び込み怪奇現象を研究するサークルがあったと理事長先生はおっしゃっていました。まったく、信仰心というものがありませんね」
鍵が開き、正面の扉が古ぼけた音を立てて開く。
「バイオみたいだね」
僕の肩に後ろから腕を回した妹が率直な感想を漏らす。
「であれば地下室があるやもしれませぬ。燭台に火を灯すとギミックが発動するのです」
「しません。勝手にホラーの舞台にしないでください。ほら、入りますよ」
アンジェの後を追い、三人で教会の中に足を踏み入れる。教会の造りはどこも似通ったものなのか僕の良く知るアンジェの住処のように勝手知ったる構造だ。
長椅子が左右に並び、正面には講壇。狭い建物だからか長椅子の向こうの窓ガラス越しの明かりだけである程度は講堂の内装が見て取れる。
埃っぽい空間だが、それでも何年かに一回は掃除が施されているように思える。不気味な蜘蛛の巣が張っていたり、足元が崩れるような気配も無い。
月並みな言葉だが、時が止まったかのような場所だ。
「姉さまは、ここにおられたのですね」
ルカは全体をぼんやり眺め、そうこぼした。
とても生活感があるような場所でも無く、人の気配などとっくに失せている空間だが……。こちらをなんともなしに見るアンジェのその制服姿に一瞬だけ、夏生の面影を見たような気がした。
……そうか。ここに、夏生がいたのか。
そう思って再び講堂を眺めると、先ほどより少し寂しくなった。
「あまり長居する場所でもありません。こちらにどうぞ」
堂内を進み、アンジェの住処で言うところの勉強部屋に通される。
そこには先ほどとは打って変わり、パイプ椅子にカラーボックス、トロフィー、教科書に占星術書、黒魔術入門書、週刊少年誌やらが置かれており……写真立てもいくつか残されていた。
「げほっ、これ何年前のジャンプだろ」
妹が口元を押さえながら週刊少年誌に近寄りパラパラページをめくり……熟読、僕は吸い寄せられるように写真立ての元に向かう。そこには五人ほどのフィデス女学院の生徒が映っていた。写真はモノクロという事も無く、平成に撮られたものに見える。
みな気の抜けた笑顔でこちらを向いており、一人、一際楽しそうにピースサインを向ける姿も。
「──っ、はぁ」
一瞬息が詰まり、写真立てから目を離すとルカの心配そうな瞳と目が合った。
写真。別に嫌な気分にはならなかった、なんならその逆の気分だったけれど……少々刺激が強かったようだ。これは後でじっくり見させてもらおう。
「アンジェ、これって貰ってもいいの?」
「いいんじゃないですか? …………げほ、ここ、埃っぽいので私、外で待ってますね」
アンジェは素っ気なく心情に立ち入らない声色で去っていき、妹に目を向けると、妹は僕の視線に気が付きToLoveるのページをぱっと閉じてこち亀を読み始めつつ。
「じゃあエリもでまーす」
そう手を振り、去って行った。
・・・
「……ルカ。こっちおいで」
こちらが気になる様子のルカを手招くが、ルカは何かを手に握ったまま立ち止まったままだ。
「やめたほうがよろしいかと。る、ルカが揺れれば礼さまが。礼さまが揺れればルカが面倒をみなくてはなりません。これまではずうっと留火がおりましたが、今は留火も揺れておりまする。だから、もう、帰りましょう」
「ただの写真だよ。僕は夏生のことではもう揺れない」
「い、家には。姉さまの痕跡がありませんでした。ここには、たくさんある。なんで、平気なん? そんなん見て平気なん?」
「……ルカ?」
どうにも様子がおかしい。
普段から様子がおかしいのは目を瞑るとしても、それでも教会に入るまでは、まだ普通だった。 教会に入ってから、この部屋に入ってからルカはずっと不安そうにしている。教会はともかく、この学校にはそもそもルカが来たがっていたはずなのに。
なにがそんなにルカを不安にさせているんだ?
「平気だよ。夏生はもう、どこにもいないって知ってるから」
そう伝えた瞬間、ルカから怒りとも悲しみとも取れる戸惑いが伝わってきた。
こいつ……そんなに『夏生姉さま』の事、好きだったのか?
記憶を探り、上水流に居た時のルカの話を思い出し、目の前のルカの心情を想像する。何のために生まれたとか、意味とか、田舎は嫌だとか──。
ルカはそんな事を思う子だっただろうか。
「姉さま……どこにもいない? それでええの?」
「東京から逃げたのは……夏生がもう居ないと、ちゃんと認めたから。そしたら楽しい事も、目にしたくない事、目を逸らしてきた事が視界に入るようになった。自分の事も妹の事も、父親も、それに周りの事も。だから……少し、重くなって。逃げた」
写真立てに目を落とす。
高校生の夏生が笑っている。もう、二度と見れない笑顔だ。
「でも……捨てるには勿体ない。もう一人の妹の事も放っておけない」
「置いて行ったくせに」
「置いていったのは謝るけど……ルカはエリちゃんと一緒なら大丈夫だと思ったんだ。なんなら、僕はいない方が良いかなって」
「ルカは、平気ではありませぬ。ルカは嵐を引き起こし魑魅魍魎を処分することしか出来ないのです。エリィと遊び、東京を満喫しても、ずっと不安が心に疼くのです」
「なら、何が不安か教えてよ。今度こそは最後まで付き合うから」
「約束」
「約束するよ」
するとルカは胸を押さえ、一歩ずつ近寄って来た。
正直なところ、ルカが何を考えているのかがまるで分らない。近寄って来るという事は落ち着きを取り戻したのかもしれないけれど。
「実はね、誰にも言ってきませんでしたが。ルカはずっと姉さまの通っていた学校を見てみたかったのです。憧れていたのです。姉さまが住んでいた土地も、姉さまが話していたところも。すごくすごく、楽しかった。人間たちの世界。……でも、どこにも。姉さまはおりません」
「それは……」
「なんで、いなくなってしまうの。死んでしまうの、ルカは、泣きそうです、癇癪を起してしまいそうです」
ルカの機嫌に左右され、頭痛に苛まれる。
でも、これから何が起ころうと、最後まで付き合えばいいだけだ。
約束してしまったしな……。
「でも……、制服姿の姉さま、見たいのです。見たらきっとルカは泣くでしょうけれど──もう、なにがあっても知りませぬ。ルカは、我慢しましたからね、礼さまが責任とってくだされ」
そう言うとルカは小さく息をはいて近寄ってきて写真立てを右手に取ると、写真の中の夏生を震える指先で撫でた──その瞬間。
暴風でガタガタと窓が、教会が揺れ、堰き止められていた雨が降り始め、雷が轟く。
「姉さま…………夏生姉さま、大好きでした。優しくて明るくて楽しくて、雨雲みたいなルカとは違う、太陽のような、姉さま……姉さま。なんでおらんの──姉さまのおらん東京は悲しゅうて仕方ない。うちが来たかったんは、憧れたんは此処やない。でも、古臭い田舎にも、うちを必要としない郷にも帰りとうない。うぅ、ううう、もう、わからんのっ」
ボロボロと落ちる留火の涙を見て、ようやく、理解した。
僕が理屈っぽい人間だから、何か明確な理由があるのだと思い込んでいたが。違う、あらゆる不満が混然一体となりルカの中で蠢いている。
その中でも、我が生みの親は……逆鱗だった。
触れたくて知りたくて仕方のない存在だが、ひとたびそれに触れようものならルカは自分でも制御できない激情に見舞われる。
それが理解出来ていたから自制していたのか。
誰なんだ……わざわざ逆鱗に触れたのは……。
我ながら、これは思った以上にマズそうだと冷や汗が出る……溜め込むのは、僕らの悪癖だ。
泣く子に触れようと手を伸ばすと──バチィッと、静電気にしては信じられないほどの爆発するような電流に弾かれる。
「なんで手を引っ込めるん。我慢すればよろしいやん、撫でてくれればええやんっ!」
神釣の子の名には意味が込められる。
それは時に言葉遊びだったり当て字だったり。紅葉であれば、この廃れる地の新たな土壌と芽吹き、礼であれば……ネッ、オカルトの否定。
そう、ネッシーはそもそもが作り物だという。せいぜい居たら嬉しい、楽しい程度の賑やかしでしかない。いいじゃないか、僕はそういう下らない事で人を楽しませたい。
ならばこそ、竜の化身たる神釣留火ちゃんであっても……泣かせてはおけまい。……あの絵本の物語にわずかでも信憑性があるのならば、とても尋常の存在では無いが、仕方あるまい。
……まだ時間はあるはず。
そう油断していると留火の瞳が揺れ、その左手に握っていた何かを僕に握らせた。
それは、石を彫り竜を模した手のひらサイズで……。
僕らの手に挟まれるとパキ、と。
その姿をよく見る前に、石彫りの竜は砕け、地に落ちた。
「最後の一つ。こんなところにあったわ。これでようやく我ら神釣の戦巫女ドラゴン、驚天動地の欲張りセット……大化生の本領発揮や。もう外から止められる者もおらんよ。鬱陶しい石ころも、大ばあもおらん。もう知らんからな、竜の子言うてもうちと比べたら兄さまなんて搾りカスのトカゲちゃんくらいのものなんやから! これまでうちが抑えとった分、こんどは兄さまが鎮めなあかんの! 留火は、姉さまのおらん東京なんて滅ぼしたるからな! でも放っといたらあかんからな! ほんとに酷いことなる前に場所は教えんけど待っとるからな! エリィは連れてきたらあかんよ! 危ないんやから!」
留火は写真立てを抱きしめると足元の竜の残骸を踏み潰し、窓ガラスを開ける。
「──もう、寂しくて癇癪おこしてしまいそうや」
「……おこしてるだろ」
煌々と輝く瞳には僕が映り──留火は窓ガラスの向こう、雷鳴と豪雨の中に消えた。
行先は恐らく……絵本にあったスカイツリーだろう。
ようやくVtuber系の小説らしくなってまいりました。
読んでいただきありがとうございます、いつも感想、誤字報告ありがとうございます! 高評価もぜひよろしくお願いします!
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