顔だけは良い妹が何故かバーチャルアイドルをやっているらしい   作:hikari kawa

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竜は沈まない 2

 雨が吹き込む窓ガラスを閉じ暗い室内に振り返る。

 ここに夏生が居た、か。

 僕も高校を卒業して大学を卒業したら──あっという間に夏生の年齢に追いついてしまうのだろう。カラーボックスに残された幾つかの写真立てを改めて手に取り数を数えると、留火の癇癪が理解出来るも同時に野放しには出来ないなと腹も立つ。

 竜だのなんだの馬鹿らしい。……僕らが誰かの理不尽になってはいけないだろうに。

 足元に転がる竜の残骸を拾い上げるが、ソレは形を保つのも難しいかのようにサラサラと崩れ落ちてしまう。

 

「……おお」

 

 非常に不本意ながら空が翳るほどに頭はクリアになり、雨音が響くほどに高揚感が増す。

 人間、一度死にかけると第六感に目覚めるやらエンドルフィンが大量分泌されるやら脳の機能が鋭敏になる……なんて与太話があるけれど、僕の場合はそれ以前の問題だったのかもしれない。

 元から向こう側の住人だったのだとしたら、滑稽に過ぎる。

 このありふれた馴染み難い現実世界がそもそも僕が居るべき場所で無いというのなら、ある種の納得が──。

 

「……言い訳だな」

 

 写真立てをそっと置き、埃をはらう。今日は持って帰ると濡れてしまいそうだから、いつかアンジェに持って帰って来てもらおう。

 記憶に刻み付けるように、写真を見つめ──つい口を開く。意味のない感傷、伝わりもしない独り言が漏れ出す。

 

「なっちゃん……。週末には上水流で奉納祭があるんだって。水龍さまに実りの感謝を伝えるとかってさ。でも、紅葉の読んでた絵本の通り神釣家自体に伝承の大元があるとしたら……馬鹿げた自作自演だ。特にさ、留火。あいつが巫女として舞うらしいんだけど、竜たる自分を慰めるために巫女たる自分が舞うんだから……上水流の誰も正しく理解していない。そんなんだから自分たちの村が因習村にされそうになるんだ」

 

 そう口にしながら鮮明になった記憶を遡る。

 幼少期まで、生まれたその日まで上水流での記憶を巡る。

 あの何もない土地。青々とした木々と豊かな清流。愛してやまない我が故郷だが──。

 留火が生まれてからの方がもっと好きになったっけ。

 神釣家に行くまでは楽しみで気分は晴れやかで、神釣家から帰る時など土砂降りのような悲しい気分だった。

 きっと留火も、同じ思いだっただろう。

 僕には常に引っ付いてくる妹がいたから寂しくはなかったけれど……留火は普段、誰が傍に居てくれたのだろう。

 もっと会いに行ってやればよかった。何もかもどうでもよかった結果、取り返しのつかない過去が出来上がってしまった。

 

「なっちゃん、夏生──お母さん。やっぱり、今更なんて呼んでもしっくりこないけど、あんたの不在は僕が代わりに埋めてみるよ。オカルト否定派筆頭剣士、ネス湖のマスコットは返上だ。……神釣の竜として巫女様を鎮めてくるよ」

 

 いやいや……何が竜だバカめ。こんなところ妹に見られたら生涯笑われるな。

 ま、ヒスっている女の子を相手にするのは慣れている。荒ぶる竜を鎮める言葉が僕の中にあればいいけれど……、とにかく家出戦巫女ドラゴン娘に会いに行こう。

 そう決意し、かつてのオカルト研究会の部室を出ると──暗い講堂の中にぼんやりと光る双眸があった。

 

「エリちゃん?」

「エリは、どっちでもいいよ?」

 

 妹は制服のスカートをくるりと翻し、一回転。

 両手を天秤のように構え僕を見つめる。

 

「レーの居場所がエリの居場所。逆もまたしかり。竜の巣だろうと、人間の世界だろうと。どこに帰ろうとも一緒。だってエリたち、一心同体だもんね」

「エリちゃんに言いたいこと、いくつかあるけど」

「それはルカを鎮めてからでいーよ。さあ、行くのだ神釣の竜よ! エリも、雨が止んだら合流しよっと」

 

 そう言って、妹は僕の背中を押した。

 

・・・

 

 ──昔。

 まだアパートに住んでいた頃。家には僕と妹しか居ない日に台風が来た。

小学校は休校。父親は撮影の仕事、母親は雑誌だかチラシだかのモデルの仕事。心細いという気持ちがあったような気もするし高揚感もあったような気もする。

 ガタガタ揺れる窓ガラスの向こうを妹と二人眺めた。

 ずっと雨が降り続く瞬間もあれば、パタッと雨が降り止む瞬間もあり、非日常的な世界は不思議と心地よかった。

 

『あのね、台風の日は外に出たら危ないんだって。川とか田んぼとかに行っちゃダメなんだよ。今日は家で宿題しようね』

 

 今よりも賢い雰囲気のあった妹がそんな事を言っていた。

 今も昔も僕らの住む地域には田んぼは無かったけれど、川ならあった。普段は清涼ではない川に興味は微塵も無かったけれどその日ばかりは川の様子が気になってしまった。増水、濁流。テレビでニュースを見ると不思議と目を惹かれた。

 ──ああいう氾濫した川で泳ぐと土砂が擦れて気持ちが良い。もっと、もっと見せてくれ!

 ニュースのレポーターは川で泳がないのかとテレビ画面を見ていると、パッとチャンネルがキッズチャンネルに切り替わり……。

 

『あ。ジバニャン』

 

 僕の心はあっさり子供向けアニメに奪われ、台風への関心を失った。

 心に沸いた声も聞こえなくなった。

 

「──こちら神田川近く清洲通りからお送りします、現場リポーターの中田穣一です。現在都内には突如として川沿いに異常発達した低気圧を原因とした雨が。あ、はい、川の様子は普段よりも増水。え、後ろ、ですか?」

 

 ふと思い出した記憶を懐かしみつつ神田川を横切る最中、テレビ中継の後ろを横切る。人間の住処が荒れる雨とは思えないけれど、こんな日にお仕事だなんて大変だ。

 しかしリポーターさんを見るとワクワクするな。……台風、暴風雨に関心が生まれたのは、あの日以来だ。抑えきれないほどに気分が良い。ポケットに手を入れながら暗い空を仰ぎ見る。今日は、水浴び日和の良い天気だ。

 

「あ、あの、お兄さんっ、危ないですよ!」

 

 少し見切れちゃうかなと生中継を横目に通り過ぎようとすると、びしょ濡れの雨合羽を着たリポーターのお兄さんに話しかけられ驚いたような目で見上げられる。

 街頭インタビューってやつだろうか。何を話せばいいのだろう……。普段散々喋っているのに肝心な時にネットミームとして残りそうなセリフが出てこない。

 

「僕、こんな時なんて言えばいいのかわからなくて。あ、すみません綾波みたいな言い方しちゃって」

「いや、ではなくて、危険なので降りてくださいっ、ほら、ってほわっ」

 

 僕に駆け寄ってきたリポーターとカメラマンは上昇気流に煽られるように仰向けに倒れてしまう。

 

「……そそっかしいな」

 

さすがにこのまま放置するのも見栄えが悪いか……。

仕方なく川沿いの手すりの上から飛び降り、手を貸し──。

 

「今日はあんまり出歩かない方がいいですよ」

 

 そうこっそり伝えてその場を離れると、雲に乗って電車の音が伝わってきた。

 電車が一時停止してしまったので徒歩移動に切り替えたのだが、どうやらすぐに復旧したらしい。これならそのまま電車に乗ってればよかったな。

 進行方向を両国橋から浅草橋駅に切り替え……スマートフォンを確認。浅草で降りて言問橋に向かえば留火が待ち構えているであろうスカイツリーは目と鼻の先。

 

「……橋の上にいるかもな」

 

 現在の東京は突如発生し急速に発達した低気圧が川沿いを中心に竜のように伸び、遠くの空にまで広がっていたはずの雨雲は圧縮されたかのように都民の頭上を圧迫し、空そのものが落ちてきそうなほど雲との距離が近い。

 雨もそれなりに降っているはずなのだが、幸いな事に周囲の雨粒は逆巻くような風に巻き上げられ地面に届く前に空に帰るように浮き上がりアスファルトを埋め尽くすほどでは無い。これならば車がスリップする事も誰かがこける事も無さそうだ。

 スカートを履いている女性には申し訳ないけれど、スカイツリーにさえ近づかなければただの『風が強い日』程度に収まりそうな雰囲気。

 しかし、スカイツリーか。

 ここからの距離だとスカイツリーと自宅、同じようなものじゃないか?

 久しぶりの我が家が無性に恋しくなりつつ異常気象の中を進む。

 雷雲を突っ切ると鱗がチリチリして気持ち良い事を誰もが知るように、留火がこの異常気象を引き起こしているのは自明の理。まったく、留火ちゃんには僕を見習って人間社会での常識的なふるまいというものを学んでほしいものだ。

 不出来な妹分に呆れつつ、目的地について思いを馳せる。

 徒歩での移動は考え事には丁度良い。

 

・・・

 

 十数年前、東京スカイツリーが完成したらしい。

 僕が幼児の頃なのでいまいち新しい建造物という印象はなく、見に行きたいとねだった記憶も無いが……小学校に上がったくらいだったろうか。

 夏生が「いやぁ、サイズは大きいらしいけどさ。なんて言うの? カリスマ性? そういうのは完全に東京タワーさんの圧勝。わざわざ見に行く気がしないのよ。あ、でもこんどの夏休みルカちゃんが来るらしいから──」などと言って冷笑していた記憶がある。

 そんな記憶があるからか、現在の自宅からそれなりに近いスカイツリーは見物するものではなくただそこに在るものという印象だったのだが……。

 

「おお」

 

 言問橋、隅田川を跨ぐ橋の上から眺めるスカイツリーの威容は暗雲暴風雷雨に隠れてなお美しい。留火に会いに行く前に売店でスカイツリーの模型、買っちゃおうかな。

 その上──。

 

「おお!」

 

 隅田川が荒れ狂っている!

 まっすぐ流れる川のはずなのに鳴門海峡のように渦巻いている。泳いだら気持ちが良さそうだ。

 言問橋の手すりの上を歩きながらアトラクションのような隅田川に目を奪われていると……こんな悪天候の中濡れる事なく佇む制服姿の女子が手すりに座り、足をプラプラとさせていた。

 留火だ。

 こんな日にそんな姿を見られれば普通は誰かに止められるだろうが、現在この言問橋は周辺地域の雨が凝縮したかのような尋常ならざる世界に変貌していた。

 ワイパーを必死に動かす乗用車を除いて、この橋を通る者は皆無。竜を隠すなら水の中とはよく言ったものだが、いささかやり過ぎな気もする。

 ひとまず、留火の旋毛をツンと押して声を掛ける。

 

「留火。考えたらわかると思うけど、そんなとこ座って落ちたら危ないよ?」

「誰が言うとんねんアホ」

 

 留火は雷雨を掃うように立ち上がり、僕の脛をコツンと蹴り──。

 荘厳な威を孕む視線を僕に注ぐ。

 でも……、なんだか今は、あんまり怖くないな。

 口角が上がり、恐るべき巫女を見下ろす。

 

「兄さまよ。いよいよ本性漏れ出てもうてるやん。目ん玉あおーく光っとるで?」

 

 そうのたまう留火の瞳は猛る雷霆のように鮮烈だ。

 

「目が光る訳ないだろ。んで、留火ちゃん。そろそろ気は晴れた?」

 

 留火のおでこをトンと指でつくと、鬱陶しそうに手を払われる。

 

「曇るばかりや。うちってコンプライアンスに気遣う女やから頭では大氾濫させたるって思っとるのに……そんなの常識的に考えてあかんやん。せやからこうして川沿いにちょっと雨降らせるくらいで遊んどるんやろ。心配せんでも首都圏外郭放水路のキャパくらい把握しとるから放っといて」

「放っといてって。ここに呼んだの留火じゃん」

「一人じゃ寂しいやろ。放っときつつ、見守って」

 

 留火はつまらなそうにしゃがみ込むと、ピッと隅田川を指さし雷を落として遊び始めた。仕草はまるで小学生のようだけれど、いよいよ言問橋が泣き出しそうなほどに周辺状況はグチャグチャだ。

 豪雨、落雷、暴風に上昇気流。東京上空に広がっていた雷雲が今や言問橋の周辺だけで圧縮され、頭上に纏められた雷雲は天然の照明のように鳴動している。

……金星を滅ぼした怪獣でも現れてしまいそうだ。

神釣家でインプットされた三つ首の怪獣を思い浮かべ、事象と比べると極めて小規模な事で拗ねている留火の旋毛を見下ろす。本尊はこんなに小さくて可愛いのに困ったものだ。

 

「兄さま。うちのこと好き?」

「好き好き」

「うちは兄さまのこと嫌い。長らく連絡とってこんし、いざ東京に遊びに来たらあんたは一人で上水流帰るし。それに…………、それ以上は思い浮かばんけど。なあ、上水流で話したこと憶えとる? うちの悩み」

「アンパンマンのオープニングソングみたいなやつでしょ。なんのためーにーって」

「そんなんちゃう! ……はずや」

 

 留火はむくれつつ、空を見る。口元は聞き覚えのある歌詞を呟いている。紅葉の相手をしていたら自然と憶えるのだろう。

 

「……ええ歌詞なんかい。うちの悩みはとっくの昔にやなせさまに看破されとったんか。けど酷いわ。解決法も教えてくれな」

「本当はもう、気は晴れてるんじゃないの?」

 

 仕方のない子だ。ストレスの発散方法を知らないらしい。

 

「……ままならんわ。うち、拗ね続けることも上手く出来ひん」

 

 留火は雷雲を見上げ、ばきゅん、と指をスカイツリーに向ける。

 

「ばきゅん、ばきゅん、ばきゅん」

 

 三度、四度と雷雲より雷霆がスカイツリーに向かって放たれる。

 ばきゅん、ばきゅん──と都度十度。

 スカイツリーを覆っていた雲が消し飛ばされ、暗澹たる空が晴れていく。空を仰げば環のように雷雲が形を作り、ぽっかり空いた中央の穴からは夕暮れの空が顔をのぞかせ、雷雲の中央に白い摩天楼が美しく伸びる。

 

「……やっぱり姉さまと三人で見たかった。あんな、ここ姉さまが連れて来てくれるって電話で約束してくれたんや。姉さまは、大したこと無いんじゃない? とか子供のうちに平気で言ってたけど。……嘘つきや、めっちゃ綺麗やん。スカイツリー」

 

 留火は寂しそうに眉間にしわを寄せ、深い溜息をつく。

 

「ほんまは……」

 

 留火が視線を僕に寄越すので、どうぞお話しなさいと頷く。

 キミは気付いていないだろうけれど、留火ちゃんは僕の中でも優先順位の高い方だ。僕の気持ちなど伺わなくて良いのだ。

 

「ほんまはな、生まれた意味は求めてへん。生きている意味も求めとらん。そもそも意味なんて無いって知っとる。全部諦めとる。この世界にうちがありのままでおられる場所なんて無い。……試しに、兄さまおることやし本性発揮して大暴れしてみれば罪悪感がエグいわ。うち、誰かの理不尽になっとらんやろうか。誰かの大事なもん奪っとらんやろうか」

「服は濡れただろうね」

「……雨くらい風で跳ねのけんかい。貧弱やねん。なんであんなか弱いんやろ。紅葉なんて囲っとかなすぐ死んでまいそうやし。兄さまもそうや、竜の子の自覚が足りん。自分が何者かさすがに把握したか?」

「保留」

「まあ、ええけど。どうせ使い道もあらへん。履歴書に書けへん特技なんてカスや。うちらどのみちこっちの世界で生きていかなあかんねん。でも鳥に飛ぶな言うか? 魚に泳ぐな言うか? 殺生やろ。竜は暴れてなんぼやし巫女は悪さする虫けらすり潰してなんぼやろ」

「それ本当に巫女?」

「ほんま残酷な世界や。兄さまはドラゴン成分が小さじ一杯やけど、うちは本家本流戦巫女ドラゴン。妙な因果の化け物スペックで常に体力有り余っとる。どうしたもんやろ」

「……どうしたもんだろね」

 

 手すりを一歩進み留火の横にしゃがむと──留火は二度こちらに視線を寄越し俯く。

 唇もとがらせている。

 もしやこいつ。

 この期に及んでまだ隠してる事あるな……。

 その小さな頭をそっと撫でると、留火はしばし僕に頭を預け、ようやく口を開いた。

 

「……エリィは偉いよなぁ。あんなんでも地に足ついとるわ。この世で自分が生きていく場所を自分で見つけとる。翅が生えとるのに逞しい……いや、飛ぶのが面倒なだけかもしれへんけど。ぶいちゅうばあ。虚業やけどたいしたもんや。知っとる? エリィな、お喋りが上手なんよ? きっとエリオットちゃんはこの先も大活躍や」

「……」

「兄さまは、どうなりたいん? どう折り合い付けて生きていくん? 嫌いで、信じる事も出来ん、姉さまを奪った世界で。…………これをな、ずっと聞いてみたかってん」

 

 ああ、そういう事。

 けれども留火ちゃん。東京旅行、学校見学、大癇癪──随分寄り道して東京生活楽しんでいるじゃないか。その調子なら十分やっていけそうだけれど。……竜とはこうも自由なものかね。

 心の中でため息をつき、どうしたものかと頭を働かせる。

 僕もこの規模の無法を起こせれば留火のように悩むかもしれないけれど……僕など基本的に世の道理に沿って生きる他ないというか……。

 留火はジッとこちらを見つめている。

 

「……仕方ないな」

 

 留火の隣に更に寄り足を下ろし、隅田川を見下ろす。

 渦巻いていた川の流れは徐々に戻りつつある。川なんて荒れていればいるほど楽しいのに──……いや、これは僕の感覚では無いな。

 上水流で石ころ壊してから妙な感覚が頭の中にある。まぁ、変なのが頭に増えたとて今更な気もするし良いけどさ。

 

「なんやの、何か話す素振りだけして黙って」

「……話すよ」

 

 僕はお喋りではあるけれど、自分の話はしたくないのだった。

 けれど、お望みならば話しましょう。

 

「留火の期待に沿えるか分からないけれど。まず、夏生への折り合いならつけたよ」

「……どうやって?」

 

 本当かと疑ういぶかし気な視線。

 それも当然だろう。どうにか折り合い付けたのはつい最近の話だ。

 

「大層な禊も祈りも無かったけれど。水龍様に舞を奉納するように。歌の上手な友だちに僕の怨念を祓ってもらった。夏生も僕がいつまでも引き摺るのは本意じゃないだろうし。……だから留火も姉さまへの思いがあるなら手紙なり何なり言葉に起こして整理つけてみな。お前の姉さまはお前がそうやって立ち止まるのを望む人間だったか?」

 

 少しずるい言い方をしたが。

 

「……姉さまは、そんなこと望まん。わかっとったよ、そんなこと」

 

 効果は覿面だったようだ。

 留火は更に心に浮かんだ言葉があったようだが、飲み込むように唇を嚙んだ。

 これ、かつてないほどイージーに進むかもしれないな。

 綾野礼悔恨譚を御開帳すればどうにかなりそうだ。いっそ抱きしめてよしよしすれば解決しそうな気配はあるものの……留火には楽せず真摯に向き合う他あるまい。

 

「まあ、留火ちゃんよ。一つづつ解決していくのが近道だ。とりあえず、夏生に関しては心の準備が出来たら墓参りに行こう。人間社会はとりあえず儀式儀式の冠婚葬祭だろ。葬式ってのも、その忙しなさで悲しみを遠ざけるらしい。納得するための特別な方法は求めずに、ありふれた慣習を踏んで気持ちを整理すればいい」

「でも、もしもうちがあの日一緒におったらってずっと思ってまう。うちなら──」

 

 雷雲を見上げながら、留火の肩に触れる。

 気持ちは分かるとは言うまい。

 

「デロリアンに乗るなりドラゴンパワーでどうにかなったとして……何か上手くいかない度に神頼みし続ける人生は、僕は嫌だな」

「あんたと姉さまの為ならうちは何でもするのに?」

「水龍さまはMAP兵器みたいなことしか出来ないだろ。天気悪いんだよ、お前が居ると」

「でも、じゃあ、うちは、何のためにこんな風に産まれたん? せめて奇跡くらい起こせたってええやろ」

「その奇跡の代わりに……僕はリリーにもエリーゼにも会えないだろ。いつの間にか生まれていた誰の子かもわからないエリーゼを連れ地元から逃げて来たリリーは誰が助けてくれる? ……食いつなぐだけのモデルの仕事で偶然シングルファザーの父さんと会わなかったら。父さんもリリーも利害の一致で一緒になっただけの関係だけどそれでも……。それでも、今さら留火の望む奇跡が起こったら困るんだよ」

 

 浅い呼吸の音が幾度か聞こえて、留火の肩が落ちる。

 

「…………うちも、エリィには会いたいわ」

 

 留火は隅田川を見下ろしながらコクリと頷く。またズルい言い方をしてしまった。

 

「さて。続きまして。世の中が嫌いとか何とか。僕の場合は人間って脆すぎて嫌だなぁって話なんだけど。それでいい?」

「ええよ、というかうちも同じこと思うとるし。人間って濁流やら雷やらで簡単に死んでまうやん。そんな子らを、うっかり愛してもうて先に死なれたら敵わんわ」

 

 これは留火の場合は紅葉あたりが原因だろう。

 

「……幼児の頼りなさは特に凄いと同意するよ。留火がおっかなびっくりになるのも分かる。けど、残念ながらいくら大事にしようと死ぬ時は死ぬだろ」

「な、なんてこと言うん」

「じゃあ閉じ込めておく? 紅葉はけっこう外で遊ぶの好きみたいだけど。どうする」

「……さっきからずるいわ。うちは現実的にどうこうやなくて気持ちの話しとるのに」

「それは子供のやり方だろ」

「でもでも。もし、紅葉に、何かあったら」

「紅葉は運だけは良いだろ」

「どゆこと?」

「少なくとも……竜二匹には好かれている」

 

 そうポロっと口にすると留火の目に怒りが灯る。逆鱗ポイントにかすってしまった。

 

「でも! 姉さまは死んでもうたやろ! てきとうなこと言わんといて!」

 

 雷雲が鳴動し、風が吹き荒れる。

 ……ワンミスで言問橋くんが壊れてしまうかもしれないな。

 

「わかっとんのよ、これもうちの心配のし過ぎで考えすぎやって、でも、じゃあ、現実的にどうこの不安を振り払うんか、生きて行けばええんか運なんて意味のない言葉を使わず教えてや!」

 

 それはもう理屈ではなく気持ちの問題で、歯を食いしばるしかないのだが。

 残念ながら。

 非常に残念なことに、留火の痛憤と危惧を祓えるかもしれない気持ちは見つけている。

 ただ。それを言葉に出来るかどうか、してしまうかどうかが問題だ。

 

「……はぁ」

「なんなん、その嫌そうな顔。うちは本気な」

 

 言葉を紡ぐ留火の小さな口をむぎゅっと手で覆い、目を合わせる。

 

「──初めて妹に会った時、こんなに綺麗な生き物がいるのかと思った。夏生の居ないこの世界にも、意味はあるのだと認めてしまった」

 

 今でこそ生意気な妹になってしまったが、リリーに連れられて来た妹を初めて見たあの瞬間だけは心の中に永遠に残り続ける幸運だろう。

 僕の告白を聞いた留火は呼吸を乱しつつ、口を開く。

 

「そ、そんなんうちの弟もかわええわ。けど、でも……せやな、まあ意味のある世界ってのは認めたるけど。けどっ、続きあるんやろ。だってそんなん幸運の話であって不安は振り払えんやろ」

 

 ……頭が痛い。

 頭痛という意味ではなく、悩みの種というか……自分の在り方を決めてしまいかねないNGワードのようなものを言わなくてはならないからだ。

 

「……いやぁ。これが、ほんとに口にもしたくないというか認めたくないというか……どうするかな」

 

 空に手を伸ばすと、薄い雲が散らばっていく。

 巻き起こる風が制御を失ったかのように拡散し、言問橋の水気を吹き飛ばしていく。

 

「兄さま……教えて」

「ぐ」

 

  意を決し、手すりの上でぐっと立ち上がり、開き直るように両手を広げる。

 ……恥ずかしながら自分がいつ救われたのかは、不本意ながら自覚している。

 ああもう、言ってしまえ!

 

「不安なのは僕も一緒だけどさ、留火。僕は納得してる、悪いものじゃ無かったと諦めてるんだよ。この先どんな事があったとしても、地獄の底に戻ろうとも──僕の人生、悪くは無かったと深い溜息が出る。これが、僕の持ちうる答え。……人生の汚点」

「なにを、言うとるの?」

「はいということで不思議生物留火ちゃんよ、僕はそろそろ神釣の竜を辞めて、そいつの世界に帰るとするよ。僕の世界は不本意ながらそこにある。おいでよ、変人の森なんだよ」

「兄さま、何を言うとるの?」

 

 本当に、何を言うのか。言ってしまうのか。

 でも、それは真実だ。

 

「──霧江茉莉花に会えた。その奇跡に免じて、不安くらいは飲み込むさ」

 

 ポケットの中、震えるスマートフォンを見ればタイミングが良いのか悪いのか、渦中の悪魔さんからメッセージが届いていた。

 

『大事な話があります。以前もらった何でも言うこと聞くチケットを使います』

 

 そう書かれており、地図情報も添付されていた。

 なんだ面倒くさい、ここから近い場所で待ち構えているじゃないか。なんでも言うこと聞くチケットって……アンジェをコネ入社させた時のヤツか。

 

「待って、兄さま、その人ってあのジャージの、いや、そうじゃなくて。もしその人が死んでもうたらどうするの!?」

「やっぱりなと、笑う」

「はぁっ!?」

 

 いい加減恥ずかしくなってきたので体重を背中に預け──落ちていく。

 

「留火。どうせ不安なんて一生消えないから、どーせなら沢山くだらない思い出を作って死んでやろう。あの世で、夏生を笑わせ」

 

 増水した隅田川に落ちていく僕を掴もうと留火の手が伸び──。

 ぼちゃん、と落水。

 勢いよく身体が水流に飲み込まれ────気持ちが良い。上水流と比べるとどぶ川みたいなものだけれど、元の世界に戻る前に最後くらいは良いだろう。

 神釣の竜のお役目は、これまでだ。

 後は巫女さまのお気持ち次第。

 

「──ぶはっ、ということで兄さまからは以上です留火ちゃん。兄は他の女に呼ばれたので先に帰ります。後は一人で悩んでてください、変な人いたら雷落としちゃっていいからっ」

「に、兄さまのばかぁっ! まだ話は終わっとらんし、隅田川なんて入ったら汚れるやろっ!」

「あともう一つ、仕方ないから一つだけ約束しようっ」

「なんやのっ」

「スカイツリー、今度は晴れている日に遊びに来よう。留火、僕と約束してくれる?」

 

 背泳ぎしながら留火の元から去っていく。

 視線の先の暗雲は、薄れている。

 

「や、約束やぶったら、日本沈没させたるからなっ! 兄さまのあほぉっ!」

 

 そろそろ、妹が迎えに来る頃合いだろう。

 遠ざかっていく留火の瞳からは雷のような苛烈さは残っていなかった。

 

・・・

 

 ──そうして、濁流に身を任せマリリの指定した場所近くに泳ぎ着き、川を踏みしめ近場の橋を上がる。一歩、二歩と歩いていくと先ほどまでは感じなかった名残のような小雨が身体に当たり始めていく。

 視線の先には川沿いに見慣れない車を止め、傘を肩に佇むマリリの姿があった。

 ああ……みるみる内に、神秘が抜け落ちていくようだ。

 現実が、目前に迫って来る。

 ここの住人とはいえあんまりじゃないか。

 そうしてマリリの前に立つ頃には、僕はすっかり楽しかった家出生活の終わりを感じていた。

 

「──で、あのですね。すこーし聞いてほしいお話がありまして」

 

 アイドリングトークを済ませた後、妙に気まずそうにマリリの口が開く。

 

「わたしちゃん、週刊誌に撮られて身バレしちゃった」

「やったぁっ!」

 




 おかえり綾野礼(三回目)
 それと、Xの方でOMu_らいす様が『顔だけは良い妹が~』のイラストを描いてくださったので是非ご覧ください! ※リポストしてあります。
 読んでいただきありがとうございます、いつも感想、誤字報告ありがとうございます! 高評価もぜひよろしくお願いします!
 リオネット家のyoutubeチャンネル→ https://x.gd/Q9kC3
 作者のX→ https://x.com/hkrkwmsg
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