【妄想シミュレーション一章】
始まりの章
「うっわー、まずい、8時30分だった。」
がしゃこん、と押したタイムレコーダーの時刻は8時30分だった。見事に遅刻である。
公務員の始業時刻は、8時30分からであるが29分まではセーフで30分はアウトと、先日も総務課の森元女史から詰められたところであった。昨日遅くまで、と言うかほとんど朝まで「北極点のらむらむ動画」というSF小説を読みふけっていたのが敗因である。
「おはようございます。」
「おはようございまーす。」
こうやって、僕の一日は始まる。課長の目が若干怖い。
ま、とりあえず気を取り直して席に着き、業務に使っているパソコンを起動する。県からの補助金申請やらその要綱やらメールは結構来ている。ふむふむ、高齢者の見守り事業やら認知症対策事業で、徘徊認知症高齢者の調査など最近忙しい。しかも生活困窮者対策などの事業も補助金出すからやらない??みたいなメールがわんさか来ている。さすがにうちみたいな小さな町だと人材も多くは割けず、結局僕の場合も仕事は高齢者一般および生活保護関連系の仕事と広範囲に及んでいる。
そう、僕は、岡山県にある山間の小さな町役場に勤めている。名前は田本一樹(たもと) かずき)。年齢は45歳で独身。身長百七十三センチ、体重は内緒だが100kg近いデブである。目も悪いので眼鏡は必須。趣味はパソコンいじりだったり、オーディオいじりだったり、読書(SFばっかり&トンデモ本)だったりする。我ながら閉じこもり傾向は強いと思う。
以前からあんまり女性に興味が無く,従って結婚なども自分の生活の視野には無く、この年まで来てしまった。公務員というとお堅い生活をしているイメージがあるようだが、自分も結構職場では浮いた存在であったりする。家族構成は父母と一緒に生活している。容姿は、まあ太っていることが目立つ程度。まじめそうな外観からか、何度かお見合いの話はあったのだがいかんせん女性に興味が無いので立ち消えたり、断られたり(爆)。そういった感じで今までおつきあいの機会は作っていただいても「寿」な話にはつながっていない。
仕事の内容は福祉課で先に言ったとおり高齢者一般および生活保護系の相談業務やら、介護保険の受付やらである。毎日、様々な相談を受け、今までの知識を総動員しながら(国民健康保険やら後期高齢者医療やら・・・)様々な問題を抱える人の話を聞き取って、様々な行政サービスにつなげる役目である。役場の仕事はもう20年を超えていて中堅どころになってしまっていたりする。
まあ、結局毎日経済的な困りごと相談やら、はたまたひとり暮らしのご高齢の方々からの介護サービスなどへの相談と、相談者は困っていると一言だが、それを分析して分類/整理して、地域包括支援センターへ話をつないだり、生活保護や、そのほかのサービスを紹介したりしている。その合間で高齢者関連のイベントやら県や国への補助金申請やらの仕事をしている。
さて、今日は百歳お祝い訪問の準備をしなければならない。百歳を迎えた方に祝い状と祝い金を手渡すイベントだったりする。うちの町の場合、ちゃんと祝い金条例があり、それに従っている。県の方も同様で、県知事名の祝い状および祝い金と町長名の同じ物が渡される。百歳を迎えられる方の家族と連絡を取り、体調を聞き取った上で問題なければ、県知事代理と町長をともない、百歳のお誕生日にその人の自宅や、施設にいらっしゃる方ならそこへ、また入院中なら病院へ出向くのである。
最近は、高齢の父母などが亡くなったことを隠蔽して、父母の年金の不正受給であるとか、生活保護費の不正受給なども発覚することも多く、県から結構厳しく高齢者の生存確認をせよとの調査が来るのである。いわく、介護サービスの履歴やら後期高齢者医療の病院にかかった履歴などを調べよ、民生委員や地域包括支援センターへも確認し、できれば訪問して確認せよと。
人口百万人を超えるような都市ならともかく、人口一万数千人規模のこの町だと、人の生死に関わる事柄を長く隠し通せる物では無い。話題に乏しい過疎の町では、隣のおじいちゃんやおばあちゃんの姿を見ないとなると、すぐに話題になり、入院しているならお見舞いに行かないと不義理になる等々、隣近所の「監視網」は手厳しい(笑)のである。
今回の対象者は、「柾木勝仁」さんだそうである。住民基本台帳で百歳に到達する生年月日を検索するとそう出てきている。すでに岡山県の窓口には連絡済み。生年月日は、あと一ヶ月ほどで百歳に到達する日付である。上司への決裁文書を作成して、自分の職名に決済印を押し回議する。いつもの手順である。
「田本。この人今回の百歳訪問予定者かなぁ。」
課長が不思議そうな声音で尋ねる。
「え?住基(住民基本台帳)でそう検索できましたけど?」
「そうか、県にも報告しているのか?」
「はい。」
まじまじと名簿を見つめる課長。
「こんな人いたっけかなぁ。」
「ええええっっっ!。」
長く役場勤めともなれば、昔から住んでいる人はだいたい知っているはずである。なぜか?昔は、通知書類も郵便代金を節約するために役場職員が配っていたと言うし、毎年、自治会長会や様々な届け出やら、保険等の申請、税務書類の確定申告などがあるはずである。
譲って、会社勤めなどで申告や保険等の縁が無くても、子どもの検診やご自身の検診等何らかの知らせは行って、役場とは何らかの接点はあるはずである。ちなみに、うちの課長定年まであと二年の歳だが、住民課系、税務系、建設産業系と渡り歩いてきているやり手だったりする。しかもすでに四十年ほど勤めている方である。
「課長、この人知らないんですか?」
「そうだなぁ、覚えが無い。住所は上竹(かみたけ)地区だから産業課の時によく行ったけどなぁ。」
「もしかして、住所を現在地においたままで転出しては・・・・・ないようです。」
住民基本台帳の端末を操作しながら答える。特に転出履歴も無く、本籍と同じ住所にお住まいのようである。
「介護保険の利用履歴は?。」
「それも・・・・。あれ?、申請もしていない・・・。」
介護保険は、六十五歳以上であれば一号被保険者として資格は自動的にできる。百歳ともなれば何らかのサービス(介護ヘルパーの派遣や、デイ・サービスの利用などなど)の利用履歴があって当然ともいえる。
「電話番号調べて、連絡してみろ。とにかく確認しないと。」
課長と自分両方の血の気が引いていく音が聞こえるような感じがした。こんな小さな町でマスコミわんさか年金不正受給事件発覚??みたいな見出しが脳内を乱舞する。
「課長、電話番号はありました。」
「ちなみに後期高齢者医療の方は?。」
「そうですね、そっちも聞いてみます。」
ちなみに隣の住民課が主管している。さっそく住基データを課長の許可のもと,コピーして(用が済めばシュレッダー行き)、住民課の白河さんに問い合わせる。
「白河さん、この人後期高齢者の登録ある?。」
「あ、はいはい。え~~っと、ちょっと待ってくださいね。」
さらさらっと細い手がキーボードを走り、後期高齢者システム端末のパスワードを入力してログイン画面そして検索画面に入る。ちなみに、この人三十代前半で既婚子ども二人で整った顔立ちのスレンダー美人。
「登録は、・・・ありますね、保険証も発行されています。」
「病院からのレセプトはきてる?」
さすがに百歳ともなれば、いかに元気な方であろうとも何らかの病院にかかっていて処方箋の発行履歴もあるはず。たとえば血圧の薬だったり、胃薬だったり、腰痛の湿布だったりである。
「・・・!」
白河さんの目が見開かれる。
「まったく履歴がありません!。」
「えええええええっっっ。」
百歳になって全く医療機関にかかっていない???。