なんでもない短編集   作:メーア

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世界を呪った女の子と世界を愛した男の子のお話

 幸福を夢見る少年がいて。

 幸福を願った少女がいて。

 理不尽を乗り越えた少年がいて。

 理不尽に圧し潰された少女がいて。

 世界は素晴らしいと笑う少年がいて。

 世界が憎いと歯軋りする少女がいて。

 世界を守らなきゃと口にする少年がいて。

 世界を壊してやると口にする少女がいた。

 

 ***

 

 人は、自分の体験した事でしか物を語れない生き物だ。それは決して責められるべき様な事ではなく、ただ、そういう生き物だ。

 

 故に、勇者は世界を守るために戦い。

 故に、魔王は世界を壊すために戦う。

 

 世界はこんなに素晴らしいからと、瞳に光をたたえながら、勇者は〝持つ者〟の剣を振り翳し。

 世界はこんなに悍ましいのだと、その身に闇を迸らせながら、魔王は〝持たざる者〟の力を叩き込む。

 

 勇者は美しい者を沢山見てきたから。

 魔王は穢れた者を沢山見てきたから。

 

 彼らは互いに互いを理解できない。彼は彼女が何故そうまでして世界を憎むのかを知らないし、彼女は彼がどうして人を守ろうとするのかを知らない。

 

 勇者の生まれた村が滅んだ──魔王が滅ぼしたから。

 魔王の数少ない配下が死んだ──勇者が殺したから。

 

 勇者は自分の生まれた村が好きだった。みんなが優しくて、どんなに現実が苦しくとも、誰も彼もが、心の底から笑っていたから。

 そんな〝幸せ〟がこの世にちゃんとある事が、勇者の心の支えだったから。

 けれど、勇者は魔王を憎んでいない。

 

 魔王は部下達を信じていた。たとえ、その腹の奥底に自分への反逆が企てられていたとしても、彼らも世界を〝憎んで〟いたから。

 自分と同じ、〝憎しみ〟に突き動かされた愚か者達が、魔王の心の支えだったから。

 だから、魔王は勇者も憎んでいる。

 

 彼と、彼女はどこまでも正反対だ。

 彼は人々の幸せを抱きしめて、自分の不幸を埋めていく。

 彼女は自分の不幸を呪い、人々の幸せを踏み躙っていく。

 〝みんな〟を見ている善と、〝じぶん〟しか見ていない悪。

 

 世界はこんなに幸せに溢れていると語る勇者は、世界が幸せなことだけではないと、ちゃんと知っている。

 それでも彼は、「今は幸せでない人も、これからきっと、幸せになれるから」と人類は一つになって、一緒に歩いていけると信じている。

 

 世界がこんなに不幸に塗れていると語る魔王は、世界が不幸なことだけではないと、ちゃんと知っている。

 それでも彼女は、「今の幸せが壊れたら、人類は今の〝私〟になる。どうせ、魔王は再び生まれる」と人類は一つになどならないと信じている。

 

 此処には、明確な善と悪がある。どんな理由があったとしても、人を殺すのは悪で、その恐怖から誰かを守りたいと願うのは善だ。

 魔王は、自分が悪であることを理解しているが、その上で、自分の憎しみは、『正義』であると語る。

 誰に理解されなくとも自分が悪人であることを、魔王はちゃんと知っている。だが、悪人にも正義はあった。自分だけのものだったとしても、誰に理解されなくとも、〝今の世界を全部不幸で埋めてしまえば、自分は幸せになれる〟という彼女の望みは、不幸な彼女には正義だったから。

 

 魔王は、勇者に問うた。

 

 〝何故、あんなモノを守ろうとするのか〟と。

 

 勇者は、胸を張って答えた。

 

 〝彼らに死ぬべき理由なんか一つもない〟と。

 

 

 勇者は特別だった、だから、特別な幸せをたくさん知っている。

 豊かな村に生まれ、親に恵まれ、友に囲まれ、大切に育まれた。そんな、〝当たり前の幸せ〟を、勇者はちゃんと〝幸せ〟だと理解しているが、本人はそれが、この世界で特別である事を理解していない。

 彼は勇者だったから、人の善性を心の底から愛しているから。彼には、魔王の理屈がわからない。

 

 魔王は平凡だった、だから、ありふれた不幸をたくさん知っている。

 平凡な村に生まれ、けれど親には恵まれず、恵まれぬ親から生まれたから、狭い〝村〟と言う社会では腫物として扱われ、友など得られず、故に彼女は独りぼっちだった。

 孤独は、人を外道に堕とす。迫害は、人を悪に染める。暴力を受けたから、彼女はそれを人に返す。

 彼女は、生まれながらにしての魔王などでは、決してなかった。故に、彼女には彼の理屈が分からなかった。

 彼女が魔王になったのは、全部、他人のせいだったから。

 

 どこまでもありふれた不幸があった。自慢にもならないような、そんな〝普通〟の不幸。

 

 寝床が無かった。

 食物を与えられなかった。

 傷がつかなかった日はなかった。

 与えられた愛など、どこにもなかった。

 

 満足して寝られた日があったろうか。

 飢餓に喘がなかった日があったろうか。

 傷が疼いて頭を抱えなかった日があったろうか。

 親と仲良く手を繋ぐ、そんな日があったろうか。

 

 彼女に降りかかったのは、この世界のどこにだってある、それほど特別でない、けれど彼女にとっては特別な不幸だ。

 普通の、ありきたりの、沢山の、彼女にとっての特別な不幸。

 

 彼女は知っている。自分が特筆して不幸なんかじゃないと、知っている。

 自分と同じような人間がいくらでもいる事をちゃんと知っている。

 

 けれど、それがなんだと言うのだろう。同じように苦しんでいる人間が他にもいるのだから、それを我慢するべきだとでも言うのか。

 それは、自分が幸せだからだ。

 現に、魔王の侵略と破壊が始まってから、世界は驚くほど濁った。今までの幸せが壊され、踏み潰されて、人々は魔王にとてつもない憎悪と憤怒を抱いた。民草の殆どは、彼女と何も関係のない、無辜の民だ、もしかしたら彼女を助けてくれるような人間もいたかもしれない。そんな、彼女からすれば眩しいくらいの善性を持った人でさえ、現状が壊されれば、変わる。

 

 だから、それを耐えろと言われたとて、彼女がそれに頷けるわけがなかった。

 

 彼女にとってはこの世の何よりも苦しかった、痛かった、辛かった、悲しかった。

 

 馬小屋で寝るのは、寒くて、体が痛くて。

 ご飯がないのは、辛くて、ひもじくて。

 傷がつくのは、痛くて、ひどく悲しくて。

 愛されないのは、寂しくて、どんなことより、涙が出た。

 

 彼女は、愛してほしかった。

 何よりも、ただ愛してほしかった。

 

 けれど、彼女に与えられるのは罵倒と、雑言。生まれながらに全ての人が持つ希望と期待は、ずっと裏切られてきた。

 

 暖かなベッドより、美味しいご飯より、仲の良い友達より、彼女はただ、愛してほしかった。

 

 それがあれば他には何も要らなかったのに。

 それがあれば他には何も要らなかったのに。

 それがあれば他には、他には、何も。

 

 でも、そんな〝普通〟は、彼女にはひとつも、かけらも、与えられることなどなかった。

 

 彼女が無理な望みをしただろうか。彼女が我儘を言ったのだろうか。

 これだけの事が、我儘なのだろうか。身の丈を弁えぬ、愚か者の願いだろうか。

 ただ、ただ、愛してほしかった。それだけのこと。そんな、〝普通〟な事が、叶えられなかった。

 

 こんな世界に、価値などあるのだろうか。魔王が言った。

 

 

 価値は、意味はあると、勇者は斬って捨てた。

 魔王の過去を聞いていると、心が揺れた。──彼女の過去があまりにも痛々しかったから。

 魔王の声を聞いていると、剣が鈍った。──彼女の声があまりに悲しく聞こえたから。

 魔王の顔を見ていると、脚が止まった。──彼女の顔が、自分の救うべき〝普通〟の人々と何も変わらなかったから。

 

 けれど、彼は勇者だから。世界を救わなければいけないから。──自分が信じたものを、決して疑わないから。

 

 だから、彼は叫ぶ魔王を、その〝嘆き〟ごと、斬り捨てた。

 

 心が痛んだ、剣が震えた、膝が折れた。

 

 魔王は、どれほど魔道に堕ちても普通の女の子だったから。

どれだけ人を殺しても、どれだけ幸せを踏み躙っても。その奥底にある全部が、普通の少女のそれだった。──普通の女の子の、普通の、悲痛な叫びは勇者の心によく響いた。

 

 死にたくないと、魔王──彼女は言った。

 

 〝愛されないまま、死にたくない〟と。

 

 彼女はずっと泣いていた。

 

 痛々しいほどに顔を歪ませ、胸を掻きむしって、言葉を流す。

 

 愛されたかった、誰かに愛されたかっただけだ。

 

 愛される方法を知らなかった。

 愛してくれる人を知らなかった。

 愛が何か知らなかった。

 

 羨ましかった。

 

 生まれた事を、祝福された赤子が。

 笑顔で、親と手を繋ぐ子供が。

 照れ臭そうに、愛を伝える男が。

 はにかんで、愛を伝える女が。

 笑みを浮かべて、死んだ老人が。

 

 全部全部、羨ましかった。

 

 羨ましかったから、壊した、潰した、殺した。

 

 自分はそうなれなかったのに、そうなりたかったのに。

 

 切り裂かれた傷を癒すこともせず、魔王は喚く。自分はこんなに不幸だったと、喚き散らす。それは、決して聞いていて心地の良いものではなかったけれど、勇者は耳を塞ぐことも、その口を閉じさせることもできなかった。

 その叫びは、自分が聞かなければならないものだったから。

 勇者として、人類の代表として。人類の敵の声を、望みを──守るべきだった一人の女の子の心を、ちゃんと、聞いてあげなければならなかった。

 

 最後の最後まで。魔王は世界を呪って、人を呪って、勇者を呪って、けれどその全てに、愛してくれと泣き叫んで、死んだ。

 

 勇者はそれを見て、酷く、酷く、悲しくて。彼女の亡骸を。もう、命が零れ出てしまった肉の塊を、抱きしめた。優しく、壊れたものを持ち上げるように。

 そうしてあげないと、彼女は死んだ後も泣いてしまうと思ったから。

 

 ***

 

 勇者が魔王を殺して、世界は平和になった。

 魔王の配下は、魔王が死んだ後に降伏し、その全てが処刑された。

 

 勇者の持ち帰った魔王の遺体は、勇者の帰国後、魂を抜き取られ、幾つかに切り分けられたのち、魔王が二度と復活しないように封印された。

 

 これで、もう二度とあんな化け物が復活することはないと人々は喜んで。或いは、良くも人を殺したなと、彼女の亡骸を踏みつけた。

 喜んで、笑顔で、彼女の死体を踏みつける人たちを見て、勇者は酷く、酷く悲しかった。

 

 人々にとっては、彼女は恐るべき魔王であったから。仕方がないと勇者はわかっている。が、それでも、彼女の最後の声は今も勇者の心に深く突き刺さっている。

 

 遺された人々の恨みも、憎しみも、勇者はわかっているつもりだった。魔王の所業はとても許されるものではなく、だからこそ、自分が──勇者が討伐に駆り出されたのだから。

 けれど、勇者にとって魔王は、救ってあげたかった、普通の女の子だったから。やっぱり、とても、悲しかった。

 

 悲しくて、仕方なかったから。勇者は彼女の墓を作った。せめて、自分だけはちゃんと彼女の死を悼んで、死後の安寧を願いたかったからだ。

 

 これは、彼のエゴだ。彼女は死して尚、誰にも許されなかった。その体は千々にされ、その魂は分割され、輪廻の輪に戻ることすら許されていない。だから、本当は墓など無意味で、彼女の死を悼むことは彼の心を自己満足に浸らせること以外、なんの役割も持たない。

 

 でも、そうしないと。彼は耐えられそうになかった。

 

 彼が、彼女を殺してから五十年。彼はずっと、彼女の墓に花を供え続けた。

 

 魔王がいた事が、遠い昔になって。当時のことを覚えている人が少なくなっても、ずっと、ずっと。彼は殺した人の事を、忘れたくはなかったから。

 

 彼女の、〝愛してほしかった〟という叫びが風化する事を、許せなかったから。

 

 そうして沢山の人を愛して、愛された勇者は、惜しまれて死んだ。

 

 勇者は人を愛していて。

 魔王は人に愛されたかった。

 

 勇者は、死んでからもずっと愛されて。

 魔王は、死んでからもずっと愛されなかった。

 

 彼と彼女は、死んでからも正反対だった。

 

 勇者の墓は、今でも沢山の人が訪れて、花を供える。

 魔王の墓には、もう誰も訪れず。その墓石は苔むして、誰のものかもわからない。

 魔王の魂が封印された石室は、今も恐怖と憎悪、そして怒りの証として其処にある。

 

 人類の敵対者であった魔王は、未だ許されていない。世界から、人類から、永遠に拒絶されたまま、彼女の現し身は、今日も虐げられる。

 

 ***

 

 勇者と魔王──彼と彼女の物語からちょうど、百年。

 

 切り分けられた魔王の魂と、生まれ変わった勇者の魂は、旅をする。

 

 かつて、愛されたくて世界を壊そうとした少女の魂と。

 かつて、愛されたから世界を守ろうとした少年の魂は。

 

 惹かれ合うように、手を繋いで。

 時に笑い、時に泣き、時に喧嘩をして、でも仲直りをして、そうして、彼と彼女は旅をする。

 

「ずっと昔に、私じゃない私が沢山の人を殺した。だから恨まれて、憎まれて、蔑まれて……当然なの」

「──ずっと昔に死んだ人のことなんて、知るか。例え、君が本当にその魔王とやらのを魂を持っていて、その人の記憶を持っていても。君は、その人じゃないんだから」

 

 相変わらず世界から愛されていない少女は、それでも愛されたくて。

 相変わらず世界から愛されている少年は、ちゃんと彼女の手を引いて。

 

「どうして、私を助けてくれたの」

「何も悪い事してない子が、虐められてるのは気分が良くない。ただ、それだけ」

「なんで、何もしてないって言えるの。もしかしたら本当に、ひどい事を沢山したかもしれないのに?」

 

 これは、魔王と勇者の、死んだ後の長い長いロスタイム。

 勇者にはひとつだけ、ずっと隠した後悔があって、魔王にはたくさんの、泣きはらしてしまうほどの後悔があったから。

 

「俺には、君が檻に閉じ込められて、痛ぶられるような、そんな酷い目にあうような理由がわからない」

「初めて会ったのに、そんなのわかるわけないよ」

 

 皺くちゃになった少年の、たった一つの確かな後悔。どれだけ多くの人に愛されても、どれだけ多くの命を救っても、ずっと消えなかった、魂にこびりついた呪いの様な、確かな後悔。

 

 誰にも語ることなく、彼がその生を終え、それでも尚、魂の奥底に刻まれたもの。

 

〝僕は、彼女のことを。何も知らなかったんだ。何も知らなかったから、糾弾できた。もしも、僕が彼女のことを、ほんの少しでも知っていたら──彼女を、愛していたとしたら。彼女は、泣かないで済んだのかもしれないし、殺さずに、終われたのかもしれないと。今でも、そう思う事がある〟

 

 ずっと、吐き出せずにいたもの。

 

「確かに、僕は君のことをなんにも知らない。──だから、これから知って行くことにする」

 

 彼は覚えていなくて、彼女は知らない。ずっと昔、魂の奥底に仕舞いこまれた確かな後悔。

 彼女は、彼の敵だったが、彼にとっては、敵も味方も、実はそれほど変わらなかった。

 皆が愛すべき隣人であり、尊ばれるべき存在だったから。

 

〝僕は、世界を憎む気持ちなんて持ってはいなかった。けれど、確かに。僕の心の奥底には、人の醜さと愚かさを疎む気持ちがあった。……彼女は確かに魔王だった、でも死んでまで辱められる必要なんてものは、絶対に無かったんだよ〟

 

 だから。彼は彼女の死を、ずっと悼んでいた。忘れてしまわぬように、刻み込んでいた。

 

「君のことを、ちゃんと。これから知るんだ。君の好きなもの、したいこと、怖いこと、嫌いなもの、知らなきゃいけない事は、山ほどある。……あぁでも、まず最初に知りたいのは──」

 

 故に、彼が彼女に〝今度こそ〟と願うのは、なんらおかしなことではなくて。

 たとえ覚えていなくとも、彼は彼女を、大事したいから。2人は旅をする。彼が彼女に、愛を教えるその日まで。

 

「君の名前を教えてくれるかな、自称〝魔王〟のお嬢さん?」

 

 これは、そんなありきたりで、愛に溢れた、2人の冒険譚。

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