なんでもない短編集   作:メーア

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仮面ライダー×ゆゆゆ×ラブコメ
的な何か


未完の終末理論

 もしも、できないことができるようになる力があったなら。

 もしも、叶えられないことが叶えられるようになる力があったなら。

 もしも、大切な何かを守れるようになるのだとしたら。

 

 それが例え、命を引き換えにしたものだとしても。

 俺──鳴島優吾は、それを使うのだろう。

 

 

『未完の終末理論』

 

 

「あと三日で、この星は滅ぶ」

 

 〝二千三十年八月三日、絶滅の大公が訪れる。世界から光は失われ、神々は星を見捨てて逃げる。〟

 

 それが、彼女の──予言者ノラの語る予言だった。

 

「滅ぶ、か」

「……そう、君が負けてね。私の目には、それが見えた」

「そうか」

 

 ちらりと、深い蒼の眼が、こちら覗く。その奥深くに人智を超越した力を湛え、今までであれば、戦意をたぎらせていたはずの瞳。けれどそこに希望は無く、暗い絶望だけが現れていた。

 

「今まで、僕らはよく戦った。……とは言え、実際に戦っていたのは君だけだったけれどね」

 

 自嘲気味に、予言者は笑った。己に力がないことを恥じている彼女にとって敗北の未来、己ではどうにもならない破滅は、酷くショックを受けるものなのだろう。

 実際、彼女が〝負ける〟と言ったのは、後にも先にもこれが初めてだった。

 

 予言者はパラパラと、彼女が予言を書き記すための日記を捲り、諦めたようにそう言葉をこぼす。その中には、今まで戦ってきた相手の情報、そして掴んだ未来が書かれている。

 

「優吾、次が最後の敵、十九を超えて、最後の一体になった。だけどそいつには君でもきっと、きっと勝てない。僕らは、確実にそいつに負ける」

「……何?」

「だから、提案があるんだ」

 

 口の端を震わせながら、彼女は本を閉じてこちらに目を向ける。それは、もう未来を見たくないと言っているかのようだった。

 今から口にすることを、躊躇うような、そんな素振り。そして実際、それは彼女が言いたくはないことなのだろう。

 

「三日後に世界は滅ぶ。逆に言えば、三日間、時間がある。だから君はこれから、世界が滅ぶまで自由な時間がある」

「それで」

「日野さんと君が、一緒に過ごす時間に出来る。僕も最大限、それに協力する。……君らが二人でいられるように」

「そうか」

「……嬉しそうじゃ……ないね?」

「その気遣いは、嬉しい。だが、そうだな……そうする気がないから、な」

「……なんで……」

 

 決まった滅び、見えた崩壊。それが彼女の心を暗く沈ませている。

 

「それでは意味がないからだ」

「意味なんて……!」

 

 苦しそうに、ノラは端正な顔を歪める。きっと、彼女はこうなることがわかっていて、それでも、己の言葉で俺が諦めることに縋っている、そうなることを願っている。

 それはひとえに、俺が苦しまないように、なのだろう。──だが。

 

「三日後も、四日後も、一週間後も、一年後も。そこに俺たちがいないなら、今までの全部が無駄になってしまう。無駄にしないために、引き下がることはできないんだ」

 

 そう言われて、〝はいそうですか〟と戦うことを、抗うことをやめるなんて、できない。

 

「……君は、君はわかっていないんだ! 次に来るのは、今までの比じゃない。〝天墜の騎士〟とも〝孤独の龍皇〟とも〝極北の鳳〟とも、今までの相手とは全く違う、簡単に星一つを滅ぼせる、そう言う相手なんだよ!?」

 

 ヒステリックに、予言者は叫んだ。覗き見た未来が、それ程までに酷かったのだろう。普段、冷静な彼女がそうなってしまうような未来。それを知ることが叶わない俺に、その苦しみは計り知れない。

 

「だとしてもだ。今まで、楽な相手などいなかった。次もそうだと言うだけだ」

 

 楽観視しているわけではない。

 いつでも命を懸けてきた。次も、命懸けであるということだけ。俺にできるのは、それだけなのだから。

 

「そうじゃなくて──!」

「俺は勝つ。桜も、お前も、他の誰も……もう、絶対に死なせない」

「──」

「だから、俺は逃げない」

「……」

 

 黙りこくる彼女の手元にある日記を掴んで捲り、〝絶滅の大公〟とだけ題打たれた、ほぼ白紙のページを開く。

「その〝絶滅の大公〟の事を教えてくれ」

「……優吾、僕は……」

「あの時、言ったはずだ。お前の言う〝滅びの予言〟は俺が全て、嘘にしてやる、と」

 

 ぐいと、泣きそうな眼の彼女に、その本を押し付けた。

 

「でも、優吾、僕は……君に、あんな死に方をしてほしくない。君が、頑張ってきた君が……あんな死に方をするべきじゃない、そう思ってる」

「戦わなければ、俺は死ぬより後悔する。きっとだ、きっと。死ぬまでずっと、〝死ぬとしても行くべきだった〟と悔いる」

「ッ」

「行かせてくれ、ノラ」

「ぼくは……」

「俺に、これ以上大事なものを殺させないでくれ」

 

 狡い言葉だと、己の浅ましさが嫌になる。

 こう言えば、きっと彼女は折れるから。それがわかっていて、こんな物言いをした自分が、心底嫌になる。

 そして、予想通り、彼女は潤んだ瞳を閉じ、小さく頷く。

 

「……わかった、わかったよ。だから、優吾、二度と、君のせいで誰かが死んだなんてこと、そんなこと、言わないでよ」

「……ああ、すまない」

 

 彼女の視た未来でも、きっと彼女はこうして首を縦に振っていたのだろう。

 未来は、彼女の見た通りに、動き始めていた。

 

 ***

 

 沈んだ空気のまま始まったノラとの会議を終え外に出れば、すっかり日が沈みきり、平和な世であれば家々に灯りがつき、夕飯時だっただろう、夜と言って差し支えのない時刻。

 

 夏の湿った、まとわりつくような熱気だけが、記憶の中のままだった。

 

「あ、見つけた」

「……桜」

 

 呆と、古いブランコに座り、人の消えた街で燦然と瞬く星々を眺めていた背に、聴き慣れた声が投げかけられる。

 

「こんなところにいた」

「……夜に出歩くな、危ないだろう」

「む、君だって」

 

 桜の花の意匠のヘアピンを着けたセミロングの茶髪を揺らし、スマホのライトで足元を照らした彼女は、頬を膨らませ、隣のブランコに腰掛ける。

 

 少しの沈黙、そして桜がそれを断つ。

 

「また、人少なくなっちゃったね」

 

 何処を見たのか、彼女は小さく呟く。

 彼女の脳裏には、賑やかな街が思い起こされていて。

 自分の脳裏には、護れなかった己を責める人々の声が再生される。

 

「そうだな。ただ、仕方ないことだ」

「……仕方ないかもだけど、寂しいな」

「ああ、寂しいな」

 

 親しかった人も、親しくなかった人も。多くが死んだ。生きている人も、安全と思われる地域に移り住んだ。

 もう、この街に残っているのは、自分達を除いてどれだけいるだろうか。

 

「もうすぐ、一年だね」

「もうそんなにか。早いもんだな」

 

 力を得た日を思い出す。今でも、どうしてこれが自分の手の内にあるのか、それはわからない。

 

「君にとってはそうかもだけど、私にとってはすっっっごく長かったんだよ?」

「……すまないな、心配ばかりかけて」

「ううん、だって君が選んだことだから。それに、私の為でもあるんでしょう?」

「……それに頷くのは少し恥ずかしくはないか?」

「なんでも正直に言うのが一番だよ」

 

 それもそうだなと、苦笑する。

 

「あ、やっと表情変わった」

 

 そう言って、桜は少し心配そうに笑う。

 キィと、小さく鎖の擦れる音が、二人の間に転がった。

 

「ゆー君、ずっと難しい顔してたから」

「……してたか」

「うん、すっごく」

 

 彼女に気づかれるほど──人の機微に聡い彼女から隠し通せる気はしないが──に神妙な顔でもしていたのだろう。

 未来を見通す力を持つノラの予言、それは殆ど確実に訪れる。小さな事象であれば確定し、大きな事象であっても9割方その通りに、結果だけを見れば確実にそうなる、そういう力。

 だからこそ、その彼女が〝諦めた〟という事実は、相応の意味を持つ。それを、何も気にせずに居ると言うのは、いささか難しい話だった。

 

「桜、覚えているか」

「何を?」

「……昔にした約束だ」

「どれかな、沢山したよね」

「あれだ……その、あれだ」

「……もしかして、恥ずかしいやつ?」

 

 図星を突かれて、黙り込む。自分から言っておいて何だが、己の口からそれを出すのは、些か恥ずかしかった。こちとらまだ齢十九なのだ、そういうのは、少し恥ずかしいお年頃である。

 

「〝結婚しよう〟か、〝将来一緒に住もう〟か、〝俺が死んだら忘れろ〟か。まだまだあるけど……どれ?」

「最後のだけは忘れてくれ」

 確か、最初の戦いに出る前、何かあった時の覚悟のために伝えた言葉。

 今思えば、随分軽はずみな言葉だったように思う。

 

「えぇ〜……」

「……」

「はいはい、忘れるよ、ちゃんと」

「……頼んだ」

「君、恥ずかしがってる時本当にわかりやすいよね」

 

 隣から、親が子を見るような、優しい目線を感じる。今が夜でよかった、おそらく耳まで赤かっただろうから。

 

「桜」

「なぁに」

「三日後、世界は滅ぶらしい」

「うん」

「多分、次が最後だ」

「……そっか」

 

 きぃ、きぃ。ぎこ、ぎこ。隣で小さく揺れたブランコが、彼女と一緒に相槌を打つ。敢えて、顔を見ることはしなかった。俺は彼女の不安な顔を見れば足が止まってしまうし、彼女は俺の強張った顔を見れば送り出せなくなる。

 

「心配するな、とは言わん。だから、信じていてくれ」

「いつでも君のことを信じてる」

「勝って、またここに帰ってくる」

「ん、待ってます」

「それで……帰ってきたら、その、なんだ」

「うん」

「話がある、大事な話だ」

「……うん」

 

 二人の間に、微妙な沈黙が流れる。ずっと、一緒に生きてきた相手だからこそ、その約束が、〝もし守られなかったら〟なんて恐怖がある。お互いに、きっとそうなのだ。

 

「指切りしよう、ゆー君」

「……子供っぽくないか」

「手の甲にキスでもいいよ」

「指切りでお願いします」

「残念」

 

 きゅっと、互いの小指を絡める。

 幼稚な儀式だ、けれど、触れた指から伝わる熱が彼女が生きているのだと、教えてくれる。

 

「帰ってくること、約束」

「……ああ」

「嘘ついたら……針千本飲ます」

「……いつも思うが、過剰な罰だよな」

「茶々を入れないの──指きった! はい、これで破ったら針千本だからね」

 

 するりと彼女の指が抜けていく。無意味になるかもしれない、そんな祈りだ。

 けれど、祈りは小さくとも力になる。自分にはそれこそが、必要だった。

 

 幼稚で、けれど、温かな。三日後の世界を願う、そんな小さな約束だった。

 

 ***

 

 翌日、〝絶滅の大公〟が星に到来する前に、先んじて撃滅するため、優吾、ノラ、桜の三人は人の消えた街の空き地に集まっていた。

 空を見れば、いつだかに映画で見た、宇宙に浮かぶ人工の星のようなものが見える。確かあれは、未完成でも星一つくらいなら壊せるのだったか。

 実際、星を滅ぼすと言われても頷いてしまいそうな物体だった。

 

「優吾、わかっていると思うけど、君は負ける。だから死んでしまう前に、ちゃんと帰ってきて」

「負ける前提の戦いはしない、勝って帰ってくる」

「ちょっとは信用してよ」

「してるさ」

「じゃあ……!」

「だからこそだ。だからこそ、お前の〝未来〟をひっくり返してやる」

「……無理だ、そんなこと、できない」

 

 くよくよ、うじうじ。

 

 予言者は、己のみた未来の凄惨さに足を取られ、座り込んで動けない。

 戦士は、預言者の姿を見て、何とか前を向かせられないかと思案する。

 

 この二人は、揃うと空気が暗くなるようだった。

 

 そんな二人の背を、なんの力も持たない少女が、パンと叩く。

 

「うぉっ」

「わわっ」

 

 震えて待つだけの、無力で、無価値な、そんな少女は、呆気に取られ、ポカンと口を開けた二人を見て気丈な笑顔で言葉を紡ぐ。

 

「十年後も、二十年後も、そのまたずっと先も。私たちはここで、この星で生きてる」

 

 破滅の恐怖に、死の未来に、世界の崩壊に、最も力を持たない少女が、未来を語る。

 

「ノラちゃんが、ゆー君が、ううん、私たちが今まで生きてきた歴史も、意味も、これから先の未来も、誰にだって奪わせていいものなんかじゃない」

 

 それは、言い聞かせるような言葉だった。

 

「桜」

「日野さん」

 

「だから、私は君が勝って、ここでまた三人とも生きている未来を〝信じてる〟」

 

 決意を語る。未来を語る。願いを語る。

 

 日野桜に、力はない。

 星を救うために戦う力も、滅びの未来を予見する力も、何もない。

 けれど、彼女は強かった。それは心根の強さであり、信じている者のいる強さだ。

 膝をついても、祈ることをやめない、輝くような強さだ。

 三人の中で、苦難にあっても最も折れないのは、おそらく彼女だろう。

 

「私には、何もできないけれど。ここで、君を待つんだ」

 

「……おう」

「ノラちゃんも、ゆー君を信じてみようよ」

「日野さん、私は……」

「未来は変わるかもしれない、変わらないかもしれない。でも、やらなきゃ何にもならないよ」

 

 微笑んで、桜はノラの頬を優しく掌で包む。

 

「だから、信じよう。私たちのヒーローを」

「……うん」

 

「……小っ恥ずかしいな、それ」

 

 〝ヒーロー〟などと呼称されるのはむず痒いのか、優吾は頬を掻く。

 

「──でもまぁ、偶には〝ヒーロー〟でも、構わないか」

 

 笑うと、優吾は懐から、レバーの付いた、スマホ大の金属質のデバイスを──ステラドライバーを取り出す。それを腰に押し付け、星の意匠が施されたその端末の側面のボタンを押すと、しゅるりと、ベルトが飛び出し腰に巻き付く。

 

「離れてろ」

 

 桜とノラの二人が一歩後ろに下がったのを確認すると、彼は懐から、蒼──Earthと銘打たれた物──と赤──Marsと銘打たれた物──の、二つの小さなUSBメモリにも似た何かを抜き出し、端末の上部、ちょうどメモリが差し込めるようになっている部分に押し込み、カチリと接続する。

 

『Stella DRIVER ON ! Stella LINK ! Earth to Mars !』(星列接続、地球から火星へ)

 

 端末から、誰のものでもない機械音声が発され、その直後、何のためかわからない、ポップなミュージックも同時に流れる。

 

「……何度やっても、これ恥ずかしいな」

「私は好きだよ」

「そうか、なら、いいか……」

 

 彼女のその一言だけで、ちょっとだけこの小っ恥ずかしい行為を好きになってしまう、そんなチョロさが、彼にはあった。

 

『Metamorphose sequence Start ! Three──Two──One──!』(変身機構、起動開始)

 

 〝準備はいいか? 〟心などない機械音声が、そう聞いているような気がした。

 

「変身ッ!」

 

 気合いを込めて叫ぶ。

 

『Stella System ignition ! Metamorphose !』(ステラシステム起動、変身開始)

 

 ぐいと、レバーを下げれば、〝それ〟は始まる。

 ドライバーから光が溢れ、優吾の体を包んでいく。まぶしく、けれど温かい、そんな光。

 やがて、その光は直径二メートルほどの球体になり、優吾をそのうちにすっぽりと覆い隠してしまう。

 

『Earth To Mars ! Life To Bright ! Bright to Blaze !』(地球より火星へ。命は輝き、輝きは炎へと)

 

 光が収縮し、そして弾けて炎となる。燃え盛る光の中、〝それ〟は悠然と立っている。

 

『Complete !』

 

「変身、完了」

 

『Bright for fight ! start up!』(輝きのために抗え、作戦開始)

 

 黒を基調としたインナー、その上に燃え盛るような赤の鎧を纏い、そして頭部を、どこか西洋兜を思わせるフルフェイスのヘルメットが覆っていた。

 彼は、ぐっぐと、何度も手を握ったり、開いたりして〝よし〟と呟く。

 

「それじゃあ、行ってくる」

 

「「いってらっしゃい」」

 

 二人の声を受け、彼は飛び上がる。

 両の手足から炎を噴射させ、それを推進力として空に浮かぶ巨星へと、さながらスペースロケットのように。

 

 彼に待つのは地獄。

 〝死ぬ〟ことが既に決まっている、そんな地獄だった。

 

 

 

 登っていく炎を見ながら、彼女たちは祈る。

 

「行っちゃったね」

「……うん」

「ノラちゃんは、怖い?」

「怖いよ。だって、僕には未来が見えている。彼が死ぬ未来が」

「そっか」

「日野さんは、怖くないの?」

「怖いよ、私も」

 

 残された、戦う力のない二人が寄り添いあうように、隣り合って彼が残す白煙を見る。

 

「でもね。それと同じくらい、信じてる」

「……」

「信じてるから、彼が負ける未来なんて、私は来ないって思うんだ」

「でも、私の予知が外れたことは、ないんだ。未来は、必ずくる」

「それでも、ゆー君は勝つ。きっと、勝つんだよ」

 震える桜を見て、ノラは恐怖した。

 〝未来は変わらなくて、彼が死んでしまったら。彼女はどうなってしまうのだろう〟と。

 そして、〝私はどうなのだろう〟と考えて、彼が死ぬ未来を、その光景を思い出す。

 

 残された二人、戦う力のない二人。

 全然違う二人だが、自分が戦えない口惜しさと、優吾の無事を祈る気持ちだけは、同じだったから。

 

「……そう、だね。未来を変えて。帰ってくるよ」

 

 だから、少なくとも。今この時だけは、瞳を閉じて、一緒に祈りを捧げるのだ。

 それが無意味であっても、絶望の淵にあって、今にも落ちてしまいそうでも、祈ることだけはやめたくなかったから。

 

 ***

 

 その頃優吾は、ついに巨星──星というにはあまりにも機械的な──に降り立っていた。もしも途中で撃墜されたら、などという心配は杞憂に終わったが、今度は標的がどこにいるのか、探し出せるのか不安になっていた。

 

 入り組んだ迷路を星の表面にそのまま張り付けたような様相の巨星は、どうやって移動をしているのか、確実に地球へと迫っている。

 

「……早く見つけないと」

 

 一切物音のしない、静寂に包まれた機械の星。今までの敵は、ほとんどが生物的な見た目をしていた。それだけにこの場所は、異常に感じられた。

 

 その時だった。

 ゴゴゴと、星が律動する。星そのものが、さながらルービックキューブであったかのように、迷路の配置を組み替えていく。先程まで見ていた景色の100%が変わる。

 

 迷宮の如く入り組んでいた道が、一本の、整然とした回廊に代わる。まるで、〝ここにいるぞ〟と言わんばかりに、行先が示される。

 

「……ご丁寧なことだな」

 

 誘導されている。罠かもしれない。行った先に敵はいないかもしれない。

 いくつかを思案して、結局、一歩を踏み出した。最初から、彼にできることなど一つしかないのだから。

 

 

 

 機械的な回廊を進む。カン、カツンと鉄靴の踵が同じく金属質の床を叩き、蹴る。

 どこまでも静寂に沈んだ、寂しい星だなと、優吾は感じている。実際、己の歩く音と、時折歯車の蠢く音が聞こえるのみで、それ以上は何もない。

 

 そして歩くこと数分、ようやく終着点へと辿り着いた。

 そこは大広間と言って差し支えない場所だった。四角く、正方形に整えられた部屋。壁には何の文字かわからない装飾、天井には地球でいうところのシャンデリアが吊るされ、朧げな光が広間をほのかに照らしている。

 

 そして、その最奥。巨大な玉座に、何かが座している。

 薄暗いとはいえ、シャンデリアの明かりはあるというのに、その威容は、かろうじて人型であるということ以外、一切が窺えない。

 全身が黒く、まるでその空間だけ世界から切り取られてしまったかのように、それはただそこにいる。

 身じろぎの一つもせず、最早眠りこけていると言った方が正確ですらある。

 

 だからこそ、優吾は逡巡する。

 

 選択肢はいくつもある。初手から最大火力を叩き込み、速戦即決するか。遠距離からの攻撃を行い、様子見をするか。それとも、対話から始めるか。ノラの情報通りなら──自分は確実に勝てない。

 

 逡巡し、そして決断する。

 

「チャージ」

 

『Satellite charge』

 

 グッと、バックルのレバーを押し下げる。

 

 ゴウと、アーマー各部から炎のようなエネルギーが漏れ、徐々に右足へと収束する。

 

「マルスシュート!」

『Mars Shoot !』

 

 左を軸足に、ゆらめく炎を、勢いよく回し蹴りすることで放出する。脚部へと強烈に押し込められたエネルギーの塊が、轟音と共に〝黒〟へと飛来する。一切、動作のない玉座の上の存在に、飛来する炎の塊が直撃──することはなかった。

 

 その存在の黒い体表へ炎が触れると、それは〝食われ〟た。

 

「くっ……」

 

 それが防がれたでもなく、直撃してダメージを与えられたわけでもない。

 宇宙を直接殴りつけたような、そんな感覚だった。話には聞いていても、やはり、クるものがあった。

 

「やはり無意味か──ッ!」

 

 一瞬、思考が停止する。全力ではない、けれど、牽制というわけでもない。威力で言えば、それなり程度、だが〝それなり〟なのだ。

 倒せずとも、ダメージは入れられるだろう、そんな考えの元の攻撃。

 

 しかし、それは全くの無意味だった。

 

「なんだ、もう来ていたのか」

 

 そして、その攻撃が良い目覚めの元とでも言うかのように、それは〝起きた〟。

 微睡に、犬に戯れつかれでもしたかのような、安らかな目覚め。

 

「っ、ブレイズバースト!」

『Blaze Burst !』

 

 優吾は、無意味であると半ば理解しつつも、現状の最大火力を叩き込む。

 脚先に溜めたエネルギーを、直接、〝黒〟へと蹴り込まんとし──軽々と、開かれたその掌に受け止められてしまう。

 炎は霧散する前に吸い込まれ、掴まれた脚はまるで動かせない。

 

「まあ、待つが良い。余は寝起きなのだ、戯れるのは朝食の後でも良いだろう?」

 

 そう言って、軽く──事実、その存在からしたらただの仕草程度でしかなかった──手を振り払うようにして、優吾を弾き飛ばす。

 

「ぐぅっ──!?」

 

 何度も、バウンドを繰り返し、最後は壁に叩きつけられて止まる。

 力の差が、開きすぎている。その事実は、幾度も戦いを超えたとはいえ、まだ十九の子供の優吾の心の余裕を、ゆっくりと削っていく。〝敗北〟がゴールの戦いは、頑張ろうと言う気が削がれ、削れる。けれど、脚を止めるわけには、いかなかった。

 

「さて、前菜には──あの星を喰らおうか」

 

 そうして〝黒〟は──〝絶滅の大公〟は、悠然と、星空へと手を差し伸ばす。

 

 宇宙から、星が一つ消えた。

 

 それは一瞬のことだった。

 大公が手を伸ばせば、星が律動し、口を開く。その口に太陽系準惑星、冥王星と呼ばれる星が吸い込まれ、咀嚼され、世界から消える。

 

「ッ……!!!」

 

 優吾の背にぞっと、寒気が走った。星が食われる、その瞬間を見て、自分達の未来を正しく理解した。

 

「ふむ、小さいな、小さい、が。仕方ない、今はこれで満足しておくとしようか。──それで、この余に──〝絶滅の大公〟たるこの余に狼藉を働く貴様は、何者か?」

 

 見つめられた。たったそれだけで、優吾は、己の肩に数トンの重石がかけられたかのように錯覚した。威圧、重圧。その空間には何の異常もない、しかし、生物としての全ての感覚が、〝異常〟を感知している、警鐘を鳴らしている、警告を発している。

 

「余の眠りを妨げ、攻撃を仕掛け、朝食の妨害までもをしようとした。温情はない、だが、殺すのならば名くらい覚えておかねばならん。名乗れ、不埒者よ」

 

 大公が歩み寄る。

 一歩、近寄られるたび、威圧は深く、重くなる。

 一歩、近寄られるたび、恐怖が強く、圧しかかる。

 一歩、近寄られるたび、死の未来は、確実だという確信が走る。

 

「地球の──地球の戦士。鳴島優吾だ──覚えておけよ、お前が死ぬその時まで。俺がお前を、滅ぼす者だ──!」

 

 けれど、だからこそ。彼は──優吾は一歩を踏み出す。恐怖も、死の未来も、自分にのしかかる重圧も。

 彼女たちの〝信じる〟の言葉に、勝てるわけがないのだから。

 

「良い、覚悟だ。歓迎しよう、地球の戦士よ。そして──さようならだ」

 

 パチンと、大公が指を鳴らす。

 直後、どこからともなく、無数の〝炎〟が、優吾へと襲いかかった。

 

「鳴島優吾、貴様を戦士と認め──この余が、直々に、〝絶滅〟へと誘おう」

 

 

 

 

「っ、ぐ、ぅぉぉぉおっ!!!」

 

 降り注ぐ炎、吹き荒ぶ宇宙嵐、押し寄せる無数の流星群。

 大公の攻撃は、全てが規格外だった。

 

 優吾が一つ、動作をすれば。大公は三つ、何かを行う。

 優吾が一つ、攻撃を行えば。大公はその全てを喰らう。

 

 あらゆる攻撃が範囲攻撃であり、定点攻撃だった。己の領域だろう大広間を削り、破壊し、標的を殺す、そのための嵐。

 

 攻防ですらない、児戯に等しい抵抗。戦いは一方的なものだった。

 

「チェンジ、ジュピター!」

『Mars to Jupiter ! 』

 

 素早く、メモリを取り替え姿を変える。真紅の戦士は、新緑へと姿を変える。

 

「ボルテクスストライク!」

『Vortex Strike !』

 

 即座に、腰に提げた剣を引き抜き、それに纏わせた最大火力の天を衝く豪雷を放つ。

 

「貧弱」

 

 電圧にして10億ポルト、落雷の十倍程の電撃は、大公の体表に触れる前に、周囲を吹き荒れる宇宙嵐に掻き消される。

 

「チェンジ、マーキュリー!」

『Mars To Mercury !』

 

 蒼き鎧を纏う。その手に握られた剣は変形し、長大な鎌へとなった。

 

「メルクリウスリーパー!」

『Mercury Reaper !』

 

 ゆるりと変形する鎌の刃先が、金属質な見た目とは裏腹に柔らかくしなる鞭となり、明確な殺意を持って、大公の首を切りつける。

 

「惰弱」

 

 それは一切の傷を与えることなく、無為に終わる。

 

「チェンジ──ぐっ!?」

「もうよい、飽いた」

 

 優吾の身体を、目に見えない何かが万力の如き圧力で掴む。

 

「余は、貴様に少し期待していたのだ」

「ぐ、ぉ……」

「震えていたとしても、この余に、真っ向から立ち向かおうとした者は久しい。胆力、精神力、それは認めよう」

 

 だが、と言葉をつづける。

 

「だが貴様は、弱い、悲しいほどにな。所詮、滅びゆく定めにある小さな星の、小さな存在に過ぎぬ」

「っ、っ」

 

 ギギと、優吾の骨が軋む。

 

「鳴島優吾よ、貴様は十二分に抗ったであろう。そして、理解したはずだ」

「ざ、け……っ!」

 

 ぶちりと、念力で左腕がちぎれ、しかし力に捕まったまま、のたうち回る。

 

「──が、ぁぁぁあっ、っっ……!?!?」

 

 噴き散らされた血肉すらもまた念力に捕まり、地面に落ちることはない。逃れられぬ捕縛。異様な光景だった。

 

「貴様は、余には勝てない」

 

 丁寧に、丁寧に。大公は彼の心を折らんとする。

 

「ぅ、ああああッッッ!!!」

 

 けれど、まだ彼の心は折れていない。

 裂帛の気合い。己の身が裂けるのすら厭わず、優吾は唯一自由な右腕に握りしめた鎌、その形状を変え、その刃先を大公の胸元へと突き込む。身動ぎが、致命傷をひろげていく、これ以上動くなという警鐘が、頭に響いて止まらない。

 

「ま、け、ねぇッ!」

「……恐ろしい。根性、と言うものか──〝ソレ〟は折っておかねば」

 

 ぶちり、今度は、明確に右腕が引きちぎられる。

 

「──ッ──ッァ──ァ──?!?」

 

 痛みに呻くことすら出来ない。例え、声を発したところで、何も変わらない。常人であれば、ショック死していたであろうほどの激痛。しかし幸か、不幸か、まだ彼は生きている。

 

「腕を捥いだ。次は脚だ、そして最後は心の臓を」

 

 ぶちり、ぶちり、ぞぶり。

 一つ、解体が進むたび、一つ、作業が進むたび、彼は声にならない絶叫をあげる。

 だが、まだ死なない、まだ死ねない。もはや、その姿は哀れですらあった。

 

 これこそが、ノラの──予言者の見た未来。凄惨で、陰惨で、壮絶な死。その道筋。

 

「ではさらばだ、鳴島優吾よ。青き星の、最後の戦士よ」

 

 そうして、最後。心臓を抜き取られて。ようやく、彼の身体はその活動をやめた。ボロボロの鎧、血まみれの体、苦悶に歪み、固まった表情。

 

 何もかもが、ノラの見た未来の通りになった。

 この後に始まるのは、星の滅び。

 冥王星のように、他の星々も、同じように食われ、無くなる。

 

「最後の戦士は死んだ。貴様らを守るものはもう無い。さぁ、全てを喰らうとしよう」

 

 斯くして、地球は終わる。太陽系は終わる。終末論は本物となる。予言は訪れる。

 世界に、明日は来ない。朝日は訪れない。

 

 

 

 

 

 

 人間は、生命活動を止めても、ある程度の時間、聴力や嗅覚が生きていることがある。

 腕を捥がれ、脚を千切られ、心の臓を引き摺り出されて尚、彼の思考は止まっていなかった。とは言え、それは正常な動きではない。眠る前のような、朧げな思考。

 

 夢を──走馬灯を見ていた。懐かしい、過去の記憶。一番大切な人との、記憶だ。

 

 桜との出会いは、所謂、お隣さんと言うやつだった。家が隣で、たまたま同じ歳に生まれた子供。その程度だった。

 

 別段、惹かれていたわけではなく。付き合いも、普通だった。

 歳をとるにつれて、性差が必然的に二人の距離を離して。

 けれど、ある事件から、二人はずっと一緒だった。

 たくさんのことがあって、たくさんの思い出があって。

 当たり前のように一緒にいて、例え誰かから揶揄われることはあっても、嫌ではなかった。

 

 いつか、話そうと思っていたことがあった。

 いつか、言いたかったことがあった。

 いつか、話したいことがあった。

 

 沢山、沢山、思い出して、思い出して。

 

 そうして、約束をしたのだと、思い出した。

 

 

「私は君を、信じているよ」

 

 

 もうそこにあの熱はない。それでも、指先の感覚を今でも覚えている。約束した、あの声を覚えている。

 

 彼女の泣きそうな目を、覚えている。

 

 それは忘れてはならないもので、それは愛していたもので、これからも、守りたいものだったから。

 

 鼓動が聞こえる。己に最早、心臓はない。

 鼓動が聞こえる。ならば、これは何なのだろうか。

 鼓動が聞こえる。ああ、熱くて仕方がない。

 

 熱くて、熱くて──魂まで燃えてしまいそうだ。

 

 

 

『君は、この銀河を守るために、もう一度戦えるか?』

『君は、この銀河を守るために、己を擲てるか?』

『君は、この銀河を守るために、その身を捨てられるか?』

 

『君は、我々共に歩む事を選べるか?』

 

 

 

 その時、死星の彼方、地球で預言者は未来を見た。見たくないと思っていたもの、彼が死を迎え、自分達が滅ぶ未来。

 

「未来が……変わった?」

 

 予言者は見た、滅びの未来と、生存の未来を。どちらも訪れる可能性がある、彼女が初めて見た、〝まだ決まっていない〟未来を。

 

 

 

 ゴウと、炎が巻き起こる。

 

「っ、何!?」

 

 ゴウと、炎が巻き起こる。

 

「何者──いや、違う、まさか」

 

 死した優吾の身体を中心に、真っ赤な嵐のような炎が巻き起こる。

 彼を護るように、これ以上辱められることないように、その身を燃やしていく。

 

 しゅうしゅうと、音を立てて、肉が燃え尽きていく。

 じゅうじゅうと、音を立てて、流れ出た血が焦げていく。

 

 轟轟と燃え盛る紅蓮が、彼の合切を焼いていく。

 

「諸共に自爆でもするつもりか。だが、その程度の炎で、余を焼くことなど──ぬぅっ!?」

 

 そうして、炎が爆ぜる。カッと、赤い、赤い炎が周囲を照らした。

 闇夜にそまったように暗い、半壊した大広間を、真昼の太陽が照らす。

 その衝撃が、その爆風が、今まで全ての影響が見られなかった大公を、後ずさらせた。

 

 そして、真炎の裡より、彼は立ち上がる。現れる。

 炎の膜を突き破り、滅びを認めぬ戦士が、闇の大公へと突き進んだ。

 

「う、ぉ、ぉぉぉぉぉおおおおっ!!!」

 

『Earth To SUN ! Stars watching over you ! Fight for Live together ! 』

(地球から太陽へ。星々はいつでも貴方を見守っている。さあ、共に戦おう、我々が生き残るために!)

 

 彼が今纏うアーマーは、今まで彼が纏ってきたどれとも違う、仄かな輝きを放つ、太陽をそのまま物質化したような、暖かな、それでいて苛烈なオレンジの鎧。各部位には、彼が今まで扱ってきたメモリが差し込まれ、常にエネルギーを放出し続けている。

 

「フレアオブサンッ!」

『Flare of SUN !』

 

 炎を纏い、彼は大公を殴りつける。見てくれはただのテレフォンパンチ、しかし、〝何か〟が今までとは違った。

 それまでならば、正面から受けても傷を負うどころか、衝撃の一つも与えられなかった拳が、明確に、大公の顔を強く打ち付ける。

 

「ぐっ……!?」

 

「プロミネンスラース!」

『Prominence Wrath!』

 

 炎が、猛り狂う。渦を巻く豪炎、闇の身体がそれを打ちつけられるたび、吸収しきれなかったエネルギーに、大きく仰反る。

 

「なんだ、なんだというのだっ!」

 

 たまらず、大公は距離を取る。それまでと同じように、彼の身体を念力で掴むことで拘束し、そのまま首を捻じ切らんと力を強める。

 

「ぐ……ぅ、おおっ! ソーラーバーン!」

『Solar Burn !』

「なにっぐぉぉっ!?」

 

 しかし、今度はそうはならなかった。彼のバックルが光り輝くと、極限まで圧縮された〝太陽フレア〟が爆発する。

 彼を掴む念力が強引に引き剥がされ、その余波から大公もまた、大きく吹き飛ぶ。

 

「ぐ……貴様、貴様は、何だ!」

「もう忘れたのか、お前を殺す、戦士の名を!」

「貴様は死んだ、確かに死んだはずだ! 人間が、あの状態から蘇生することなど、あり得ない! 何があっても、貴様が蘇ることないよう、腕をもぎ、脚をちぎり、心の臓を潰した! だというのに、何故死んでいない!?」

 

 事実、その通りだった。

 人間は腕を捥がれれば死ぬし、足を千切られれば死ぬし、心臓を潰されれば死ぬ。

 であれば、何故、優吾は生きているのか。

 

「不死鳥は焔の裡、灰の底より蘇る。死人ならば火葬され、仏と成って昇華する。ヘラクレスは己に火をつけ、不浄を焼くことで星になった」

 

 優吾が語る。

 

「人間は炎の下、その奥底で変化する生き物だ。良く、悪くも、人をやめるんだ」

 

 優吾が語る。

 

「だから、お前を殺すために。お前に勝つために」

 

 優吾が、語る。

 

「俺は、星になった」

 

 

 

「何を、何を言っている。何を言っているのだ、貴様は」

「言葉のままだ。俺は人をやめた。人のままじゃ、お前には勝てない」

「魂の昇華、いいや、存在の次元を上げるだと。それは、〝人の身〟では行えぬ、あり得ない行為に他ならない!」

 

 理解できない存在を見るように、大公が、一歩後ずさる。

 

「それが成せるのは、神だけだ。それは人間がどれだけ手を尽くそうが、成し得ぬ!」

 

 その時、スッと、優吾が大広間の天井を──否、さらにその向こうを指し示す。

 

「俺だけじゃ無理だった。俺一人じゃ、立ち上がれなかった。だから、皆に手伝ってもらったんだ」

「皆──? まさか、星々だと。言葉無き力、意志なき者どもだ、あり得ん!」

「星喰らいの肥え太ったお前なんかと話すはずないだろう。ステラドライバーは、星の力だ。地球だけのものじゃない、星々の力だ」

 

 ぐいと、バックルのレバーを押し下げる。

 

「星は、彼らは言ってくれた! 滅びるべき理由などないと! 俺たちが生きようと足掻き、光を求める限り、この世界は手を差し伸べるのだと!」

 

 各部位のメモリが、光り輝く。

 

「だから、その手を掴んで、俺は〝生きる〟ために戦う!」

 

『Earth ! Mars ! Jupiter ! Mercury ! Venus ! Saturn ! Uranus ! Neptune ! 』

 

「生きるために、お前を倒す! ここでぶっ倒されろ、〝最後の敵〟!!」

 

「余は、〝絶滅の大公〟だ、敗北は、滅びは許されない。故に、貴様の足掻きも、無為のものとしようッ!」

 

『SUN !!!!!』

 

「砕け散れ、クラスターデストラクション!」

『CluStar Destruction !!!』

 

「舐めるな、ダークマターブラストッ!」

 

 光と闇が、激突する。

 

 

 ***

 

 

「滅びを受け入れよ、その生きる意志こそが最も忌むべきものだッ!!」

「生きる意志こそが、最強の力だ! 何が何でも生きてやろうと足掻くことこそが、俺がここにいる理由だ!」

 

 光が闇を打ちつけ、闇が光を飲み干さんとする。

 

「だが、貴様は死を受け入れここに来た筈だ! 予言者は、貴様の死を語ったはずだ!」

「ノラが語ったのは、確かに死だ。だがそれは、〝人間だった〟鳴島優吾の死だ! 俺は確かにここにいる、今もここで、生きている!」

 

 宇宙嵐を太陽フレアが打ち消し、無数の炎を潜り抜け、降り注ぐ流星群を砕いて。彼は大公と殴り殴られのインファイトを繰り広げる。

 

「だから、死ぬつもりなんて毛頭ない! お前を倒して、平和を手にして、俺はあの日常に帰る!」

「ならば貴様を、その願いもろとも滅亡の底に叩き込んでくれるわ!」

 

 何度も、何度も、ぶつかり合う。

 彼は持てる力の全てを注ぎ込み、大公の腹部、その中央を何度も打ち据える。先までに比べれば、ずっと、〝戦い〟になっている。

 だが、優吾が無傷で攻防を繰り広げられているかと言われれば、そうではない。

 

「ダークネスラッシュ」

「ぐっ」

 

 薄く引き伸ばされた闇が、彼を襲う。

 小さく、けれど確実に傷を刻む。

 

「ブラックスラスト」

「づっ」

 

 螺旋状に回転する闇が、今度は肩を貫く。

 鎧に開いた穴から、血が垂れ、床に落ちる前に彼の熱により蒸発する。

 

 そして、つけられた傷の全てが、徐々に塞がっていく。流れ出たものはそのままに、上辺だけが補修されていく。

 

「──完璧に人ではなくなったな、鳴島優吾!」

「お前を倒せるのなら、人の身など捨ててやる!」

 

 確かに恐怖はあった、人でなくなる恐怖。異物になる恐怖。異常になる恐怖。

 けれど、覚悟があった。決意があった。

 なればこそ、それは乗り越えて然るべき〝恐怖〟なのだ。

 

 鳴島優吾は戦士である。故に、勝つために全てを捨てるのは、必然だった。

 

 ──ただ一つだけ。

 約束を嘘にしてしまったことだけは、悔やんでも、悔やみきれなかったけれど。

 

 これは、〝人〟としての〝死〟。不可逆の、変化。

 もう普通には生きられないのだろうな、と優吾は考えて、少しだけ、悲しくなった。

「俺が人間のままじゃ、〝戦うため〟の条件が整っていなかった。お前に勝つための、条件が満たせていなかった」

「その程度で──ぐっ」

 

 ガッと、戦士は大公の顔を掴み、〝翔んだ〟。

 脚部から、この星に飛来した時の数倍のエネルギーを放出。殺人的な加速度を得た彼は、広間の天井を突き破り、上層部の回廊を貫いて、暗く、しかし今は陽の光が闇を照らしだした、宇宙を翔ぶ。

 

 拘束を緩めるべく、大公は何度も優吾に攻撃を加える。しかしその一切を、圧倒的な光で弾き続けた。

 

 彼が目指すのは、大公が喰らわんとした星──地球。

 優吾が決戦の地として選んだのは、他ならぬ、己の生まれ故郷であった。

 

 

 

 星が降る。闇と光の連星が、地上に降り来たる。

 優吾の住む街、そのはずれの、もう人の住んでいない住宅地へと墜落した。

 

「オオオオオッ!」

「ぬぅぅぅうっ!」

 

 隕石の如き勢いと速度で地表に激突し、お互いに大きく転がり、吹き飛ぶ。

 衝突の激震が、周囲のビル群を破壊し、崩す。優吾は心の底から、人が住んでいない地域で良かったと胸を撫で下ろした。

 

「アローオブヴィーナス!」

『Arrow of Venus !』

 

 先に体勢を立て直したのは、優吾だった。

 抜き打ち気味に放たれた光の矢が、闇の大公へと降り注ぐも、それは闇に防がれ、牽制にすらならなかった。

 

「貴様の狙いは、余を死星より引き剥がすことか!」

「ノラに聞いた! お前の力の源は、あの星が食ったエネルギーなのだと!」

 

 再度、光と闇が激突する。今度は、互いに武器を握り、斬り結ぶ。

 優吾は燃え盛る炎の剣、大公は物質化した闇のような暗黒の剣をそれぞれ振るい、お互いに手傷を負わせ合う。

 

 炎の剣に切り裂かれた部分から、闇が漏れ、闇の剣に切り裂かれた部分から、光が漏れる。

 

 数合斬り結んだ後、互いに一歩下がり、間合いを開く。

 

「ステラブレード、イグニッション! チャージ〝サターン〟!」

『loading …… loading ……complete! 〝Saturn〟!』

 

 カチリと、柄頭にメモリを差し込む。

 

「全てを懸けろよ、星の剣!」

『Stella Power Extend ! 』

 

 剣が星の力を纏い、燐光を発する。それは、陽の光の当たる地上にあっても煌々と輝き、世界を明るく照らしている。

 

「余を死星より剥がした程度で対等に戦える、そんな幻想を打ち砕いてやろう」

 

 闇が渦を巻く。剣に流れる可視化された闇の力がゆっくりと収束し、やがてそれは一見何も起きなかったかのように、剣へと吸い込まれた。

 けれど、その実、星の剣に負けないほどのエネルギーを纏い、そこにある。

 

 光が輝き、闇が渦巻く。そこにあるだけで周囲を削り、解き放たれれば簡単に街一つを飲み込むであろう力の奔流。

 

 戦士は、それを天高く掲げ。

 大公は、それを地面スレスレに、低く構える。

 

「幻想かどうか、自分の目で確かめてみろッ!」

「それが遺言か、鳴島優吾!!!」

 

 天から、光が振り下ろされ。

 地より、闇が振り抜かれる。

 

「闇を蹴散らせ、ルミスエクスパンション!」

『Lumis Expansion !』

「光を喰い散らせ、ヴァンキッシャードライブ」

 

 何度目かの、相反する二つの力の衝突。

 

「う、お、お、お、お、お!!!」

「は、あ、あ、あ、あ、あ!!!」

 

 眩く、温かな包み込むような光の奔流。

 暗く、世界を丸ごと飲み込んでしまうような闇の渦。

 溶けあうように、喰らいあうように、決して交わることのない二つの力は、真っ向から互いを食い潰し合う。

 力は拮抗していたかのように見えたが、徐々に光──優吾が押され始めた。

 だから彼は、文字通り〝全て〟を注ぎ込むのだ。

 

「追加だ──!」

『Loading……Loading……complete ! STARS Energy discharge !』

 

 各部のメモリが煌めき、それぞれの力が剣、そして放たれた光へと流れていく。それぞれが力強く輝き、そして一つの強大な光へと束ねられた。

 8色の虹が、闇とせめぎあう。

 

「っ、星系一つのエネルギーか! だが、それでは貴様の体が保つまい! いくらその鎧がフィルターとしての力を持とうが、人間である貴様に──」

 

 そこまで考えて、大公は目を見開く。

 

「まさか貴様、貴様は!」

「何のために、俺が俺を捨てたのか、わかったか、絶滅の大公!」

 

 ステラドライバーは、膨大な星の力をメモリ、鎧各部のディスチャージャー、そしてドライバー本体の三部を介してそのエネルギーが人体へと致命的にならないよう程度に抑え、且つ扱えるようにするための機構。

 故に、その出力は引き出せたとしても本来の5%にも満たない。

 人の身で、それ以上の出力を引き出すと言うのは、全身の崩壊を招く。

 

「己の身体すらを贄として、余を討たんとするか!」

「そうでもしないと、全部無駄になる。それに」

 

 優吾が人の身で無くなった事で得たのは、超人的な耐久力だけではない。

 彼らから賜った肉体は、星々への親和性を高め、エネルギーを最も効率よく引き出すことすら可能となった。

 

「勝つために、全てを懸ける──それぐらいしか、出来ねえんだよッ!」

 

 戦う力はある。立ち上がる理由もある。

 ならば、あと必要なのは、〝覚悟〟だけなのだから。

 

「俺たちの未来に、お前の影は──必要ない!!」

 

 パキリと、鎧が割れる。星の鎧であっても抑えきれないほどの出力が、闇の大公を光の中で捉えて離さない。

 

「俺たちの十年後、その先に、お前の手は伸ばさせない!」

 

 ピシリと、剣にヒビが走る。

 

「彼女たちのハッピーエンドを、邪魔させない!」

 

 一際大きく、光が瞬き、輝く。光の渦が大公を削り、破壊し、邪悪な意志を打ち砕く。

 直線上に放たれたエネルギーは大地を駆け、重力を突き抜け、大気圏すら突き抜け、一条の光として宇宙からも見えた事だろう。

 

「──カ……ァ……ッ!」

 

 鎧が崩れる。剣が崩れる。

 優吾を護っていた全てが、崩壊を始める。

 如何な星の鎧といえども、8の星全てのエネルギーを受けて無傷とはいかなかった。だが、その役割は全うしたと言える。

 なぜなら優吾はまだ立っていて、鎧というフィルターを通さずとも、あと一撃程度なら放つことができる状態だったから。

 

「まだだ、まだ余は……」

 

 そして、闇もまだ、立っている。その身体はどこか萎んだように見えるが、その重圧はなおも健在だ。

 

「余が、滅びることなど──ありはしないのだから!」

「いいや、ここで滅ぼす、ここで倒す。ステラドライバー、最後の仕事だ!」

『Full Charge !』

 

 傷だらけで、ボロボロのドライバー、そのレバーを三度、押し下げる。最早、鎧の体を成しているだけで、身を守るにはあまりに心もとない。

 

「負けられぬ理由があるのが、貴様だけと思うなァ! 滅びを与え、その全てを喰らい尽くすことこそが、余の──〝絶滅の大公〟の本懐! ただの人間一人に、止められることなど、あってはならぬのだから!」

「お前の理由が何だろうが、関係ない! お前には何も奪わせない、一つも滅ぼさせない、一歩も俺の背後には行かせない!」

 

 叫ぶ、戦う理由を。

 叫ぶ、負けられない理由を。

 

 互いに満身創痍、次の一撃が、最後になるだろうことを、お互いに理解していた。

 

「喰らえよ、星の息吹を!」

『Explode Nova !!!』

「闇の底で、貴様の滅びを見るがいい!」

 

 優吾が放つのは、光を纏った──星一つが生まれるのと同じ熱量を持った──強烈なアッパーカット。本来であれば、超新星爆発一つと同等のエネルギーを相手に流し込み、内部から爆発させる、物騒極まりない技。けれど、今は違う。

 

 何もかもを飲み込まんとする闇を迸らせ、大公がそれを迎え撃つ。

 

 素早く振り抜かれた拳が、大公が動く前に、その闇を、そして大公の身体を強く打ちつける。

 

「ッゥオオオオッ!」

 

 拳頭の接触した部位が、スパークする。人一人が扱うには過剰な、しかし大公を〝倒す〟には不足した、力の塊。

 

「──ぶっっっ飛べェェェェッ!!!」

 

 だから、それを〝倒す〟のではなく、〝弾き飛ばす〟ことに使う。

 闇の大公、それそのものを倒す必要は、彼にはない。倒せるのなら、自分でなくても良いのだ。

 

 だから、この星系の中で、最も強い力を持った星──太陽まで、大公を殴り飛ばす。

 

「ぬぐ、あ、ぁぁぁぁぁあっ!?!?」

 

 予想外の一撃。大公は一切の対処ができず、優吾の狙い通り、高く、高く、空すら突き抜け、地球を照らす恒星へと真っ直ぐに飛んでいく。

 

 何も知らぬものが見れば、さながらスペースロケットの如く、白煙の尾を引きながら空高く突き進む。

 

(う、動けぬっ!)

 

 大公といえど、空を掴むことはできず、あまりの速度に方向の転換すらもできない。

 

 やがて、大気圏、重力圏すらも突き抜けて、青い星を照らす、太陽へと辿り着く。

 

 大公は、星に意志はないと言った。星に声はないと言った。確かに、星に心はなく、星に言葉はない。ただそこにあるだけの、伸ばせばいつか、手の届くもの、それが星だ。

 

 だから、今まさに大公の身を焼かんとする太陽の熱は、別に星の怒りでも、なんでもない。

 

「があ、ぁぁぁあっ!!!!!」

 

 闇の身体が、恒星に落ちる。渦巻く炎、噴き出す光熱、分裂を繰り返す原子核。満ちるのは星系を一つ作り上げる超重力。星を滅ぼす力を持っていても、逃げることのできない圧倒的力。

 

 大公は、これからずっと、焼け滅ぶその時まで、この星に捕まり続ける。

 たとえ星の寿命まで、大公が生き続けたとしても、その頃には優吾の守りたかった世界は役目を終えている。だから、これは彼の勝ち。

 己でとどめを刺すという、意地を捨てた彼の勝ちだ。

 

 斯くして、大公はその身を封じられた。いつかどちらかが滅びるその時まで、この星の中で、炎の中に在り続けるのだ。

 

 ***

 

「……終わった」

 

 大公を殴り飛ばし、鎧は、ドライバーはその役目を終えた。

 引き出された力に耐えきれず、その破片が、砕けたものがボロボロと崩れ落ちていく。

 

 やがて、体を覆うインナーだけを残し、鎧は完全に崩壊した。

 

 今もなお、彼の頭上で輝く太陽の中、最後の敵は焼かれ続けている。

 帰ってくるのではないか、倒せないんじゃないか、そんな不安は確かにある。けれど、彼は信じるしかない。

 信じる力が、この世で一番強いのだと、彼は知っているから。

 

 

 

 歩く。歩く。

 一度は再生したが、腕を、足を、内臓をちぎり取られたダメージまでは、元には戻っていない。

 

 歩く。歩く。

 瓦礫に躓き、転ぶ。起き上がれずに、蠢いた。疲労と、負傷、その両方が起因して、彼は最早芋虫のように這いずることしかできないほどに、弱っていた。

 

 星の力を注がれても耐えられる身体というのは、万全でいられる身体というわけではない。相応に、体内に蓄積されたダメージはある。

 それを、戦いの興奮と、気合いで耐えていただけにすぎない。

 

 例えるなら、最大HP100の内、50を大公に、40を注がれたエネルギーに削られたようなもの。それほどに膨大で、人の身では耐えられないものだった。それを使わねば倒せなかった。

 

 ただ、それが原因で、いま彼は本当に死にそうになっている。小石でもぶつければ意識が飛ぶ、そういう状態だ。

 

 だから、彼がそのまま意識を失うのは、当然のことだった。

 

 

 

 頬を撫でる緩やかな風と、照りつける太陽に、目を覚ます。頭の下に、柔らかな感触があって、誰かが、話している声が聞こえる。

 

「これで、全部終わったのかな」

「僕が見える未来の中に、これ以上の敵の存在は確認できない。終わったんだ、本当に」

 

 重たい瞼を開く。

 見慣れた顔が、そこに居た。

 

「……桜……ノラ……」

 

「あっ、起きた!」

「おはよう、優吾」

 

 二人の少女が笑む。それは、戦いが終わったことを知らせるもの。

 

「俺は、未来を変えたぞ、ノラ」

「……うん」

「この先、ずっと先も、この星は滅ばない」

「……‥それは、まだわからないよ」

「あぁ、だから、この先も証明し続ける」

「……僕たちには無理……待った、君、まさか!」

 

 ノラの瞳が、強く輝く。それは比喩でも何でもなく、彼女が未来を見るとき、力を使っている時にそうなるのだ。

 つまり、彼女は今、未来を見ている。

 

 〝俺がこれから言うことを、視た〟ということ。

 

「ああ。これからも、俺はこの星の守護者なんだよ」

「結んだのか、それがどう言う意味か、わからないわけじゃないだろう!?」

「必要だったんだ、じゃないと、みんな死んでしまっていた」

 

 淡々と、彼はそう語る。

 

「だとしてもだ! 僕が、いいや、日野さんだってそれを望まないくらい、わかっているはずだ!」

「ま、待ってよ二人とも、どういうこと……?」

 

 事態に追いつけていない桜が、説明を求めて、優吾が口を開く。

 

「俺は、もう人じゃない。この先、二人とはもう一緒にはいられない」

 

 そうして、彼は、己の死を語るのだ。

 

 

 

 人が死ぬのは、忘れられた時だ。なんて言葉がある。

 俺は、そうだとも、そうでないとも思う。

 死んだ人間は、死んだ人間だ。死人に口無し、死体は起き上がらず、屍は動かない。

 ならば、人が死ぬのは、いつなのか。

 

 それは多分、〝己が己である〟と確固たる意志を持って宣言できるものが失われた時だ、と思う。

 世界を救うために、守るために、何もかもを捨てた。全部を捨てたせいで、俺は、俺が何であるかも、捨ててしまった。

 

 記憶はあるのに、その記憶に結びついたものが、思い出せない。

 自分が、何を考えて、何を想って、何のために生きていたのか、思い出せない。

 

 彼女が生きていて、嬉しいと言う記憶はあるのに、それに結びついた〝愛〟とも言うべきものが、薄れていくのがわかる。

 

 俺にとって、俺を形成するのは間違いなく、〝大切な誰かへの愛情〟だったのだ。

 

 俺はそれを無くした。

 

 彼女が俺を大切に想ってくれているのを知っている。

 俺が彼女を大切に想っていたのを知っている。

 

 けれど、その実感がないのだ。

 何も、何も。

 

 だから、一緒にはもういられない。一緒にいるだけで、忘れた者と、忘れられた者は互いに傷つけ合うのだから。

 

「だから、一緒にはいられない。……これも、お前が〝見たくない死〟の形か」

 

 小さく苦笑した。いつか、この感情も、なくなるのだろうか。

 

「……‥何を、言ってるの、ゆー君……?」

「……言った通りだ。俺は、俺の全てを燃やしてしまった。俺が大事にしていたものを、多く燃やしてしまった」

「……っ」

「君のことが好き──だったんだ。それを覚えている。だがこの記憶も、そのうち燃えるんだ」

 

 今なお、彼の思考能力には、炎がチラついている。ジリジリと、炎が燃えている。

 

「……私との、約束も、忘れちゃった?」

「忘れてはいない、だけど、そのうち忘れる」

「なら、なら! 今も、君が覚えているなら!」

 

 桜が、泣きそうな顔で、叫ぶ。

 

「今ここで、たとえ忘れてしまうとしても!」

 

 彼女はポケットから、木製の小箱を取り出した。日に焼けて、色褪せた箱。子供が、宝物を入れるために使うような、そんな箱。

 

「君が忘れてしまった、ううん、無くしてしまったもの」

 

 小箱を開くと沢山の、彼女の宝物が顔を覗かせる。沢山、宝物があって、その中には彼が燃やしてしまった、彼が大切にしていた記憶もあった。

 

「手、出して!」

「え。お、う」

 

 その中から、おもちゃの指輪を取り出して、桜は優吾の薬指に嵌める。

 

「!?」

「日野さん!?」

 

 突然の行動に、優吾とノラは身動きの一つもできなかった。ノラに至っては、未来として見えていたと言うのに、やはり驚いている。

 

「君が、忘れてしまっても私が覚えてる! 君が無くしちゃったものを、君が燃やしちゃったものを、私はずっと覚えてる」

「……桜」

「それに昔のことを忘れちゃっても、これから沢山、思い出を作れる」

「だが……だが、俺はもう人じゃないんだ。いつ死ぬかも、いつまで生きるかも、わからない」

「……だから?」

 

 彼が、逃げようとして。彼女が、掴んだ手を離さない。

 

「だ、だが、今の俺じゃ、君を幸せに……」

「私は君といられたら幸せです!」

「……ひ、人じゃないんだ、どうなるかわからない」

「人じゃないことの何が問題なの? 全然違うよ。私が好きなのは、君なんだよ。人間だから好きなんじゃない、人間じゃないから好きなんじゃない。君が君だから。私は君を好きになったんだよ!」

 

 顔を真っ赤にして、彼女は叫ぶ。終わりかけた、これから始まる世界の中心で。

 

「私の気持ちは私が決めるんだ。私が誰と一緒にいて、誰を好きになって、誰を愛して、誰を思って死ぬかは、私が決める」

 

 叫ぶ。

 

「君にだって、決めさせない」

 

 叫ぶ。

 

「私が愛している人は、君だよ。私がお揃いの指輪を着けたいと思うのは、君だよ」

 

 そうして、彼女は、彼に一つの指輪を手渡す。

 それはずっと昔に、彼が彼女に預けていた、彼の指に今つけられているものと同じ、おもちゃの指輪。

 二人の、大切な誓いの指輪。

 

「……っ」

「私の意志で、私は君と、ずっといる」

「だ、だが……いや……そうだな」

 

 彼が、折れる。

 

「ここまで、言われて。〝怖いから〟と逃げるのは、男らしく、ないか」

 

 彼のうちにはまだ、燃えていないものがある。いつか燃えてしまうとしても、今はまだ、燻っているだけの記憶。

 

「約束を、守らないとな」

 

 微笑んで、彼はノラへと目を向ける。

 

「……僕のこと忘れてなかった?」

「……そんなことはない」

「う、熱くなっちゃった……」

「……いいよ、それで。次に何を言うか、わかってるけどね」

「牧師役……いや、誓いの言葉をお願いしてもいいか」

 

 恥ずかしそうに、彼は頬を掻く。

 

「なんで……いや、いいよ。ここでやらないと、意味がないことだからね」

 

 未来を見て。今を見て。彼女はため息をついた。

 

「こほん。え〜っと──夫、夫でいいの?」

「夫か……夫?」

「当然!」

 

「鳴島優吾は、日野桜を妻とし、愛することを誓いますか」

 

「え、おっ……ち、誓います」

 

 困ったように、恥ずかしそうに。

 

「日野桜は、鳴島優吾を夫とし、愛することを誓いますか」

 

「誓います!」

 

 堂々と、それ以外何があるのかと。

 

「君たち二人は、健やかなる時も、病める時も、健やかなる時も、世界が滅びに瀕していても、世界が平穏の中にあっても、太陽が翳っていても、愛し合うことを誓いますか」

 

「誓います」

「誓います!」

 

 彼と、彼女が、手を握る。片方は硬い笑顔で、もう片方は満面の笑みで。

 

「誓いのキス、やっておくかい?」

 

 揶揄いのその言葉に、優吾は目に見えて狼狽える。

 

「そ、それはちょっと、そのうちで……」

「えっ!? 全部やろうよ!?」

 

 するりと、彼が彼女の拘束から抜け出す。

 呆れた目で、ノラが見ていた。

 

「カッコつけたこと言ったが! まだ羞恥心はあるんだッ!」

「あ、コラ! 待て〜!!」

 

 ぼろぼろの身体で、彼が逃げ出す。のろのろと、己でわかっていないのだろうが、普段の1/5の速度しか出ていない。

 それに対して、桜は元気だった。捕まるのは、きっと時間の問題。

 

 そんな二人を、ノラは眩しいものを見るように、眺めていた。

 

 それは、きっと本来の二人で。いつか見ることのできなくなる、そんな景色だったから。

 

「……僕らの未来は、変わった。きっと、これからも変わる。どんな風にも、変わっていく」

 

 視界の端で、優吾が桜に捕まって、ぎゃいぎゃいと叫んでいる。

 

「世界は救われた。僕の終末理論は、ここで終わり」

 

 世界はまだ、ここにある。平穏はまだ、ここにある。

 

「これが僕らのハッピーエンドだ。そうだろう、優吾?」

 

 ノラは日記を開く。予言が書かれた、後の世で世迷言として扱われる、そんな予言書。

 

 その最後は、ある文で締め括られている

 

 〝人が人を愛する限り、きっと未来は、良いものになるのだ〟と。

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