狭い一室で男が静かに、紙に数字を書き連ねる。
時にモニターに映し出された数字を読んでは熟考し、時に計算結果に横線を引いて消し、時に算盤を弾いてもう一度計算を行う。
一連の動作は淀みなく行われ、そうしてしばらく経った後に呟く。
「やはり、ベイラムは斜陽に差し掛かっているようですねぇ」
何度も繰り返し行われた検算の一番下。
二つの計算結果を比較し、背もたれに身体を預けた五花海は小さく呟いた。
「窮屈な会社だとは分かっていましたが、よもやここまで流れが読めないとは。まったく、ミシガン総長が哀れでならない」
G3『五花海』。ベイラム経済圏内で詐欺を働いたところを、G2『ナイル』によってものの見事に粉砕され、レッドガンへと収容された男。
その計算高さと、AC乗りとしての腕前を見込まれて入隊した。……という表向きの理由でレッドガンにいるが、実際は余計なことをしないようにという監視の要素が大きいだろう。
しかしレッドガンには戦闘担当ばかりで、会計担当が少ないのも事実。一応オオサワやその他、最近はG4『ヴォルタ』も覚えようとしてくれているが、到底手が足りない。
そういった面を鑑みて現在、五花海はレッドガンの経理を任されている。
「決定打は……壁越えでしょうねぇ」
五花海が見ているのはベイラムグループが販売しているAC用の武器、そして武装MTの売れ行き。比較は当然、アーキバスグループだ
もう一方はコーラルが齎した総合的な利益。こちらは今のところ企業同士で比較してもそう差はない。
強化人間手術用から燃料として、果ては娯楽商品や食用としてまで用いられるそれは、汎用性の高さから需要が高騰している。
となれば当然、このルビコンで最もコーラルを手にした者が頂点に立てる。
それは対立企業と重なった経済圏に限ったことではない。宇宙経済でのトップだ。夢見ない企業はいないだろう。
「ベイラムの取ったMTによる物量作戦、その全滅。あれだけの損害を出しながら、成果はアーキバスと『レイヴン』が総取り。まぁ堪えられますまい」
五花海は状況をよく見ていた。
現在ベイラムはハンドラー・ウォルターによって齎されたコーラルの群知能特性、その裏取りに躍起になっている。
その為に『レイヴン』を雇い、先行させることで足掛かりにしようとしているところだ。
「あれがどう動くか。どうやらG5に懐いているようですが……まったく、独立傭兵の動きは予想が立てにくくて困る」
だが、遅い。五花海からすれば鼻で笑うほどに遅い。
既にアーキバスは本拠点を『中央氷原』へと移そうとしている。当然ヴェスパー部隊も勢ぞろいだ。
情報は鮮度が命。過去の経験からそれを十二分に理解している五花海からすれば、今のベイラムはあまりに鈍重だ。
もし許されているのなら、ウォルターから情報が齎されたその段階でレッドガンは行動していただろう。
あくまでベイラムが保有している戦力に過ぎないレッドガンは、足止めを余儀なくされている。
コーラルを手にしたければ、こんなことをしている暇など無いというのに。
「まぁまだいいでしょう、見限るには時期尚早。……G4はいい生徒ですしね」
ある日突然「俺に商売を教えてくれねぇか?」と言われてから暫く経つが、五花海はそれなりにヴォルタを気に入っていた。
教えれば復唱するし、分からない所は積極的に聞く。大きな図体に見合わず几帳面にメモを取るし、何よりそれで食っていくという意識から気概もある。
生きる術を得るのに必死なのだろう、教え甲斐がある。
ヴォルタはレッドガンには似合わない、真面目で良い教え子だ。半面イグアスは数字を見るのも嫌なようだが、そこは適性だろう。
そんなヴォルタを、ベイラムは『壁越え』にて使い潰そうとした。
もし彼が『レイヴン』によって窮地を救われていなかったら、五花海は確実にここで見限っていただろう。
五花海からすればあまりに当然だ。詐欺師と言えど、情が無いわけではないのだ。
「そろそろG2が帰ってくる頃ですか。戻らねば怪しまれるやも……おっと、G4の教材を忘れるところでした」
ミシガンはヴォルタの勉強の事を容認している。会計業務が出来るものが増えることは素直に喜ばしいからだ。
それを危険な現場が主なAC乗りに兼任させるのはいかがなものか。そう五花海は考えているのだが、それを言い出せばMT部隊の面々の方が死亡リスクは高い。
多数のパイロットを保有しているレッドガンならではの、弾薬費や補修費と言ったAC乗りにしか分からない計算というのもある。
それを考えたらこれも合理性なのだろうが、やや納得がいかない。しかしやれる人間もいない。
様々な要因が、五花海の立ち回りに影響していた。
「……失望は、なるべくしたくない。あれは気分が悪くなる」
計算した全てをシュレッダーにかけ、心境をおくびに出すことも無く部屋を出ていった。
稼働中のAC用シミュレーターでは、二人のパイロットが熾烈な戦いを繰り広げている。
対戦カードは621とイグアス。二人の戦闘はカーラのシナプスを強烈に刺激していた。
「いいねぇ、実力伯仲の戦いっていうのは。見ててワクワクするよ。ああその間合い!そうだ、対AC用に近距離用の散布型ミサイルなんてのも面白そうじゃないか?」
二人が睡眠を取り、目覚めた日からすぐさま示し合わせたかのように二人はシミュレーター室へとやってきたのだ。
まるで引かれ合うようにシミュレーター室の前で鉢合わせた二人にとって、多くの言葉は要らなかった。
『呼びに行く手間が省けたぜ。面貸せ、野良犬』
『……』
昨日の戦いから燻っていたイグアスの火種に、621という存在が火をつける。
素早く座席を確保し、神経接続したシミュレーターでの戦いの火蓋はすぐさま切って落とされた。
ルールは2本先取の10連戦、これにより勝敗を競うのだ。
「G5は性格の割に随分ねちっこい戦いをする。隙を見てリニアライフルを叩き込む算段だろうが……構築段階でビジターの有利は否めない」
アセンブルは昨日のまま。どちらも近、中距離に適した射撃戦がメインの兵装。
イグアスは兵装を余す事なく使った削り合いとも言える戦術、621はショットガンとミサイルによるスタッガー狙いからのブレード。
お互いに勝ち筋が明白な分、構築段階で優劣に差が出てしまうのは仕方ないと言える。
『───くそっ、俺はまた届かねぇってのか……!』
そうこうしている間に最終戦が終わる。
決め手は隙をついて懐に飛び込んだ621によるアサルトブーストを用いた強襲戦術。
咄嗟の対応に蹴りを選択したイグアスに対し、621はあえてエイム補助を切ることでその追従機能を意図的に外す。
そして擦れ違うように通り過ぎた621が背後を取り、最後のAPを削り切る形で終わった。
「8:2でビジターの勝ちか、戦績だけ見れば大差だが……」
「どうやら、噂のレッドガンは想像以上にやるようだな、ボス」
「チャティ、あんたもそう思うかい」
インカムからデータ収集を務めたチャティの声が響く。
この戦闘で二人が関心を寄せたデータは弾薬消費量に対する被弾量。
621はライフルやショットガンを派手にバラまく。そこにミサイルによる攪乱を混ぜることで命中率の底上げを図っている。
つまりは命中率を物量でカバーできる構築だ。AC戦と噛み合い、かつ平時の作戦遂行に支障が出ないよう最適化している。ブレードもその一端を担っているだろう。
射撃による制圧から接近してブレード。二人の戦い方はよく似ている。
だが特筆すべきはイグアスの射撃、その命中精度だ。
特に単発で放つリニアライフル、その命中精度は621の比ではない。確実に当てられるタイミングで撃ち、命中させている。
マシンガンですらそうだ。拡散率もある為必中とはいかないが、小刻みに撃つそれは高い命中率を誇っている。
カーラはこの点に強く着目していた。
戦場では勝った方が正義。とはいえデータは嘘をつかない。
イグアスの機体をより最適化するなら、ここだろう。
「G5はもっと高火力な武器を持つべきだね。せっかくの射撃の腕が、これじゃ宝の持ち腐れだ」
「ならば、いくつか該当する武装を選別しておこう」
「ありがとう、チャティ。さて……おっと、出てきたか。話は後でもいいし、私は工房に戻ろうかね」
取り終えたデータを手に、カーラはテンションも高く部屋を出ていき、近くにいた男に声をかける。
「ラミー、あんたも見てないでとっとと部屋に戻りな」
「へへへ、すいません。客人同士が戦うってんで見てやろうと思いまして……いひってぇ!」
レイヴンの襲撃からギリギリの所で一命を取り留めた『
しばらくACに乗れなくなるほど大怪我を負ったにも関わらず、レイヴンと戦ったことすら覚えていないラミーの背中を強く叩きながら、カーラはその場を後にした。
それと時を同じくして、二人がシミュレーターから席を外して合流する。
「───オイ野良犬。いい気になんじゃねぇぞ」
「……」
「俺はテメェを超える。これはその為のデモンストレーションに過ぎねぇ」
どんなに憎まれ口を叩こうとも、車椅子に乗りなおした女は応えない。
挑発も嘲りも罵倒も、何一つとして響きはしないその女に胸中を搔き立てられている。
それが酷く不快でもあり、言いようのない充足感があることを、イグアスは否定できなかった。
そしてその解明がしたいとも、考えていた。周囲を見渡し、人影がないことを確認してから静かに口を開いた。
「何も聞かず質問に答えろ。だんまりは無しだ、いいな」
「……」
イグアスは知りたかった。
この女が抱える自分への好意、その理由を。
「……なんで、俺の事が好きだと抜かしやがる」
「……」
「俺はレッドガンだ。そこいらの雑魚とは違う、そんなことは分かってんだ。だが……それはテメェも変わらねぇ。テメェは『レイヴン』だ」
レッドガンに入隊してからというもの、イグアスは弱さを見せることを嫌った。
弱さを見せる、つまり弱みがあるというのは、露見するだけで致命的な傷になり得ると理解してしまったからだ。
人として生きるのならば弱みなどいくらあってもいいだろう。だがここ、ルビコン3は違う。
この星は生き死にをやり取りする戦場だ。『弱いことは悪いことである』と理解させられる機会はいくらでもある。
『壁越え』でヴォルタを失いかけた時もそうだ。イグアスは親友の身を案じたし、死ぬことを恐れた。
ヴォルタという存在は自分にとってかけがえのないものであり、イグアスは認めたくなかったが、同時に弱点でもある。
だからこそ、強い自分であらねばならない。余計な情は、弱みになる。
強くならなければ、強くなければ価値がない。弱い人間は生きることさえ許されない。
だというのに、目の前の女は進んで自分という弱点を作ろうとしている。
イグアスからすれば絶対に取らない行動だ、甘んじて受け入れることなど出来ない。
だから、聞くことにしたのだ。621を『レイヴン』と呼んだのは、その一歩目。
形はどうあれ、イグアスは相互理解を選んだのだ。
「……」
「分からねぇもんはしょうがねぇ。だから答えろ。答えねぇなら……」
無理やりにでも
思ったより渋らなかったことに怯みつつ、そんな抵抗も抑制された感情には無いかと改めて思い起こさせる。
やや古めかしいモニターからは、ピカピカと文字が躍る。が、それはイグアスの求めた回答ではなかった。
「『好き』だけじゃ分からねぇ。いつからだ」
「『最初』」
「ハッ、一目惚れだぁ?そんなもん信じられるほど俺がお花畑に見えんのか?もう少しマシなこと言えよ」
そう言われ、621は僅かに逡巡した。
それがイグアスには、言葉に出来る程の感情はあるのに、言語化に苦心しているようにも見えた。
そうして少し経ってから、やがてまた言葉を紡ぎ始めた。
「『イグアス』『私』『同じ』」
「同じ……?何がだ……?」
621は静かに、先程出てきたシミュレーターを見つめて告げる。
「『あれ』『無し』『生きられない』」
「……ッ!!」
「『同じ』『嬉しい』」
その言葉は、イグアスに激情を起こさせた。
それをお前が言うのか。
ならそれは憐憫だ。俺の弱さを見て悦に浸ってるだけだ。
そんなもので俺を見るな!俺を馬鹿にするんじゃねぇ!!
どれも言葉にはならなかった。
多くの大切なものを失くした目の前の女に、言える言葉など一つも無かった。
「俺は……」
「『大丈夫』」
「黙ってやがれ……俺は、お前とは……」
違うと言いたかった。俺はお前と違って何もかもが残されているんだ。
自由に動ける四肢も、温かい飯を食う舌も、人としての尊厳も。
だというのに、唯一欲した力だけは持っていない。それを621は持っている。
自分が持っている何もかもを持っていない女が、自分が持っていないただ一つのものを持っている。
己の境遇を棚に上げそれを糾弾出来る程、イグアスは心を捨てきってはいなかった。
それは621から見ても同じだった。
初めての出会い。怒ったイグアスが感情のままに、ヴォルタを伴って自分と接触しに来たあの時、621の中に生まれた思い。
何もかもを失った果てに力だけを手にした621にとって、イグアスは酷く輝いて見えた。
感情を失って尚憧れ、恋焦がれずにはいられない。
621にとって大切な、喉から手が出るほど取り返したかった『日常』を持った同世代型強化人間。
それが621にとってどれほど羨ましく、同時に得難いものであったかなど、ヴォルタを失いかけることが無ければイグアスは気づかなかっただろう。
一目見て621は気づいたのだ。イグアスは片割れであると。
自分がそう
そう感じた瞬間から、621の中に愛情に似た強い感情が生まれた。
「『私達』『合う』」
「うるせぇ。こっ恥ずかしいこと言うんじゃねぇ」
だからこそ、あの時621はイグアスの依頼を受けたのだ。
かけがえのない日常を持つイグアスを、同じ
強化人間手術によって奪われ、枯れたと思っていた感情を湧き上がらせてくれた感謝を込めて。
なんのことはない、621は同じ強化人間だからこそイグアスを好いた。
自分達は同じ空を飛べる、対となる分け身のパートナーになれる。
621は初対面で、それをイグアスから感じ取っていたのだ。
全てを理解したわけではない。だが自分が向けていた感情と向けられた感情にそう大差がないと理解し、イグアスは表情に出る程笑った。
「……くくっ、なんだそりゃあ。俺達はお仲間ってことか?冗談じゃねぇぞ」
「『嫌い?』」
「嫌かってことか?ハッ、嫌だな。そんな浅ぇ言葉で表現されるなんて溜まったもんじゃねぇ」
イグアスはぐっと立ち上がり、軽く伸びをしてから621をもう一度見た。
相変わらず目には光が無く、手足は棒のように細い。だというのに……そこまで考えてイグアスはかぶりを振るう。
目の前で本人にそんな
そう自分に強く、それはもう強く言い聞かせて向き直る。
「今この瞬間から、俺とお前は対等だ。次戦場で会っても容赦はしねぇぞ、『レイヴン』」
「……『まだ』『勝ててない』」
「うるせぇ、次は負けねぇって言ってんだよ!いいか、お前を落とすのは俺だ。忘れんじゃねぇ!」
二人の喧騒は室内に大きく、温かく響いた。