ふと気が付くと視界がぼやけていた
無意識に溢れ出た息が、口元を生暖かく包む
まどろんだ意識のまま霞んだ視界をどうにかしようとするも
まぶたは鉛のように重く、一瞬だが確実に長い暗転を数回繰りし
ようやく周りの様子を認識し出来る様になってきた
清潔感のある壁
自室とは違う間取り
いつもと違う寝具に包まれる感覚
見覚えのない風景をおぼろげに眺めつつ息を吸いこむと
空気がゆっくりと体に入り込み、泥のように溶けきった上半身を押し上がる
その時ふと気がついた
体に力が入らない
濁る意識を引きずって起き上がろうとすると
体中から激痛走り、悪寒が背筋を貫いた
「――っ゛ッハァ…」
体中に針金を通されたかの様な手応え、それに呼応して走る痛みを前に
反射的に声にできない悲鳴が喉元でかすれてあふれ出した
全身から押し寄せる激痛に顔が歪み、息が詰まり
その痛みをごまかすように、辛うじて動いた頭を枕に擦り付けた
必死に悶えている衣擦れの音
浅い乱れた呼吸音
一定の間隔で鳴る電子音
不意に聞こえた身に覚えのない音に思わず意識が向かう
少し遅れて首を動かすと
小綺麗にまとめられた液晶パネルに、どこか見たことのあるグラフが映し出されていた
目が釘付けになり、思考がフリーズする
が、しかしそんな事はお構いなしに視覚は次々と情報を提供する
何に使うか分からない仰々しい機械
激しく泡立つ液体の入った容器
スタンドからぶら下がる点滴
それらから自分に向かって伸びる大小の管
少しづつ自分の置かれた状態を認識してゆき
それと同時に血の気が引いていくのが分かった
(こんな大事な時に……今何時?今日は何日?学園に連絡は?今まで何を――)
冴えていく意識とは裏腹に、体は一向に言うことを聞く気配はなく
ベットに沈んだまま動かない
(とにかく人を呼ばなければ)
そう思い回りを見渡そうと頭を反対に倒すと
見覚えのあるウマ娘が一人、机に突っ伏していた
「フク……キタル……」
やっとまともな声がでる
心からの後悔と罪悪感が入り混じった声だった
呆然としたまま釘付けになる視線の先には
ジャージ姿のまま両手を枕にして、静かに寝息を立てるマチカネフクキタルの姿があった
その姿を見ている内に、沸き上がる感情とともに
記憶の整合性が取れていく
――――
――
「そういえば、フクキタルってどうして走りたいって思ったんだ?」
「へ?」
気の抜けた返事が暖房の効いたトレーナー室に響きわたった
お昼を回り、トレーニングの準備をしている間にふと質問をすると
目が点になり、口が半開きでフリーズするフクキタルと顔を合せたまま動きが止まる
「あぁ、いやこの前トレーナー同士で集まった時に“担当の原点を語り合おう!”って言いだした奴が居てな?そういえばちゃんと聞いてなかったと思って」
「なるほど、そういう事でしたか」
いささか唐突過ぎた話題振りを反省しつつ、事の経緯を説明すると
鳩が豆鉄砲を食ったような顔から一転して納得の表情を浮かべ
手を打ち、流れる様に指を立てた
いつもと変わらない、目まぐるしい感情表現だ
そんなマチカネフクキタルを眺めつつ
気の抜けた返答に続く言葉に意識を傾ける
「うーん、走る理由……ですか……」
そう呟くフクキタルを見て違和感を感じ取った
すぐにいつもの調子に戻ったが、一瞬だけ見せた反応
いつもの鬱陶しい位の感情が読み取れない瞬間があった
「走るのは好きですし、レースで勝てれば嬉しいですけども理由となると……」
「理由となると……?」
寒気にも似た妙な感覚を覚える
最近、負けが込んでる理由の探ろうと軽い気持ちで振った話題は
どうやら核心を突いたものだったようだ
好奇心と不安が混じり合うなか、固唾を呑んで耳を澄ます
「私でも勝てるところを見せたいからです!まぁ、最近は全然ダメですけど」
両手の親指を力強く立て、満面の笑みでフクキタルはそう答えた
まるでさっき見せた表情が嘘のようだった
「トレーナーさん?どうかされましたか?」
「ん?あ、いや思いのほかにしっかりしてたから驚いちゃって」
「え"!?どういうことですか!?それ!」
動揺する脳内の整理に気を取られて返事が遅れてしまい
思いついた言い訳をそのまま答えると
それが納得いかなかったのか生返事に猛抗議するフクキタルをなだめつつ
一旦落ち着いて考える口実作りをする為に、予定表を挟んだバインダーに手を伸ばす
「あー!?ちょっと待って!今日模擬レースの約束してる!」
「あれ?そうでしたっけ?」
「うん、今日だ。話の途中ですまないが、向こうのトレーナーとちょっと打ち合わせしなきゃならないんだ」
予定表にざっと目を通して、今日の練習からそれっぽい理由を見つけ出し
大げさにリアクションを取って無理やり会話にねじ込む
かなり荒っぽいがこれでフクキタルに悟れずに抜け出せるだろうか
あまりにも誠実とは言えない自分の行動で
快適だった暖房が体にやけにまとわりつくように感じ始めた
「じゃ、すまんが先にコースに向かっといてくれ。俺は後から行くから」
「……」
「フクキタルさん?」
返事が聞こえず不安になりバインダーから視線を戻すと
フクキタルは俯いたまま動かないでいた
「し……」
「おい大丈夫――」
「しまったあああああ!!」
声をかけようと近づいた瞬間
真っ青な顔を振り上げ頭搔きむしりながら絶叫するフクキタルに思わず体が跳ねる
「今朝占ったコーヒー渋占いで“待ち人待たすべからず”と出ていたんでした!」
「あ、あぁ、そう……」
「あれはまさしくこの事を指していたのでしょう!」
自身満々の表情で指先までビシッと手を伸ばし、占いの結果を解説される
こうなるともうなすがままだ
「こうしている今も刻々と幸運が逃げてしまっているかもしれません!トレーナーさん!お先に失礼します!!」
そういうとフクキタルは足早にトレーナー室を飛び出して行った
急な静寂が部屋一体を覆う
緊張を吐き出しつつ、携帯を取り出して
先方のトレーナーに相談と口裏合わせを打診する
「……よし」
一息入れて仕事道具を揃えつつ、あの表情の理由を考える
(フクキタルの原点か……)
出会ったばかりの頃、占いを信じるかと聞いた時
フクキタルは占いは本当だと答えた
人生にいくつもの道を示してくれました、と
占いは道を示し、自分を後押ししてくれる存在だとしたら
フクキタル本人の意思はどうなのか
夢に現れるというシラオキ様に然り、フクキタルに助力する存在は思い当たるが
フクキタルが目指すところは聞いた覚えがなかった
『私でも勝てるところを見せたいからです!まぁ、最近は全然ダメですけど』
今思えばこの時の笑顔も心なしかぎこちなく見えた
度々見た覚えのある、バツの悪そうな笑顔
そういう顔をする時は決まって何か隠し事をしている時だった
マチカネフクキタルの目標とは
色々思考を巡らせながら椅子を二個直し、トレーナー室を後にした
――
――――
気がつくと、懐かしい景色が広がっている
あの頃見ていた何もかもが大きく見える目線で
夏の陽射しが差し込むお茶の間を走り回っていた
『え!おみやげ!?みせてみせてー!』
『こらフクおばあちゃん困ってるでしょ』
『フフフ、いいのいいの気にしないで』
毎年恒例の町内会の旅行からおばあちゃんが帰ってきた時の事だった
家柄の為か近隣の皆さんとの交流は深く
年中行事に招かれては頻繁に顔を出していた
『今年はねぇ、大阪に行ってきたんだけれどねぇ。そこで神社に行ったときに良い物を見つけてね』
そう言いながらおばあちゃんが荷物の中から袋を一つ取り出した
毎年楽しみにしていたお土産を目にして興奮した私は、勢いのままにおばあちゃんに引っ付きその光景を息を呑んで眺めていた
おばちゃんが微笑みながら小袋から取り出した白い包が
大きく膨らんでいたのを鮮明に覚えている
『はい。二人に一つずつね』
『わぁあ!ありがとう!!』
『ありがとうおばあちゃん』
『さぁ、開けてみて?二人が気に入ればいいんだけど』
封を開けると中には大きな赤いダルマの耳飾りが入っていた
大幣がついた何とも有り難い雰囲気をかもしだす髪飾りに思わず見とれてしまっていた
『フクの方は赤いんだね』
『え!?う、うん!おねーちゃんのはちがうの?』
『私のはほら、こんな感じ。いいでしょ?』
ぼんやり眺めていた所に声を掛けられ驚いて振り向くと、一足先に髪飾りを付けたお姉ちゃんの頭に白いダルマが揺れていた
私とは違って落ち着いた雰囲気のお姉ちゃんに白色は良く似合っていて
とても頼もしく、輝いて見えた