「やあ、早かったね」
トレーニングが始まる時間を迎え、喧騒で満たされた建屋を移動し目的の部屋へとたどり着き
慣れた手つきで軽くノックをして扉を開けると、部屋の主が作業の手を止め出迎えてくれた
「まさか競走相手から頼られるとは思わなかったよ」
「まぁ色々あってね、それに頼るのはお互い様だろ?」
扉を片手間に閉めると、ガラガラと乾いた音が響き渡った
部屋に入ってすぐに挨拶代わりの雑談をし
いつもの場所から椅子を引っ張りだして、対面に腰かける
同期のよしみでたまに顔を出す事もあり、元より部屋の勝手は分かっていた
「黄金世代、ねぇ」
「来年以降は今まで以上に激戦になるだろうね」
少々散らかっている机の上から、付箋が山のように貼られている専門誌を拾い上げる
表紙には"黄金世代、ついにシニア級に出揃う"と大きく見出しが出ていた
「知っての通りクラシック組のセイウンスカイとキングヘイローがいよいよ王道戦線に来たわけなんだが、本当にヤバイのは――」
「グラスワンダー、クラシックレースには出走しなかったたけどあの朝日杯は尋常じゃない。荒れたバ場でコースレコード、既にシニアでも通用する実力だよ」
「あぁ、ジャパンカップであの世代の実力は証明されたし有マもただじゃ行かないだろうな」
先日行われたジャパンカップでは、エルコンドルパサーが優勝
二着には女帝エアグルーヴが二着を確保したものの
半バ身差までスペシャルウィークが迫っていた
そしてフクキタルの同期達の最先着は8着、海外から招待した者も居たとはいえ
歯切れの悪い結果となっていた
「ま、その為にも今日の併せだろ?俺らは先達として迎え撃つしかないさ」
「ここまで対策しないといけないなんて、先輩の面目丸潰れだね」
雑談を続けながら付箋に書いてあるメモにさりげなく視線を落とそうとすると、少しのんびりとした口調で返事をする先方から
専門誌を取り上げられてしまった
おっとりしてるように見えてもやはりトレーナー
情報管理は徹底しているらしい
それに対してケチだ当たり前だとすったもんだ軽く言い合った後
一呼吸置いて本題へ入る
「さて、愚痴はこの辺にして相談のこと何だが……お前んとこの担当に原点って聞いたことあるか?」
「ブライトに?まあそれらしい話はあるけど……それにしても急だね、何かあったの?」
「いや、さっき話してるときにこの前の事が話題に上がってな」
「あー、うん。あの時は大変だったね」
黄金世代緊急対策会議、という名目で集まったトレーナーの面々を思い出したのか
メジロブライトのトレーナーは苦い顔をした
重苦しい話から始まった会議は、途中からそれでもと誰かが担当自慢を始め
いつの間にか全員が酒類を片手に担当やら信条やらをぶつけ合う宴会へと変わっていた
内容も酷いものでやれ世界だ、やれマイルなら負けないだ、スピードなら負けん、素はいい奴だ、追い込みなら、……と
揃いも揃って担当に染まってしまったのか言ってることが支離滅裂で、かなりの惨事になってしまっていた
「それでなんだが、まぁその何だ。返事が気になってな」
「なるほどね、それで返事の内容は?」
「……"私でも勝てるところを見せたい"らしいんだが、何となく誤魔化されてる感じがするんだよ」
担当の秘密を話す最後の決心をして、原点の内容と所感を伝えると
ブライトのトレーナーは意外そうな顔をした
「へえ、いつもだったらすぐに聞けそうなのにどうしたの?」
「あの時は聞いていい雰囲気ではなかったし……まぁ色々引っ掛かるところはあるんだがな」
「大分ふわっとした言い方だね」
「俺もまだ整理ついてないんだよ……で、どう思う?」
ブライトのトレーナーからの視点なら何か新しい視点があるのではないかと、淡い希望を向けるものの
その希望が叶いそうにないのは表情を見れば一目瞭然だった
「どうもこうも、そっちがその調子ならこっちから言えることは何にも……」
「そうだよなぁ、このまま話してるのも時間の無駄か……さて、切り替えてコースに行こう」
「ああ、もうこんな時間か」
話が行き詰まってきた所でふと時計を見ると練習開始時刻を過ぎてしまっていた
流石に長話が過ぎたらしく、いつの間にか外の喧騒も静まり返っていた
その静けさを前に我に返り、手早く自分の荷物をまとめながら
マイペースに準備をするブライトのトレーナーを急かす
どうにか胸の突っかかりが取れないかと行動したものの結果は依然として不安が残る結果となった
何とも歯痒く、浮わついた気持ちを
走る姿を見れば何か見えるものもあるだろう
そう胸の内で自分を納得させ、ブライトのトレーナーを引き連れ
急ぎ足で部屋の扉へ手をかけた
~~~
「おーい!お待たせー!!」
「あああぁぁぁぁああ!!トレーナーさぁん!!聞いてないですよ!」
寒空の下、冷える身体を気遣ってウォーミングアップしていると
グラウンドの隅からさっきぶりの声が聞こえてきた
「今日の相手ってブライトさんじゃないですか!!」
「あら~、わたくしでは嫌でしたか~?」
「いやいやいや滅相もないです!!しかし今の私とは余りにも格が……!」
「こらフク失礼だぞ」
きょとんとした顔のトレーナーさん達駆け寄り、思いのたけをぶつけるものの
勢いに任せた話の粗を突かれて、慌てて言い訳をする
今日の模擬レース相手は、名門メジロ家に久方ぶりの春の盾もたらしたメジロブライトさん
菊花賞以来の不調が続く私とは違い、今年に入ってから順風満帆の出世街道を猛進している
「お前も有マに出られるだろ?シャキッと行こうシャキッと」
「そうですわ~フクキタルさまの菊花賞の後ろ姿。未だに忘れられません~」
「いやあれは幸運が流れ込んで来た結果であったからでして……しかしッ!!今の私は既に運命の一夜干し!既に出しがら状態になってしまった私では……!」
「ハハハ、相変わらず元気そうで安心したよ」
今となっては苦い記憶を思い出して頭を抱える
菊花賞での差し切り勝ちに気を良くして調子に乗った結果、金鯱賞で8着
その後も掲示板外と続き、良いとこなしだった
それもあってか、これから模擬レースだというのにどうにも気分が上向かず
日が照っているはずなのにやたらと風が寒く感じた
「そんなこと言ったてお前は菊花賞ウマ娘だろ?」
「それはそうですが……勝ちきれないんです!やはり私は運頼りの貧弱ウマ娘なんですぅ!」
「運だけでグランプリレースに出られたらみんな苦労はしてないだろーが!ほらレースやるぞレース!!」
「ふんぎゃああ!待って下さい!!まだ!!まだ心の準備がぁああ!!」
トレーナさんとの会話で沸き上がった、なんとも言いがたい萎れた気持ちを吐き出すと
しっぺ返しで正論を叩きつけれ、そのまま強引にコースへと引きずられてしまった
~~~
模擬レースの相手を眺めつつ、これまでのレースを思い返す
去年の夏が終わってからの仕上がりっぷり
菊花賞で見せつけられたあの末脚
そして金鯱賞から続く不調
あの圧巻だった走りっぷりは一体どこに行ってしまったのか
「――ナーさま~?トレーナーさま?」
「あぁ、ごめん。ちょっと考え事してた」
気がつくとブライトが心配そうな顔で覗き込んでいた
無意識の内に眉間に寄ったシワを伸ばす
「……またあの後ろ姿を見れる日が来るのでしょうか」
「さあねえ……それができるかはあいつら次第としか」
こちらの表情から読み取ったのか、ブライトは伏せ目がちに切り出した
コース上でいつもの茶番をやっている二人に視線を戻す
見かけ上はあの頃と何も変わらない
「でも次見る時は差し切るぞ、負けっぱなしじゃ悔しいしからな」
「!……えぇ、そうですわね」
ブライトの穏やかな瞳の中に闘志が輝く
あの時には届かなかった背中を今のブライトなら捉えられる
本格化前とはいえ、サイレンススズカを差し切ったあの末脚に、今なら
「おーい!早くしてくれー!フクが逃げないうちに頼むー!!」
「は~い!今いきますわ~!それではトレーナーさま、行ってまいります」
「おう!頑張ってこいよ!」
レースの借りはレースで返す
その為にもくすぶっているアイツ等をみすみす放っておく訳にはいかない
超えるべき大切なライバル達を
~~~
スタート位置に引きずり出してなお嫌がるフクキタルを
何とか説得して、ストップウォッチを手に取る
「距離は2500だ、有マ記念と同じで行くから二人とも気を抜かない様にな」
「うぅ……お手柔らかにお願いしますぅ……」
「こちらこそよろしくお願いいたしますわ~」
「よし、じゃあいくぞ」
逃げられないと観念したのか、やっと落ち着いたフクキタルを気にしつつ
スタートの音頭を取る
「位置についてー」
二人が身をかがめて息を貯める
一気に空気が張り詰める
「よーい」
二人とも耳をピンと立ててコースの先を見据えている
出だしの勝負に向けて意識を集中させているようだ
「スタート!」
ストップウォッチを押す、と同時に力強い振動が地面を通じて伝わって来る
次の瞬間には既に二人は視界から外に大きく飛び出していた
~~~
コーナーを曲がっていく二人を視線で追いつつ、ゴールの向こう正面へ移動する
スタート直後ではフクキタルが徐々に差を付けつつ先行しているようだ
「さて、率直な意見を聞かせてくれ」
「今んとこは問題なさそうだね、スタートは文句なし。フォームも乱れてないし怪我の影響ももうないと見えるよ」
先に待機していたブライトのトレーナーと合流して
客観的な意見を求めると、ひとまず安心な答えが返ってきた
「関節炎はそこまで長引かなくてな、爪の調子も良いし体調面では金鯱賞前までに戻せている自信はあるんだが」
「うん、ぱっと見だけどそう思うよ」
二人はコーナーを抜け、向かいの直線に差し掛かろうとしている
未だに先行はフクキタルだ
「ここまでは予想通りって感じだな」
「そうだね、でもここからが勝負所だよ。うちのブライトはここからだ」
付かづ離れづを維持しつつ再びコーナを回りスタート地点へ戻ってくるにつれ、力強い足音が近づく
残り900m、最後の仕掛けに向けて駆け引きが始まる頃合いだ
「……来たな」
「良いタイミングだね」
不意に足音のリズムが変わった
ブライトのエンジンが暖まり、じわじわと差が詰まり始める
フクキタルも悪いペースではないが、後半の伸びではブライトの方が分が上だ
それを証明するかの様に差はみるみる縮んでゆき、最終コーナーに差し掛かる頃には既にフクキタルに並びかけていた
「流石は名門メジロ家のステイヤーだな、レース終盤にこの圧迫感は恐ろしい」
「このロングスパートが唯一無二の取り柄だからね、上手く行けば強いけど末脚が得意な娘と競り合うと……」
「言ってくれるな……俺も久しく見てないんだぞ?あ、上がりの計測よろしく」
「はいはい」
ブライトのトレーナーが鋭い視線を送ってくる
熱烈な訴えに言葉が詰まるが、着々とレースは進んでいる
あふれる思考を押し込んで貴重なデータを無駄にしない様に
落ち着いて仕事を頼みつつ展開を見守る
そうこうしている間にも二人は猛然とコーナー抜け、最後の直線に肩を並べて突っ込んで行った
600mのハロン棒を通りすぎる
お互いにペースを更に上げ始め、最後の根比べが幕を開け始めた
菊花賞で見せたフクキタルの末脚が出れば巻き返せる展開だ
「さぁ、どうだ」
「……」
残り400mを切る
フクキタルはまだ伸びなず、苦しい展開が続く
まだ持ち直せるはずの位置だが展開は変わらない
徐々に順位が入れ替わり始め、じわじわと敗北の色が強くなっていく
「……」
「……」
ブライトと完全に順位が入れ替わり差が開いていく
フクキタルの末脚は未だに伸びてこないどころか
明らかにペースが落ちている
残り200m
「ダメか……」
「……」
ゴール板にブライトが飛び込み、ストップウォッチを押す
次いでフクキタルのゴールを見届け、記録を確認する
―――――――
02:32.2
02:34.3
―――――――
ストップウォッチが示す着差は2.1秒、約12バ身差の大差がついた勝負だった
脚の調子は良い、それは間違いない
金鯱賞以来の脚部不安は乗り越えたと自信を持って言える
となると、やはり精神面への影響が未だに色濃く残っているようだ
「なるほどな……そっちの記録も見せてくれ」
手早く記録を終え、ブライトのトレーナーとストップウォッチを交換する
―――――――
00:34.5
00:37.0
―――――――
末脚が武器のフクキタルには絶望的なタイム
改めて現実を突きつけられる
「分かっちゃいたが、数字に出ると中々なもんだな」
「打つ手なし、って感じかい?」
「ハハハ、そんなとこさ」
真剣な顔のブライトトレーナーに対しておどけて返す
同期とはいえ、同じグランプリレースへ担当を送り出す身
レース前の情報戦を捨ててでも助言を頼み込むのはかなりの賭けだった
ハナから勝負を諦めている等と思われない為にもトレーナーとして今できる精一杯の見栄を張る
「……そうだったんだけど、実は解決の糸口が見えた気がしたんだ」
「併せを見て整理がついた?」
「そういうこと」
しかしそんな事は分かり切っているかの様に構えるブライトのトレーナーを見て、腹をくくって本音を伝えた
あの時負けてしまったフクキタルは、自分自身を支え続けてくれた拠り所を自ら壊してしまった
福に満ちた自分が負ける。しかも怪我のおまけ付けだ
それが彼女にとってストレスになった事は簡単に想像に付く
「まぁ、長い話になるからこの話は後にして、今は大事な担当を労いに行こうじゃないか」
「そうだね、トレーニング後に腰を据えて話そう」
だから全力で支えた、少しでもストレスを軽減できればと
トレーナーとして少しでも道を示すことができればと思い努力してきた
だが違った、支えるだけでは駄目だった
大切な物を失った事を埋め合わせるには
ただ代わりを見つけるだけでは役不足だとやっと気づけた
根本的な解決、フクキタルがもう一度勝利をつかみ取る為には
フクキタルが人に見せようとしない所まで押し入る必要があるようだ
――――
――
『おねぇ……ちゃ……ん……まってぇ……ハァ……ハァ』
『フクー!大丈夫?』
夕焼け空にひぐらしの鳴き声が響いている
西日に照らされたお姉ちゃんの背中を懸命に追いかけるいつもの日課
あの背中に追いつきたくて、無理をして
心配されるのまでがいつもの1セットだった
『もぉー、私のペースじゃなくて自分のペースで走らないと練習ならないっていつも言われてるでしょ?』
『だ……だって……おねーちゃんと……一緒が……いいから……』
『!……それは嬉しいけど、そのままだといつまで経っても私に追いつけないよ~?』
『え"ぇ"ぇ"ぇ"それはやだぁああ』
かなり差がついていたにもかかわらず戻ってきてくれたお姉ちゃんは
嬉しそう微笑みながら私を励ましてくれた
『あははっ、フクはいつも元気で良いね』
『うん!おねぇちゃんにいつか勝つ為にいつも頑張ってるの!』
『ふーん?じゃあ後ランニング7kmどっちが先に終わるか勝負ね!』
『うぇ!?まって!おねぇーちゃん!!もうちょっとゆっくりぃぃい!!』
夕陽が川原を真っ赤に染め上げる中
お姉ちゃんがそう言って、走り出す前に見せた表情は
意地悪で、雲一つない
心の底から幸せそうな笑顔だった