白河の濁り 田代玄番放蕩録   作:北部九州在住

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御禁制 蓋を開ければ 枯れ尾花
花火


「そういえば、聞かなくなったねぇ……花火」

 

 男女の交わりの後、抱き着いて勿忘草はそう言った。

 灯りを消して、遠くからの花火の音と灯りを眺めながら花魁を抱くというのが流行したのはもう六年ほど前の話になる。

 

「ああ。白河様の贅沢禁止令のやり玉にあがったからな。花火は」

「そうだったんだ。

 禿の頃、遠目から眺めて綺麗だったなぁ……って」

 

 そんな話も下手すれば白河様こと幕府老中松平定信を誹謗すると取り締まられかねないのが今の江戸である。

 最も、それを白河様の手の者に告げ口するほど俺も愚かではないし、そもそもこの会話自体も吉原の夜の営みの一つでしかなく、朝になったら誰も覚えていないものである。

 

「また見たいねぇ。花火。

 田代様の上で」

「それ、俺が花火を見れなくないか?」

「あら?

 花火に照らされたこの体ではご不満で?」

 

 俺の腕の中で勿忘草は笑い、その笑顔を見て俺は少し安心する。

 この女は、まだ笑えるのだ。まだ笑ってくれるのだと。

 

「俺は、花火より見たいものがあってな」

「あら、何だい?」

 

 勿忘草を抱きしめて、俺は彼女の耳元で囁く。

 偽りない本音ゆえに、あまり公に聞かせたくない言葉を。

 

「お前の花魁道中」

「ふぇっ!?」

「太夫としての道中だ。

 いつか、見せてくれよ。お前の道中姿をさ」

「…………」

 

 返事はなかった。

 ただ、腕の中の体が少しだけ震えているような気がした。

 花火を贅沢と禁止した白河様は、もちろん吉原名物のこの花魁道中も目の敵にして禁止令を出していた。

 この苦界の晴れ舞台を禁じられた女たちの怒りと嘆きは江戸城にいるお偉方には届かず、花魁道中ができずに吉原を去った大夫たちも居るという。

 

「…………馬鹿だね。あんた」

「おうよ。それが取り柄だからな」

「ほんっとうに、馬鹿だよ」

 

 泣きそうな声を聞きながら、俺はただ勿忘草を抱きしめてやった。

 勿忘草は時代が時代ならば大夫になれた花魁である。

 そして、太夫になり損ねた花魁である。

 この吉原の頂点である太夫になりたくない花魁が居る訳もなく、花魁たちが太夫を目指すのもまた当然の話。

 彼女の不幸は、花魁として絶頂期になろうとした時期が白河様こと老中松平定信の寛政の改革の真っ只中であり、その綱紀粛正の為の贅沢禁止令で吉原が苦しんでいた時期に重なった事と、田沼意次の息子だった俺、田代玄番を間夫とした事だろう。

 太夫への道を諦めきれずに、しかし諦めざるを得ず。

 太夫への夢を捨てられず、それでも太夫への道は閉ざされて、彼女は太夫になる機会を失った。

 それは彼女にとって、地獄のような日々であったろう。

 花魁たちはみな、太夫や格子といった最上位の花魁に憧れていた。

 遊女の憧れはやはり大奥だが、吉原にも大名の奥方が居たりもするので、花魁たちにとっても憧れの存在なのだ。

 そんな憧れの対象に自分がなれるかもしれないチャンスを逃してしまったのだから、悔しくて仕方なかったに違いない。

 そんな彼女が俺を間夫としたのは、やはり大名になりそこなった俺に自分を重ねたのか。

 それとも、他の理由があるのか。

 俺には分からないが、少なくとも俺は彼女を大事にしたいと思っている。

 

「……まあ、そこに惚れたんだけどさ」

 

 小さくそう呟いた勿忘草にもう一度口づけをして、俺はまた強く抱きしめる。

 吉原の夜。花火はあがらず、音も聞こえないが、俺と勿忘草の交わり声は花火のように吉原の夜に溶けていった。

 

 

「花火か。

 たしかに最近は中々聞かなくなったな」

 

 後日、お忍びでやってきた沼津藩次期藩主となる事が決まっている水野忠成にそれとなく話を振ったら、思ったより真面目な返事が返ってきた。

 俺の養子縁組解消で代わりに沼津藩を継ぐ事になった彼はこの吉原通いで知り合い、今では幕閣の話を教えてくれる貴重な情報源となっていた。

 

「というと?」

「花火を贅沢禁止令で止めたのは、火薬が欲しかったからさ」

「……蝦夷地か?」

 

 江戸よりはるか北にある蝦夷の地にて、異国人の目撃が報告されており、幕府はその強化に乗り出していた。

 更に、江戸の防衛の為に、伊豆国や相模国に奉行所を新設する動きを見せていたが、倹約令が出ている幕府に軍備にかける金は乏しい。

 その為、花火を禁止する事で彼ら職人を確保して火薬を幕府に納めさせる事を画策しているという。

 

「『入り鉄砲と出女』は聞いた事あるだろう?

 火薬は欲しいが、それを関八州に持ち込ませたくないのさ。

 それを持ち込むと諸藩の連中にも火薬が渡っちまうからな」

「なるほどなぁ……ま、それもこれも全ては白河様の贅沢禁止令のお陰で吉原は苦しんでいるんだが」

「その件に関してはすまねぇな。玄番」

「いいってことよ。

 俺だって、吉太郎の立場なら同じ事をしたかもしれん」

「ありがとよ」

 

 水野忠成は笑って肩を叩く。

 この男は、悪い奴じゃない上に愚かでもない。

 貧乏旗本の次男から成り上って、今や沼津藩三万石の次期大名にまで上り詰めようとしている男である。

 そんな男が俺に顔を近づけて漏らす。

 

「今の話で少し気になった事がある。

 白河公の改革で幕府財政は再建されたと聞いたが、蝦夷地や江戸湾の警備が出せないという事もないだろうに……

 ……もしかして、白河様の財政再建は本当に上手く行っているのか?」

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