白河の濁り 田代玄番放蕩録   作:北部九州在住

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柿 その二

「あら?若旦那。帰っていたのかい?」

 

 俺の住処である『蓬莱楼』の格子向うに花魁姿の勿忘草が顔見世を行っており、戻ってきた俺に格子越しに声をかける。

 俺は少し面倒臭そうに頭を掻きながら格子の隙間から柿を勿忘草に手渡す。

 格子に近づいた勿忘草から白粉の香りがした。

 

「水野様に呼ばれてな。

 これはその時の土産だ」

 

「あらまぁ。客が来なかったら美味しくいただきましょうかねぇ」

 

 そんな事を言うが、勿忘草はこの『蓬莱楼』でも上から数える方が早い売れっ子花魁であり、こうして顔見世に出ている時は大体馴染みの客やってくるのだ。

 この分だと格子の奥に引っ込んで旦那に愛想を振りまくのもそう遠くなさそうだ。

 

「頑張んな」

「はいはい」

 

 俺は勿忘草から視線を外して『蓬莱楼』の中に入ると、玄関先で腰を掛ける。

 勝手知ったる何とやら。

 金が払えない幇間という扱いなのだが、俺に対してみんな声をかけてくる。

 

「よぉ。若旦那。まだ金が支払えないのか?」

「ああ。幇間として、おべっかをする毎日さ」

「若旦那ぁ。勿忘草の姐さんだけじゃなくて、そろそろ私にも声かけて頂戴な」

「それで、勿忘草に睨まれるのは俺なんだが?」

「それぐらいは旦那の器量でなんとかして頂戴な」

「その技量がないからこんな所で幇間をやっているんだろうが」

 

 俺に冗談を飛ばしてくる馴染みの客や、色目を向けてくる花魁たちの相手を適当にしながら、玄関先に腰かけて持っていた本箱を置く。

 これも幇間としての仕事で、こういう所で客や花魁たちと話して盛り上げて、宴席に呼んでもらうのだ。

 最も、最近はそういう仕事で読んでもらえる事はほとんど無くなったのだが。

 花魁に上がったばかりの娘が、座った俺に抱き着いて誘う。

 

「どうせ今日は勿忘草の姐さんは馴染みの旦那の所なんだから、あちきの所に……」

「なーにやっているんだい?薄紅梅?」

 

 薄紅梅と呼ばれた花魁がぴくりと震えて後ろを向くと、目聡く見つけた勿忘草が鬼の笑顔で睨みつけていた。

 流石は花魁。女とはいえその威圧感は並ではない。

 睨まれた薄紅梅は勿忘草を睨みつけて、愛嬌たっぷりになじる。

 

「だってぇー。

 姐さんばっかり、若旦那の相手をしてするい!」

 

「そういう事は、もっとご贔屓さんを捕まえてからお言い!

 あんたのご贔屓の旦那が格子向うでお待ちかねだよ!」

 

「え!?今日来ないって言ってたのにぃ……

 旦那様。すぐ参りますねぇ」

 

「あの娘。もう少し落ち着いたら私なんてすぐ越えるんだけどねぇ……」

 

 慌てて格子に向かう薄紅梅を眺めつつ勿忘草がぼやく。

 薄紅梅の客は、そのほとんどが勿忘草目当てだ。

 そろそろ年季明けも見えてきた勿忘草の客を薄紅梅に渡そうとしているのだが、当人は気づいているのかいないのかで飄々と花魁を楽しんでおり、それが魅力に映る所もあったりする。

 

「で、お前は旦那を捕まえてきたのか?」

 

「私を誰だと思っているのよ?

 茶屋に出迎えに行くんで、おめかしする所よ」

 

 格の高い遊女と、旦那と呼ばれる連中の逢瀬は、外連味のある作法で一杯である。

 茶屋での待ち合わせというのもそんな作法の一つなのだが、当然遊郭の外での待ち合わせだから、おめかしもこのご時世で睨まれているのにお上のお目こぼしを狙えるぐらいの派手さを競い合っていた。

 

「じゃあ、ついでに楼主の所に行って、客が来た事を伝えてくれ。

 『義太夫語り』をする羽目になっちまった」

 

「……へぇ。

 じゃあ、三味線を用意しないとね」

 

 一瞬勿忘草の目が細くなったが笑顔のまま、勿忘草が奥に入ってゆく。

 あれはこの店の符丁で『泥棒』の符丁。

 落語の『義太夫語り』は間抜けな泥棒の話である。

 

 

「若旦那。

 いつもの事ですが、厄介な客を連れてきますな」

 

 『蓬莱楼』楼主。蓬莱弥九郎は奥の楼主部屋で煙草を吸いながら、俺の方を眺める。

 この『蓬莱楼』を継いで、はや八年。

 吉原の大店の貫禄がつきつつあるが、彼が楼主の座に座れたのも俺の父で当時の老中だった田沼意次のおかげであり、その恩もあって父の失脚後に俺をこの吉原に匿ってくれたのだ。

 だが、その父も世を去り、白河様こと老中松平定信の天下となった今、俺は下手に吉原から出ると命すら狙われかねない状況となった。

 俺も煙管で煙草を吹かしながら、楼主を見据える。

 

「ただの泥棒ならこうして煙草を吹かす事もない。

 盗人に見せかけた、白河様の間者だろうな」

 

「狙いはその本で?」

 

 蓬莱弥九郎は、俺の隣りにある本箱を見つめたので、箱を開けて中から本を取り出す。

 表題を見ただけでそのやばさを理解するのは、この『蓬莱楼』そのものが、かつての大老酒井忠清様の命で吉原の監視の為に作られた幕府密偵の隠れ蓑であり、代々楼主が名乗っている蓬莱弥九郎の名前は、初代密偵の名前だという。

 今の楼主は父の時代からの付き合いだが、こで蓬莱弥九郎を名乗る前にどんな事をしていたのかは知らない。

 

「……『海国兵談』っ!?

 また何でご禁制の本を……」

 

「水野様からの預かり物だ。

 それ以上の説明は必要か?」

 

「いいえ。大丈夫と思いますが、間者は紀州の者で?」

 

「それ以外の何処から来る?」

 

 幕府の間者たちも八代将軍徳川吉宗が紀州藩よりやってきた事で、紀州出身者で構成された『御庭番』が幅を利かせるようになり、今の老中松平定信は八代将軍徳川吉宗の孫にあたり、御庭番たちの忠誠は彼に向けられていた。

 その為、蓬莱弥九郎みたいな昔ながらの幕府間諜は幕府の方でも相手にされなくなり、手を差し伸べたのが田沼意次だったのだが、彼の失脚後『蓬莱楼』は遊郭として繁盛するが、間諜としては役に立たないという有様。

 そういう場所だからこそ、俺が逃げ込めたというのもあるのだろうが。

 

「あの御庭番相手に、籠で巻くのは無理だった。

 明日にでもお役人が踏み込んでくるだろうな」

 

 ご禁制の本を所持していた罪で俺を捕まえるつもりなのだろう。

 もしかして、水野忠成がこの本を入手した所から御庭番の奴らは監視していたかもと考えると、水野忠成に本を手渡したあたりから白河様の仕掛けなのかもしれぬと疑わずにはいられない。

 

「で、どうなさいます?若旦那?」

 

 蓬莱弥九郎の声に俺はあっさりと言い放つ。

 この手の手合いには慣れている。だから、こんな台詞も言える。

 まるで他人事のように。

 

「燃やすさ」

 

 

 

 その日の丑三つ時。

 床の軋む音に目を覚ます。

 幸いにも勿忘草は旦那の所で寝ているので今、ここに居るのは俺一人だけ。

 枕元に置いてある脇差を引き寄せ寝たふりをし続ける。

 

(……来たか)

 

 障子の向こうに気配を感じて身を固くする。

 足音を殺して歩く様子に侵入者の練度の高さを感じる。

 障子を音もなく開けて、部屋に入ってくる気配がした。

 次の瞬間、脇差を引き抜いて侵入者に斬りつける……筈だったが、俺の腕はそのまま止まってしまう。

 

「っ!?薄紅梅?」

「びっくりさせるんじゃないよ!若旦那!!あちきを殺す気かい!?」

 

 目の前に居たのは、襦袢姿のままの小刀前に怒る薄紅梅の姿であった。

 彼女は俺に怒鳴りつけるが、すぐにその表情を改めるとそれとなく視線を本箱の方に向けた。

 

「……何を旦那に吹き込まれた?」

「……若旦那が持っている本を読ませてほしいって」

 

 俺の言葉に、薄紅梅は困ったような表情を浮かべる。

 やはり、予想通りの展開だな。

 溜息を吐いて、俺は薄紅梅に言う。

 

「たしか、今日の旦那はご新規か?」

「そうでやすよ。それが何か?」

「そこで、俺がはいと言うと思ったか?」

「そこは、このあちきの体で……」

 

 襦袢から肩を出し、胸を見せようとする薄紅梅の頭を軽く小突く。

 流石にこれ以上ふざけた真似をするなら、本気で怒らねばならないだろう。

 叩かれた頭を押さえて抗議しようとする彼女に俺は諭すように告げる。

 

「とりあえず帰れ。これ以上ふざけると、勿忘草が怒るぞ」

「もう怒ってますけどねぇ」

 

 廊下の方から声がしたので振り返ると、そこには不機嫌な表情を浮かべた勿忘草の姿があった。

 どうやら先ほどの物音で起きてきたらしい。

 

「薄紅梅の旦那が急に消えた上に、薄紅梅もいなくなったって禿が騒いで来てみたら……

 楼主の前でみっちりお説教だよ!覚悟おし!!」

「姐さん。許してくんなまし~お願ぃでありんすぅ~」

 

 泣きつく薄紅梅を引きずっていく勿忘草を眺めながら、俺は頭を抱えつつ付き添う。

 さすがに踊らされた薄紅梅がかわいそうなのと、この機を賊は逃さないだろうと確信しながら。

 一刻後。戻った俺の部屋は荒らされていないように見えたが、本箱に仕掛けていた糸が切られていた。

 

「御用改めである!

 ここに御政道を批判する本があるとの通報があって参った!!

 神妙にいたせ!!!」

 

 翌日、奉行所の役人が『蓬莱楼』を家探ししたが、禁書の類はついに見つかる事はなく、吉原だけでなく江戸の町民の笑い種となったのである。

 

「ねぇ。あの本、本当に燃やしたの?」

 

 後日、一部始終を知った勿忘草が尋ねるが、俺は書き物をしつつぼやく。

 覚えているうちに書かねば忘れてしまうからだ。

 

「ああ。だから今、書き直している」

「……あれ、十冊ぐらいあったと思うのだけど?」

「だから、覚えている限りの所はな。

 忘れた所は白紙で作るさ」

 

 たとえば、ご政道を批判した所とか。

 要はここに『海国兵談』という禁書がある事が大事であって、その中身など誰も見向きもしないのだ。

 薄紅梅が忍び込んだあの夜。

 既に『海国兵談』は燃やされており、『海国兵談』と張られた表紙を適当な艶本に張り付けて本棚に入れていたのだ。

 賊はその表紙を見てある事を確認したのだろうが、戻った俺は表紙を破って焼き捨てた訳で、同心連中が本棚を探した時には表紙の無い艶本しか入っていなかったという訳である。

 とはいえ、体裁は整える必要がある訳で、何も書かれていない十六冊の本に書き物をする俺の隣りで、勿忘草は取っていた最後の柿を手に取る。

 

「薄紅梅の方は懲りたのか?」

「それが全く懲りてなくて『若旦那の男ぶりに惚れた』とかほざいているのよ」

「そりゃ、参ったな」

 

 呆れ返る勿忘草だが、俺も苦笑いするしかなく、勿忘草は何とも言えない顔で持っていた柿に口をつける。

 俺は恨めしそうに眺めるが、愚痴を言う前に手を動かすしかなく、勿忘草が柿を美味しそうに食べる様を書きながら眺めるしかなかったのである。

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